第24話『授業参観-4時間目-』
俺達は1年2組の教室に向かう。
杏奈の受けている授業を観るためというのが表面的な理由だけれど、実際には成瀬瑠花さんと話す前に彼女の顔や雰囲気を把握するためである。もちろん、杏奈を教室の後ろから見守るのもある。
1年2組の教室に入ると、先ほどと同じく中にいるほとんどの生徒から黄色い声援が。どうしてここでもそうなってしまうのかがさっぱり分からない。
教室の中を見渡すけれど、赤い髪の女の子は1人もいない。反対に髪が金髪の子は2、3人いるので誰が成瀬瑠花さんかが分からない。
「間宮さんはもう来ているんですか?」
「いや、まだいない。4時間目が始まる直前に来ていいって言ったから、多分もう少しで来るとは思うんだが……」
いざ当日になると勇気が出なくなったってこともあるよな。
ちなみに、俺達がいるからという理由で香織さんには学校に来ないでもらっている。杏奈が笑顔で帰らせることを約束にして。
「大輔さん、おはようございます」
入り口の方に振り返ると、桃色のワンピースの制服を着た杏奈が立っていた。俺がいるからかもしれないが表情が柔らかい。
「今日は来てくださってありがとうございます。緊張をしてしまって昨日はあまり眠れなくて、ちょっと眠いです」
「そうか。でも、頑張ってここまで来たな」
「……はい。大輔さんが来てくれると信じていましたし、私もずっとこのままではいけないと思って」
1日経っても杏奈の決意は変わっていないようだ。うん、これならきっと一緒に解決できそうな気がする。
「ところで、そちらのお二方が……昨日、大輔さんが言っていたお友達ですか?」
「ああ。紹介するよ。俺と同じ高校に通っている同級生の柊琴音と片岡瑞樹だ」
俺がそう言うと、杏奈は俺の横に立って緊張した面立ちで、
「え、ええと……間宮杏奈と言います。今日はその……私のために来てくださって本当にありがとうございます」
と、声を震わせながら言う。そこまで緊張することはないけれど、初めての人と話すんだから仕方ないかな。
「柊琴音です。大輔君からは話を聞いています。今日は私達もついているんで、頑張ってくださいね」
「僕は片岡瑞樹。柊さんと同じく君の事情は分かっているよ。僕もいるし、何かあったら僕らのヒーローである荻原君を頼るといいよ。まあ、それは間宮さんが一番分かっていることだと思うけどね。もちろん、僕や柊さんにも遠慮しなくていいんだよ」
「……ありがとうございます。私のために……」
杏奈は俺達だけに見えるように小さく笑った。この笑みをこの場で存分に見せることができるようにしないといけない。
今、ほとんどのクラスメイトからの視線が俺達の方に集まっている。この中に杏奈を虐めた奴がいる可能性は大だ。そいつのことを虐めた奴だという目で見たくないが、俺は杏奈に訊いてみることにする。
「さっそくだけど、杏奈。どの生徒が成瀬瑠花さんなのか教えてくれないか?」
「……青いリボンで金色の髪を束ねている子です。ワンサイドなのですが」
むやみに指を指すわけにもいかないので、杏奈は俺の耳元でそう囁く。
教室全体の様子を見るような感じで生徒全員を見てみると……いた。青いリボンで金髪を束ねているワンサイドアップの女の子。確かに気が強そうで、何人かの取り巻き達を従えているようだ。他の生徒と比べてこちらを見る目つきが違う。
「よし、誰なのか分かった。ありがとう、杏奈」
しかし、彼女が先輩の妹か。髪の色具合といい水色の瞳といい……やはり兄妹だけあって似ている部分が多いな。
とにかく、この1時間で……瑠花さんとどうやって接するかを考えておこう。授業が終わって昼休みが勝負の時間になるから。
四時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。
「じゃあ、杏奈。頑張れよ。俺達がここから見守っているから」
「……はい」
杏奈は自分の席に座った。窓側の後ろから3番目の席だ。なので、俺達も窓側の方へ移動する。
ちなみに、成瀬瑠花さんは廊下側の方の席に座っているので授業中に何かされるという心配はなさそうである。彼女の取り巻き達らしき生徒の1人が杏奈のすぐ近くの席に座っているけれど、父兄の前で何かしでかすことはできまい。万が一何かあったら、それこそ俺が出る場面である。
そして、教室前方のドアが開く。さて、何の授業なのかな?
「はい、みんな席に座ってね」
「ね、姉さん!」
スーツ姿の姉さんの姿が目に飛び込んだため、思わず声が漏れてしまった。当然、生徒も父兄も俺の方に視線を向けてくる。
思えば昨日の夜、今日の授業参観のことを話したとき……やけに姉さんが賛同してくれていると思ったらこういうことだったのか。まあ、姉さんは杏奈が受けているいじめの存在も知っているし、何かあったときにも柔軟に対応できると思うから心強い。
だが、一番の問題は……授業中に何か俺に振ってくる可能性があることだ。今後のことを考えてあまり目立たないようにはしたい。
「今日は私もみんなと同じ立場で授業を観てもらっているの。今、窓側に立っている水色の髪の青年が私の弟なのよ。私、かなり緊張してる。でも、今日はいつも以上に頑張って授業しましょう!」
その瞬間、教室全体が笑いに包まれる。生徒、父兄……皆が笑っている。多分、笑っていないのは俺だけだろう。ちくしょう、かなり恥ずかしい。
「大輔君のお姉さん、明るくて元気な方なんですね」
「生徒から人気がありそうな感じだね」
「まあ、そうなんだろうな」
これは姉さんが授業を教える様子を笑って見てやろうと思った俺への報いなのか。何だかここから立ち去りたい気分だけれど、杏奈のためにもそれは絶対にできない。
「別にいいじゃない。悪いことで笑われているわけじゃないんだし」
「俺も片岡みたいな思考回路が少しでも欲しかったぜ……」
「でも、可愛らしい妹さんに明るいお姉さんがいるなんて羨ましいよ」
「そうなのかね……」
1人っ子が故の願望なのだろうか。片岡の気持ちはおそらく、姉さんや明日香がいる限り永遠に理解できないことなのだろう。
あまりにも笑いが絶えないため、姉さんが2、3回手を叩いて、
「はい、じゃあ授業を始めます。号令を掛けてください」
そして、生徒の中の1人が号令を掛けて4時間目の授業が始まった。1年2組は国語の授業だ。
授業を聞いていると現在扱っているテーマは人間の心理に関する説明文らしい。人間の行動範囲について述べているらしく、テリトリー内とテリトリー外での心理の違いはとか色々と高級そうな内容が展開されている。それを姉さんが教えているんだから何だか信じられない気分である。苺タルトを使って弟を脅迫するような奴が教えているのだ。信じられねえよ。
さて、杏奈の様子を見てみると、これまで何一つ変化は見られない。成瀬瑠花さんやその取り巻き達が何度か杏奈の方に視線を向けているのが分かったけれど、ただそれだけで実際には何も起こっていない。
「大丈夫そうですね、間宮さん」
「ああ。父兄のいる前で何かできるような心の持ち主ではなさそうだな」
「あと、お姉さん……授業を教えるのが上手ですね」
「まだ2年目だけど、さすがに教鞭を執っているだけはあると思うよ。弟から見てもそれは認める」
「うふふっ、何だか明日香ちゃんとお姉さんを見ていて、今の大輔君のルーツが何となく分かった気がします」
「ルーツ、ねぇ……」
でも、琴音の言うことはおそらく正しいだろう。
もし、今、両親も一緒に住んでいるとしたら今の俺はなかったかもしれない。社会人になった姉、中学に入学した妹と3人で暮らしているからこそ、家のことの多くは俺がやるようになったんだ。両親がいれば、俺はこうして明日香の授業参観に来ることもなかったと思う。
「……姉さん、明らかに俺のことを意識してるな」
先ほどの教諭と同様、姉さんも逐一俺の方を見てくる。親が気になる小学生みたいな感じだ。視線の方向が俺達の方に向けられているのはしょうがないと思うけれど、明日香の方が大人かもしれないな。明日香はちゃんと授業に集中していたから。
それでも大きく蛇行するようなことなく、無事に五十分間の授業が終わった。何だか三時間目の時よりも4時間目の方が緊張してしまった。
「精神的に今回の方が疲れたんだけど。多分、これは杏奈が問題じゃなくて姉さんの所為だと思うけれど」
「冷や汗もかいていましたからね」
「まじか……」
姉さんや杏奈や成瀬瑠花さんとかに神経を使っていたためか、そんな状態になっているとは全然気づかなかったぞ。姉さんが教師として授業ができているかどうか心配だったのだろう。
4時間目が終わったということで、これから1時間ほどの昼休みに入る。
姉さんの方を見ると軽くウインクをしてきた。あとは任せたぞ、という姉なりのサインだろうな、あれは。
よし、そろそろ行動に移すとしましょうか。幸い、姉さんが俺のことを自分の弟だと言ってくれたお陰で、成瀬瑠花さんに話しかけても怪しい人間だと思われずに済む。
「琴音、片岡。2人は杏奈の側についてあげて欲しい。昼休みが終わるまでは学校にいられるらしいから。俺は彼女と話をつけてくる」
「分かりました、大輔君」
「間宮さんのために頑張るんだよ!」
「……ああ。タイミングを見計らって杏奈を成瀬瑠花さんと会わせたい。瑠花さんに気づかれないよう、杏奈と3人で後をついてきて欲しい。これは……琴音と片岡にしか頼めないことだ。引き受けてくれるか?」
俺がそう言うと片岡はふっ、と息を漏らして爽やかに微笑む。
「今さら、そんなにかしこまらなくても僕達は荻原君に協力するつもりだよ。僕達も間宮さんの手助けをする目的でここに来たんだから。ね? 柊さん」
「ええ、片岡君の言う通りです。間宮さんのことは私達に任せて荻原君は目的の女の子の所に行ってください」
「……ありがとう」
結果、琴音と片岡に背中を押されるような感じで、俺は成瀬瑠花さんと話をつける決心がついた。
瑠花さんの周りには既に何人かの女子が集まっていた。声を掛けづらい状況ではあるがここは片岡のように紳士的な対応で臨んでみるとするか。
「あの、ちょっといいかな? 金髪のワンサイドの女の子なんだけど」
瑠花さんを中心とするグループの近くまで歩いて、俺は声を掛ける。
「あたしのこと、ですか?」
「うん、君だよ。君の苗字ってもしかして……成瀬って言わない?」
「ど、どうして分かるんです?」
「俺、中学の時にサッカー部に入っててさ。そこに成瀬航平っていう名前の先輩がいて凄くお世話になったんだよ。その時に先輩から妹さんの話を聞いていて。確か、名前って瑠花ちゃん……じゃなかった? 合ってるかな?」
警戒心を持たれないように笑顔を作り、できるだけ柔らかな口調で瑠花さんに向かって話しかけてみる。
すると、瑠花さんの頬は一気に紅潮する。これが良いサインなのか悪いサインなのか全く分からん。
「……あ、合ってます。お兄ちゃんの後輩の方なんですか?」
「ああ。俺は荻原大輔」
「荻原、大輔さん……」
名前を教えちゃったけれど、大丈夫だったかな。ウルフだとばれるかも。
「暫く先輩に会っていないから先輩の話も聞きたいし……それに、君ってかなり可愛いよね。教室に入ってからずっとそう思っていたんだ」
「はうっ。あ、あたしのことを可愛い、って本当に言っているんですか?」
「嘘をついて何の意味があるのかな。ここだと何だから、ちょっと静かなところに案内してくれない? 2人きりでゆっくりと話がしたいんだけど……駄目かな?」
何かの恋愛小説に登場した台詞を拝借してみたけどどうだろう? 瑠花さんが可愛いというのは本当だけれども。
しかし、思いの外好印象のようだ。瑠花さんはまるで憧れの存在を見ているかのように俺の方へ視線を固定している。彼女よりもむしろ周りの生徒の方が盛り上がっている。
「せっかくのチャンスじゃん、行ってきなよ」
「いいなぁ、狙ってたのに」
ということを瑠花さんに言っている。つうか、狙っていたってどういうことなんだよ。食うつもりだったのか?
しかし、そんな言葉に後押しをされたのか瑠花さんは、
「分かりました。2人きりでお話をしましょう」
「ありがとう。できれば外がいいな」
「は、はい」
俺は瑠花さんに連れられて教室を出る。その時に取り巻いていた生徒達が黄色い悲鳴を上げながら頑張れ、と叫んでいたのだが、瑠花さんが何を頑張るというのだろう? 中学生に入学したばかりの女の子の言う言葉の真意が読めない。
それにしても、最初に見た頃はいかにもクラスの中心人物で女王様とも言えるようなオーラを放っていた子が、こんなに素直に俺の言うことを聞いてくれるなんて。どんな子であれ元はただの中学生なんだ。
さてと、2人きりになったところで……決着をつけるとしましょうか。
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