第19話『赤い髪』
杏奈が落ち着いたところで、俺はテーブルの側にある座布団の上に座った。その際にブレザーを脱いで、ワイシャツの袖を肘まで捲る。体が熱くなってしまったから。
「ごめんなさい。思いっきり泣いちゃいました」
「……誰かの前で泣くことは凄く大切なことだと思うぞ」
ついさっき、琴音と片岡から教えられたばかりだけどさ。
「……はい。何だか気持ちが大分楽になった感じがします。そういえば、大輔さんの制服姿を見たの、初めてですよね」
「そうだな。……ネックレスとかブレスレットは外した方がいいか? 一応、家庭教師として来てるわけだからさ、あまりチャラチャラしているといけないと思って」
「いえいえっ、大輔さんによく似合っていると思います。高校生の方って皆さんこういう風にオシャレをするのでしょうか?」
「そ、そうだな。公立高校なら特に」
本当は他の奴らに近寄られないようにつけていただけなんだけど。印象付けるのにまず大事なのは見た目だと思って、とにかく金属類を体に身に付ければ不良っぽく見えると思った。私立高校なら、特に。禁止されていることだし。まあ、髪が水色であることも功を奏したのか、本当に常に恐がられていたけどな。
「白鳥女学院ではアクセサリーを付けるのは禁止されているんです。中等部はもちろんですけど、高等部もそうなんです」
「そうか」
何せ、白鳥女学院は日本屈指のお嬢様学校とも言われているほどだし。私立高校の大半は校則がしっかりと定められているけど、白鳥女学院の場合はかなり厳しいだろう。俺みたいにアクセサリーを付けていたら生活指導室に直行だろうな。
さて、少し雰囲気も温まったところで、本題と行こうか。
「……そろそろ話せそうか?」
いじめられていることを自ら話し始めることは難しいと思い、俺の方から話を切り出してみる。
すると、やはり杏奈は少し物憂げそうな表情を浮かべるけれど、ゆっくりと頷いた。
「原因は私の方にあるんです」
「どういうことだ?」
予想外だ。原因は杏奈の方にあるというのはどういうことなのだろうか。
いじめた子を庇っているという可能性もありそうだ。とりあえず、まずは適度に相槌を打ちながら杏奈の聞くことにしよう。
「自分が悪いと思い当たるようなことがあったりしたのか?」
「ええ。私の髪……見ての通り赤いですよね。クラスメイトの多くは髪が黒いんです。もちろん茶髪の人や金髪の人はいます。そこまでならまだ生まれつきと言えば話が通るんですが、私の場合はそれを信じて貰えなくて」
「それって、髪が赤いからなのか?」
「ええ。白鳥女学院の校則の中に、髪を染めたり脱色したりしてはいけないという決まりがありまして。でも、元々の髪の色が黒以外の生徒さんもいますので、その人には昔の写真を持ってくるという決まりになっているんです。大輔さんの髪は水色ですし、そのような経験はありませんでしたか?」
「俺は……なかったな。高校に入学しても、うちの高校は意外と髪や服装については寛容なところがあるから。でも、自主的にきちんとしている生徒は多い」
でも、アクセサリーを身につけてはいけないんだよな。教師陣にも俺の「ウルフ」の過去について知られてしまっているので、俺のことを警戒して何も言っていないという可能性も十分にあり得る。
しかし、頭髪に関する白鳥女学院のやり方には賛同だ。小さい頃の写真を見せ、自分の髪の色は生来のものであると確かめさせるのはいいと思う。
「……でも、杏奈のその赤い色は香織さんから受け継いだものだろ? 香織さんも杏奈と同じ赤い色だったはずだし」
「はい。でも、写真を見せるのが今ぐらいの時期で。それまでは先生に自己申告しているだけだったので、例えクラスメイトでも、私が校則違反をしていると思う人は中にはいたのかもしれません。……いえ、いたんです」
「もしかして、それが?」
「はい。私をいじめてくる生徒です。その生徒は金髪なんですけど、それは棚に上げて……一方的に私の赤い髪はこの学校ではおかしいんだって言い続けてきて。最初は1対1だったんですけど、少しずつその生徒の周りに人が集まってきて。最終的には数人の生徒から髪のことを言われるようになってしまって。私も嫌だって言えなくなって、結局……こういう形になってしまいました」
杏奈は苦笑いを見せる。
なるほど。自分みたいな金髪はともかく赤い髪はそうそうないから絶対に染めていると思ったわけだ。それを口実に、この学校にいちゃいけない存在なんだと言われ続けたのか。生来のことについて言われるのは辛いものがある。
「嫌だって言えない私が悪いのでしょうか……」
「……杏奈の話を聞く限りでは、間違いなくいじめた奴の方が悪い。世間では今の杏奈みたいに言う奴が多いけど、嫌だってどうしても言えない奴だっているんだ。俺はできるだけそういう奴の気持ちを尊重したい。第一、いじめっていうものは、いじめた奴が100%悪いんだ。杏奈は何にも悪くないって」
「大輔さん……」
「男同士のことなら1発殴るっていう手もありだと思うけれど、女同士だからな。なかなか難しいものがあるな。男ほど単純な生き物がいなければ、逆に女ほど複雑な生き物だっていないし」
俺もこの水色の髪のことで色々と嫌なことを言われていたことがあったけれど、相手が男だったから1発殴って黙らせた経験がある。だからと言って、俺は杏奈にこの解決法を勧めることは絶対にしない。
「言葉の問題ではやっぱり言葉で解決するのが一番かもしれない」
「でも……私の髪が原因なんですよ? 何か言ったところで納得してくれるか……」
そう言って、杏奈はしょげてしまう。
「杏奈の赤い髪は生まれつきのものなんだ。香織さんから受け継いだ大切なもんだから、堂々と胸を張ったって何にもおかしくないんだぜ? それに、俺は……お前の赤い髪が大好きだし、赤い髪だからこそお前の魅力が最大に引き出されていると思うぞ!」
「ふえっ、そ、そうなんですか……!」
励ますつもりで言ったんだけれど、杏奈は普通を通り越してかなり気持ちが舞い上がってしまっているようだ。髪の色に負けないくらいに顔を真っ赤にし、何かを言おうとしているけれど、あうっ、あうっ、と喘ぐだけで言葉を声に乗せることができていない。
「おい、ちょっと落ち着け」
俺は杏奈の両肩を掴んで強引に座らせた。
「ご……ごめんなさい。私、男性の方から髪のことについて褒められたことがあまりなかったので、その……」
「気にするな。ただ、これ以上放っておくとお前の頭がオーバーヒートするかもしれねえって思っただけだからさ」
「うううっ、本当にそうなりそうでした……」
そして、再びしょげる。
気持ちが沈んでばかりだと思っていた最初のイメージはこの3日間ですっかりと飛んだな。意外と感情の波が激しいというか。
「1つ言っておくと、人は生まれつきの髪が1番似合うって言われているんだ。だから、今の杏奈みたいに紐でまとめるくらいのことはしてもいいけど、パーマをかけたり他の色に染めたりするなんてことはして欲しくねえかな。俺としては」
「……実は髪を黒くしようと思ったことがありまして、学校に行かなくなる直前に黒く染めるトリートメントをお母さんに秘密で買ってきていたんです」
杏奈は座布団から立ち上がり、勉強机まで行って一番大きな引き出しを開ける。そこから黒髪の女性のイラストが描かれている細い箱を取り出していた。前に姉さんにショッピングセンターへ買い物に付き合わされたとき、化粧品のコーナーでこれに似たものを見たことがある。
「それが、髪を染色する薬みたいなものか?」
「……はい」
「まさか、一度でも使ってみたってことはないよな? 今は普通の赤い髪だけど、すぐに洗えば綺麗に落とせるって聞いたことがあるし」
「一度も使っていません。本当です。……でも、今日中に大輔さんと合わなかったら、今頃、髪を染めていたかもしれません」
「そうか……」
もしかしたら、杏奈なりに前へ歩き出そうとしたのかもしれない。髪を黒く染めれば、嫌なことも言われなくなってまた学校に通えるようになると思ったんだ。俺や香織さんに迷惑を掛けたくないという気持ちから、おそらくその考えに至ったのだろう。
「でも……髪を黒く染めればいいって問題じゃない。間違っているとは言わないけど、それが杏奈にとっての最良の答えじゃない、ってことは今なら分かるよな?」
「……はい。私、この赤い髪……お母さんと一緒の髪が大好きです」
そう言えたのは俺が目の前にいたからかもしれない。でも、今の杏奈の言葉には……これまでにない意志の強さが感じられた。大丈夫だ、この気持ちさえあれば絶対に乗り越えられる。
俺もそんな彼女の気持ちを後押ししようと決意する意味を込めて、杏奈の髪がくしゃくしゃになるくらいに強く撫でる。
「その気持ち、絶対になくすんじゃないぞ。誰に何を言われようと、それが揺らぐことがなければきっと大丈夫だ」
「……はい」
杏奈は小さく笑った。
彼女の気持ちこそ大分前向きにさせることができたけれど、大事なのは杏奈をいじめた奴に杏奈の気持ちをどうやって理解させるか。いじめた生徒の名前さえ分かれば、俺が行ってみてもいいけれど。ただ、本当の理想は杏奈が学校に行くことだ。ただ学校に行ってみようと言っただけでは、杏奈に躊躇われてしまう可能性が高い。なので、
「杏奈。明日……白鳥女学院で授業参観があるよな? 年度初めの」
「あっ、はい。確か……お手紙は貰ったので覚えています」
「実は俺の妹と授業参観に行く約束をしているんだよ。確か杏奈って1年2組にいるんだよな?」
「はい、そうですけど……」
「じゃあ、杏奈の授業参観も観に行ってもいいかな」
「ふえっ! だ、大輔さんが……?」
突然のことなのか、杏奈は驚きが隠せないようだ。
明日が杏奈にとって大事な1日になる。
杏奈1人では無理かもしれない。だったら、俺が杏奈の側に立つのみ。明日の昼休みや放課後にでも、杏奈をいじめた奴と直接話してやろうという企みである。
「そうだ。授業参観は明日の3時間目と4時間目だ。4時間目だけでもいい。俺が杏奈の教室の後ろに立っててやる。いじめた奴と同じところにいるのは心苦しいかもしれない。でも、俺がいるから大丈夫だ」
「大輔さん……」
「どうだろう、一緒に頑張ってみるか? 決めるのは杏奈だ」
この問題は杏奈といじめている奴の間のことだ。決着を付けるかどうかの最終的な判断は杏奈に任せるのが妥当ではないだろうか。俺はあくまでも、杏奈を手助けする少し年上の人間なのだから。
だけど、不思議と杏奈にはもう答えが出ているような気がした。その答えは、
「……大輔さんが側にいてくれるなら、頑張れる気がします」
「杏奈……」
「今はまだ自信が全然ありません。でも、大輔さんがいると何故だか……頑張れる自分が自然と前に出てきているような気がするんです。多分、それが私の……本心で望んでいることだと思って。前に進みたい。私の気持ちをあの子にちゃんと私の口から、伝えてみたいです」
「……そうか。杏奈がそう心に決めたなら、俺も全力で協力する」
俺は両手で杏奈の両手を掴んだ。
今、こうして小さな手を優しく包み込んでいるように明日は杏奈のことをサポートし、時には守らないと。
「ありがとうございます、大輔さん。……あ、あと……そんなに強く手を掴まれると何だか胸がドキドキしてくるといいますか……はうっ」
「ご、ごめんね。つい気持ちが入っちゃって」
ぱっ、と杏奈の手から離すと手のひらが汗ばんでいた。相当強く握ってしまったのだろう。痛い思いをさせてしまったかな。
「いえいえ、気にしないでください。むしろ嬉しかったというか……って、わ、私は何を言っているんでしょうね!」
杏奈は照れ笑いを見せる。妹みたいで可愛いな。明日香と会わせればきっといい友達になるんじゃないかと思う。
「ちょっと高校の友達にメールするよ」
「私のことは気にせずにどうぞ」
琴音と片岡……そして、由衣にも明日の授業参観に一緒に行かないか、という旨のメールを送る。もし、一緒に行ってくれる人が他にもいると心強い。行き先が女子校だから、琴音がついてきてくれると特に嬉しいんだけれど。
あと、由衣に対しては杏奈のことを悪いと思っていないなら、という一文を付け足すことにした。由衣からは特に返信が来てほしいけれど。
「これで大丈夫かな」
「大輔さんは優しい方ですから、お友達もたくさんいるんでしょうね」
「……俺なんて全然いないよ。今送った奴らも……つい最近友達になったし。だけど、そいつらは凄く俺のことを信頼していて、俺も信頼しているよ」
「……そう、なんですか」
「友達ってたくさんいた方がいいって思われがちだけど、俺は決してそう思わない。少なくたっていいんだ。大切なのはその友達とどれだけ信じ合えるか。きっと、そういう奴と出会ったら、少しずつでも友達が増えていくんだろうなって思う。もういるかもしれないけど、杏奈なら近いうちにきっとそういう奴に出会えるさ」
もし、杏奈が少しでも自分の不安を他の人に言うことができて、それを受け取った大切な友人が白鳥女学院にいたとしたら、俺がここにいるようなことはなかったのかもしれない。その時は、その友人が俺の役目を全て行ったことだろう。
「……そういや、杏奈の虐めた奴のことについて訊いてなかったな。さすがに何も知らないで行くのはちょっとどうかと思うし。辛いかもしれないけど、教えてくれないか?」
「あっ、はい……大丈夫です」
「ありがとう。そいつは同じクラスの生徒なんだよな」
「ええ。
一瞬、その名前に耳を疑った。
「なるせ、だと? もしかして、そいつ……金髪か?」
「はい、そうですけど。どうかしました? お知り合いなのですか?」
「あっ、え、えっと……」
まさか、こんなことになるなんて。
成瀬瑠花……その女の子本人は知らないけれど、成瀬という苗字に金髪というのは俺には心当たりがある。正確に言えば……心に刻まれている。
成瀬という苗字で思い出されるのは……3年前のあの時のこと。
『あれが先輩のフェアプレーだったと言うんですか!』
俺が「ウルフ」と呼ばれるきっかけとなった事件。今もなお、桜沢市の多くの人が覚えている事件。
こんな形で再び関わってくるかもしれないなんて。これってもしかして――。
「……運命。いや、宿命……なのかなぁ」
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