第20話『ウルフの目覚め』
「……運命。いや、宿命……なのかなぁ」
そう考えると、思わずため息が出てしまう。
「えっ?」
「……成瀬瑠花。彼女自身の事は知らない。でも、そいつにはサッカーをやっている高校生の兄貴がいるはずだ。そういうことは聞いたことないか?」
「……聞いたことがあります。サッカーがとても上手なお兄さんがいると。お友達との会話を小耳に挟んだ程度ですが。彼女のお兄さんがどうかしました?」
「もしかしたら、今回のことは俺にも与えられた試練になるかもしれないな」
「えっ?」
「今の杏奈の話を聞いて確証を持ったんだ。成瀬瑠花。彼女の兄貴の名前は
「そう、だったんですか……」
何かの巡り合わせとしか言えないだろう。姉さんが家庭教師を依頼した女の子をいじめている生徒の兄貴が、3年前の事件に深く関わっていた先輩だったなんて。
「……杏奈に話すべきかもしれないな」
「その方と何かあったんですか?」
「……ああ。ところで、今まで訊かなかったけど……この町内でウルフって呼ばれている男子がいるのは知ってるか?」
「2、3年くらい前にそんな人がいたと聞いたことがあります。確か、その人はこの地域の中学に通っていたんですよね。恐がっている人が周りにいたんですけど、私はウルフと呼ばれている人が中学生だと分かってからは大丈夫でした」
「やっぱり覚えてるんだな。恐がらなかった杏奈でも」
「ここの地域でも少し騒がれていましたし。ちょっとずつ思い出してきました。多分その人、今は大輔さんと同じ高校2年生くらいではないでしょうか」
穏やかな口調で杏奈は俺のことをそう言った。
今でこそ街ではあまり騒がれなくなったけれど、大抵の人はまだ覚えているというわけか。
杏奈も自分のことを……自らの口で言ったんだ。今度は俺が杏奈に……自分のことを話さなければいけないと思った。ウルフのことを隠し続けるのは辛いものがある。それに、何よりも……杏奈なら受け入れるという安心感があった。
「……大輔さん?」
杏奈は俺のことをじっと見つめている。
「杏奈。そのウルフって言われてる奴、実は俺なんだよ」
ウルフの正体を明かすと、杏奈は一瞬、目を見開いた。
「大輔さんが、ですか?」
「ああ。多分、部活の先輩に大怪我を追わせたということだけが広まって、その時の俺の様子が狼のようだったからそう呼ばれるようになったんだ」
「そう、だったんですか……」
街を駆け巡った噂は本当である。ウルフと呼ばれることも、今では仕方のないことだと思っている。
「もちろん、何か理由があるんですよね? 大輔さんが理由なしにそんなことをするとは思えないです」
杏奈は驚くどころか、優しい笑みを浮かべていた。
「……杏奈みたいに言ってくれる奴はほとんどいなかったよ。たった1人でも良かった。俺が理由なしに成瀬先輩に怪我を負わせるわけがない、って言ってくれる奴が幼なじみ以外にもいれば、俺もこんな風にならなかったかもしれないな……」
「その話、聞かせてくれませんか?」
多分、俺のことを信じてくれているんだろうな。そして、俺も杏奈のことを信じている。杏奈になら、3年前のことを躊躇うことなく全てを話せそうな気がする。
「……分かった」
俺は気持ちを落ち着かせるため一度、大きく深呼吸をする。
「中学の頃はサッカー部に入ってて、成瀬先輩とはそこで出会ったんだよ。その頃から先輩は部のエースでさ、俺も先輩のような選手になりたいと思ってひたすら練習をする日々を過ごしていたんだ。2年生になって俺は先輩からエースの座を引き継いだ」
「大輔さんは努力家なんですね」
「今に比べれば、な。事の初めはその年の夏、桜沢市内で行われた公式トーナメントの決勝戦の時だった。相手の学校は県大会常連で、年によっては全国大会に出場して優勝もするような強豪校だった。県大会に出場できるかはともかく、強い学校と対戦できることに興奮していたことを覚えてるよ」
「その時に……何があったんですか?」
「相手チームに多くの負傷者が出たんだ。そして、うちのチームの3年生が無駄に審判へ相手チームのファールを求めたんだ。それは異常な多さだったよ」
今でも覚えている。3年前の夏のトーナメント、決勝戦前半。
主に3年生のメンバーが相手チームのファールをひっきりなしに主張したこと。相手チームの選手が負傷した原因は明らかにこちら側にあったこと。成瀬先輩はそんなことをしなかったけど、休憩時間に俺が状況の異変さを伝えても何にも答えてくれなかった。
「大輔さんにはその異変が故意に引き起こされたことだと思ったんですね。ファールの主張はともかく、相手チームの方に怪我をさせたことは……」
「ああ、俺もこの状況はまずいと思って。休憩時間に試合に出ている2年生のメンバーを集めたんだ。試合は1点ビハインドだけど、ボールが来たら全て俺に回してくれってね。幸い、そいつらは俺と同じ異変に気づいていたから、後半は全て俺にパスが回ってきたよ。俺も、相手にボールが回ったら積極的にボールを取りに行っていたし」
「それで……試合の結果はどうだったんですか?」
「負けたよ。けが人が多くても、相手は強くて逆転するどころか広げられてしまったんだ。最終的には3対0で」
「そうだったんですか……」
「今から考えればその結果は当たり前だったんだ。こっちは11人で試合に臨んでいなかったんだからな」
実質、後半は数人の2年生メンバーで戦ったようなもんだ。相手にボールが取られても3年生には取り返させないようにしていたから。
「全国優勝もするようなチームから、追加点を2点に留めることができたのは良かった。でも、負けは負けだ。後日、俺は部室に呼び出されたんだ。成瀬先輩から」
「成瀬先輩は3年生ですよね。ということは、もしかして……」
「ああ。先輩は試合に負けた責任を取れって言ってきたんだよ。後半のプレーを引っ張っていた俺に対して。しかも、そのときに由衣を人質に取って」
「由衣、ってもしかして……昨日の夜、大輔さんと一緒にいた女性の方ですか?」
「ああ、そうだ」
「でも、それはおかしい話じゃないですか! 確かに大輔さんは試合に負けた原因を作ってしまったのかもしれません。それでも、どうして由衣さんが人質に取られるようなことに……」
「3年生はスポーツ推薦で高校合格を狙おうと思っていたらしいんだ。特に、成瀬先輩はインターハイの常連校に受験するつもりだったらしい。推薦をしてもらうためには、県大会に出場することが条件だったらしいんだ」
「それでも……!」
「ああ、当時の俺だって、今の杏奈みたいに由衣が人質に取られていることがおかしいと言った。だけど、そんな俺の言うことは聞く耳を持ってくれなくて、決勝戦後半のことが話題になったよ」
今でも鮮明に思い出すよ。
あの日は雨が降っていた。
部室の中も薄暗くて……妙にじめじめとしていた。そこには成瀬先輩と3年の部員が数人ほどいた。
由衣は腕と脚を縛られていた。あいつを人質に取ったのは、俺と1番関わっている女子があいつだったからだろう。
『由衣は何も関係ないじゃないですか! 今すぐに放してください!』
俺は先輩に何度もそう言った。しかし、先輩は耳を貸そうとしなかった。
『……どう責任を取ってくれるんだよ、荻原。あの試合に負けなければ、俺は高校の推薦が取れていたんだぞ!』
『それ以前の問題です! 何だったんですか、あの決勝戦の前半の内容は! そこにいる3年の先輩方は皆、ファールばかりして。相手に怪我を負わせて。あんなの、スポーツの試合とは言えません! 成瀬先輩に言っても何も耳を貸してくれないし……』
『それで後半、荻原はあんなことをしていたのか。荻原こそ、サッカーは11人で戦うチーム戦だと分かっているだろう。荻原、試合に負けた原因はお前にある。その責任はこの場で取ってくれるよな?』
『先輩はああいう試合こそが本来のサッカーだと言うつもりですか!』
『……ああ。あれが俺のサッカーだよ』
その言葉に、俺は裏切られた気がした。フェアプレーを何よりも大切にする先輩が、あの時の試合が本来のプレーだと言ったことに。
だから、激しい怒りがこみ上げた。
成瀬先輩に対してだけじゃない。あの場にいた全ての3年生に対して、俺は1人の人間として許せなかったんだ。由衣が人質に取られていることもその原因の1つと言える。
あの時のことを思い出すと胃がキリキリしてくるな。
「俺は由衣をいち早く逃がして、その場にいた3年生を殴り続けた。数人相手だったけれど、無我夢中で。気付けば、先輩達はその場に倒れていたよ。由衣が先生を呼んできたときには、俺は部室で立ち尽くしていた。その日、部活で学校に来ていた多くの生徒がその時の様子を見ていて。きっと、その中の誰かが……俺が狼のようだと思ったんだろうな。それから、俺はウルフと揶揄されるようになったんだよ」
「そう、だったんですか……」
「その後、俺は2週間の自宅謹慎処分を受けた。でも、謹慎期間が明けても……暫くの間は学校に行くことはなかった。何を言われるのかが恐くて。一度行ってみても周りの生徒から常に人間としてではなく狼として見られ続けた。それが嫌でたまらなくて」
「でも、今はちゃんと学校に行っていますよね」
「……そうなったのは、由衣のおかげなんだよ。あいつは毎日1回は俺の家に来て、俺と会ってくれて。いつも口にしていたよ。俺は何も悪いことはしていない。むしろ、良いことをしてくれた。私にはそれが分かっているって」
「大輔さん想いの方なんですね、由衣さんって……」
「……ああ」
今でもはっきりと覚えている。由衣はいつも笑顔でそう言ってくれたよな。
そう、あいつは……俺のことを常に考えてくれていたんだ。由衣が人質に取られたのも、元々は決勝戦での俺の勝手な判断の所為で負けたことが原因だったのに。
そういえば、俺は一度でも口にしたことがあっただろうか。
――お前は何も悪くない。
昨日の夜に由衣に言った通り、俺は彼女に甘えていたんだ。気づかない間に、彼女の優しさに縋っていたんだ。
それなのに、俺は不意に漏らしてしまった由衣の言葉に過剰に反応して、裏切られたとか勝手なことばかり言って。酷い人間だ、まったく。
「それからは学校に行くようになって今に至る……って感じだ。高校に入学しても、周りの生徒から恐がられているのは相変わらずだけど」
「そんな、大輔さんは優しい方なのに……」
「いいんだ。今は友達や家族や由衣、そして……杏奈さえ分かってくれれば」
「大輔さん……」
誰も信じることができないと思ったあの時と比べれば、今がどれだけいいことか。そう思えるのも、俺を信じてくれている杏奈がいるからだろう。
「……成瀬先輩もどこかで彼に見合う高校生活を送っているはず。そうやって、今は割り切るようにしているよ。そうすることで、そのことを引きずらないように心がけてる」
「そう、ですか……」
本当は違うと思う。成瀬という名前を耳にした途端に身震いをするということは、未だに過去に囚われている証拠だろうから。
「すまないな、重い話をしちゃって」
「……いえ。知り合って間もない私に話してくれたことが嬉しかったですし、それに……納得しました」
「納得?」
「はい。大輔さんは理由なしにそんな騒ぎを起こさないと。大輔さんの取った行動は悪いのかもしれませんけど、大輔さんは何も悪くありません」
柔らかく微笑みながら言う杏奈を見て、少し心が軽くなった。
お前は良い意味で人間離れしているかもしれない。たった3日間だけど、その笑顔に何度救われただろう。今も3年前のこと……由衣が言ったように、やっぱり俺は自分のすべきことをしたんだと胸が張れそうになる。
同時に胸が張り裂けそうになる。あいつの泣いた顔と笑った顔が頭によぎったから。涙が出そうになったが、全力で堪えて、
「……ありがとう、杏奈」
どんな表情を杏奈に見せているのか分からない。ただ、分かるのは杏奈を不安がらせないように必死に笑顔を見せようとしていることだ。
「いえ、私は……思ったことを言っただけです」
杏奈の笑顔は何一つ変わらなかった。
琴音に言われた通り、泣いてもそれは情けないことでない。でも、今から女性を助けようとしているんだ。俺にだって男としてのプライドが少しはあるんだ。だから、断固として杏奈の前で涙を見せることはしたくなかった。
「明日は一緒に頑張ろう。杏奈なら絶対に乗り越えられる」
「はい。大輔さん……よろしくお願いします」
これで、明日への準備は整ったか。
杏奈を虐めた張本人である成瀬瑠花さん。何せ、あの成瀬先輩の妹さんだからどんな女の子なのか非常に気になるところだ。あわよくば、先輩が今どうしているのかを訊いておきたい。
「おっ、携帯が鳴ってる」
さっきのメールの返信が来たのだろうか。
携帯の画面を開くと新着メールが2件。差出人は……琴音と片岡だ。その内容はどちらも明日の授業参観に一緒に行くというものだった。
「どうかしましたか? 何だか嬉しそうですけど」
「……ああ。明日は友達と一緒に杏奈に授業参観に行くよ」
「そうですか。どんな方なのでしょう……楽しみです」
「……そうか」
琴音と片岡から返信があったので安心して良いはずなのに。
来なくてかもしれないと分かっている由衣からの返信がないことに、不思議と不安だけが募りどうしても取り去ることができなかった。
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