第11話『教える必要は?』

 4月19日、木曜日。

 昼休み、俺はいつもの屋上のベンチではなく、校舎裏にある利用する生徒が少ないベンチに座り、ある人物が来るのを待っていた。

「荻原君、お待たせしました」

「悪いな、柊。こんなところに呼び出して」

 そう、その相手は柊琴音。昼休みだからか、彼女はお弁当の入っていると思われる包みを持ってやってきた。ちなみに、俺も昼食を持ってきている。

「いえいえ、荻原君から2人きりで話したいってメールが来て凄く嬉しいです」

「そうか。とりあえず座れよ」

「はい。失礼しますね」

 柊は嬉しそうに俺の隣に座った。

 彼女を呼び出した理由は他でもない。昨日、杏奈から質問されたことについて、どう答えれば良いのかを指南してもらうためだ。内容も特殊なため、他の生徒がいる前で堂々と訊くことは到底できない。なので、2人きりになれるところで話すことに決めた次第である。まあ、実際には俺がいるだけで他の生徒が去っていくので、どんな場所でも良かったんだけれど。

「でも、突然どうしたんですか? ここで私とお話をしたいなんて。何か、私でないと話せないことでもあるんですか?」

「……察しがいいんだな、お前って」

 そう、本当ならどこでもいい。しかし、ここでなければならない理由。少なくともいつもの屋上では駄目な理由がある。

「由衣よりも、柊の方が安心して相談できる気がしてさ」

 由衣にこのことを話したらどう反応するか分からないからな。ましてや、子供の作り方についてどう答えればいいのか教えろって言ったらあいつ……即刻、思考回路が停止するか暴走する。

 その点、柊は学年で1, 2を争う成績を取っているらしいし、由衣よりも落ち着いた性格をしているから、この手の質問をしても大丈夫な気がした。

「椎名さんよりも、ですか。……ちょっと複雑な気分ですけど、荻原君のお役に立てるなら私は嬉しいです」

「そう言ってくれると俺も相談しやすい」

「それに、こうして2人きりでいると……何だか付き合っているような感じがして、ちょっと幸せな気分です」

「……そうか」

「ご、ごめんなさい! 昨日、お友達になったのにこれじゃ……私の気持ちを荻原君に無理やり押し付けているようで」

「気にするなよ。お前に好きだって言われたことに悪くは思ってないから」

 何だかこれに似たやりとり、昨日……杏奈とした気がする。

 柊と杏奈はやっぱり共通点があるな。他人のことを第一に考えていそうなところというか。まあ、柊の場合は自分の気持ちを言葉に表せるけれど。

 しかし、このままでは柊が何も言い出せなさそうなので、

「さっそく、本題に入っていいか?」

「はい。何でもどうぞ。で、でも……その代わり、答えられたら私のお話も聞いてくれますか?」

「それなら柊から話していいぞ」

 俺の我が儘で付き合ってもらっているんだし。

 予想通りだと言ってしまっては失礼だが、柊は笑顔のまま胸元で右手を横に振った。

「いえ、たいしたことではありませんので。荻原君からどうぞ話してください」

「……そうか、じゃあお言葉に甘えて。実は色々な事情があって、昨日から中学1年生の女の子の家庭教師をすることになったんだ。その子から質問されたことについてどう答えればいいのか分からなくて」

「どのようなことをその子から訊かれたんですか?」

「あっ、いや……非常にそれがデリケートな話題なんだけどな、これが」

 いざ、口に出そうとすると躊躇ってしまうな。これを俺に訊いた杏奈が凄いと思えてきたぞ。まあ、年上の人間だったからというのはありそうだ。同級生の女子にこのことを訊くなんて男としてどうかと思い始めてきた。

 しかし、柊も既に俺の方を向いて待っているし、正直に言うしかないか。


「……こ、子供の作り方なんだけれど」

「……えっ? な何て言いました?」


 どうやら、柊は今言ったことが信じられないらしい。目を見開き、少し口を開けてしまう彼女の反応は妥当だと思う。昨日の俺もそうだったのかな。

「子供の作り方だ。その女の子は何度も母親に訊いているけど、どうしても教えてくれないから俺に訊いてきたんだよ」

「そ、そうなんですか。確かに、さっき荻原君が言った通り、とてもデリケートな質問ですね……」

 柊はこの質問の答えを知っているが故に、頬を林檎のように真っ赤にする。そして、途端に視線を俺から逸らした。

 恐らく、香織さんも今の柊みたいな感じになったのだろう。教えるという以前に、言葉に表せない恥ずかしい思いを抱いたのだと思う。

「2人で話したいって言ったのはこれが理由だ」

「……もし、周りに知らない人がいたら、私……あまりにも恥ずかしくて気を失ったかもしれません」

「ごめん、こんな質問をして」

「いえ、いいんです。問題はこのことに対してその女の子にどう答えるかですよね?」

「ああ。彼女はまだ12歳だし、まず教えるべきかどうかで……」

「微妙な年頃ですね。思春期ということもありますし」

 身体的にも精神的にも急激に成長していく思春期だからこそ、そのようなことにも興味を持つことは頷ける。まさにそんな時期を迎えている杏奈に、4学年だけだけど大人である俺は教えるべきなのか。その時点で悩んでいた。

 性的な話題の中でも特に複雑なことである今回の質問には、同じ女性の方が的確な答えを示してくれると思う。

 柊はどのような考えを持っているのだろうか。俺は期待を不安の両方を抱えながら彼女の口が開くのを待つことにする。

 と、心に決めたときだった。

 ――柊の口ではなくワイシャツが開き始めていた。

 何を考えているのか、柊は胸元にあるリボンを緩めワイシャツの第1ボタン、第2ボタンを開けていく。その所為で彼女の白く綺麗な肌が露出してしまっている。

「おい、何をやってるんだ!」

「こ、こういうことは実際に試してみた方が、中学生の女の子に教える必要性があるかどうか分かると思うんですっ! 私、恥ずかしいですけど……荻原君と2人きりなら肌を見せることも躊躇いません!」

「いやいや、そこはむしろ躊躇ってくれ!」

「せっかく荻原君と2人きりになれたんです! 私の荻原君に対する気持ち、荻原君と一緒に形にして残したいんです! こんなときに自分で言うのも何ですけど私、脱ぐと凄いんですよ?」

 確かに柊はスタイルも抜群だし、彼女の言うことに否定はしないでおくけど、とにかく今は何とかして彼女の気持ちを落ち着かせないと。

 既にワイシャツの第3ボタンまで開いており、縦に1つの谷間とその周りにある黒いフリルの下着がちらりと見えてしまっている。このままだと、上半身全て曝け出すことになるぞ。

「ほら、荻原君も協力してくれないとできませんよ?」

「と、とにかく落ち着け!」

 俺のワイシャツのボタンまで開けようとする柊の手を俺は掴む。

「ひゃうっ!」

 普段落ち着いている彼女からは考えられないような声を出した。

 もしかしたらこいつ、何かをきっかけにして引き金を抜くと、かなり積極的になるタイプなのかもしれない。良く言えばいざというときはやる。悪く言えばムッツリしているって感じか。

「柊がよく考えてくれていることは分かった。だけど、こんなことでお前を傷つけたくないっていう気持ちは俺にだってあるんだ。だから、早くボタンを閉めてくれ。何にしろ、こんな所で肌を晒しちまったら誰かに狙われるかもしれない」

 現に、柊は俺とは違って良い意味で有名な生徒だからな。何か問題を起こせば、瞬く間にその事実が全校生徒に広がりかねない。そこに俺が絡んでいれば、柊の人気も洞落する可能性がある。

 俺の想いが通じたのか柊は我に返って、恥ずかしそうにワイシャツのボタンを全て閉めた。

「ご、ごめんなさい。私、取り乱してしまって」

「気にするな。お前が真剣に考えてくれているのは分かったから」

「ありがとう……ございます」

 柊は微笑みながら言った。

「……こういう知識が12歳から必要かどうかなんだよな。きっと柊もこういうことは中学の保健の時間で習ったと思う」

「荻原君の言う通り、私も中学生の時に習いました。いずれ習うから、と言ってお茶を濁すというのも1つの選択肢だと思いますけど」

「確かに。でも、その女の子は母親に何度も訊いて答えてくれないから俺に訊いた。もしかしたら、いずれ習うからと何度も言われたからだというのも考えられる」

 あの時、すぐに考えついた答えの1つが「いずれ習うから今はまだいい」というもの。

しかし、それでは杏奈に悪いと思って保留にしたのだけれど……良い答えは思いつかないままだ。やはり、柊の言う通りお茶を濁すのが無難なのだろうか。

「柊に教えさせてもらおうかとも思ったけど、家庭教師は俺なわけだしもう1度良く考えてその子に話すことにする」

「ごめんなさい、何もお役に立てなくて。その上、荻原君に胸を見せるという醜態を晒してしまうなんて……」

「いや、柊のそのおかげで答えの方向性は定められた」

「……そう言って貰えるとちょっと嬉しいです」

 服を整えてからずっと思わしくなかった柊の顔色がようやく良くなった。

 実際に試してみないと分からない、という柊の言葉もあながち間違っていなかった。彼女が大胆な行動に移ろうとしなければ、俺は今も悩み続けていたと思う。

「……じゃあ、柊の話したかったことを聞かせてくれ」

「で、でも……私、そこまでお役に立てていないのに……」

「今言ったばかりだろ。柊のおかげで答えの方向性が定まったって。だから、遠慮無く言えよ」

「は、はい。分かりました」

 俺の言葉に頷いてくれたものの、それでも柊は納得していないようだった。

 柊は何故か俺から顔を逸らして深呼吸をする。そして、気持ちを改めたのか真剣な表情で俺の顔を見るのだが、再び赤面。しかし、昨日の昼休みの時と同じように、そこには自分の気持ちを出そうとする前向きな柊がいた。彼女は口を開いて、


「荻原君のこと、私……名前で呼びたいです!」


 とても真っ直ぐなことを俺にぶつけてきた。

 その様子があまりにも杏奈と似ているので一瞬、彼女が言っているのかと思った。しかも、同じようなことを昨日、杏奈も言っていたし。

「……だ、駄目ですか?」

 断られると思っているのか、柊は涙目になりながら上目遣いで俺のことを見てくる。

「別に俺は構わない」

「あ、ありがとうございます! それじゃ、荻原君も私のことを名前で……」

「分かった。じゃあ……琴音」

「……ひゃうっ。名前で呼ばれるとキュン、ってなりますね。……だ、大輔君」

「新鮮な感じがして良い響きだ」

「椎名さんが大輔君のことを名前で呼んでいたので、私も呼びたいなと思って……」

「そうか。まあ、友達同士だからな。下の名前で呼び合うのは良いことだと思うぞ」

「……そうですね」

他愛のない事で真剣になれる琴音が何だか可愛らしく思えた。

 そうだ、杏奈とも家庭教師と生徒という関係ではなくて、いずれは友達同士になれれば良いと思う。そうすれば、杏奈の抱えている悩みを躊躇いなく俺に伝えてきてくれると思ったから。

 残り少ない昼休みの時間、琴音と昼食を取りながらそんなことを考えていたのだった。

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