第9話『間宮杏奈』

「あ、あなたは一体誰ですか……?」

 赤紫色の瞳で俺のことを直視する杏奈さん。知らない男が目の前にいるとなれば、布団を掴んで壁まで後ずさりしてしまうのは当然だろう。

「驚かせてすまないな。俺の名前は荻原大輔。桜沢高校に通う2年生だ。俺の姉さん……荻原美咲先生に頼まれてここに来た。杏奈さんとお話をして欲しいってね」

「そうだったんですか。ええと……初めまして、間宮杏奈といいます。白鳥女学院中等部に入学したばかりの1年生です」

 改めて杏奈さんの声を聞くと、綺麗だけれどもまだ12歳という幼さも感じられ、色々と魅力的な声をしている。

「え、ええと……お話をするなら、そこのテーブルの側に座ってお話がしたいです。このままベッドの上ですと失礼な気がして、うううっ……」

「そうだな」

 初対面の男性を相手にしている所為か、緊張のあまり杏奈の体はぶるぶると震えており頬も赤くなっていた。目も潤んでいるし。

 さっきまで俺の指を甘噛みし続けていた杏奈さんではあるが、本来の彼女はとても礼儀正しいようだ。ベッドから降りたとき、小さな声でごめんなさいと言ってきた。

 杏奈さんは寝間着姿でははしたないと思ったのか、クリーム色のカーディガンを小さな箪笥から取り出して羽織る。

「お待たせしてすみません」

「いや、気にしなくていい」

 何やかんやで小1時間待たされたけれど、杏奈さんとこうして話せているのでよしとしないといけない。杏奈さんとまともに話せるかというのも最初は不安だったので。

 今一度、杏奈さんのことを見る。香織さんと同じ赤い髪で、髪型はツーサイドアップ。長さもセミロングと言ったところだろうか。赤紫色の瞳はくりっ、としていて上品な雰囲気の中に子供っぽさを醸し出している。

「私、最近は色々なことがありまして……1日12時間以上寝ないと駄目な体になってきていて……」

 本当に猫みたいじゃないか。猫も大抵は12時間以上寝る生き物だし。ますます明日香の喩えが的確だと分かる。

「わ、私なんかをじっと見ないでください。その……恥ずかしいので」

「ごめん。杏奈さんと同じ学年の妹がいるから、つい妹のように見ちゃって」

「そうですか」

「それに、俺は杏奈さんに会うためにここに来たんだ。私なんか、っていう風に言っちゃ相手に失礼だと思うけどな」

「ご、ごめんなさい……」

 杏奈さんは少し涙ぐみながら俯く。

 少しきつく言ってしまっただろうか。よし、ここはフォローしておかないと。

「でも、杏奈が凄く魅力的だから見ていたっていうのもあるぞ」

 明日香の言うとおり、人間離れしたまるで猫のような可愛さがあるからな。

 俺は思ったことを素直に言っただけなのだけど、

「ふえええっ!」

 杏奈さんは両手を高潮した頬に当ててあたふたしていた。

「ええと……私、そこまで魅力的ではありませんし、中学生になったばかりなので、色々と成長していない部分もありますし、はうっ……」

「とにかく落ち着け」

 もちろん下心なんてまるっきりないけれど、4歳年下の相手に可愛いとか不用意に言わない方がいいみたいだな。杏奈さんの場合は特に。彼女の気持ちを乱すだけだろう。

「ごめんなさい、取り乱してしまって。可愛いって言われたこと、あまりなくて。さっきからええと……荻原さんに対して失礼なことばかりしてしまって。寝ぼけていたといっても、荻原さんの指を甘噛みしてしまうなんて……!」

「気にするな。確かに最初は驚いたけど」

 甘噛みしているというよりも、指を咥えて何度か唇を動かしていた感じだったし。全然痛くなかったので、本当に気にしていない。

「うううっ、荻原さんの指を私の唾液で汚してしまいました……」

「……き、気にするなって」

 それしか言えることがないだろう。

 つうか、今の表現が物凄くいかがわしく聞こえてしまうのは気のせいだろうか。いや、そうであってくれ。

「私の口の中も何だかおかしいですし……って、荻原さんの指が嫌だったというわけではありませんよ!」

 どうやら、杏奈さんは必死に俺のことをフォローしてくれているようだけど、今の言葉は色々と問題発言だな。俺と杏奈さんの2人きりで良かったと思う。

「分かったから、その話はもう終わりにしようぜ。杏奈さんが俺の指を咥えたのは寝ていたときだったんだから仕方ないこと。それでいいんじゃねえのか?」

「は、はい……」

 それでも、杏奈さんは納得していないようだった。謝り足りないのかな。

 今のやり取りからして、杏奈さんが虐められている理由は、彼女の性格や言動からではないと思う。妙に恥ずかしがり屋さんだったり、挙動不審になる場面があったりするけど、それらが直接関わっていることはないだろう。

「あ、あの……荻原さん」

「どうした? 杏奈さん」

「1つ、お願いがあるんですけど……いいですか?」

「俺にできることなら何でもいいぞ。遠慮なく言ってくれ」

 杏奈さんは何か意を決したように、俺の目をじっと見てくる。

 そして、彼女は1つ息を飲んで、

「それなら、そ、その……荻原さんのこと、下の名前で言ってもいいですか? 大輔さんって……」

「ああ、俺は全然かまわないけれど」

「あ、あと……私のこともさん付けではなくて、杏奈って言って欲しいです。年上の人にさん付けされるのは何だか落ち着かなくて。それに、だ、大輔さんみたいな人からは、呼び捨てで言われた方がしっくりくるといいますか。何だか上から目線で言ってしまって申し訳ないです……」

「気にしなくていいんだぞ。それに、杏奈の言う通りで、確かにそっちの方が自然でいいかもしれないな」

「そうですかっ、ありがとうございます」

 杏奈さん……いや、杏奈の表情がかなり明るくなった。

 真剣に俺のことを見てくるものだから、何か凄いことを要求されるかと思った。互いの呼び方くらいでここまで一生懸命になる杏奈がとても健気で可愛らしく思える。

 呼び方も変わったということで、少しは杏奈との距離は縮めることはできた気がする。

 本題にははだ入らずに、何か楽しい話でもしてみるか。

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