第7話『間宮家』
4月18日、水曜日。
間宮さんの家まで辿り着き、俺は表札のすぐ側にあるインターホンを押す。すると、呼び出し音が鳴り響いた。
『どちら様ですか?』
程なくして若い女性の声が返ってきた。お姉さんなのか?
インターホンにはカメラが付いていて、恐らく向こうから俺の顔は確認できているのだろうけど、俺のことは知らないわけだからそう言うのも当然か。
「白鳥女学院に勤めている荻原美咲の弟の荻原大輔といいます」
『ああ、お昼ごろに連絡があった……』
「はい。間宮杏奈さんに会おうと思いましてお伺いしました」
『そうですか、ありがとうございます。今すぐそちらに向かいますね』
そこで通話が切れる音がした。
応答してくれた女性が出てくるまで、俺はここで待つことにする。
「結構大きな家だな……」
俺の家の2倍ぐらいの大きさだろうか。どこかの財閥の屋敷のような華やかはさすがにないけれど、白を基調としている外観であり住みやすい家な気がする。ここから家の玄関まで灰色の石畳の道ができており、その脇には綺麗に手入れされている芝生が広がる。どうやら、普通よりもお金持ちなのは確かだろう。
俺は周りに人がいないことを確認し、伊達眼鏡を外す。
「お待たせしました」
眼鏡を外したところで、インターホンから聞こえた声と同じ声が家の方から聞こえてきた。
俺はすぐに玄関の方を見ると、そこには赤いロングヘアの女性がこちらにやってくるのが見える。優しい雰囲気を醸し出していてスタイルも良いので、何年後かの柊の姿を見ている感じでもあった。
女性は明るい茶色のキュロットスカートに淡いピンクの長袖のTシャツを着ている。大学生くらいのお姉さん、なのかな。
「初めまして、荻原大輔といいます」
女性が門を開いたところで、俺は挨拶をする。
「高校生と聞いていたので、本当に貴重な時間を割いていただいて……」
「いえいえ、気にしないでください」
「あっ、申し送れました。私、
「いえいえ……って、娘?」
「ええ、杏奈ちゃんは私の娘です」
「……そ、そうですか」
というか、香織さん……お母さんだったんだな。年齢はいくつ位なんだろう? 間宮杏奈さんのことも考えると、30歳過ぎくらいだろうか。本当に若々しく見えるので、学生結婚をして早い時期に杏奈さんを産んだのかもしれない。
「何か言いたそうな顔をしていますけど」
「いえ、ただ……大学に通っているお姉さんなのかなと思っただけで」
「うふふっ、嬉しいことを言ってくれるんですね。やはり、若くてかっこいい方はお口が上手みたいで」
香織さん……本当に嬉しそうだ。頬も赤らめているし。控え目だけど笑みを浮かべているし。それがまた学生らしくて、中学生の子持ちには見えない。
昨日、明日香が間宮さんは猫のような可愛さがあると言っていたけれど、香織さんを見たらかなり信憑性が高まってきたぞ。現に香織さんも、年齢よりも若く見え未婚と言えば大抵の人は信じそうだ。
「そんなにじっと見ないでもらえますか? 夫以外に初めて好きな男性ができてしまいます」
「冗談がお上手なんですね」
と、思いたいところである。今の香織さんの表情、満更じゃなかったし。
「どうぞお入りください。杏奈ちゃんは家にいますので」
「それでは、失礼します」
俺は間宮家の敷地に足を踏み入れた。
外から見るのと、実際に中に入ってからでは随分と印象が変わってくる。一段と広大な感じがして、同じ街に住んでいるとは思えない感じがする。自宅から徒歩数分のところにこんな家があったとはな。
「随分と大きな家ですよね。失礼ですけど、旦那さんはどこかの会社の重役などに就いているんですか?」
「いえ。夫はアメリカの大学の教授で、現地の学生に日本語を教えているんですよ」
凄いなそれも。というか、俺の父親と同じ国で働いているのか。
「ということは、今は香織さんと娘さんの2人だけで?」
「ええ。子供は杏奈ちゃんだけですし、この家では……少々広すぎたかもしれませんね。まあ、荻原さんみたいな男性がお婿さんに来てくれれば大歓迎ですけど」
「……そ、そうですか」
娘が中学生になると関わりが段々と薄れてくる時期ではあるけれど、父親が家にいるというのはやはり安心感がある。
「家には女性しかいないので、荻原さんが用心棒になってくれませんか?」
「お断りしておきます。それに、俺の家も自分がいなくなったら姉と妹だけになってしまうので」
「あっ、そうなんですか」
「父が4年前にアメリカへ海外転勤して。母がそれについて行く形を取ったので、両親は今、日本にいないんです。娘さんと同級生の妹がいますけど、俺がいないと家事とかまともにできなくて。逆に心配になってしまいますよ」
もう、そういう意味では俺は主夫みたいなものだ。姉さんはともかく、明日香にはそれなりに家事を教えていかないと。
「高校生なのに偉いですね」
「いえいえ、家事は楽しいですし俺がしたくてやっているので」
「ますます杏奈ちゃんと結婚してほしくなってきました」
「お見合いをしに来たわけじゃありませんよ、俺は」
そう、俺は杏奈さんを……再び学校に通えるようにするために来たんだ。名目上は家庭教師であるが。香織さんもそれが分かっているのか、少し表情が曇り始めた。
そして、家の中に入る。
さすがに金持ちの屋敷のように土足で中を歩いて良い訳ではなく、玄関で靴を脱いで用意された水色のスリッパを履く。
「杏奈ちゃん、お客さんが来ているわよ」
と、香織さんが少し声を大きくして2階の方へ声をかけるけれど、何一つ返事が返ってこなかった。部屋に籠っているのだろう。
「すみません。今日も部屋に籠りっきりで……」
「理由は姉から伺っています。白鳥女学院で……娘さんが同級生からいじめを受けているのではないかと」
俺は敢えてストレートに「いじめ」という言葉を使った。実際に起きたことなのだから曖昧にしても意味はないだろう。
香織さんは迷いなく頷き、
「私もそうだと思っています。杏奈ちゃん、部屋に籠るようになる少し前……必死に笑顔を見せてくれるんですが、私が離れるとため息ばかりついていて」
「そうですか」
「きっと……私に迷惑をかけたくなかったんだと思います。杏奈ちゃん、自分よりも周りの人のことを第一に考えてしまうような子ですから……」
「なるほど」
「杏奈ちゃんに話しかけられなかった私も悪いと思っています。もっと早く気づいて、声をかけてあげれば杏奈ちゃんの気持ちも少しは楽になったはずなのに」
とうとう、香織さんの目からは涙が浮かび始めてしまった。姉さんが男の俺を頼ってきた理由が少し分かった気がする。
「誰かからそう言われてもおかしくないとは思いますが、俺は責めません。それに、香織さんが泣いていたらそれこそ娘さんの気持ちを重くするだけです」
「そう……ですね。すみません」
香織さんは必死に涙を拭う。
「いじめがあると、いじめている側の人間はこう言います。虐められる奴にも悪い部分があるとね。そんなのは向こう側の都合のいい口実ですが……何か娘さんがそう思われるような心当たりはありますか? 口調がきつかったり、自己中心的だったり」
「そういうことは一切ありません。杏奈ちゃんは優しい子……ですから」
「……分かりました」
実際に会ってみないと断定できないけれど、どうやらいじめの発端が杏奈さんの方からではないみたいだ。何かのきっかけで、いじめている側の人間が一方的に杏奈さんを嫌がっているのだろう。もちろん、杏奈さんが悪いわけではない。
「お昼頃、荻原先生から電話がかかってきたとき……嬉しかったんです。杏奈ちゃんの異変を学校の先生が気づいてくれていたって」
姉さんが「先生」ねぇ……。違和感がありまくりで、一瞬、うちと同じ苗字の先生が他にいるんだと思ってしまった。
「香織さんからは学校に伝えなかったんですか? 娘さんの様子がおかしいと」
「いえ……杏奈ちゃんから直接話を聞いていなかったので、それで学校に電話をかけてしまっては迷惑だと思って……」
「そうですか……」
親子だな、と感じた瞬間だった。香織さんもまた、周りにあまり迷惑をかけたくないと思っているのだろう。だから、今の状況ができてしまったのかもしれない。
「男の方が来てくださると聞いて最初は不安でしたけど、荻原さんを見て今はとても安心しています」
「……俺のことはご存じないんですか?」
「えっ?」
同じ街に住んでいるんだ、俺のことはいずればれるだろう。それなら、最初から自分のことは明かしておいた方がいいと思った。
「3年前、桜沢西中学で暴力事件がありました。そして、その事件の発端となった人物が一時期、街中でウルフと恐れられていたことを香織さんはご存知ですか?」
「そのことなら覚えていますが、もしかして……」
「ええ。そのウルフが俺なんです。だから、俺に安心を持たれると……逆に俺が不安になるんです。香織さんのしようとしていることはいわば、心に傷を負った娘さんを狼に晒すようなものですから」
今でもちょっと思っている。こんなことをして、何になるんだと。他人から恐れられている人間に、1人の女の子を助けることができるのかと。
「それでも、娘さんを俺に会わせようとしてくれるんですか?」
そして、俺は何一つ自分で決断できていない弱い人間だ。
ここに来たのだって、姉さんが食べ物を用いて脅迫して無理やり決めたこと。だから今度は……香織さんに委ねていた。俺がこのことに関わるのかどうか。
きっと、俺は……姉さんの言う通りで今も逃げ続けているんだろうな。人からも、目の前にあることからも。
香織さんはやんわりと微笑んで、
「今、目の前に立っているのは安心できる荻原さんです。世間でどう思われていても、ここにいるあなたは優しそうな高校生だと思っています。さすがは、先生の推薦で来た人だなと思いますよ。だから、杏奈ちゃんと話して欲しいです。荻原さんなら、不思議と……杏奈ちゃんと打ち溶けそうな気がしますから」
穏やかな口調でそう言った。
彼女の言葉は姉さんや明日香、柊と同じだった。俺が優しい、と言うところ。俺は人に優しくしたという自覚なんてまるっきりないのに。
俺なんかにどうしてそう言ってくれるんだという想いと、自然と湧き上がってくる嬉しさに似た想い。相反する気持ちだけれど、今は後者の方が勝っていた。
「分かりました。娘さんと……会わせて下さい」
香織さんの言葉に背中を押されるような形で、俺は杏奈さんに会うことにした。そう判断できるのも、きっと大丈夫だという考えが心のどこかにあるのかもしれない。
「ありがとうございます。では、杏奈ちゃんの部屋までご案内しますね」
「はい」
香織さんはすっかりと元の笑顔を取り戻していた。
2階へと上がり『あんな』と可愛らしい文字が打ち付けられたプレートが掛けられている扉の前に立つ。
「ここが娘さんの部屋ですか?」
「ええ」
つまり、この扉の向こうに間宮杏奈さんがいるというわけか。
今、彼女はどんな気持ちを持って部屋の中に居続けているのだろう。姉さんや香織さんからは事情は聞いているけれど、やはり本人と話さなければ彼女の気持ちを汲み取ることはできない。
「……暫くは、俺と娘さんの2人きりにさせてくれますか?」
「どういうことでしょう?」
「娘さんは香織さんに迷惑をかけたがりません。そのためにも、自分の抱えていることを極力表に出さないようにしていると思います。部屋に籠もっていますが、それは今でも変わらないのでは、と」
「つまり、荻原さんとの方が、杏奈ちゃんの本音を聞き出せるかもしれないということでしょうか?」
「ええ。香織さんにこんなことを言うのは失礼だと思いますが、ここはいっその事、他人である俺の方が彼女にとっても話しやすいんじゃないかと思うんです。年も近いですし、男であるということももしかしたら」
女子校に通う杏奈さんにとって、男子高校生は何かと話しやすいのではないのではないかと俺は考えている。それまでには少し時間を要するかもしれないけれど。
しかし、そんな安直な俺の考えを香織さんは何も疑うことなく納得してくれていた。
「杏奈ちゃんの本音が分かるのであれば私は」
「……ありがとうございます。何かあったらすぐに呼ぶので」
「ええ。あとは若い人達だけで」
年齢に見合わない言葉を発するな、この人は。
これからは俺と間宮杏奈さんの2人だ。
今日の目標は彼女と会って話をする。それを果たしてやろうじゃないか。
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