第3話『柊琴音』
「あ、あの……」
俺達3人は入り口の方を向くと、そこには1人の女子生徒が立っていた。
スタイルが良く体のラインも綺麗なのが特徴的で、綺麗な黒髪のロングヘアが目に飛び込む。群青色の瞳から放たれる彼女の視線は、明らかに俺の方を向けている。
女子生徒はゆっくりとこちらに向かって歩き、俺の前で立ち止まる。
「私、2年1組の
柊琴音。どこかで聞いたことのある名前だ。それに彼女、今年度になってからどこかで会った事があるような気がする。
しかし、由衣と比べると本当に体つきがいいな。女子にしては背も高いし、胸もかなり大きめだと思える。注視しているわけでもないのに、制服の上から2つの大きな膨らみが分かってしまう。ああ、俺は女子に向かって何てことを考えているんだか。
「俺に何を言いたいんだ?」
柊の眼を見て、俺は言う。
柊は両手の指を絡ませもじもじとしており、さっきの由衣以上に頬を紅潮させている。
そんな彼女のことを由衣は不安そうな表情で、片岡は微笑みながら見ていた。今の柊を見る限り、お前らがそうしている限りは彼女が何も言えない気がする。
しかし、そんなことはなかった。
無言の状態で10秒ほどが経つと、柊は気持ちを落ち着かせるためか深呼吸を一度して、俺のことを改めて見る。
「一週間ほど前の放課後、私……悪い人達から荻原君に助けていただいて。その節は本当にありがとうございました」
「……ああ、あの時の女子生徒だったのか……」
やっと思い出した。
確かに先週の放課後、数人の不良に絡まれているうちの女子生徒を助けた。女子生徒を引き離して、不良たちを叩きのめしたから柊の顔をあまり見ていなかったんだ。不良のことばかりに集中していて。
「俺はお前を助けるべきだと思って助けただけだ。それ以外に理由はない」
まったく、そんなことで俺なんかにわざわざお礼を言ってくれるなんて。そんなことしてくれなくても良かったのに。
「それでも私は嬉しかったんです。誰もが無視していく中で荻原君が助けてくれて」
「……そうか」
「その時からずっと、荻原君のことが忘れられなくなって……。あなたのことを思うと胸がいっぱいになって……」
そして、彼女は両手を自分の胸に添え、
「荻原君のことが好きです。私で良ければ……お付き合いしてくれませんか?」
素直な言葉で、俺に告白してきた。
その瞬間、1年の時に彼女のことに関して小耳に挟んだ内容を思い出した。
柊琴音。入試をトップ通過した女子生徒。学年で1、2を争うほどの魅力的な容姿。おまけに彼女の父親は地方銀行の頭取らしく、彼女のことを狙っている男子生徒が少なくないという。
そんな女子生徒が一途に自分を思ってくれているのなら、これほど贅沢な状況はないのだと思う。
誰もが羨ましがるような柊からの告白。俺だって男だ。ほんの少しだけど、久しぶりの高揚感を味わっている。
だけど、それはすぐに彼女に対する罪悪感に打ち負かされる。俺は柊の目を見て、
「……すまない。付き合うとかそういう以前に、柊のことをあまり知らないし、柊が俺のことを好きだって思ってくれるのは嬉しいけれど……俺と付き合ってもデメリットしかないと思うぞ」
「ウルフ、のことですか?」
知っているのか、こいつもウルフのことを。
「ああ、そうだ。知っているなら俺と付き合おうなんて考えないでくれ」
突き放すような言葉を言うのは辛いけれど、これも柊のためだ。
あの一件があってから、それまでに仲良くしていた友人でさえも、今はもう俺と一切関わりを持たなくなった。中には桜沢高校に通っていて廊下とかで俺とすれ違うにも関わらず、俺を無視するようになった。おそらくその理由は、俺と関わることで周りから非難の目で見られるのが嫌なのだろう。それだけ、俺は嫌われ者なんだ。
それは何時しか俺の中にも根付いていって、俺と関わりを持とうとする人間を、自分から頑なに拒否するようになってしまった。俺の所為で悪い噂を立てられないようにと。幼なじみの由衣や帰国子女の片岡は例外なのだが。
「気持ちだけは有難く受け取っておく。もう、帰っていい。こんなところで誰かに見られたら、お前みたいな奴でもすぐに変な噂を立てられるぞ」
「そんなの関係ありませんっ!」
彼女からは考えられないようなはっきりとした声で、柊はそう言った。
「私は荻原君を……1人の優しい人だと思っています。恐い狼だなんて、あの時の荻原君を知っている私には絶対に思うことはできません」
「柊……」
少なくとも、高校に入学してからこんなことを言ってきてくれる奴は初めてだ。
誰もが狼として恐れて、誰もが相手にしようとしなかった俺のことを……柊は真剣に1人の男子生徒として見てくれていたのか。
俺は高校に入って、こんな奴と出会いたかったのかもしれない。男女問わず、俺のことを対等に見てくれる奴のことを。
「ご、ごめんなさい!」
「えっ?」
柊はいきなり深く頭を下げた。
「私、ここに来る決断がなかなかできなくて……階段の窓から様子を伺っていたら、こちらの女子生徒さんが荻原君におかずを食べさせているのを見てしまって。そうですよね、よく考えたらあなたが荻原君の彼女さんなんですよね……」
「いや、別に俺達は――」
「違うって!」
急に隣から由衣が立ち上がり、柊に向かって声を上げた。
ど、どうしたんだ? 由衣が初対面の相手に荒げた声を出すなんて。しかも、怒っているような表情をしながら。今までに見たことがない光景だ。
柊も今の由衣の剣幕に怯えてしまっているようだ。その証拠に脚が震えている。
「ご、ごめんね。大声出しちゃって。私と大輔は……ただの幼なじみだよ。それに、私……料理が全然上手じゃないから大輔に指導してもらっているの。大輔、凄く料理が上手だから。そうだよね? 片岡君」
「うん。僕のメモ帳にもしっかりと書かれているよ」
「だから、私のことなんて全然気にしなくていいの。柊さんが大輔を好きになったきっかけに私が関わっているわけでもないし、それに……好きになった気持ちに誰も文句はつけることはできないって」
由衣は必死に作り笑顔をして、再びベンチに座る。
それからは沈黙の時が流れ始める。
誰が原因かと問われたら、それはきっと俺だろう。
柊は自分の思っていることを正直に俺に伝えてくれた。
由衣だって今の自分の考えを柊に言って、片岡も不意に話を振られたけれど由衣をしっかりとフォローした。
俺以外の全員が自分の言うべきこと、言いたいことを言葉に乗せていた。俺だけが本音を言えていない。
柊を突き放しちゃいけない。俺と付き合って悪い噂を立てられるよりも、俺から拒絶される方が柊にとって苦しいことだということは分かっている。
柊に俺を狼だと見ることができない、と言われた時……自分自身で作ってしまった柵のようなものを外してくれた気がした。こいつの気持ちを受け入れることも良いんじゃないかとも思った。
「えっと……」
俺はある言葉を言うのに躊躇いがあった。2人きりならともかく、他の人間の目の前で言うのに恥ずかしさもあるけれど、それよりも恐れを持っていた。今後、柊がどのような毎日を送ることになるのかが。
今一度、柊を見る。
「……友達からなら」
柊からの告白を受けて真剣に考えた結論がそれだ。
「えっ?」
「誰かを好きになるとか、そういう感覚はまだ俺には持てない。でも、柊が俺に好意を向けてくれていること、俺をまともに見てくれていることは嬉しいと思った。俺の都合の良いように聞こえるかもしれないけど、友達としてなら付き合っていいと思う。それが、さっきの柊の告白の答えだ」
――友達。
普通の人間なら何気ない存在かもしれないけど、俺にとっては凄く大切でかけがえのない存在だと思っている。
何事も自分の手から離れるとその大切さが分かると言うけれど、俺は友達の存在の大きさが痛いほどに分かっていた。自分が一匹狼になろうと決意した後でも、それだけは忘れなかった。
「それに、柊の気持ちを無駄にしたくないからな……」
「荻原君……」
「まずはお互いのことを知っていくことが大切なんじゃないのか。それが例え恋人同士であっても、友人同士であっても」
「そうですね」
柊は柔らかな笑みを浮かべながらそう言った。どうやら、納得してくれたらしい。
そう、俺のことをよく知っているなら、あの時……由衣以外にも俺から離れない奴だっていたかもしれない。上辺だけで付き合うよりも、何があっても心が通じ合えるような、信頼し合えるような友人が俺は欲しかったんだと思う。
彼女の性格や雰囲気もあるけれども、柊はそんな奴だと思えた。
「では、これから……ご友人として宜しくお願いします。荻原君」
「……ああ、宜しく。柊」
俺は柊に右手を差し出した。
すると、柊は少し恥ずかしそうに右手を出し……俺と握手をする。
彼女の手から伝わってくる優しい温もりは、新鮮な感覚と同時に懐かしい感覚も感じられた。
「何だか感動的な一部始終を見させてもらったよ。日本人のあるべき姿って感じがする。これもメモしておかないと。日本男児である者、女性からの告白を断るにしても相手を傷つけないようにする、と」
「……語弊があるから、その書き方は止めてくれ」
だが、もう遅かった。片岡はもうメモ帳に書き込んでしまっていた。
「やっぱり荻原君から日本のことを学ぶのは正解だね。昼休みだけでも新しいことをかなり知ることができたから」
「別に日本人じゃなくても言えるようなことばかりだと思うが……」
「そんなことないよ! イギリスには確かに紳士的な人は多いけど、荻原君以上に男前で相手のことを考えられるような人はいなかったよ」
「だから、お前は俺を買いかぶりすぎだ」
ただ、それ以上のことは言わなかった。
俺のことをちゃんと見てくれている柊に対して失礼だと思って。そして、その柊とはいうと、くすっ、と小さく声を出して笑っていた。
「荻原君のお友達って面白いんですね」
こんなやり取りを見るだけで、第三者からは俺と片岡が友達同士に見えるのか。俺にはそんな気はなかったから、不思議な感覚だ。
「あの、椎名さんと片岡君……でしたっけ。お2人ともお友達になりたいのですが……良いでしょうか?」
柊からの真摯な懇願に、由衣も片岡も迷いはなかったようだ。
「私で良いなら、全然かまわないよ。前から柊さんのこと……気になってたし」
「僕も大歓迎。日本人の友人が持てることはとても嬉しいよ」
自分の思っていることをすぐに口に出せる柊。そして、それを素直に受け入れることのできる由衣と片岡のことが凄いと俺は缶コーヒーの残りを飲みながら思った。
そして、俺達4人はまだ知らない人同士の携帯の番号とメールアドレスを交換し、昼休みを終えるのであった。
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