第2話『片岡瑞樹』
「やあ、相変わらず2人は仲がいいんだね」
声の主の方に振り向くと、そこには1人の男子生徒が立っていた。
彼は俺のクラスメイトで名前は
そんな彼が日本に戻ってきた理由は、どうやら日本のことについて学ぶ為らしい。そして、どんな経緯なのかは分からないけれど、俺から学ぶのが1番良いと思ってしまっている。ハンドサイズのメモ帳とシャーペンを常に持ち歩いており、新しく学んだことは細かくメモをする。勉強熱心なのは感心するけれど。
由衣と同様、片岡もクラスメイトからの人気が高い。まあ、彼の場合は帰国子女ということもあるけれど、俺とは違って物腰が柔らかく、イギリスで培った紳士的な雰囲気が良いのだろう。
「日本の幼なじみは男女分け隔てなく一緒にいる時間が多いって聞くけど、それって本当だったんだね。これもメモしておかないと」
隣のベンチに座り、コンビニの袋を置いた片岡は、ブレザーのポケットからメモ帳とシャーペンを取り出し、今言ったことをメモしている。
「勉強熱心なのは感心するけど、あまり変なことまで覚える必要はないんだぞ」
「いやいや、今のことはとても大切なことだよ。日本は人の繋がりを大切にする文化を持っているらしいからね」
「よりによって、それを俺から教わることはないだろ……」
一匹狼とも言われている俺から人との繋がりなんてなぁ? 今度、こいつにしっかりと教えた方がいいかもしれないな。
片岡は幼い頃にイギリスに渡ったため、日本の文化に浸っていない。顔立ちも普段の言葉遣いも立派な日本人なのに、日本のことをあまり知らないというのも、ギャップとして受け取られて好感が持たれるのかもしれない。
「幼なじみはいつも一緒にいるってこと、ちゃんとメモしておいてよね」
「ラジャー! 椎名さん」
片岡のメモ帳を横から覗いてみると、由衣に言われたことがしっかりと書かれていた。それ以外にも日本の高校の特徴などきちんと書いてある。ただし、所々英語で書かれているところが、イギリスからの帰国子女であることを匂わせる。
「つうか、由衣も片岡に間違った知識とか教えるなよ」
「分かってるよ。でも、今のことは間違ってないよね?」
「……どうなんだろうな」
俺が一匹狼になろうと決心してからも、由衣だけは普通に絡んできてくれている。そういう意味では、幼なじみはいつも一緒にいるというのは間違っていないのかも。
「でも、今の椎名さんの言葉に安心したよ。許嫁が幼なじみだから」
「えええっ! 片岡君ってもう結婚してるの?」
どうやら由衣は驚きが隠せないようだ。つうか、男は18歳以上じゃないと結婚できないだろう、と心の中で突っ込んでみる。
といっても衝撃の事実だ。そんなことをさらりと言えてしまうのが、日本とイギリスで育った人間の差なのだろうか。
「あははっ、ちょっと気持ちが先走っているかな。許嫁っていうのは将来結婚を約束されている人のこと……って言えばいいのかな」
「へえ……。ということは相手の女の子はイギリス人のお嬢様なの?」
幼なじみが許嫁、という部分に惹かれているのか由衣は興味津々で片岡に訊く。
確か、片岡の実家は世界的に有名な時計のブランドを経営している。本社はイギリスにあり、日本にも支店があるとのこと。高級すぎて俺は知らなかったよ。
そう、彼はれっきとした御曹司なのだ。俺も由衣と同じようにイギリス人のお嬢様が彼の許嫁だと思ったのだけれど、
「日本人の女の子だよ」
「へえ、何だか意外」
「でも、彼女はイギリスで生まれてイギリスで育っているからね。日本語はもちろん喋れるけど、中身は生粋イギリス人かもしれないね」
「それで、片岡君はその許嫁さんのために日本のことを知ろうって思ったんだ」
「そうだね。彼女はイギリスを愛しているけれど、僕は母国も愛している立派な日本男児だと思っているから。そのためにはやっぱり、日本に実際に帰ってきて色々なことを知っておかなきゃいけないと思って」
片岡は爽やかな微笑みを浮かべながらそう言った。
つまり、桜沢高校に転入してきたのはそのイギリスにいる許嫁のためでもあるけど、まずは自分が1人の日本人として胸を張っていきたいのか。片岡の場合、将来は世界を相手に仕事をしていくわけだから母国を知っておくのは立派なことだ。
しかし、そうなるとますます俺から学ぶのは止めて欲しい。まあ、彼も頭の回転が良いだろうから、おかしいことにはきっと疑問は抱いてくれるだろう。さっきの由衣みたいに無理やり教えない限りは。
「でも、許嫁さんも一緒に来れば良かったんじゃないの?」
確かに俺もそれは思っていた。許嫁に教えるくらいなら、いっそのこと、短期間でも日本に来れば良いのに。やはり、他人から話を聞くだけよりも、実際に日本の地に立ち、色々な物を目に焼き付ける方が効果はあると思う。百聞は一見にしかず、である。
「僕もそれは考えたけど、彼女はイギリスで仕事があるからね。彼女は友人を大切にしていて、暫く会えないのは辛いらしくて。だから、僕が日本のことをちゃんと知って彼女に教えてあげたいんだ。彼女にとっても日本は母国だから好きになってほしくてね」
「なるほどね……」
「それに、荻原君と椎名さんは幼なじみでしょ? 2人はいつも一緒にいるし、僕にとって君たちは理想の関係のように見えるんだ。だから、僕は君たちから学んでいきたいと思ってる。特に荻原君からね」
「別に俺と由衣は、片岡みたいに婚約者同士じゃないからな……」
それに、俺と由衣を見て、どこが理想の幼なじみ同士に見えたんだろう。
けれど、帰国してきた人間はやはり考え方が違うな。もしかしたら、こいつなら俺の噂を前から知っていても、今と同じように接してくれていたかもしれない。過去のことを気にせず、今を第一に見てくれるような感じで。
隣に座っている由衣のことを見ると、彼女は何故か頬を赤くしている。
「どうかした? 由衣」
俺が由衣の肩に手を乗せると、由衣はぴくっ、と体を震わせて、
「な、何でもないって!」
と、素早く俺の手を振り払った。
もしかして、片岡が言った『婚約者』って言葉に反応していたのかな? 由衣はどうなのかは分からないが俺にとって、幼なじみはいつでも幼なじみだし、恋愛対象になりにくい存在だと思う。
「あっ、そうだ。片岡君も私の作ったハンバーグ食べてみる?」
ハンバーグを掴んでいる由衣の箸が俺から片岡に向けらようとするけど、
「気持ちは嬉しいけど、僕は遠慮しておくよ。だってそれは元々、荻原君のために作ってきたものでしょ? それを僕が食べちゃったら荻原君に悪いだろうし」
「別に俺は気にしてない……」
むしろ、食ってくれた方が俺にとって都合が良い。被害者も増えるし。
だけど、さすがは英国で育ったおかげか、断り方も爽やかで紳士的だ。こういうところもまた、彼の人気の一因であると言えるだろう。
「あははっ、意地を張らなくてもいいんだよ。本当は椎名さんが作ったハンバーグを今すぐにでも食べたいんじゃないの? それを僕がここに来たことで邪魔しちゃったから我慢していたんだよね。さあ、僕のことは気にせずに」
「俺の今の表情を見てもそう言えるお前は凄えと思うよ」
由衣がいることで、きちんとこいつを気遣うことを優先した発言ができるんだから。
「褒めても何も出ないよ。……そうだ、このこともメモをしておかないと。幼なじみは毎日じゃなくても弁当を作ってきてあげる、と」
片岡は真剣にメモ帳に今のことを書いている。
俺が片岡に呆れている瞬間を狙ったのか、由衣は俺の口の中にハンバーグを無理やり突っ込んだ。
突然のことで俺も驚いてしまったけれど、そのことが影響してか先ほどの玉子焼き同様、美味くもなければ不味くもない普通のハンバーグに思えた。そしてそれは、俺の今までの犠牲も無駄ではなかったことが証明された瞬間でもあった。
「音を上げずに良くここまで頑張ったな、由衣」
「それじゃ、このハンバーグも……」
「うん、不味くなかった」
「もう少し人の気持ちを考えてから、感想を言って欲しいんだけれど。……でも、ちょっと嬉しいかな」
由衣は頬を赤くしてはにかんだ。
不味くない、っていうのが俺の正直な感想であり、褒め言葉なんだけれど。
さっきも言った通り、かつてこいつの料理は計り知れなく不味かったのだ。それが普通に食えるくらいに上手になったことは、奇跡に近いと言っていいくらいである。
「羨ましいね、荻原君。幼なじみが作ったものを食べられるなんて」
「……まあ、悪くないとは思う」
時々、嫌になるほど絡んでくるが……全く相手にされないよりかは遥かに良い。他の人間とは特別に長く付き合ってきたので、由衣を友達とはカウントしない。昔から繋がっている幼なじみとして俺は彼女と接している。
それからはしばし、俺は由衣と片岡と共に平和な昼休みの時間を過ごす。
3人で駄弁りながら、各々が用意していた昼食を食べる。話題の提供者は常に片岡なんだけど。日本ではどうなのかという質問に、俺と由衣が答えていく感じ。
誰かと一緒にいる時間はあっという間に過ぎ去っていく。そんな新鮮な感覚を味わい昼休みも後半に差し掛かろうとしていたときだった。
「あ、あの……」
入り口の扉が開く音のした後、そういう小さな声が聞こえた。
今日はまだここに生徒が来るのかよ……。
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