第十一章…「青い空、澄んだ光が照らす、その先は。【2】」
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服の裾を強く掴んで、うつむいたまま小さな声ながら、そう少女は呟いた。
「確かに、あの時は焦ったな。でも、あなたが悪い事をしたなんて、一度も思わなかった。危険だと言われている所へ子供が1人で行ってしまった。理由はそれだけで十分だったよ。イクシアだってきっと怒ってない」
「・・・」
「だってさ、シュンディのおかげで院長とか、そこにいた人達とかが助かったじゃない? 私達が何かをしなくても、助かっていたかもしれないけど、それは希望的なモノ。絶対じゃない。でもシュンディの行動のおかげで助けられた人達がいるなら、勝手に出ていった事は怒られても、その行動の事で謝る必要なんてない」
「でも…」
「でもじゃない。まぁ、もし納得できないなら、お互いに未熟者であったと反省しよう。自分の行動のせいで誰かを傷つけてしまったと猛省しよう。そして、同じ事が起きない様に努力しよう。私はもっと強くなってあなたに同じ思いをさせない、他の人にだってそうならない様に務める。シュンディは…そうだな…、嫌かもしれないけど、周りの大人をもっと頼ろう。すぐには無理でも、いずれ頼れるようになって、それでも周りの人間はダメだ嫌いだってなったその時は、私の所に来ればいい。まぁそれも嫌だとは思うけど、でもその時にはもっと強くなってると思うし、私にもできる事が増えてるだろうさ。利用しない手はないぞ?」
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途中から、自分が何を言いたいのか、わからなくなってきた。
疲れからくる頭の回転力の弱さだ。
でも、シュンディにしてはよく聞き続けてくれていると思う。
いつもの流れなら、うっさいの一言で会話が終了してもいいだろうに。
まぁここに謝るために来たという点で、嫌々であっても、話は聞かねば…という面持ちだったのかもしれないな。
それを考えると、確かに反省しているみたいだし、なら私がとやかく言う必要もなかったか。
「嫌じゃない」
「はっ?」
「・・・あんたを頼るのは嫌じゃないって言った。3度は言わない」
「いや、正直、あなたの言葉が理解できな…」
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「うっさい!」
私の言葉を遮る様に、シュンディは唐突に大きな声を上げる。
「いや、でも、さっきは私を結構強めに叩いてきたし、気を使わ…」
「うるさいって言った!」
一度ならず二度までも言葉を遮られ、さすがの私も口をつぐむ。
シュンディは、私が言葉を止めた事を確認して、ニッと笑顔を見せた。
僅かに目に涙を溜めながら、満面の笑みを…。
『叩いただと?』
ビクッ!
しかしその表情はすぐに、いたずらがばれた子供のようなモノへと変わる。
私の余計な言葉を聞いたフウガは、シュンディのやった事に対して、さすがに怒らずにはいられなかったようだ。
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「シュンディ?」
さっきまで、私達のやり取りを、ただ見守っていたフウガの声は低く、自身の名を呼ばれたシュンディは、恐怖で身を震わせた。
そして、何の脈絡もなく、その場から走り出す。
心地よい風が入ってくる一番近い窓から、何の躊躇もなく飛び降りた。
その光景は、これが夢の世界で良かったと思えるソレそのものだ。
逃げた事を見届けて、追う事をしなかったフウガに、私は頭に出てきた言葉を口にする。
「何今の?」
シュンディの行動も、さっきの言葉も、笑顔も、それら全てが、私に混乱を巻き起こすのだった。
「さあ、なんでしょうね」
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そして、フウガは、私の疑問への答えを持っていないのかなんなのか、笑いながらそう答えた。
フウガが部屋を出ていった後、何もする事の無くなった俺は、すぐに睡魔に負けた。
まるで、停電によってブチッと切れるテレビの画面のように、俺の視界は暗転…眠りに付く事になる。
さっきの夢で、起きる直前の記憶が、現実の世界の光景ではなく、あの嵐の光景だったから、現実世界で目を覚ます事ができなくなったのでは…なんて不安が少しだけあった。
フェリスの剣が戻ってきた時にもあった事、単純に現実世界で記憶に残らない程すぐに眠りについた…と結論付けはしたものの、同じ事がまた起こっては結論付けをした所で、不安が蘇らない訳がない。
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まだその現象に慣れていないのだ。
これまで、現実と夢とを行き来するような生活を、早くも一カ月半続けてきたが、その中でその現象は2回だけ、まぁ慣れろという方が無理な話である。
「・・・」
だがしかし、今回はいつも通りの朝を迎えたらしい。
瞼の重さも、体の怠さも、フェリスのと比べれば天と地の差程マシだ。
寝起き特有の気だるさしか、この体からは感じない、それもちょっとだけ強い気がするが。
それはつまり、ちゃんと現実世界で目を覚ます事ができたという事、この世界とおさらばした訳じゃないという証明だ。
日の出が遅くなってきた昨今だが、そんな事関係ないレベルの明るさ、太陽の日差しが窓から注がれて、灯りを付けるまでもない程に、俺の部屋を照らしていた。
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ベッドの外に足を投げ出して、動く三肢をこれでもかと伸ばす。
寝相が悪かったのか、前日にはしゃいでしまったのか、僅かながら、体の節々に痛みを覚えた。
何があったのか…、それを思い出そうとするも、うろ覚え所か、はなからそんな記憶など存在しないかのように思い出す事ができない。
頭痛もするし、意識がはっきりするに連れて増していく吐き気。
それはまるで、飲み過ぎによる酔いの残留、残りカスのようだ。
外で酒を呑む事も、宅呑みだって普段やらない身としては、この残りカスは弱いにしてもなかなかにしんどい。
その気持ち悪さを引きずりつつ、昨日何があったのかを、日記を見て確認するが、昨日の事を書いているはずのページは白紙のままだった。
ならば、ここで二度寝なりなんなり、時間を弄んだところで何の解決にもならない。
右足に器具を取り付けて、洗面台で顔を洗うでも、水を飲むでも、何でもいいから少しでもこの気持ち悪さを和らげようと部屋を出た。
階段を降り、リビングへと向かう。
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部屋の灯りが付いていて、呑み過ぎた挙句、そういった後始末もせずに眠りについた自分に若干の苛立ちを覚えた。
だからと言って自分に怒っても空しくなる。
今はやってしまったという自覚を胸に、次は気を付けようと心に誓うだけ。
そして最初の目的である吐き気にため息をつきつつ、リビングに入ると、キッチンの方から食欲をそそる味噌の匂いに、タンタンタンと耳に心地よい包丁がまな板を叩く音が、俺の鼻と耳を刺激した。
『あ、夏喜、おはよ~』
「おはよう」
匂いとかの後に聞こえてくる…、聞き慣れた女性の声、反射的にあいさつを返す。
「夏喜は今日何限から講義あるの?」
「今日? 今日は…、何曜日だ?」
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「水曜日」
「じゃあ午後から、午前は無い」
「なるほど、じゃあ私と一緒だ。今日はバイトも無いし、行きも帰りも一緒だね」
「そうか」
「もう少しで朝ごはん作り終わるから、顔でも洗って待っていて」
「・・・その前に水を一杯くれ」
「水?」
まな板を叩く音が止まる。
食器同士が当たる音の後、少しの間を置いて、コップに注がれた水が差しだされた。
右手を壁に当て、左手でコップを受け取り、その中の水を一滴も残さず胃へと流し込む。
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目に見えた変化がそこにある訳じゃないが、水を飲んだ事で、気分はマシになった、と思う。
「気分でも悪い?」
「ああ、酔いが醒め切ってない」
「夏喜ってそんなにお酒弱かったっけ?」
「さあな…。20歳になったばかりで、そもそも呑み慣れてないし、普段呑まない。自分がどれだけアルコールに対して、耐性を持っているかなんてわからないよ」
「まぁ昨日はそれなりに呑んでたし、仕方ないね」
「・・・そうか」
空になったコップを目の前の女性に渡す。
「というか、なんでここにいるんだ、文音?」
そこにいた女性は、文音。
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聞き慣れた声とそのフレンドリーさ、俺自身が、別に家にいてもおかしくない…と思っている相手であると同時に、起床直後特有の寝ぼけ加減の影響も相まって、その違和感に気付くのが遅れた。
「なんでって、今はここで住まわせてもらってるからじゃん」
「じゃん?」
そうだっただろうか。
それともまだ頭が寝ぼけているのか?
「呑み過ぎて呑む前の記憶すら飛んじゃった?」
「そんなはずはないと思う…けど」
「ちなみにここで生活するようになったのは一昨日から。覚えてない?」
「・・・そうだったような…気がする」
適当な返答をしている訳ではなく、実際にそうだった記憶が…。
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一昨日か。
それは、俺が夢の方にいた期間、その記憶は普通以上に靄が強くかかる。
その靄の中、一昨日の記憶を手繰り寄せれば、確かにそこには文音が生活を開始し、飯を作っている光景があった。
「あ~」
そこに何か気付いたかのように、彼女が声を上げる。
「どうした?」
「なんでも…。ただ忘れちゃった事が、ちょっとショックだっただけ」
「いや、忘れては…いない」
「一昨日の事は思い出せた。でも、昨日のあの男2人も混ぜての歓迎会の事は忘れちゃったみたいじゃない?」
「歓迎会?」
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いや、確かにそうでもなきゃ二日酔いじみた状態になる事は無いだろうし、というか、あの二人も来てたのか。
やばいな、全く思い出せない。
「あれ、痛かったんだぞ?」
「痛い?」
「そう。手とか足とか、細かく指示してくるし、お酒が入ったからか、夏喜も妙に盛り上がっちゃってさ。色んな体位を取ったせいでその痛さも、筋肉痛になって体に留まってるんだから」
「指示…、体位?」
「最終的には、私が大事にしてきたモノを壊す…というか破るし、ほんと昨日は大変だったんだからっ!」
これは俗に言う責任問題と言うやつでは?
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いや、全く身に覚えはないけど、もしそうなら酔った勢いって怖い。
せっかくよくなってきた気分も、段々と悪化していくのを感じる。
「痛かったり、筋肉痛になった事は許してあげるけど、破ったのは新しいの用意してくれなきゃ許さないから」
「用意するって…、というか、それって新しいモノを用意できるようなモノなのか?」
いや、あいつらとの会話で、だいぶ昔に手術すればどうのこうの言っていた気が…。
「できるかって…そんなのその辺の店とかで買えるじゃん。それか通販」
「通販? ・・・すまん、全く話が読めなくなってきたんだが、何の話だ?」
「何の話って。私が持ってたマス置きゲームの話だけど?」
「マス置きゲーム?」
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マス置きゲームって、あのルーレットで指示された場所に自分の四肢を置いていく、体感型ゲームの?
「そっ。他に何があるの? 夏喜、朝からいやらしいなぁ」
全ての線がつながったように、文音の言っていた事の全てが腑に落ちる。
そして、そんな俺の様子を見てか、笑っている目の前のこいつは、まさに確信犯といった所だ。
ため息が出た。
夢の方での精神的な疲労に、二日酔いのような気持ち悪さ、そんな俺には、その冗談はいささかきつい。
腹を抱えないまでも、その笑う顔にイラっとして、額を軽く小突く。
「わ~はっ。あはは、ごめんごめん」
「というか、片足が動かせない俺に、そのゲームは酷過ぎるだろ」
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「え~、そもそもやるって言いだしたの夏喜だし…」
文音の笑いは止まらない。
記憶が綺麗さっぱりないモノだから、どこまで信じればいいのか見当もつかん。
まぁそれでもやった事は事実か…、ゴミ箱からわずかにはみ出たシートには見覚えがある。
しかしまぁ、俺の酔いはそこまでの行動力を持たせるか。
これ以上、何かを言う気にはなれなくなったな。
その時、ジュウゥッ、という音が2人の耳に入る。
火にかけていた鍋が噴き出して、コンロの火を消火、文音の笑いは一瞬にして焦りの声に変わり、コンロの方へと戻っていく。
「あ~、やっちゃった…。話は終わり、夏喜、顔とか歯とか洗ってきて。ご飯にしよ」
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1人での生活が長かったからか、長らく忘れていた。
別に文音だから…という訳ではないけど、そこに誰かいてくれる事が、こうも安心できるモノだとは…。
頭の運動と言う意味でも、寝ぼけた頭に、人との会話は良いストレッチになる。
対して多い会話量ではないけど、会話による疲労感はとても心地よい。
この家で、1人で生活をするようになって、最初は喪失感や寂しさに心が押しつぶされそうになり、そして慣れがその負の感情を忘れ去っていたように、人がいる時の安心感や幸福感も忘れていった。
忘れてはいけない幸せな記憶、感情のはずが、負の感情に埋もれ、それをどこかへ片付けるのと同時に、一緒くたに片付けてしまっていたのかもしれない。
夢の世界で目を覚ました時、体の自由が利きづらい中で、偶然でもそこにいてくれたシュンディの存在が大きかったように、流れるように生まれた会話の波は気分を良くしてくれる。
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「ふっ」
誰かがこのキッチンで料理をする姿がある事、それが嬉しくて思わず笑みが零れた。
「ん? なに?」
「いや、何でも」
でもそんな事を文音に話すのは気恥ずかしい。
今はとりあえず、文音にここで生活する事を許可した自分を褒めよう。
まぁどうしてそういう経緯になったのかとか、一切わからない訳だが…。
どうしても思い出せない時は、文音に聞く事も考えに入れておく。
夢の方でも、大きな問題が解決して、それを考えれば精神的な解放感が見え隠れする。
今日は、少しばかり奮発した飯でも食うかな。
そう思いつつ開けた財布、その痩せ細ったなれの果ては、しばらくの間の節制を余儀なくするものだった。
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