第十一章…「青い空、澄んだ光が照らす、その先は。」


『シュンディ、そろそろ昼食だ。キリのいい所で手伝いに来てくれ』

『わかった。これが終わったら、行く』

 誰かの話す声…。

 そよ風が流れ、はためくカーテンの音…。

 その先から聞こえてくる、子供達の遊び声…。

 目が開けられない程、意識が覚醒していない中で、その音らは鮮明に私の脳へと響く。

 何気ない音でも、それは祝福の声のように聞こえた、私にとって、その声は褒美だった。

 額を、頬を、首筋を冷たい何かがなぞる様に触れる。

 痒い所に手は届かないし、少々荒っぽい…、でもなぜだろうか、それをやってくれている人間の真剣さだけは伝わって来た。


---[01]---


 やる気が無いのなら、もっとひどい事になる…と、そう思えるから、少なくともこの主にはやる気がある。

 だからなのかなんなのか…、それが何かとても嬉しいかった。

 自分の状態は良くわからない、たぶん眠っている状態なんだろうけど、それなら、呑気に眠っている場合じゃなく、今すぐにでも起きて、その子にお礼を言わなきゃ…。

 錆びついたシャッターのように重い瞼を、ゆっくりと開ける。

 窓から射す日差しが、直接当たっている訳でもないのに、全てが真っ白に見える程眩しくて、人の影は見えても、その容姿を確認する事は出来なかった。

 声が出ない、そもそも口だって大きく開ける事ができなくて、でも私の事には気付いてほしくて、指先に何かが振れる感触があったから、必死にその触れたモノを掴んだ。


---[02]---


 弱々しい力で、必死に…。

 ぼやける視界の中で、その人影がビクッと驚いたような動きを見せたのが見える。

『ちょ…、あんた目がさめて…』

 あ~…、聞き覚えのある声だ。

『聞いてんの? ・・・ねぇ?』

 これは現実じゃない…、夢のほうか…。

 また現実に戻らずに、夢の世界で起床、目を覚ましたらしい。

『ちょっと…!?』

「シュン…ディ…」

 私は、目の前にいる少女の名前を呼ぶ。

「…ッ!? そ、そそそう、僕だ。ち、ちょっと待ってろ。今マーセル達を呼んでくるから」


---[03]---


「ま…て」

「待たないッ! て、ちょっと服放せってッ!」

 なんでそんなに急ぐのか…、夢の世界とは言え、状況が全くわからず、意識も完全に覚醒していない状態で1人にさせられるのは、正直心細すぎる。

 だから、シュンディがいてくれた事は、とても心強い、不安を無くしてくれる存在だ。

 せめて、もう少し、もう少しだけ、ここにいてほしい。

 我ながら、何子供みたいな事を…なんて思うけど、今、感じている事がそれなのだから、しょうがないだろう。

「放せってのッ!」

パチィーーンッ!

 乾いた音と共に襲い掛かる頬への衝撃。


---[04]---


 そのせいで掴んでいたモノは手から離れ、バタバタと走り去る音と共に、私の意識は覚醒していった。

「痛い…」

 痛みで夢かどうかを判断する事は出来ないけど、この痛みを現実で味わう事は無いモノ…というか、その理不尽さには覚えがあるというか…、そのおぼろげな糸を手繰り寄せた先にある答えは、ここが現実ではないという証明だ。

「何をそんなに焦っていたのか…」

 はたかれた衝撃でズレた体を定位置に戻し、じんじんと痛む頬を摩る。

 そして、手に伝わる湿った感触。

 これは私が涙を流したとか、そういった類のモノではない、それを証明するように、ベッドの横には水の入った桶と、床に落ちた手ぬぐいがあった。

 夢現な意識の中の私に対し、それらを使って何かをやっていたのを思い出す。


---[05]---


 寝ぼけて他人と間違えていなかったら、やってくれていたのはやはりシュンディ。

 それが私の思考を惑わせる要因の1つなのだけど、間違いでなかったら、少女に一体どんな心境の変化があったのだろうか。

 嫌々やっていただけか?

 現にこうして頬を叩かれている訳だし、自分がやっている事を知られたくなかったのなら、私とシュンディとの関係上、ああいった結果を生むのはあり得る話だ。

「ふぅ…」

 何はともあれ、私は、私として、まだこの夢の世界で生きている。

 実は死んでいて、コンティニューしたという考えもなくもないが、それにしては体中を襲う痛みや疲労感等は、あの戦いの前にしてはいささか疑問だ。

 イクシアの特訓でだって、ここまでの疲労感に襲われた事は無い。

 とにかく、自分が記憶している限り、こんな状態で1日が始まった事は無いのだ。


---[06]---


 だから言える、はっきりと。

 私は生き残ったんだと…、あのブループと戦ってもなお、私は生きているんだと。

 自分の状況を頭の中で整理して、現状の考察をした後、私はその疲労感等を相手にし切れず、その体を睡魔が支配していく。

 未だ慣れきっていないベッドの感触は、知らないモノではないし、天井もまた初めて見るモノではない。

 ここは孤児院、そして生活のために貸してもらっている部屋だ。

 そんな見知った環境に置かれ、安堵したのか、私は支配者たる睡魔に身を委ねようとする。

 でも、私の意思とは裏腹に、そうはさせまいと、部屋へと向かってくる幾人かの足音が聞こえた。

 普通に歩くにしてはその音は大きすぎるし、急ぐにしてはゆっくり過ぎる。


---[07]---


 誰かを気遣いたい反面、それを凌駕する感情、そんな均衡を保てていない音が、この部屋へと近づく。

 そして、開け放たれたドアから、部屋の中を伺うように、頭を出す人影達。

 私が何事かと顔を向けると、その中から小さい順に2人、我先にと部屋の中へ駈け込んで、枕元へと走り寄る。

「ねぇねッ!」

   「にぃにッ!」

 見覚えのある顔が2つ、愛しのテルとリルユが、嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。

「あなた達」

 2人を同時に抱擁してやりたい気持ちはあれど、それをさせまいと…体の重さが、容赦なく私の体を蝕んだ。


---[08]---


 振り絞って振り絞って、そして出て来た出がらしで動かす手が、2人の頭を優しく撫でる。

「フェリさん、体の方は大丈夫ですか?」

 続いてやって来たフィアにイクシア、その後ろをフウガが続く。

 あと、フウガに首根っこを掴まれて、引きずられるように連れてこられたシュンディも…。

「体は…、そうだな。全身に重しを括りつけられたみたいに重い。あと重度の筋肉痛…」

 いつもだったら、心配そうな表情を浮かべるであろうフィアの表情には、優しさは少なく、その感情が一瞬でも顔を覗かせても、すぐにムスッとした表情が蓋をする。


---[09]---


 普段の彼女を思えば、明らかに不自然だ。

 自分が記憶している限り、一番最近の彼女とのコミュニケーションを踏まえるに、怒らせる心当たりがあり過ぎて、どうしたのかと聞く事すら出来そうにない。

 だから、今はとりあえず、彼女の質問に答えると共に、ごめん、と謝罪した。

「いいです。ベッドに横たわっている人に怒る気はありませんから」

「そう…」

 それは怒れる状態だったら、問答無用でお叱りを入れるという事であって…、動けるようになった後、どうなるのかを想像したくない。

「フェリさん、あの嵐の日から、かれこれ2日程眠り続けていたので、そのせいで体が鈍っていると思います。体が重いのは、それもありますね。筋肉痛は、過剰治癒を防止するために、回復の補助をしなかったので、自然治癒に任せたのですが、その辺は後日改めてどこがどの程度酷い状態なのか教えて下さい。それを踏まえた上で必要な個所を優先的に治癒させていきます」


---[10]---


 フィアは淡々と手元のメモ帳に何かを書き記しながら、用意された文章を読み上げるように、言葉を並べていく。

 そこには、やっぱりいつもの親しさは無く、そっけない。

「私はこれから、フェリさんが目を覚ました事を報告しに行くので、安静に。イク、フェリさんがどこかへ行かない様、見張っていてください」

「えっ!?」

「では」

 予想外な役を押し付けられたのだろう、イクシアは驚きの声を漏らし、フィアの方へ顔を向けるが、そんな彼女の事は気にも止めず、小さき怒れる獅子は部屋を後にする。

 一瞬、そんなフィアを追いかけようとしたイクシアだったが、すぐに思いとどまって、握り拳を作って何かをかみしめた後、ドッと肩を落とした。


---[11]---


「フィーはかなりお怒りみたいね。今のを見る限り、その矛先はイクにも向いているのか。まぁ私よりは丸いけど」

「むぅ…。結果的に人命を守ったって事で、すぐにフェリを連れ帰って来なかったのは納得したって言ってたけど、それでも抑えきれないモノがフィーにもあるみたい」

 そう言ってイクシアは、隣のベッド、イクシア自身が普段使わせてもらっているベッドに、腰掛ける。

「よく生き残れたな…、イクは、怪我は大丈夫?」

「フェリ程じゃない。現にこうして普通に動けてるだろ?」

「そう…、あの時、思い切り叩き飛ばされていたから、心配で」

「フェリと一緒で、魔力柄頑丈さが取り柄だからな。致命傷にはならなかった。それでも治療が終わるまで動けたモノじゃ無かったけど。攻撃を受けた時に気絶したぐらいだし…」


---[12]---


「イクが気絶か…。それは…良いモノが見れたみたいだ」

「言うじゃない。次の訓練が楽しみだな。あのブループにトドメを刺した腕前、存分に味わってやる」

「やめてよ。あの時はがむしゃらだったし、なんも考えてない無策な突撃だった。技術とかそういうモノは無いし、それに、褒められたようなものじゃない」

「よく言うよ。容赦なくあの巨体の心臓に一突きしたくせに」

「あ~…、そうだったかな? 言われてみればそうだった気がする」

「それに軍の連中の援護があったとはいえ、あの巨体の骨を斬ったのは、フェリの技術だ。今のウチじゃそれを安定してできるかはわからない」

「その安定していない中での、数少ない安定した瞬間だったのかもしれないわよ?」

「それでもだ。その最善手を引き当てたんだから。運も実力ってやつ」

「そう…。・・・というか、今の自分では…て、ちょっと負けず嫌い過ぎない? 今の自分には無理でも、その内できるようになるから、別にすごい事じゃないって言われてるみたいなんだけど? 素直に褒めてほしい。その方が今後の励みになるから」


---[13]---


「うるさい」

 イクシアはわずかに不機嫌そうに口を結んで、そっぽを向く。

「ねぇねはすごいの?」

   「すごいの?」

 そこへ、私ではなくテルとリルユが追い打ちを仕掛ける。

 2人にとっては純粋な疑問なのだろう。

 お互いにイクシアの膝に手を付いて、彼女の顔を覗き込む。

 期待の眼差しでも浮かべているのだろうか、もしそうなら、嬉しいと感じる反面、それを向けられているのが自分ではないにしても、恥ずかしさを覚えてしまう。

 無理矢理、首を縦に振らせようとしているみたいだ。

 少しの間を置いて、イクシアはため息をつく。

「すごいすごい。す、ご、い」


---[14]---


 半ば投げやりに、吐き捨てるようにイクシアは言った。

 一切こちらと視線を合わせる事無く、そっぽを向いたまま。

 そして、言い終わると同時に、立ち上がりながら、テルとリルユを肩に担ぎあげる。

「じゃあ、ウチらは出ていくぞ? フィーが言っていた通り安静にしてなきゃだからな」

「ねぇねすごい!」

   「すご~い」

 米俵を運んでいるかのような光景、それをやれる事がうらやましく、3人に言われるすごいという言葉は妙にこそばゆい。

「そっちも、言う事言ったらフェリを休ませてやりなよ」

 というか、イクシアがいつもより優しい事に、僅かな気持ち悪さを覚える。


---[15]---


 彼女も寝込んでいる人間相手には優しくなるって事か?

「はい。すぐ終わる用事なので、お気になさらず」

 イクシアの言葉に受け答えをするフウガ。

「フィーが言っていた私の監視はいいのか?」

「する必要ないだろ? 今はそもそも動けないだろうし、動けたとしても、大事が起きない限り言う事は聞くじゃん。そもそもそれだけの大事が起きたら、ウチだって監視なんてしてられない」

「そうか、確かにそうだ」

 3人が部屋を出ていくのを見送って、フウガは足元…床に座り込んだシュンディの頭を軽く小突く。

「言わなきゃいけない事…あるだろ?」

 そう言われたシュンディは、ムスッと…いかにも不機嫌そうな表情のまま、立ち上がった。


---[16]---


 しかし、そこから先に進展する事は無く、さっきまでちょっとした賑やかな雰囲気だった部屋が、妙な静けさに包まれる。

 何を言いたいのか、何の話なのか、思い当たる節がたくさんあるような無いような。

 まぁ何はともあれ、彼女から切り出すのは難しいだろう。

 プライドか、それとも気恥ずかしさか、自分は後者であると嬉しいけど、その2つ以外の理由もあるのかもしれない。

 何より、待つにしてはこの場の雰囲気は心地よくない、彼女にしても何かきっかけが必要だと思う。

「ごめんね、シュンディ」

「…ッ!」

 覚悟でも決めている最中だったのだろうか、私の先手は、悪手と呼べるものだったのだろうか、私の言葉に、少女は驚きで肩を揺らし、その目を大きく開いた。


---[17]---


 それでも今の言葉は、何が悪いかわからないから、とりあえず謝っておこう…なんて、くだらない理由で出て来た言葉じゃない。

 本当に思っている事の1つだ。

 あの時言ったごめんという言葉、その時と同じ気持ちを少女へと伝える。

「あの時、1人にしちゃったから、ちゃんと謝りたかった。ごめんね」

 許してほしい訳じゃない、あの時は仕方なかったんだと、自分を擁護するつもりもない。

 嵐の影響で、土砂降りで風も強い中、理由はともあれ屋根の上に1人置いて行ってしまった事、その時、シュンディがどれほど恐怖し、心細かったか、私には計り知れない、だからこそちゃんと謝りたかった。

 怖い思いをさせてごめん…と。

「なんで、あんたが謝るのさ。謝るのは僕の方。自分勝手に動いて、そしてあんたに無理をさせた。弱いくせに怪物と1人で戦わせた。全部僕のせい」


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