第十章…「その手を引いてくれる人は。【3】」
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剣先が地面をガリガリと擦る。
足元が滑り、転びそうになりながらも、相手が体勢を整える前に近づいて、そして剣を力いっぱい振り下ろした。
ぐじゅッというドロドロ気味な肉を斬る感触、筋力的に骨を断つ事ができず、ゾンビもどきを叩き倒す形で地面に横たわらせる。
そして、また立ち上がろうとする相手の頭を踏み潰す。
何度も何度も、これでもかと思うぐらい、絶対に…もう動かないと確証を持てるまで、何回も何回も踏みつけた。
『避けろ、フェリッ!』
足元の亡骸を必死で踏みつけていた時、イクシアの声で我に返る。
声のした方を見た時には、大きな瓦礫がこちらに飛んできていた。
幸いにもそれが直撃する事は無かったけど、地面に落ち、飛散する破片が肩に当たって、その拍子に尻餅を付くように転んでしまう。
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「ぼさっとするな!」
同時に、水路を挟んだ反対側に跳び下りてきたイクシアが叫ぶ。
彼女は左手の状態を確認するように振って、渋い顔を見せ、それだけで良くない状況だという事が容易に想像できた。
イクシアと私の視線の先、あいつは未だ健在、肉を欲する牙がギラリとその姿を覗かせ、大粒の雨粒が、壁でも築こうとするかのように降りしきるその中に、あいつは立っている。
見上げる程の巨体、中途半端な剣なんて弾き飛ばす強固な鱗、全てを薙ぎ払う尻尾に、地面を抉る鋭い爪。
強者の位置にただ立ち、戦闘技術とかではなく純粋な力で、全てを蹂躙する者。
イクシアが苦戦する相手、訓練とはいえ手合わせしてきた身として、そんな彼女が苦戦する相手に、ただ苦虫を嚙み潰す事しかできなかった。
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「フェリ、行ける?」
「行けるなら…あなた一人で戦わせたりしない」
「そう…。じゃあウチがもう少し頑張るとする」
そう言ってイクシアは腰に着けてあるポーチから、何かを取り出して、それを自分の前に放り、それがちょうど胸の辺りに落ちて来た所で、自分の槍斧で叩き割る。
それと同時に持っていた槍斧が光を放つ。
一瞬、何人の邪魔を許さないような静寂の後、イクシアは駆け出した。
さっきよりも速く、何かに駆られるように力任せに。
ばらまかれる瓦礫を避ける事もせずに突っ込んで、自分の邪魔になる瓦礫は粉砕する。
豪快に…、今度は跳ね返して挑発するとか、そう言う事はなく、彼女の槍斧で防がれた瓦礫は、文字通り粉々になっていった。
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そこからさらにスピードを上げ、ブループが反撃するよりも早く、その股下をスライディングで潜り抜けると、竜の手とも言える左手の爪を地面に食い込ませて止まる。
そして、目の前にあるブループの尻尾目掛けて、槍斧を振り上げた。
弾かれる、そんな光景が頭を過ったが、結果は私が思っていたのとは逆のモノとなる。
今まで鉄塊に挑むようなモノだったそれが、今度は老朽化した丸太に得物を通すよりも容易く、イクシアの槍斧の刃が、その甲殻と鱗を砕き、皮を…肉を裂いた。
さらに力一杯振り上げられる槍斧は止まらず、斬るというよりも、もはや削り取るかのように、ブループの尻尾の肉を削ぎ取る。
甲殻や鱗の破片が飛散し、血や肉が宙を舞う。
悲痛な叫び、痛みに悶え、前へ逃げるように倒れ込む巨体、それでも相手を逃がさんとするイクシアは止まらず、その背中に飛び乗ると、そこへトドメの一撃を与えようと槍斧を振りかぶった。
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しかし、そこから先に続かない。
分からない事が多い私でもわかる、ブループへ決定的な一撃を与える事ができるチャンス。
私だったら迷わず剣を突き立てる場面、彼女なら尚更その瞬間を逃すはずがない。
「イクッ!」
叫ぶ、ブループがどういう存在なのかは十二分に体感したから、ここで止まっては行けないから、その異変に頭で考えるよりも早く彼女の名前を呼んでいた。
「イクシアッ!!」
『…ッ!?』
私の声で異変に気付いたか、それとも自力で気づいたか、ビクッとわずかに体を震わせたイクシアは、すぐに振りかざしていた槍斧でトドメを刺そうとしたが、もう手遅れだった。
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巨体が動く。
地面に大型のバネでもあったかのように、勢いよく、倒れていたのがウソのように立ち上がった。
完全に意表を突かれたイクシアは、体勢を崩し、ブループの立ち上がった勢いに負け、宙に投げ出される。
マズいッ、とっさに体が動く、今の自分に何ができるのか、そんな自虐の言葉が頭の中を埋め尽くす中、体は真逆の意思で動いた。
地面を蹴り、イクシアに手を伸ばす。
そんなモノが届く訳がない、この場からできる事は何もない。
当然、伸ばされた手が掴むモノは空のみ、皮肉な言い方をするなら、雨粒だけだ。
はたから見れば、私の行動はさぞ滑稽だったろう。
そして、現実が私の目の前で牙を剥く。
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ブループの巨椀が振るわれ、イクシアを襲った。
彼女も抵抗しようと槍斧を振るうが、その得物にもはや光はない。
襲い掛かる手を斬り飛ばす事は叶わず、ブループから見れば、あまりに小さな体が叩き飛ばされる。
まるで投げ飛ばされたボールのように…、何度も地面をぶつかり、何度も転がって、そして止まった。
魔力がどうのとか、きっと大丈夫…とか、そういう考えが出てくる事は無く、ただただその目の前で起きた事実だけが、私の心に突き刺さる。
怒り、恨み、恐怖、不安、その事実は私にあらゆる負の感情を沸き上がらせた。
イクシアの生死なんて、こいつにはどうでもいいんだ。
彼女を叩き飛ばした瞬間から、その目は私を捉えている。
ようやく邪魔者がいなくなったとでも思っているに違いない。
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表情なんてわかるはずもないけど、その顔は私を嘲笑っているようにしか見えなかった。
黒い巨体が迫る。
戦うのは無謀、逃げるのも無謀、八方塞がりで私に取れる手段はない。
だから剣を構えた。
何もできずに死ぬぐらいなら、一矢報いてやる、一泡吹かせてやると、私は意気込んで、ブループに向かっていく。
迫りくる見上げる程大きな黒い影、振るわれる巨椀。
その瞬間何より、私の中で一番大きく膨れ上がっていた感情は、悔しさ、だった。
戦うだけ、戦えるだけの力が、この世界の自分には、フェリスにはあったはずなのに…、それが使えなくなって、役立たずになり下がった結果、被害だけが膨れ上がる。
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悔しかった。
できる事が、できなくなったから、誰かのためになれたはずなのに、結局、誰かに助けられる羽目になって、そして…。
巨影が迫る中、視界が白くなっていく…、その色はどんどんとその濃さを増していき、巨椀が私を叩き飛ばす瞬間には、完全に全てが白い世界となって、意識までも、私を連れて行った…。
光の波紋が私を中心に広がっては消え、広がっては消えていく。
真っ白な世界、私は膝を付き、うつろな目を泳がせる。
私は死んだのか…、そう思ったけど、それは違う。
ここには、この白い世界には見覚えがある。
フェリスの剣が戻って来たその日に見たモノ、見た世界だ。
---[49]---
あの時、実は死んでいて、あの世を見てから蘇生したとか、そんな意味の分からない事が起きてない限り、ここがあの世であるはずがない。
何故だろうな、確証はないのに、そうだと言い切れる自信がある。
ここが前にも訪れた事のある場所なら、いるのか? そこに?
あの時見た、人の影、いや、人がいるのか?
でもその有無なんてどうでもいい。
私はこんな所で油を売っている場合じゃないんだ。
だって…、イクシアがやられた。
あの場には他に私しかいない、いないから、あのブループを止めなくちゃ。
でないと、皆が危ない、テルが…リルユが…危ないんだ。
私がやらなきゃ…。
『だから無理な事をしても許される?』
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…ッ!…
耳元で囁かれているかのようにも思えるし、この世界全体に響いているようにも思える声。
自分の言葉すら、ちゃんと出せているかもわからない場所で、届いてきた女性の声に、私は驚きが隠せなかった。
重い体を動かして周囲を見渡すが、その言葉を発した誰かを見つける事ができない。
『誰かのために無理をして、それで助ける事ができたら、それで満足なのかしら? 自分はどうなってもいいの?』
…そんなわけ……
『あなたを攻めるつもりはない。あなたにとって、所詮この世界は夢という括りから外れる事のない偽りの世界。そう認識している訳だし、それを踏まえればその行動にも納得できなくもないから』
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…あなたは誰? 知ったような事を言わないでくれるか…
『知っているもの。あなたがこの世界を大事に思っているという事を。あなたがこの世界を支えにしているという事を。だから無理をしたとしても、話をするべきだと思った。この前は上手くできなかったけど』
…あんたは一体……
その時、前の光に影が現れ、瞬く間に一人の人間が姿を現した。
前に見た時と一緒、後ろから射す光のせいで、人影のシルエットになってどういう容姿なのかが見分けられない、かろうじて口が動いているとわかる程度だ。
『この前は、思いのほか抵抗が強くてうまくできなかったけど、今回は上手くいって良かったわ』
…聞きたい事が多すぎる。意味が分からない。まずあなたは誰だ?…
『死者。この世の者でない存在』
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そりゃあ、こんな所で後光を浴びてる奴が、この世の者と言われても困るな。
『後光なんて射しているの?かろうじて君のいる場所が分かる程度で、私の視界は真っ暗で何も見えないの…。なんか面白い事になってるみたいね』
…・・・、私の考えてる事が分かるの?…
『そりゃあもう。あなたがフィア・マーセルの胸を揉んだ事を知っている程度には記憶とかもわかるわ』
…あれはほんの出来心で……
『まぁそれも知っている。誰と比べていたかは知らないけど、あ~いう事は程々にね。一応女の子同士だし、憲兵に突き出される事は無いだろうけど。あまり感心しない』
…・・・…
『まぁそういう話をしたい訳じゃないの。私、話をする事自体久しぶりで、普段無口だった私も今回ばかりは口が滑る滑る』
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その人は咳ばらいをするような動きを見せて、本当に見えていないのか疑いたくなるほどしっかりと、私を見据えた。
『聞きたい事は1つだけ。あなたは何のために戦っているの?』
戦っている理由?
この人が敵とは思えなかった、だからなのか、質問に何の疑いもなく考え込んでしまう。
死にたくないから…、死ぬのが怖いから…。
死んだらこの世界を失うと、そうなってみないとわからないはずなのに、実感として、まるで体験した事があるみたいに分かっていたから。
でもそれは戦う理由とはちょっと違う、確かに死ぬと実感した時、そういう事を考えはしたけど、最初はもっと単純だった。
もともとシュンディを守るために戦い始めたんだ。
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ブループを前にした時、襲ってきた時、こいつがこの島で暴れたら、シュンディだけじゃなく孤児院にいるテルやリルユ、それに避難している人達が危ないと思ったから。
イクシアが来た後は、何もできない自分に腹が立って…でもそれは自分の為と言うより、誰かのために何もできない事に腹が立ったから。
魔力が無いのにブループに突っ込んでいったのも、イクシアがやられたのもあるし、逃げても無駄だったってのもある、でもその時私を動かす一番の力は、何もできず見ている事しかできなかった悔しさだ。
自分が動く事を決めた時、それは決まって誰かのためにだ、そしてなにより私は生きてそこにいたから。
…何もせずに失うのが嫌だった。それは私の気持ちを奮い立たせる原動力、そして私自身が戦おうと思うきっかけになったのは、誰かのために何かを成そうと思ったからだ…
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『そう…。生きていた時、戦っていた時の私とは全然違うな。とても綺麗。そして、私が失ってしまった、持っているべきだったモノ…』
…そうかい…。それで? そんな事を聞いてどうするの? 私はブループの攻撃を受ける直前にここに来た。というか直後かも。魔力を使えない私にとって、それは死を意味すると思うし。ここがどこであれ、死んでいるのなら、今更そんな事を再確認した所で意味はだいでしょ…
視界が真っ白になる直前の光景が脳裏に蘇る。
迫りくる巨椀の影、その瞬間、私が魔力を使った感覚は無い、攻撃が直撃したらただでは済まない。
走ってくる大型トラックに正面衝突するようなものだ。
大なり小なり、規模とかは関係なく交通事故は命を奪う、それと同じ事が起きたのなら、もうそれは言うまでもない。
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『その辺はきっと大丈夫。君は生きているよ、フェリス・リータ。ふふ、こういう形でその名前を口にするのは不思議なモノね』
…大丈夫って……
さすがに信じられない、というかあれでどうしらた大丈夫と言えるのか、わからない。
『質問はおしまい。私がするのも、君がするのもね』
…でもっ…
『もう時間無いから。目が覚めたら何も考えず、体の赴くままにやるべき事をして。そうすれば、その窮地ぐらいは脱せると思うから』
…ちょっと人の話を…、好き勝手言って、もう終わりか?…
『そう…終わり、死人に口無しと言うでしょ? まぁ無駄話も含めて結構な量のおしゃべりしちゃったけどね。とにかく久しぶりに人と話ができて良かった。これ以上話し込んじゃうと、本当にフェリス・リータが死んじゃうから。さぁ行くよ』
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その人はそう言って私の方へと歩み出す。
…ちょっ、意味が分から…、あなた本当に見えてないの!?…
元々、私とその人との間の距離は遠すぎず近すぎず、言うなればスイカ割りをするぐらいの距離だ。
眼が見えないにしては迷いなく進んでいる。
ギリギリ私の位置が分かるにしても、的確過ぎだ。
目の前まで来たその人、女性、それと同時に私の視界は霞み、体の感覚は失われ、そして意識が朦朧としていく。
そのせいで、近くに来た人の姿をちゃんと見る事ができない。
分かるのは声で分かってはいたけど、女性であるという事だけだ。
女性は私の手を取って、立ち上がらせるように力強く引く。
今度は、立ち上がった私の後ろへ女性が回るのが、かろうじて見える。
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少しの間をおいて、ぽんッと背中を押される感触が、軽いはずなのに強く伝わって、そこで意識は完全に失われた。
飛び起きる時のような、意識の覚醒。
眼を見開いて映るその世界の光景は…、まさに嵐と怪物の姿だった。
体は地面に転がって、水が容赦なく押し寄せる。
それはつまり、ブループに叩き飛ばされた後という事か?
そんな状況確認をしている最中でも、体は動いた。
あの女性に言われたからとかじゃなく、もはや私の意思からは逸脱した行動。
どうするのか、どうしたいのか、そんな事を考える暇もなく体が動いた。
ブループへ向かって走り出すように立ち上がり、左手が何かを投げるように振るわれる。
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いや、実際に何かを投げて、それがイクシアから投げ渡されたパロトーネだと理解した時には、それはこちらに向かって突進してくるブループに当たっていた。
私を捕まえようと突き出された手に当たったパロトーネ、思考が追い付かない、自分が体を動かしているとは思えない程速く、そして的確に行動に移る。
振るわれるフェリスの両手剣、それはパロトーネを砕き、剣が光を帯びたように見えたのも束の間、硬くどうしようも無かったブループの手を、骨はさすがに硬かったが、問答無用で斬り裂いた。
赤黒い血が飛び散り、体に飛んだ血を嵐が流す。
後ろへと半ば逃げるかのように後退するブループへ、私のさらに後方から飛んできたいくつもの光弾が襲う。
孤児院で見た戦闘の光を思わせるそれ。
なら、後ろにいるのは言わずもがな。
---[60]---
何が起きたのか、それを確認する気もなく、私の視線は目の前の敵だけに注がれていた。
よろめき、転倒しそうになる巨体、それは大きな隙、気づけばブループに向かって地面を蹴って、余裕を与えまいと飛びついていく。
突き出された両手剣の切っ先が、アーモンドのスライスに包丁を通すが如く、その巨体の鱗を断ち、胸の奥へと突き刺さる。
深く、深く、鍔の部分まで突き刺した剣を、思い切り上へと押し上げて、その肉を容赦なく斬り裂いて行った。
そして、時間を置く事なく、巨体が糸の切れた人形のようにその場に崩れていく。
最後の抵抗か、私に伸ばされた手を、光を失った剣が子供の手を払うかのように弾き返し、私が地に着地する時には、ブループは完全に伏し、その目からは生気と呼べるものが消え去っていった。
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