第十章…「その手を引いてくれる人は。【2】」


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 口を開け、私をその牙で穴だらけにする五秒前だ。

 ここで死んだらどうなるのかはわからないけど、全てが手の平からこぼれ落ちる…そんな予感だけが、まるで体験をした事があるかのように伝わって来た。


ガアアアァァァーーーンッ!!


 諦めた、その事実を受け入れてしまった、その瞬間。

 耳を塞ぎたくなるような衝撃音が私を襲う。

 その衝撃音の後、悲鳴と、何か大きなものが地面に落ちるような音が聞こえる。

 その瞬間、ただただ私は、無数の牙がこの体を穴だらけにしていない事に、疑問を覚える事しかできなかった。

 視界に映る光景への理解が追い付いていない。


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 あの巨体が倒れている。

 私が足払いで転ばせたのとかとは違う、力によってねじ伏せられ地面に倒れた?

『訓練のおかげか? 生きてるじゃん』

 そして、空から不意に落ちてくる人影、目の前に着地したのはイクシアだった。

 わずかに光を放つ槍斧を片手に、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、これ以上ないってくらい格好良さを振りまきながら立っている。

「・・・」

 やばいやばい…、思わず胸が高鳴ってしまった。

 途端に頬が熱くなる。

 いや違う、断じて違う、これは助けが来た事による安心感、安堵感で途端に感極まってしまっただけだ。

 断じて色恋の話ではない。


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「どうした、フェリ? 何か言ってよ? 不安になるから」

「え…あ~…うん」

「怪我は? ・・・て聞く間でもないか。雨のせいで見づらいけど、所々血がにじんでる」

「そう…かな?」

 痛みとかが無いせいで、その辺の外傷とかに対する意識が欠如していた。

 首から下は雨合羽を着ているからわからないとして、とっさに手を頭の方へと持っていく。

「イツッ…」

 わずかながら、痛みと言う電気が頭の部分部分で走った。

 傷口にでも触れたのか、手を見てみると、雨ですぐ流されていった中に赤いモノが混ざっているのが見える。


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「でも…、どうしてイクがここに?」

「愚問。フェリを助けに来たに決まってんじゃん。頭を怪我して、問題ばかりなのにさらにポンコツにでもなったか?」

「いや…まぁ…そうかも」

「否定されないのも気持ち悪い」

「どうしろと…」

「とにかく…、動ける?」

「動けると言えば動けるけど、魔力を使った肉体強化はできない状態だ」

「はぁっ?」

「そんな、なんでだよ…みたいな顔をされても…。体に力を入れても、普通の力しか出ないんだから仕方ない。そこのゾンビもどきを倒す時からそんな感じだ」


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「全く?」

「ああ、全く。今も魔力を使おうとしてるけど、全然だ」

「いよいよ壊れた? 全く魔力が使えなくなるなんて聞いた事ない。心の臓と同じ。ウチらの意思とは関係なく魔力は作られ続けるはず」

「じゃあなんで…」

「ウチが知るか。フィーじゃないんだから」

「それもそうね」

「早く孤児院に戻ってフィー達に見せたい所なんだけど…」

「奴さんはそうさせてくれなさそうだぞ」

 叩き倒されたブループ、その黒い巨体が再び動き出し、顔、正確には鼻付近も押さえながら立ち上がった。

 グワアアァァッ!とさっきの挙動不審が嘘のように、まさに怒りに任せた咆哮が轟く。


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 ブループが押さえていた手を退けると、そこから赤黒い血が垂れ落ちる。

 甲殻を砕き、ぱっくりと割れた傷口から見える赤い肉が、攻撃の凄まじさをモノがっていた。

 それをイクシアはやってのけた。

 それだけの攻撃をして見せる彼女が近づいてきたから、だからあいつは挙動不審になり、僅かな時間だったけど攻撃の手を止めたのか?

 それが正解だったとしても腑に落ちない点は多々ある、それでも、そう思っていた方が、心持ち的にはかなりの良薬だ。

 それだけの事ができる奴が傍にいてくれる安心感は、1人で戦っている時とは天と地の差…雲泥の差と言える。

 しかし、そんなイクは不満そうに舌を鳴らした。

「渾身の一振りをぶつけてやったつもりだったんだけどな。頭の方はケタ違いに硬いみたいだな」


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 人間で言う所の、数針縫わなきゃいけないような傷を負わせておいて不満げとは…、私なんて傷1つ負わせられてないっていうのに。

「じゃあ、あいつはウチが引き付けるから、フェリは合図したらできる限り全力で孤児院の方に走れ」

 状況を考えれば妥当な判断だと言える…、でも、その提案には即答でノーと答えた。

「ウチなら大丈夫。むしろフェリがいると気が散って邪魔なんだけど。あと少しで軍の連中の援護も来る。だからこっちは気にせず…。」

 もちろんイクシアの事は心配だけど、彼女なら有言実行してくれるだろうと思える…、それだけ彼女の力を信用しているけど、そういう問題じゃない。

 私は彼女の言葉を遮って、ブループが自分を狙ってきている事を伝えた。

「はぁッ!? そんな訳ないだろ? なんでフェリを…ッ!?」


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 イクシアの言葉を遮るモノは私だけでなく、相手も同じ、私達を踏み潰そうと落とされる足、イクシアがそれに真っ先に気付いて、私の手を掴むと勢いよくその場から飛び退いた。

「信じられない話だ。アレが標的を決めて優先的に襲ってくるなんて」

 イクシアの言葉には、にわかの私も同意見だ。

「嘘か真か…、なんにせよ、本当だったら人が集まる孤児院にアレを向かわせる事になるじゃん。はぁ…、フィーにまた怒られるな」

 頼もしいその姿が一瞬だけ小さくなったような気がする。

「仕方ない。フェリの状態が不安だけど、一緒にいてもらう事になりそう」

 イクシアは意を決したように息を吐き、そして深く息を吸い込んだ。

「あ、そうそう、あのシュンディって娘は軍の奴に保護させたから」

「それ今言う事か?」


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 そりゃあ安心できるというか、現状で一番の不安を解消させる最強の言葉ではあるけど…。

 というか、むしろそれを一番先に教えてほしかったかな。

「こっちだって、緊張と言うか、混乱と言うか…、とにかく色々と大変なんだって!」

 そう言い捨てて、イクシアはいつの間にか光が消えた得物を構え、ブループを睨みつけた。

「あいつがフェリを狙うなら、できるだけ逃げる事に専念して。ある意味、自分が狙われてないってはっきりしてるなら動きやすい」

「それはつまり、私に囮になれと?」

「そう聞こえたんなら、そう動け!」

 イクシアが走り出る。


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 自身を踏みつけようとしてくる足を、そこの建物の壁に跳びつきながら避け、その足に向かって飛び込みながら槍斧を振るう。

 私の時と同じ、ガキィンッという硬い物を叩いた時の音がこだまする。

 ブループは彼女が着地する地点に瓦礫を投げつけて、その隙に私へと標的を移した。

 ドスンドスンッと大きな足音を立てて、私の所へ向かってくる。

 ついでと言わんばかりに、横の建物を破壊して、その破片が私の方へ飛んでくるように投げながら。

 相も変わらず体に魔力で強化されたような感覚が無い、いつものようにやっているだけなのに…結果が出ない。

 断水していくら捻っても水が出てこない蛇口のように、いくら振り絞ろうとしても、体に力がみなぎらなかった。


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 水路を橋で渡り、降ってくる瓦礫から少しでも遠ざかろうと走る。

 それでも避けきれなかった人の頭サイズの瓦礫が、容赦なく私を襲い、剣を盾代わりに前に出すが、そのぶつかった衝撃で転倒、そこに追い打ちをかけようと敵が動くが、そこはイクシアが横槍を入れて防ぐ。

 その辺のイクシアの攻撃は、最初のモノよりも威力は抑えめ、相手の肉をざっくりと裂く攻撃とは言えない。

 全力、渾身の一振りとも言っていたから、そう連発してできるモノではないんだろう。

 地面を削る様に振るわれる巨椀を、後ろへ引きながら避けるイクシア。

 さらに追撃で振り下ろされる巨椀も避けると、地面を叩いたその手、正確には指へ、槍斧を振り下ろす。

 ギャンッという悲鳴をブループは上げる。


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 何となくどういう痛みなのかわかる分、その痛みが自分にまで伝わってくるようだ。

 一瞬とはいえ、動きの止まったブループ、そいつの顔に向かってイクシアは飛び上がると、初撃で負わせた傷に向かって再び攻撃をぶち込んだ。

 だが、今回は倒れる事なく、その攻撃をブループは耐え抜いて見せる。

 半ば横の建物にぶつかる形で支えができたのもあるが、その攻撃がやはり威力に欠ける事を証明した。

『チッ。フェリもこれ持ってろ』

 そう言って、イクシアはブループが体勢を立て直す前に、何かをこっちに投げ渡す。

 チョークのような何か…、一度取り損なって宙を舞ったそれを掴むと、それがパロトーネだと気づく。


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 こんな土砂降りの中、パロトーネを1つ、水路を挟んだ反対側の人間に渡すとか…。

 いや、それだけ余裕がないんだ。

 今はキャッチできた事、土砂降りの中ちゃんと投げ渡してくれた事を褒め合おう、言いたい事は全て終わってから言えばいい。

 しかし、これが何の役に立つのか、それが全くわからなかった。

「これをどうし…うわッ!」

 それを聞こうとした矢先、降ってくる瓦礫に言葉を止めざるを得なくなる。

「いいからっ! その時が来たと思ったら、自分の武器にそれを使って、相手を思いっきりぶった斬ってやればいいっ!」

「はあっ!?」

 意味が分からない。


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 だがそれを聞こうにも、ブループが容赦なくイクシアに突撃していく…、だからそれ以上の事を聞く事ができなかった。

 踏みつけ、斬り裂き、叩きつけ、堪忍袋の緒でも切れたのか、執拗にイクシアへと攻撃を繰り返す。

 瓦礫をばらまき、意識を散らさせて追撃。

 私だったら、防御に専念すれば何とかしのげるかもしれないモノを、イクシアは瓦礫を跳ね返して、逆に挑発をしていく。

 これが経験の差、それを意識した瞬間、胸が締め付けられるような感覚が私を襲った。

 相手の怒りを買って、あっという間に囮のおの字も無くし…。

「複雑だな…」

 自分の無力感を突きつけられてる気がして、それは私に苛立ちを覚えさせた


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 自分には何もできないって状況は無性に腹立たしい、その感情を発散するように、私は剣を振るう。

 回転するように後ろに振るわれた剣は、容赦なく人の影を真っ二つに斬り分ける。

 障害物を叩き斬った後も、勢いは衰えず、剣に振り回されながら、もう一回転してしまう。

 バタッバシャッと地面に落ちる腐肉、ゾンビもどきが地面に倒れ、私はその頭を重いきり…何度も何度も踏みつけた。

 さっきまでブループの攻撃を防いでいたのがウソのよう。

 ゾンビもどきを倒せても、ブループは無理、それが自分でもわかっているからこそ、なおの事腹立たしい。

 自分には何もできないって状況は、あの事故の光景をチラつかせるから、怒りだけじゃなく、後悔や罪悪感まで自分を襲ってくる。


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 この世界では、不要な産物、不要な感情だ。

 私は頭の中で消えろと叫ぶ。

 自分は役立たずじゃないと、自分にもできる事があると言い聞かせ、どこからか姿を現したゾンビもどきに向かっていった。

 剣が重い、振り下ろせば自分の手が、体が、その重みに引っ張られる。

 疲労が溜まった体には、そんな小さな力は何倍にも感じられた。

 横に振るえば、振るった方向に足がふらつく、剣を持ち上げるのも一苦労だが、それを振り下ろせば、剣と共に手が下に落ちて転びそうになる。

 この夢の世界になら何でもある、何でもできると思った事があるけど、それが間違いなんだと、私自身が無自覚に全力で否定してきているようだ。

 1体、また1体とゾンビもどきを叩き倒していく。

「くッ…」


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 相手が鈍足と言っても、こっちだって負けず劣らずな陸の亀だ。

 後ろから襲ってくるゾンビもどきに対応しようとしても、剣に振るわれているせいで、それに間に合わない。

 掴みかかられて、そのまま押し倒される。

 私の肉を喰おうと、大口を開けて、顔を突き出してくるゾンビもどき、その首に手を当ててそれを押し返す。

 この腐肉を通じて、自分に流れ落ちてくる雨水も、十二分に不快だが、こいつ自身…正確にはその中にいるカニの分泌液が、さらなる不快感を与えてくる。

 でも腐っているからか、今の私でも押さえていられるだけの力しか、こいつからは出ていない。

 往生際が悪く、大口から出て来たカニが直接、私の顔を食べようと爪を伸ばしていきた。

「くそ…、くそ…」


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 これ以上近づけまいとする事はできるけど、それ以上の事ができない。

 邪魔だと突き飛ばす事ができない。

 私の視界に映る…迫る巨大カニ、そしてこの状況、まさにホラーゲームでありそうな展開だ。

 そしてその後の展開は?

 必死に耐えて、最終的には力負けして、その首筋に喰らい付かれる、そういう未来が見える。

 むしろそういう話の展開が多い気がするというか…。

 こんな状況だし、マイナス面に意識が集中しているから出るモノなのかもしれないけど、それでも、そうだと思っても、その想像が頭から離れない。

 自分の肉が喰いちぎられ、この嵐の中でも負けないくらい、この場を真っ赤に変える死の海。


---[38]---


 頭を過るのは死の文字と、真っ暗な世界の姿だ。

 何もない、そこには何もない。

 あの世で家族に会えるとか、そんな甘い世界は無い…存在しないんんだ。

 死んだら…死んだら…。

 その瞬間の私には死に対する恐怖しかなかった。

 死者とは話せない、死後の世界がどんな世界かなんてわからない。

 知らない世界に行くために、自分を傷つける勇気はない、自分の命を絶つ勇気は…。

 だからこそ、この世界が必要なんだ。

 フェリス・リータという存在が…必要なんだ。

 この世界には、テルも、リルユも、父さんも母さんもいる。

 死んでない、生きてる、生きてるから…。


---[39]---


 今の私には…、いや、俺には、母さんが、父さんが、弟妹が必要なんだ。

 俺から、家族を奪わないでくれ。

 現実を…、受け入れる時間をくれ。

 ゾンビもどきの腹に自分の片膝を潜り込ませて押し上げる、さらにそこへもう片方の足を入れ、力一杯そのぐちゅぐちゅとした腹を突き飛ばす。

「はぁ…はぁ…」

 体にのしかかっていた重みが無くなり、その瞬間の死に対する恐怖は去っていくが、当然の事ながらその不安が消える事は無い。

 顔に付く不快感を消し去るため、手の平で力を込めて拭う。

 視界には、突き飛ばしたゾンビもどきが立ち上がろうとしているのが見える。

 トドメを刺さなければ…。

 怖かったから、その恐怖から逃げるために、私は立った。


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