第九章…「捕食者。【3】」


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 痛みは無かった。

 状況が状況だし、興奮状態でアドレナリンがドバドバなのか、はたまたそれ以外に理由があるのか…。

 とにかく私は無事だ。

 一回二回と、咳き込みながらも息を吸う。

 体を起こし、自分の場所を確認した。

 ここは、屋根の上。

 何が起きたのかは、あえて考えない様にした方が、精神的に穏やかでいられる。

 尻目にチラチラと映っていた黒い何かが動く…、それが何かなんて、考えるだけ無駄だ。

 この場でうずくまっていたら危ない…、そんな直感に近い何か…、よくわからない何かに強引に引っ張られているかのように、その場から離れるように跳ぶ。


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 ガランッガシャンと、元居た場所が崩れ去るのが視界に入った。

 何もかも危機一髪だが、それでも首の皮は繋がっている。

 がむしゃらにでも、とにかく動きさえすれば何とかなるんじゃないかと、そんな錯覚さえ抱く程に、私は生き残れていた。

 自分が屋根の上にいる理由も、元居た場所を崩したのも、視界に映る黒い敵の仕業…、捕食者と言う割には、自分を執拗に襲ってきているように思う相手…、他の連中を襲えよと言っている訳じゃない、何人も人間がいた中で、なんで私なのかと疑問を抱かずにいられないのだ。

「私が、いつ、こんな仕打ちを受けるような悪さをしたっていうのさ」

 愚痴がこぼれる。

 獣相手にその思考を考えた所で無意味…とか言ったらそれまでだが…、これはある意味で好機か…。

 理由はわからないが、私は完全に、こいつにターゲット…獲物と認識されているようだ。


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 なら、こいつを私が引きつけさえすれば、他の人達が相手をする存在は、あのゾンビもどきだけになる。

 他にそういった非現実的な生き物がいるのなら話は別だけど、それでも最大の脅威であるブループは皆の脅威から除外される。

 少なくとも、シュンディが逃げるだけの余裕は生まれるだろう。

 というか、獲物が私なら、私と一緒にいない方が、安全度が高いというものだ。

 私を執拗に襲ってくるのもそうだし、思えば最初も今も、私に視線を向けている。

 それは私が獲物になっている証明だ。

 相手の攻撃は、合間合間で私に余裕を生む。

 獲物で遊んでいるのか何なのか…。

 獲物を前に舌なめずりしているなら、まだチャンスがあるかもしれない。

 深呼吸をして、鞘に収まった両手剣を引き抜く。


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 邪魔だと言わんばかりに、その辺へ両手剣の鞘を投げ捨てて、私はブループを睨みつけた。

ガアァツ!

 そんな私の姿を見るや、ブループは短く声を上げる。

 私にはそれが、待ってましたと、ようやくかと、やる気になった私への歓喜の声に聞こえた。

 一瞬だ。

 さっきよりも速く相手の巨椀が振るわれる。

 的が小さいからと…大雑把ではあっても、さっきとは違う、獲物を仕留めてやるという気迫を感じた。

 襲い掛かる腕を跳び越えて、別の屋根へと飛び移る。

 元居た場所に視線を向ければ、まるで建物が積木なんじゃないかと思える程、その腕はいとも容易く建物を崩していった。


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 さっきから、相手の攻撃はその場の光景を変貌させる攻撃そのものだ。

 軽々と建物を壊すくせに、その腕には傷1つ付いちゃいない。

 それはその鱗や甲殻が、それだけ頑丈な証拠、ならこういう場合、私が取る行動は1つ。

 こういった敵を相手にする時のセオリー…。

 振り下ろされる攻撃を避け、こちらも文字通り全力で…全身の魔力をこの瞬間に集中させて、私はブループに向かって跳び出す。

 横から襲い掛かる巨腕を走り高跳びの要領で跳び越える。

 雨合羽のフードが脱げて、乱れる髪を相手の巨椀が撫で、屋根の上っていうのもあるけど、着地に失敗して転がり、何とか立ち上がってブループの顔目掛けて跳んだ。

 思うように踏ん張れなかったけど、剣が届く距離までは申し分ない。

 自然と、剣を握る手に力が籠る。


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 そして私は躊躇なく、その剣を突き刺した。

 目…、どんな生物も目の構造は一緒のはず。

 鉄球が目です…と言われない限り、中の空いた球体だ。

 中に液体やら何やらあるかもしれないけど、そんな事はどうでもいい。

 まるで地面に剣を突き立てたような硬い感触はあったけど、剣の刃は容赦なく奴の、ブループの右目に突き刺さった。

 ギャーッという叫び声を上げながら、ブループは後退っていく。

 異物を取り除こうとするように、何度も何度も頭を強く振るい、私はその勢いで抜けた剣と共に、ブループから離れていった。

 上へと大きく振り上げられて、見えていなたかったモノが見える。

 そんな中で視界に入った1つ、座り込んでしまっているシュンディが、あのゾンビもどきに襲われそうになっている瞬間だ。


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 私が投げた先から少し離れてはいるけど、大した距離じゃない。

 あんな状況で急に1人になって、誰に言われた訳でもなく逃げ始める…と言うのは欲張った理想だった…、ゾンビもどきはともかく、今のシュンディには、そりゃそうだ…と納得できる。

 さっきまで腰が抜けて動けなかった子だ。

 普段気が強くても、そんな事関係ない。

 空中で体を捻り、体勢を立て直しながら、腰の短剣を抜いて、後先考えずに少女を襲おうとするゾンビもどきに向かって、その短剣を投げつけた。

 頭部に当たる事は無く、左肩に短剣は当たり、その腕を落とす。

 私は屋根へと着地し、砕けた瓦の上をズルズルと滑り落ちるのを止まる事なく行って、屋根から落ちる所で向かいの建物の壁へと飛び移り、指の竜種特有の爪をストッパー代わりに突き立てて、ガリガリと壁を滑り落ちていく。


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 そのまま無事地上に降り立った後、すぐにシュンディの所へと向かう。

 ブループが痛みに苦しみ、周囲の建物を崩す中をかいくぐって、少女の元へたどり着いた時、ゾンビもどきは体勢を整えて、再び襲おうとしていた所だった。

 どう相手を倒すかなんて、その瞬間はどうでもよくて、とにかくシュンディの傍から切り離す事だけが頭を支配する。

 咄嗟に出たのが足、そのゾンビもどきに向かって飛び込んで、バイク乗りのヒーローよろしく、強烈な一撃をその顔面にお見舞いしてやった。

 体を強化して、思っていた以上に力が入っていたんだろう、後はゾンビもどきの腐り具合、私の蹴りをもろに受けたその顔…頭は、その形を保てずに変形させる。

 少なくとも頭部の骨、主に顔面の部分が粉々になった事は間違いなしだ。

「あ、あんた…」

「無事か?」


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 状況が状況だ、さすがのシュンディも私の顔であったとしても、安心せざるを得なかったようで、その表情には安堵と、相手が私である事による不満が同居して、とても複雑そうなモノになっている。

 今回ばかりは安堵の方が優勢だが…。

「話なら後でいくらでも…。立てる?」

ふるふる…。

 少女は私の言葉に、気まずそうに首を横に振った。

 可能性の1つとしてあった事とはいえ、それを本人に示されると、自身の動揺が表に出そうになる。

「そうか…。どうにかしないとな」

 何か気の利いた言葉でも贈れたらいいけど、いつまでもブループがもがき苦しみ続ける訳でもなし、急がなければいけない状況で、あれがいいこれがいいと気を使っている余裕はない。


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 シュンディが動けない状況、どうしたものかと考えていた矢先、嵐でただでさえ暗い中、さらにその場が部分的に暗くなる。

 とっさに少女の手を引いて、その場から飛び出すとそこがブループの足で踏みつけられた。

 私が一緒にいるだけでシュンディが危険に晒されるし、この場に放置すればまたゾンビもどきがやってくる。

「仕方ない。シュンディ、ちょっと激しく動くから、しっかり掴まってて」

 取れる行動は選ぶ程無い。

 シュンディをその辺の屋根にでも乗っけて、私がその場から離れるのが、この瞬間での最善策だろう。

 嵐の中、小さな子を、雨合羽を着ているとはいても、屋根の上に放置するとか、なんて鬼畜の所業、こんな状況でなければ私が批判してやる。


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ウゴアアアァァァーーーッ!!

 一瞬だけ雨が降って来なくなるぐらいの咆哮、それは島全土を覆った事だろう。

 耳がジンジンと悲鳴を上げ、めまいから足元がおぼつかない。

 人間で言う所の、気合を入れるための雄叫びか何かか、咆哮を上げたブループは牙を剥いて、こちらを見るのではなく、今度はハッキリと殺意を感じる程の目で睨んできた。

「なんか、様子がおかしくない?」

 明らかに雰囲気を変えたブループに、シュンディは声を震わす。

「そりゃ~…、あいつの片目に剣を突き刺したばかりだからな。そんな事されて怒らないのは慈悲の女神とかその辺ぐらいだろうよ」

「何てことしたのさ!?」

「仕方ないだろ…。とにかく、しっかり掴まってろよ」


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 シュンディの返答は待てない。

 ブループが、私が、一斉に動く。

 小さな少女の体を小脇に抱え、振り下ろされる巨椀の下を飛び抜けて、ブループの股下を抜け、巨体の後ろへ。

 深く息を吸い込み、全力のさらに先、血反吐を吐く意気込みで、その場を離れる。

 これでもか…これでもか…と、もう限界だと体が悲鳴を上げてもなお、魔力を注ぎ続けて強化を図る。

 その瞬間の私は、まさに超人と呼べるだけの身体能力を持っていたに違いない。

 目指す方向は孤児院方面。

 数十メートル進んだだけでも、心臓が爆発するんじゃないかと思える程に鼓動し、足にも痛みを覚える。

 ブループがいる所から50メートルか、はたまた100メートルか…。

 時間にしてほんの数秒、5秒経ったかどうかの僅かな時間だが、全身は限界だと悲鳴を上げた。

 十分な距離を取れた事と、それを頃合いと見て、石畳の道を蹴って、近くの家の屋根へと飛び移る。


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「ゲホッゲホッ!」

 体中が新しい空気を求めているかの如く、吐き出すのと吸い込むの、両方が大渋滞を起こして咳き込みが止まらない。

 魔力ってのは便利ではあるけど、万能じゃないと思い知らされる瞬間だな。

 体を強化すれば、それだけ体を酷使する事になり、その分、反動も大きくなる。

「だ、大丈夫か?」

「だい…ゲホッ…じょう…ゲホッ」

 私の状態は、はたから見ればそんな馬鹿なと一蹴されるに違いない…、私も確実に同じ事を言う。

 でもこの状況で、無理…ダメ…なんて事を言う訳にはいかない、というか、言える訳がない。

 この瞬間、少女が頼れる存在が私しかいないのだから。

「シュンディ…はぁ…よく…聞け…」


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 それでも、少女の為とはいえ、突き放さなければいけない。

 お前はここにいろと、完璧に自力で動けるようになったら私の事は放っておいて孤児院に逃げろと。

 何度も咳き込みつつ、その2点を少女に言い聞かす。

「な、なんで!?」

 言いたい事はわかる…つもりだけど、そうするしかない。

「理由はわからないけど…、あいつ…は、私を狙ってる…。私と一緒にいたら危険…だ」

 徐々に整い始める呼吸も、会話をするにはまだまだ苦しい…。

「でも…。」

「今は…、首を縦に振ってくれ…、大人の言う事なん…て聞きたくないかも…だけど…、今は嫌々でも…納得して…」


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「・・・」

 少しでも自分に真意が、考えが伝わればと少女の肩を掴んだ手に力が籠る。

「わか…た」

 声が小さいのか、嵐の音がうるさいのか、いつもより聞こえづらかったその声は、私の言葉を受け入れる言葉だった。

 その瞬間に、肩の荷がドッと音を鳴らして落ちて行ったような、そんな気がする。

 シュンディが邪魔だとは言わないし、そうは思わない。

 こうしなければ常に少女が危険に晒されるという、心配からくる不安が肩にのしかかっていた。

 でも、その荷が下りてようやく行ける。

 完全に息が整わない、未だ肩で息をして、力が入りきらずにふらつく足で、私は立ち上がった。

「怖い思いをさせてごめんね」


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 できる限りの笑顔を浮かべ、私はシュンディの返答を聞かずに屋根から降りる。

 何か言いたそうにしていたけど、それは全てが終わってからだ。

 私は、ブループを中心にして時計回りに、円を描きながら、あの巨体へと向かっていく。

 そして、屋根へと再び上って、あの巨体と対峙する。

 相手も明らかに息が荒い。

 やってやる…なんて意気込みが獣ながら伝わってくるようだ。

 私達が離れてから、追いかけて来なかったが…、それは距離が離れれば離れるだけ、居場所を掴めなくなるとかそんな所だろう。

 剣を握り直し、未だ整いきらない息を、少しでも落ち着かせようと深呼吸をする。

 さっきまで、シュンディを守らなければって考えが働いていた事もあってか、その重りが無くなった今、目の前に立つ常識を逸脱している存在に恐怖を感じずにはいられない。


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 足が震えているのとか、手が震えているのとか、それらはあくまで疲労のせい…無理して魔力を使って、自分が化け物なんじゃないかと思えるような動きを見せた代償だ。

 そう自分に言い聞かせる。

 実際にそのせいである事は否定できないけど、魔力の影響力は回復力にも左右するし、回復してきた身体的に、震えが別の所から来ているというのは確実だ。

 ああ、怖い、怖いとも。

 でも、ここで何もせずに逃げ出したら、もし別の人間が襲われたらと考えると、そちらの方が怖い。

 丸呑みならいいけど、食いちぎられ、引き千切られ…、何も残らない事を想像すると怖くてたまらない…、それがテルやリルユだったらと思うと尚更だ。

 だから俺は立ち向かう。


---[58]---


 この夢を、幸福を感じられる夢を、この先も継続させるために…。

 食べられる訳にはいかない…、食べさせる訳にもいかない…、お前のやりたいようにさせる訳にはいかない。

 私を狙うのもそう言う事だろう?

 私から奪うつもりなんだ…、あなたは幸福な夢に生まれた癌だ。

 なら、夢の主人として、それを認識してしまった者として、戦う、戦って勝ってみせる。

 これは、俺の夢なんだから。


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