第九章…「捕食者。【2】」


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 精神的な負荷を少しでも和らげようと、希望を持とうとする周りの人達、そんな人たちとは裏腹に、イクシアの言葉はそんな周りの言葉を一蹴していく。

 まぁ彼女の言いたい事もわからないでもない。

 戦える人間が多い訳じゃない中で、守られる側に気の緩みができてしまえば、警戒心が薄れて、穴ができる可能性もある。

 それは大問題だ…、そんな負わなくていい責任を負うぐらいなら、嫌われ者になってもいいから、守られる側にもそれなりの責任がある事、それを自覚してもらうに越した事は無い。

 かくいう私は、今まさに、この人たちの命を預かっているという重責に、結構心臓がバクバクで、お願いだから逃げる事に集中して…と、思い続けている。

 仮にも、私もフェリスも軍に属する人間で、それを踏まえれば、守る相手を不安にさせるのは、あり得ない考えなのかもしれないけど。

「…ッ!」

 そんな時、軍の人間らしからぬ考えを起こした天罰か、背中を刺すような悪寒が私を襲う。


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 とっさに振り返り、1歩2歩と後ずさった。

 視線の先には何も…誰もいない。

 あるモノと言えば、それは動かなくなったゾンビもどき達が転がっているだけ…。

「・・・ん」

 フェリスとして生活してきて、こんな感覚は初めてだ。

 両手で持っている剣が微かに震えている。

 正確には、剣ではなく、私自身が震えている。

 何故だ? 何を感じ取った? これは恐怖か?

 それは俺の恐怖か? それとも私? はたまたフェリスの体に刻まれた過去の記憶に関連する事か?

 そうしている間にも、皆が孤児院に向けて足を進めていく。

 他の人達は感じなかったのか、私だけが感じ取れた何かなのか、それとも気のせい?


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 唐突に、深く…暗い不安が押し寄せてきて、段々と呼吸も荒くなってくる。

 分からない事への恐怖が、それをさらに増長させていく。

『フェリ』

「…ッ!」

 呼ばれる自身の名前、それと同時に肩を叩かれて、声は出さなかったが、驚きで体が文字通り跳ね上がる。

「どうした?」

 声の主はイクシアだ。

 そこにあった見知った顔に、ホッと胸を撫で下ろす。

「い、いや…、何でもない」

 イクシアは不審そうな表情はしても、私が感じた何かを同じように感じているかのようには見えない。


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 それか…、顔に出さない様に隠しているのか…。

 何にしても、表情に出ていない以上、剣を持っている私が不安を煽るような事する訳にはいかない。

「そんなんで大丈夫かよ? 問題は何とかしてくれるんじゃないのか?」

 孤児院へ向かう列に戻り、イクシアが戻っていった所で、私の前を歩くシュンディが不審そうな表情を向けてくる。

「まだ問題という問題が起きてないのに疑うの早すぎだって」

「信頼を得たいなら、言葉よりも行動で示せって、そう言うだろ」

「・・・子供のくせに大人じみた事言っちゃって」

「その辺の子供みたいに、外敵を気にしないで遊び惚けてる連中とは違うんだ」

「これはまた…、度が行き過ぎて可愛くない事で」


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「僕は…この程度で無くなる可愛さなんていらない。可愛いと思われるぐらいなら、力が欲しい…」

 自分の前を歩いているせいで、再び前を見始めた少女の顔を見る事は出来ない。

 でも、そのこぼれるように出たシュンディの言葉は、私の胸を打つ。

 顔に着いた雨水を拭い去るかの如く、自分の顔を手で拭うシュンディの背中は、小ささと裏腹に、とても大きくて力強く感じた。

…み~つけた…

ゾクッ!

「…ッ!?」

 声が聞こえた訳じゃない、耳には何も届いていない。

 振り返っても、そんな言葉を発するような存在を確認する事は出来なかった。

 アニメなり映画なり、演出で真っ暗な画面に白い文字だけが映し出される奴があるけど、まさにそんなような感覚だ。


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 頭が、その単語を理解したというか、そういう単語を感じ取った。

 さっきと同じ悪寒が走り、全身が総毛立つ。

「あんたどうかしたのか?」

 再び立ち止まって、来た道を見続ける私に、シュンディは苛立ちを覚え、言葉にも力が入っていた。

「何かいる」

「はぁ? 何も見えないぞ?」

 1回だけなら、不安やら何やら、マイナスな感情が暴発したとか、無理やりな言い訳で説明がつく。

 でもそうじゃない。

 同じような悪寒が2回もして、なおかつ2回目が1回目よりも奇怪だ。

 私がおかしいのか?


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 本当に何かいるのか、それとも私の体が馬鹿になったのかの2択。

 後者であってくれた方が、私個人の問題で済むのだけど、言葉にできない何かが、何かいる、何か来る、と警鐘を鳴らす。

…フェリスちゃ~ん…

 それは、さらに鋭くそして明確に、私を、私個人を標的とした。

 まるで猛獣の牙が自身の首に噛みついているかのような…、そんな絶望感が全身を襲う。

 あの生々しいゾンビもどき、骸ガニと言う名の死体を見ても、気持ち悪い程度で済んだのに、一体何が、私を、フェリスをここまで追い詰める。

「来る…」

 何かが来ると直感で分かった。

 このまま何事もなかったかのように…、終わる事なんてあり得ない。

 イクシアが、私を無理やりにでも連れていこうと、こちらに向かってくるのが分かる。


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 でも、今はそんな事どうでもいい。

 口の中がカラカラに乾いていく中で、わずかに残った唾を飲み込んだ時…、それは音もなく飛び上がった。

「逃げろッ!」

 それは岩か何か…、そんな物が独りでに空へと飛びあがる事などあり得ない。

 ただ飛び上がった訳じゃない、それは空高く上がった後、私の方に向かって落ちて来た。

 瞬く間にこちらに落ちてくるソレ、とにかく大きい何か。

 私はとっさに持っていた剣を放り、近くにいたシュンディと院長を抱えて、通って来た道へと跳んだ。

 その時、かすかに見えたイクシアは私とは反対方向に、その場から少しでも人を離そうと押し飛ばす光景だった。


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 ガシャンッ! ガチャンッ! と大きな音を立てて、落ちてきたモノは瓦礫の山を作り出す。

「トフラさん、シュンディ、怪我はない?」

「え、ええ、大丈夫」

「僕も…、少し足を擦りむいた程度だ」

 その2人の言葉に、私は胸を撫で下ろす。

『フェリッ! 無事か!?』

 そして、私が確認するよりも早く、瓦礫の山を挟んだ反対側から声が響いてくる。

「こっちは大丈夫、そっちはっ!?」

「飛んできた建物の瓦礫て何人か怪我した! 急いで孤児院に連れていきたい! 瓦礫の山を越えてこれるか!?」

「わかったっ!」

 イクシアの言葉の後、それを見て、飛んできた瓦礫の山が何なのかを理解する。


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 均等に形作られたレンガとでも言える石が、無数に散らばって、見るも無残な状態になっていた。

 瓦礫は、私の身長と同じぐらいの高さの山を作っている。

 普通なら、無理せず迂回路を探すけど、この世界では、この程度の山は人1人抱えてだって跳び越えるのは容易だ。

 私は近くに落ちている自分の剣を鞘に納めて、まずは院長を向こうへと送るために、抱きかかえる。

 言うなれば、お姫様抱っことでも言えるソレも、こんな状況では嬉しくない。

 そして、いざ行こうとした時、新たな問題が動き始める。

 ドスンッドスンッと何か重い物が何度も何度も地面を踏みつける音が、何かのカウントダウンかのように周囲に響いてきていた。


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 その正体が何なのか、想像に難くない。

 答えを知らない私でも察しが付く。

 この島で普段そんな音を立てるようなもの見た事が無いし、必然的に音の正体が、今この島にある異常へと誘導される。

 瓦礫の山を正面に置いた時、それは右側…真横から聞こえていた。

 誰もが息を飲む瞬間。

 私はできる限り音を立てず、一足飛びで院長を瓦礫の反対側に渡し、早くシュンディもと思って、少女の元に戻った時、そいつは姿を現した。

 音なんて雨の音で掻き消える程度のものしか立てていない。

 その存在は初めからこちらの存在に気付いていた。

 迷う事無くここに来ていたのだ。

 ガシャンッとか、ドカンッとか、映画とかでよく聞く音、でもそれは普段の生活で聞くような音ではない、どういう音なのかなんて理解できない。


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 すさまじい衝撃と共に、ちょうど瓦礫の山の真横に合った建物が崩れ去り、現れたのは見上げる程の巨体。

 そいつは、建物なんて、ただ自分の背丈ほどの草花としか思っていないかのように、容易く崩して見せた。

「ゴ〇ラ?」

 正確には違う…、現実で目の前の巨体のような生物は存在しないし、だから創作物でもなんでも、それに近しいモノを当てはめただけ、マグロを好んで食べそうとか…、そんな事を思わなくはないけど違う。

 黒い鱗や甲殻に覆われた巨大な生物、そう言ったモノに、反射的にそういう名前を付けたくなるだけだ。

『ブループだぁッ!』

 瓦礫の反対側、今となってはその巨大生物を挟んだ反対側と言った方がしっくりくるが、そういう事ではなくて、とにかく反対側から、その生物の名前を叫ぶ声が響く。


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 ついでにその生物の存在に恐怖し泣くかのような声も耳には届いた。

 私の隣で、腰が抜けたか、シュンディが力なくへたり込んで、すがる様に私の手を握ってくる。

 大の大人が上げる悲痛な叫び、子供は恐怖に負けて逃げる事を諦める存在。

 私も怖いと感じなくはないが、さっき感じた恐怖と比べれば、その巨体に対しての恐怖なんて、天と地の差だ。

 だから…違う。

 こいつはフェリスが恐怖した存在じゃない。

 周りが怖がりだしたせいで、逆に冷静でいられるのかとも思ったけど、最初に怖がっていたのは私なのだから、同じ恐怖だったら私も怖がっていないとおかしい、だからこいつじゃない。

 何より真に迫るモノがなかった。


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 翼をもがれたドラゴン…か、確かにその言い方はしっくりくる。

 人とドラゴンを足して2で割った様な感じだ。

 その大きさは、30メートルはあるか?

 そして、見上げる程の大きさのブループは、こちらに顔を向けていた。

 目が合う、視線が交差する。

 蜘蛛の子を散らすように、瓦礫の向こうから、一刻も早くここから離れようとする人の声、音が耳に届く。

 私に届いているのだから、耳が退化でもしていない限り、ブループもまた気付いているはずだ。

 なのに、そんな状況には目もくれず、ただただこちらを見続ける。

 まるで、何かを確認するかのように…、視線を動かさず…。

 その存在から逃げようという衝動が働かなかったがために、私から逃げる事もしない。


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 タイミングを逃した、目の前の怪獣と小さな人である私、その睨み合い、そんな我慢大会が続く。

『フェリッ!』

 その張り詰めた空気で動けなくなっていた私を、突き動かす声が響き聞こえる。

 とにかく大きく、ただ私に届かせる事だけを目的としたその声は、張り詰めた空気を閉じ込める風船に針を刺すが如きモノ。

『こっちは任せろ! お前はガキを守れッ!』

 その存在はちゃんとわかっていたはずなのに、目の前の存在が、私を見続ける存在が、その存在の認識を塗り潰していた。

 声は…、そのイクシアの声は…、その塗り潰していたモノを無理矢理に退かす声。

 私は、ハッと我に返る。

 自分の足元に崩れて座り込んだ少女を、相手から目を離さずに抱きかかえて、ブループとは反対方向へ一歩二歩と後退し、その距離を離していく。


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 野生動物と目を合わせてしまったら、絶対に背を向けるな…なんて、現実世界の動物を基準にした対処法などが、意味があるとは思えないが…。

 まず体の大きさが違う訳で、まともに逃げた所で、相手が本気で移動したらすぐに追いつかれる。

 でも今この瞬間、相手が私との距離を詰めようという気配はない。

 なら、この行動には意味があるはずだ。

 ある程度離れた所で、建物の間、細い路地が尻目に見える。

「シュンディ、どこでもいいから、雨合羽でも鎧でも服でも持って、しっかり掴まってて…」

 ブループの開かれた口の隙間から見える、並んだ鋭利な牙。

 今更ながら、何を思って私はこんな奴と視線をかわしたのか…。

 今となってはなんて無謀な事だろうとしか思えない。


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 ブループに対して、動きが鈍るような恐怖を感じていないという点は、救いの一言だ。

 そういったゲームやアニメ、映画を多く見たがために実感が沸かないからか、はたまたフェリスのおかげか…いや、その答えはもう出ているな。

 フェリス様様だ。

 私はブループから視線を外す事なく、深く深呼吸をする。

 シュンディを軽く、そしてしっかりと抱きかかえ直し、頭の中で3…2…1と数字を数え、0になった時、その時が来た…と自分に言い聞かす。

 意を決し、全身に魔力を込めて、全力で横の路地へと入った。

 イクシアとの訓練の成果、自分の体、全身を流れる魔力の感覚は良好、身体能力向上、今ならオリンピック選手が相手でもその辺の子供と競う程の差を簡単につけられるだろう。


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 建物の間を縫うように進む。

 このまま孤児院に行っても、それは殺人級の問題、戦犯になってしまう。

 少しでもブループにこちらの存在を見失わせるため、取った行動だった。

 雨の影響で、視覚、聴覚、嗅覚だって、こう動かれては意味を成さないはず。

 道の中央を流れる水路を跳び越え、先の路地を抜けて大きな道に出た所で左に曲がるが…。

 ガシャンッ、大きな音を立てて、横にあった建物だったモノが、崩れ飛ぶと同時に道を塞ぐ。

 そして前方に現れた黒い巨体は、私の行動…考えなんて無意味であると言わんばかりに、堂々と立ちふさがった。

「なんでっ!?」

 大丈夫だと自分に言い聞かせ、納得できた束の間の出来事に、思わず動揺の色が言葉となって漏れる。


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 そして、息をつく間もなく、黒い巨椀が振り下ろされた。

 とっさに後ろへと跳び、さっきまでいた場所の地面、岩が砕けるのを目の当たりにする。

 なんて馬鹿力、体の大きさは伊達ではないという事か。

 続けて、巨椀を横に振るう。

 まるで、まな板の上に乗った刻んだ具材を皿に移すかのように、並んだ建物の屋根を削り落とした。

 瓦礫と化していく屋根の破片は、ただ落下してくるのではなく、明らかにこちらに敵意を持った凶器となって襲い掛かる。

 来た道を戻る、生き埋めなんて御免だと、転がり出るように全力でそこから離れた。

「シュンディ、大丈夫か?」


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「う、うん…」

 視界がぼやける…。

 後先考えずに出てきたせいで、シュンディが怪我をしていないか、それも心配だ。

 少女の言葉を聞くと同時に、自分の目で確認しようとするも、わずかにピントがズレ、左目の視界が赤く染まる。

「あんた、血が…」

 雨とは違う…。

 粘り気を帯びた何かが額を伝い、頬を通って顎から地面に落ちる。

 ぼやけて見える表情からも、シュンディが動揺しているのが分かった。

「…ッ!?」

 しかし、それに対応する時間はない。

 私は、怪我はするなよと願いながら、その場から放すために少女を離れた所へ投げる。


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 視線を…体を巨体の方へと向けた時、視界は黒一色、色を認識した時にはもう遅かった。

 急いで移動しなければと、全身の魔力を奮い立たせたけど、そんな事は関係ない。

 全身に強い衝撃が襲い掛かる。

 体中の空気か外へと逃げ出して、自分の体が宙を舞う。

 どこが上で…、どこが下か…、どっちが右で、どっちが左?

 上下関係も前後左右もわからず、浮遊感が私を支配し、その気持ち悪さを味わった後、ガシャンッと私の体は落ちた。

「ぐ…」

 落ちた場所が斜面で、ゴロゴロと転がりそうになるのを、自身の爪を突き立てて耐える。

 重りでも付けているかのように体は重かった。


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