第八章…「その冷たい雨が招くモノは。【2】」
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「例えばって…、あれですよ。今みたいな状態とか、膝の上に座るなり、膝枕するなり、そう言うのってやってあげたいからする訳で、相手もそれを喜ぶ。つまり両者とも得るモノがある訳で、幸福感を味わえているんだから問題ない。そもそも疲れる事が分かっていてやってるんだから、疲れた所で嫌に感じないって事」
「確かにその通りだ。私がフェリ君に膝枕をしてあげた時も、疲れたと思いはしても止めたいとは思わなかった。良い回答だよ」
「良い回答って…。その質問に一体何の意味が…」
ドゴオオオォォォーーーンッ!
それは唐突に、和やかなこの部屋の中にまで、轟音を響かせた。
何かが振って来たかのような音、何かが壊れたかのような…普段聞き慣れない音が響き、部屋の中にいた全員を驚かせる。
「すごい音だな。雷でも落ちたか?」
「それならいいが、雷にしては音の雰囲気が違う。あと、雷で物が壊れる事は確かにあるけど、それなら複数の音が連続して聞こえるはずだ。それだけの威力を持った雷が落ちていればだが」
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「確かに」
エルンが、濡れる事を気にせず、窓から頭を出して外の様子を伺う。
「せっかく拭いたのに、また濡れるぞ?」
「濡れるぐらいで済むなら問題ないさ。また拭けばいいだけだからねぇ」
「そう…。で、何か見える?」
「いや、全然。だからこそ嫌な予感はするけどねぇ」
「まぁさっきのが雷なら。大なり小なりまた雷が振ってきてもいいけど、その気配もないな」
私は自分の上に乗ったままのリルユにどいてもらい、エルンの横から同じように頭を出して外を見る。
相変わらずの土砂降り、朝日が昇りきっていない早朝のような薄暗さ、吹き荒れる強い風が、地面に溜まった水に当たって波を作り出す。
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嵐特有、豪雨の時の風景だけが、視線の先に広がっていた。
「と言うか、さっきのも雷にしては光らなかったな。雷でなかったら、まるで岩でも降って来たみたいな音だ」
何度か周囲に異変が無いかを見て、不審なモノが無い事を確認し、戻ろうとした時、視界の片隅に何かが写る。
こんな薄暗い状態だったからこそ見えた僅かな光、それはちょうど窓から11時の方向、工場区の方だ。
「エルン、今の見えた?」
「見落としかねない程だが、何かが光ったように見えたねぇ…」
「ここでは雷は降るものじゃなくて、地面から生えるように出るモノか?」
「何を訳の分からない事を言っているのさ。そうなったら、それはもはや雷ではない全く別のモノになる」
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「それもそうか。それでさっき…今の光は?」
再び何かが発光し、今度は一度ではなく二度三度と、その小さな光がこの薄暗い空間に灯される。
「音は…雨でかき消されていて聞こえないねぇ。でもあれは間違いなく戦闘の光だ」
「せんとうって…あの戦闘?」
「そうあの戦闘だ。さっきの音といい、おそらく訓練じゃない本当の戦闘。こんな天候での訓練はある意味で良い経験になるかもしれないけど、ここの連中にはそんな度胸は無いだろうし、そもそもやるという話を聞いていない」
「マジか。でも、何との戦闘なの? まさか戦争が再開されたとか?」
「それこそまさかだが、長く休戦が続いた状態で、なおかつ敵国と一番離れた位置、正直、軍の中でも一番腑抜けているこの島の不意を突いての強襲は、あながちあり得ない話ではないかもねぇ。敵国と離れているといっても、有人島として成立している場所だし、占領されたとなれば最低でもけん制になる」
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「でも一気に攻め込むにしても、こんな嵐の時に船でなんて、相手にしてみても無傷で済まないんじゃ」
「まぁ船での移動は転覆の恐れが高い、こんな天候でやる事自体自殺行為だな。なんにせよ、何かが起きている事に変わりはないさ。フェリ君は何が起きてもいいように準備をして」
カンカンカンカンッ!
その時、雨にも負けないぐらい大きい鐘の音が、街中に響き渡る。
何となくだけど、この音には良い印象を持てそうにない。
「警鐘を鳴らす程の事態? いよいよ嫌な予感が的中するかもねぇ」
エルンは眉間にシワを寄せて頭を室内に引っ込める。
そして、外の様子が気になる子供達の意識を自分に向けさせるため、パンッ!と強く手を叩いた。
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「子供ら、外が気になるのもわかるけど、警鐘が鳴った時どうするかは院長から聞いてるだろう? 小さい子は大きなお兄さんお姉さんの話をよく聞いて準備してねぇ。返事は~?」
「「「は~い」」」
首を傾げる子供もいれば、何が起きているかわからなくても、自分のやるべき事を思い出して動き始める子もいた。
実感が沸いていないからこそ、動ける子もいるという状態だろうけど、まずは一安心だ。
トフラの子育ての賜物と見た。
「お昼ご飯はまた後で。フウガは子供達の準備を手伝ってねぇ。フィーとフェリ君も何が来ても問題ないようにできる限りの準備をする事。いい? 何が来てもだよ~?」
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口元に笑みを浮かべて、エルンは私の肩をぽんぽんと叩く。
何が起きているかわからないからこそ、他人に不安をまき散らす訳にはいかない、そのための笑みなのか、でも正直私には不適…不安に感じる笑みにしか見えなかった。
「テル、リルユを任せた。私も準備してくるから、何かあったらフウガかエルンに聞いて? 返事」
「うん」
テルは私の行動に頷き、それをちゃんと理解できていると証明するかのように、リルユの手を握る。
「できた弟だ」
小さいながらも頼れる弟の頭を撫でて、私はフィアと一緒に部屋を出る。
向かった場所は私達が借りている部屋。
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「なんだかよくわからない状態になったな。おかげで緊張感も何もない」
「事態が把握できず、被害がどれほどなのかもわからない、なのでそう感じるのは仕方ありません」
「驚き半分、戸惑い半分て所かしら。あの鐘ってよく鳴るモノなの? 私が記憶している限りだと、そんな事ないんだけど」
「まさか。あれは緊急事態である事を知らせるためのモノですし、下手に鳴らせば住民の動揺と混乱を誘うだけです。なので、鳴らす際は十二分に注意するはずですよ」
「まぁそうだよな」
現実だって、注意報だのなんだのを鳴らしはするけど、今すぐ逃げろ、なんて事を放送しないし…、でも、平和ボケしちゃってると、何が起きても信じないし疑わない、そもそもあり得ないと突っ放しかねない。
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だからこそ、事態を把握した瞬間に起きる混乱は、事態をただただ悪化させて怪我人を増やす。
それが一番の懸念、警鐘を鳴らすか否かを分ける点だ。
今のところは、私もいつも通り平静を保ってるけど、それがいつ崩れるのか気が気じゃない。
その点においては緊張しているかな。
部屋につき、不慣れながら自分の…フェリスの装備を身に着けていく。
胸当てに籠手、具足、金属が所々でぶつかってカチャカチャと音を鳴らす。
その音は自分が戦士になっているようで、耳に心地良く響くモノだったけど、状況的に喜んでいられないのが残念だ。
メインだろう両手剣を肩から下げて、腰には短剣、背中には白い剣、抜かりが無い事を確認して、武器を1つ1つ問題なく抜く事ができるかどうかと、何度か鞘から抜いたり入れたりを繰り返す。
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武器を鞘に納める行為なんて、やり慣れているはずもないが、滑って手を刺すなり切るなり、残念な負傷をする事は無かった。
「フェリさん、準備できましたか?」
「ああ。装備が来てから、毎晩寝る前に付けて外してを繰り返した甲斐あって、フィーの助けは必要なくなったよ」
「助けと言っても、基地で私が手伝って以降は、わからなければ助言する程度で、全部自分でやっていたじゃないですか」
「それはそうだけど、今日は何も聞かずに完璧に熟せた。これは結構な進歩だ」
「まぁ昨日は数歩歩いたら短剣が落ちたりしていましたし、それを考えると確かに」
「だろ? 戦闘の方よりも、出来てる事がハッキリと出て嬉しい限りだよ。戦闘も個人的には進歩していると思うけど、全然ダメ。イクに勝つ、みたいなハッキリとした成果が見えない事には、実感として沸いてこない」
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「求めてるモノの難易度が違い過ぎます。焦らず地道かつ丁寧に…」
ドゴオオォォーーンッ!
それはさっきよりも小さいものの、決して穏やかではない音。
その音に対しての認識が変わったからか、確かにそれが雷とは別の何かである事が、今度はハッキリとわかった。
『フイイイィィィーーーーッ!!』
その雷に似た音がまた聞こえてこないかと耳を澄ませていたばかりに、その後に聞こえてきた声はかなり頭に響いた。
心配してるからこその呼びかけ、心配しているからこその大声、とにかく心配している事はわかったが、その声…行動は大げさ過ぎだ。
ドタバタと騒々しいにも程がある音を鳴らしながら、この部屋の前まで来た所で、そのうるささに声を上げた。
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「うるさいっ!」
しかし、私の言葉が耳に届いているのか疑問な程、彼女…イクシアは横をすり抜けて、後ろにいたフィアに抱き着く。
そして何度も、上から下、下から上と彼女の状態を確認していった。
孤児院に何かしらの被害が出ている訳でもないし、戦闘が起きているとしても、完全に戦闘エリア外、フィアに怪我なり何か異常が出ている訳が無いのだが…。
その心配のおかげで、せっかく戦闘ができる格好になったフィアはびしょ濡れだ。
何かの皮で作られた雨合羽みたいなマントから流れ落ちる雨水が、ある意味で別の問題をこの孤児院にまき散らしている。
「イク、ちょっと、落ち着いて!」
今回ばかりは彼女の心配も過度なのか、さすがのフィアも困り顔だ。
彼女の事となれば我を忘れるイクシアの姿は、過去に何度も見てきたけど、今回のソレはいつも以上に過剰、それだけでも彼女の心配具合がうかがえる。
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フィアの事を確認した後でも、あれだけ動揺し続ける辺り、それだけ今起きている問題は、大きいモノだと証明しているのかもしれない。
「まずは水除を脱いで、濡れた場所を拭いてください!」
「はっ!? ご、ごめん」
まるで叱られた犬みたいだ。
さっきまで心配が足を生やして走って来たような状態だったイクシアが、フィアの言葉に一瞬でその文字を消し去った。
急いで走って来たのだろう、雨合羽のフードは後ろに外れ、頭部はびしょ濡れだ。
フィアから受け取ったタオルで髪、顔、濡れた服を拭いていく。
「落ち着きました?」
「うん」
「では、状況は把握できていますか?」
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「だいたいは」
「何があったのですか? 何か戦闘が起きているようだってエルンさんが言っていましたけど、何が攻めてきたのですか? まさかオラグザーム?」
「いや、違う。相手は人じゃない、「ブループ」だ」
その名を聞いて、何か胸が締め付けられるような、息が詰まるような感覚が私を襲うものの、私の頭には?マークが浮かび上がっていた。
多分そんな状態になっているのは私だけ、フィアは状況を理解したのか、普段見せないレベルの真剣な表情を浮かべる。
唾を飲み込み、眉間にシワを寄せ、普段の可愛らしい表情は見る影もない。
頼りがいのある顔に見え、そして、それと同時に恐怖を押し殺しているようにも見えた。
「それでイク、本当にブループが出たのですか? 確かに嵐が来ていますし、条件はほとんど満たしているかもしれませんけど…」
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「確かだって、この目で確認した」
「そう…ですか。やっぱり急ごしらえの「魔力避け」では効果が…。フィーはこの事をエルンさんに伝えてきます。他に伝達事項はありますか?」
「問題が住宅街と基地との間の工場区で起きているから、基地に住民を避難させるのは危険。この住宅街の中で一番大きな建物がこの孤児院で、ここを中心に住民を避難させて守るってさ。他の住民には軍人連中が言って回ってる」
「わかりました。では、イクはちゃんと体を拭いて準備、疲れを少しでも取って体調を整えてください」
フィアはそう言い残して部屋を出ていき、名残惜しそうに扉を見続けているイクシアに、私は彼女の荷物を持っていく。
「とりあえず、その名残惜しそうに伸びた手を動かしなさい」
「フェリに言われなくたってわかってる」
私が差し出した服を、ひったくる様に奪い、濡れた服を着替えていく、その光景を見ていて、僅かな違和感を覚える。
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気のせいだったかもしれない、そう思える程、僅かな異変、服を持ったイクシアの手が一瞬だけ震えたように見えた。
緊張からか、それとも恐怖か、フィアが出て行ってしまったからなんて事は無いだろう、寒さで震えたというのなら一瞬ではなくはっきりと目に見える形で出るはず、その一瞬の出来事は部屋の空気を一段と重くする要因となる。
私の知っている範囲でのこの世界は、まだまだ狭い、その中で私にとっての強さの象徴はイクシアだ。
彼女が動揺し、一瞬であっても震えるような状態。
それは、事態が私の思っている以上に悪い方向へと向かっている証明か…。
「ブループっていうのは、そんなに危ないモノ? あなたが怖がるなんて相当だと思うけど」
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「怖がる? 怖がる…か、確かに怖い」
「それを覚えていないから、いまいち実感が沸かないけど、それならしっかりとしなきゃいけないわね。それで、そのブループって何なの?」
「怪物だよ。怪物」
「怪物…か」
俺もその名前には心当たりがあった。
記憶が正しければ、ブループと言うのは、クジラか何かの鳴き声に似た音の事だった気がするけど、一部じゃ海底に生息する巨大未確認生物の名前でもある。
前者は置いておいて、後者であるとするなら、数段どころか数十段上がって緊張感が増す。
緊張もそうだけど、何より未知の存在に対しての恐怖が、その要因の大半を占めている。
分からないモノは怖い、それが怪物なんて呼ばれているのなら、なおさらだ。
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「海の捕食者、翼をもがれたドラゴン、言い方はいろいろあるけど…」
「・・・それって魚が取れなくなるで有名な奴か?」
「そう」
「なるほど、確かに色々な呼ばれ方をしているみたいね。それで正式名称がブループか」
「難しい事はよくわからないけど、いつもなら魔力避けを使って島の近くに来ない様にしてるらしい。今回はいつもより時期がズレて、大急ぎで準備したけどブループが近づき過ぎたのか、それとも魔力避け自体に不備があったのか、その防護策を突破された」
「これからの対処法は?」
「ブループの討伐、それか撃退、最悪な流れは島の壊滅からの本島へ避難。とにかくそいつを島の外に出す事が最善策」
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「穏やかじゃないな」
「当たり前。ブループが島に入ってくる事に比べたら、魚が取れなくなるなんて些細な事だ」
自身の装備を付け終わり、トントンッと足踏みをしながら、具足などの装備の状態を確認して、満足いく状態になったのか、イクシアはグイッと伸びをする。
良し、と小さい声で自分にOKをだし、壁に立てかけてあった得物を手に取って、部屋を出ていく。
「じゃあ行くぞ。フィー達の所に」
上半身だけを捻って振り返り、こっちに来いと手招きするイクシア。
私は一度深呼吸をして後に続く。
皆がいる談話室に着くと、その入り口でエルン、フィア、フウガ、そして軍人なのか、以前基地で見た鎧を身に纏った男数人が話をしていた。
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「フェリ君、気分はどうだい?」
「え? 今のところは問題ないかな」
「ほ~、それは良かった」
戻って来た私に対しての挨拶代わりだろうか、そんな言葉を交わした後、エルンは現状の話し合いをしていたと説明してくれた。
と言っても、何がどうなっているかは、イクシアから聞いた話以上の事は出ていない。
「なに、心配する事は無いだろうさ。相手は相手だが、上陸した場所は工場区、少なからずそれ対策の道具を作っている工場もあるし、撃退をする事は不可能じゃない」
そう言ってエルンは私の肩をポンポンと叩く。
体調を気にかけて来てどうしたのかと思ったけど、どうやら彼女はブループが現れた事による精神的な不調を気にしてくれていたようだ。
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だから、少しでも安心させるために大事にはならない事、その理由を説明してくれた。
「もう少しすればここに住民達が避難してくる。フィー達はここで大事が起きない様に守るのが役目だ。わかったかな?」
「ブループを撃退する人員とは別に、避難を促している部隊もここの警備に合流、それ以外にもいくつかの部隊がこちらに向かっている所だ」
エルンの言葉に付け足すように、軍人の男が説明してくれる。
さっきまで緊張感はあっても、深く感じていなかった私だったが、イクシアとの会話や、この場の雰囲気に呑まれるように、胸の鼓動が強くなっていくのを感じた。
一人、また一人と孤児院に人が集まっていく。
夢でも現実でも、なかなか見ないその光景、子供は普段と違う事自体に不安を感じる子もいれば、それ自体を楽しみ気楽にしている者もいる。
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