第八章…「その冷たい雨が招くモノは。」


 ガタガタと閉ざされた窓の板が音を立てる。

 大粒の雨、地面や壁に当たり続けて、外の音を掻き消していく。

 聞こえてくるのは、自分がいる孤児院の建物の中、それも一部屋分の音だけ。

 そう感じさせるほど外の音が強く、そして激しい。

 トフラに聞いた雨の話、疑うつもりは無かったけど、天気予報すら見られないこの世界では、どうしても言われただけでは信用できなかった。

 昨日1日現実世界で生活をして、今日こちらで目を覚ますと、外は見事なまでの土砂降りだ。

 残っている昨日の夢の世界での記憶、夢から目を覚まして夢は見ていないはずなのに、ここで目を覚ます度に、ここで昨日を過ごした記憶が頭を流れ、時折目を覚まさずに現実が夢なんじゃないかとさえ思えてくる。


---[01]---


 それはまぁ逆もまたしかりだけど。

 夢を見ていた間の現実での時間も、夢から覚めた瞬間に現実の昨日の出来事が頭に流れ込む。

 そのおかげか、夢での違和感と現実での違和感、2つがうまく潰し合ってくれて、ここは夢なんだと確信は持てている。

「…ぃに」

 まぁそんな事は置いておいて、とりあえず今だ。

 昨日の記憶から、昨日の早朝に風が強くなり始めて、昼頃からポツポツと雨が降り始めたらしい。

 その日1日は普通の雨だったけど、夜の内に天候は一変、雷こそないものの、激しい風と雨が夢の世界を襲い始めていた。

 まさに院長が言っていた通りに天候が変わった2日間だ。

 魔力の流れを見る、その真価の一端を垣間見た…そんな気がする。


---[02]---


 夢から覚めていた間の夢での出来事、言葉にすると、正直お前は何を言っているんだとツッコミを入れたくなるが、それは私からしてみれば今更、日常の一部だ。

 そんな日常と化した記憶を整理していたけど、間が悪かった。

「にぃにっ!」

 私の膝上に座っていた天使が、なかなか自分の呼びかけに答えてくれない私に、痛くはないけど容赦のなく拳を落とす。

「うひゃいっ!?」

 叩かれた事よりも、その子の私を呼ぶ声に驚いて、らしからぬ声を上げてしまった。

「にぃにのばん」

「え? あ~ごめんごめん」

 ここは、外に出られない暇を持て余す子供達が集っている談話室。


---[03]---


 テーブルを孤児院の年長者達と、他フィアと私を中心に囲って、ボードゲームをしている真っ最中だ。

 ボードゲームといっても、やっているのは言うなればすごろく、膝の上に座るリルユは、ルールを把握していないけど、やりたいと駄々をこねたから私と一緒にやっていた。

 そんなリルユが、次はねぇねがやってと言っていたのだけど、見事に自分の世界に入ってしまっていたらしい。

「フェリさんて、朝はよくぼ~っとしてますよね?」

「そうかな?」

 サイコロを転がし、駒を進める中、フィアが疑問を口にする。

「はい。ご飯を食べる前とか、出かける合間の空いた時間とか、よく外を眺めながらぼ~っとしています」

「そこはせめて、物思いにふけっていると言ってほしいな。ぼ~っとしてるってだけだと、なんか聞こえが良くない」


---[04]---


「もし悩み事があれば相談に乗りますよ?」

「別に悩み事って訳じゃないわ。ただ、昨日何があったかなって記憶の整理をしているだけ」

「記憶の整理? あんたそんな柄じゃない事やってんだ」

 フィアが本当に心配そうな表情でこちらを伺ってくる中、ちょうどテーブルを挟んだ向かい側に座るシュンディが茶々を入れる。

「柄じゃなくて悪かったな。記憶って大事なモノだぞ? 自分の体に残せる数少ない情報なんだから」

 それっぽい事を並べてみても、私の場合は大切な記憶と言うよりも前日のおさらいというか、言うなれば思い出しているだけで、思い出整理じゃないんだけどな。

 それでも言っている事は本当に思っている事、ある意味、この夢自体が俺にとっての記憶保管庫のようなものだ。


---[05]---


 膝の上に座ってすごろくの盤面を見続けるリルユに、抱き着くように腕を回す。

 この感触、肌触り、そして匂い、まさに現実の雪奈そのものだ。

 ここがあるから、大切な家族の温もりを忘れずに済んでいる。

「それにしても、ある意味で良かったですね」

「何が?」

 自分の番が来たからと私の横で駒を進めるフウガが、こちらをチラチラと視線を向ける。

「テル君とリルユちゃんの事。こんな天気なのは残念だけど、そのおかげで、帰る予定が延びて、こうして一緒に遊べてる」

「確かに。離れがたいこの抱き心地」

 フウガの言葉に、このリルユの感触がさらに貴重に感じて、手に力が入り、さらには自分の頬を天使の頭に重ねた。


---[06]---


 髪のくすぐったさにその匂い、リルユがさらに身近に感じられて幸せだ。

 昨日帰る予定だった2人だけど、天候不良で本島への便が無くなって、今もこうして一緒にいられてる。

 ちなみにテルは椅子に座って読書中だ。

「ははは…、フェリさんは本当にリルユちゃんの事が大好きなのですね」

「ホント、キモいぐらいよ」

 私のリルユに対してのスキンシップに、軽く引いているフィアに、完全に軽蔑の目を向けるシュンディ。

 彼女に関しては元々、良い視線を送ってきてくれた訳じゃないけど、それでも私に対してはその辺の視線の種類が増えた気がする。


---[07]---


「まぁ行動が過度なのはわかる。あ、リルユ、サイコロ振って。まぁ二度と失いたくないし、一緒にいられる間だけでもこの感触を味わわないとね」

「フェリさんは子供が好きなのですか?」

「ん~、嫌いじゃないかな。むしろ好きな方だと思うけど」

 俺の曖昧な記憶をたどる限り、中学の時に言った研修で保育園を選択した程度には好き。

 それがだいたい5年前、秋辰もまだ小さかったし、あと雪奈が生まれる事もあって、良い機会に子供の世話を学ぼうって行った研修だ。

 そういう経験を経た結果、いよいよ子供が好きになってきて、ここだけの話、俺は保育士にでもなろうかとさえ思った時期がある。

「一応言っておくけど、許してくれるならここの子達に対しても、同じ対応をするわよ? リルユ達は確かに特別かもしれないけど、だからと言ってひいきにするつもりはないからね」


---[08]---


 今のこの状態、これはリルユの方から甘えるように膝の上に乗って来たからであって、これが孤児院の子、トーリとか、デリカとか、とにかく別の子だったとしてもリルユと変わらず相手をしていたと胸を張って言える。

 それが例えシュンディであっても…。

 むしろ彼女がそんな事をしてきたら、真剣に可愛がるかもしれない。

 まぁそんな気配は微塵もないけど。

「自意識過剰じゃないの、その言葉」

 私に甘えるなんてあり得ない、それを証明するかのように、彼女から言葉が飛んでくる。

「そう? 別にシュンディがリルユみたいに甘えて来てくれれば、私は同じように可愛がってあげるけど」

「キモい事言ってんじゃねぇよ。医者にでも診てもらえ」


---[09]---


「相変わらず酷い返しだ事で」

 孤児院に初めて来た時より、シュンディとの距離が縮まったような、そんな気がするけど、今みたいに冷たくて棘のある対応をされると、まだまだ先が長いなって実感する。

 あとシュンディに限らず、数日生活を共にしただけの私に甘えてくる子供は多くない。

 仲が悪い訳じゃないけど、そういう関係に至っておらず、だからと言って私から子供達に対して、積極的な行動を取る事もできなかった。

 それは子供達が悪い訳ではなく、どこまで接近していいのか、私が距離感を掴めないから。

 子供達から寄ってくる事があれば、それに乗って遊ぶけど、その機会の少なさがさらに距離を感じる要因になっている。


---[10]---


 むしろ何だかんだ言って、孤児院の子供達だから…、これ以上傷つけちゃいけないから…と、距離感を作っているのは自分なのかもしれない。

 もともと大人しかったり、内気だったりする子が多いのかもしれないけど、何にせよ、子供達との仲を深めるのは課題の1つだな。

「それにしても、今日のリータさんは元気ですね」

「ホント、迷惑なぐらいな」

「子供達に本当の家族のように接してくれたら、確かにあの子たちも喜びますけど、今の状態で行くと嫌われかねない」

「いっその事嫌われて出て行けばいいのに」

「テル君たちがいてくれる事がそんなに嬉しかったですか?」

「こんな姉がいるんじゃ、むしろ弟達は災難かもね」

 災難とは失敬な話だ。


---[11]---


 災難だって思われてるなら、リルユのこの膝の上でゲームをしている事の説明がつかないだろうが、全くこちらが何も返さないからって言いたい放題言って…。

 まぁ、本気かもしれないけど、そんな冗談にいちいち返していたらキリがない。

 確かにテル達がいてくれる事は、私のテンションを上げる要因の1つではあるけど、それが全てじゃない、と思う。

 もし全てだったら、弟達が来てからの私はもっとハイになっていた可能性があるから。

 だから弟達以外のテンションを上げた要因を導き出した。

 そして、昼間にも関わらず薄暗い外を指さして一言…。

「天気のせいかな」

 弟達も理由の1つだって事は付け足して言ったものの、フウガ達は前者の言葉に余程驚いたのか疑問を表情に浮かべた。


---[12]---


「ホント、一回ちゃんと診てもらった方がいいんじゃないの?」

 ただ突き放すだけじゃない、棘はありつつもどことなく心配そうなシュンディの言葉が、軽く私の胸に突き刺さる。

 そんなにおかしな事だろうか?

 台風とか来たら、少なからずテンションが上がりそうなものだけど…。

 台風が来れば休校、いつもと違う風景に音、学校に行っているはずの時間にゲームができる背徳感。

 まぁその後に長期休暇が削られたりするんだけど、それを差し引いても台風が来た時の特別感は否定できない。

 台風=何かがある日っていう条件付けが、子供の頃からされているせいで、今のこの夢の世界の天候は、私のテンションを上げる理由の1つになっている。

 でも、それはあくまで俺の場合…現実の場合であって、夢の世界ではその考えは通用せず、フウガ達にも当然通用しないものだった。


---[13]---


 という事はだ…、テンションを上げた人が海に行って、波に攫われたってニュースなり…話題なり…が出回らないという事か、それは良い情報だな。

 でもまぁ、この場での私のテンションの上がり方がおかしい事はわかったけど…でも…。

「診てもらう必要はない。私はいたって正常だ」

 シュンディの言葉だけは否定しておかなければならない。

「おかしい奴が自分の事おかしいって言うと思ってるの?」

 酔い潰れた人が自分は酔っていないって言うのと同じ理屈か?

 それは早計と言わざるを得ない。

 酒を呑んでいて、しかも顔が赤くなっているからと言って、酔っ払っているとは限らないのと同じだ。

「何事も広い視野で物事を見なきゃね。自分にとってあり得ない事だからと言って、それが他人も同じ事とは限らないのさ」


---[14]---


「それなら僕は、あんたと分かり合えることは一生来ないね」

「それは困るな」

 次から次へとよくもまぁ否定的な言葉が出てくるモノだ。

 シュンディに対して諭そうとしてみても、全てが裏目に出ていく。

 彼女と打ち解けられる日はまだまだ程遠い。

 何かする度に距離を感じ続けて、正直疲れて来た感もある。

『人生盤か。屋内での遊びと言えば人生盤、鉄板だ』

「冷たッ!?」

 唐突に私を覆う影、それと同時に首筋へピタピタと何かの水滴が落ちてくる。

 急な出来事に誰かの声なんかよりも、自身を襲う慣れない感触に驚いて体が小さく跳ねた。

「あ~、ごめんごめん」


---[15]---


 声の主、私の不意を突いた犯人はエルンだ。

「エルンさん、どうしたのですか? そんなびしょ濡れで」

 朝食後、姿の見えなかったエルン、その彼女は朝食時よりもなぜか薄着になって、濡れた髪を拭きながら現れた。

 今が昼食のちょっと前ぐらいの時間、朝食後ずっと体の汚れを取るための水浴びをしていたとも思えない。

 水浴びをしながら寝ていたのなら話は別だが、彼女は医者な訳で、そんな風邪を引く事が確定するような真似はしないだろう…、しないはずだ。

 そうなると、フィアが口にした疑問は、彼女だけの疑問ではなく、ここにいる人間全員の疑問になる。

「ちょっと海の方にね」

「なんでまたこんな天気の時に海になんて…」


---[16]---


「それは簡単だ。なんかこう、こういう天気だからこそ、沸き上がってくる元気と言うか力があるのさ」

「患者も患者だけど、医者も医者なんだな」

 思わずため息がこぼれた。

 せっかく、私が変なんだと決着がついて鎮火に向かっていた火に油が注がれた…、そんな気がする。

 でも、そこに私まで油を注ぐように言葉を続ければ、それこそ面倒な事になるから、エルンを味方につけて、フィア達、特にシュンディに反撃したいという気持ちはあれど、その衝動を抑えておく。

「なんだ? 海に行ったってだけで酷い言われようだな」

「悪いのは海に行った事よりも、行った理由の方」

「行った理由? まったく話が読めないねぇ。別におかしな事じゃないと思うけどねぇ~。この嵐は海の変化点、変わる前と後が混ざった状態で興味深い。それに荒れた海を移動する生物の動きとか観察し甲斐があるぞ?」


---[17]---


 調査みたいなものか?

 これだけ荒れた天気なら、海の方もそうだと思うけど、そんな中で生物の観察ができるかどうかは甚だ疑問だ。

「という事は、フェリさんが嵐で元気になったのは、エルンさんのような観察ができるからですか?」

「え? あ~、うん。そんな所かな」

 的外れもいいとこだけど、そう言う事にしておけば、変なヤツ…というタグは取れる…と思うから、この波に乗らない手はない。

 俺は行かなかったが、台風で荒れた海を見るのは好きだ。

 そのいつも見せない顔を見せる海は嫌いじゃないし、それを見るのが好きという事はエルンの言う観察と似ているのかも。


---[18]---


「へぇ~、フェリ君もなかなかに通だねぇ。軍の人間でそういうのに興味を持つ人間なんてそう多くないよ? というか、それを知っていれば誘ったのに」

「それは、まぁ~。残念かな」

 できれば行きたくないけど。

 濡れるし、場合によっては降ってくる雨粒は痛いし、運が悪ければ波に攫われる。

 テレビで海の状況を見る程度ならいいが、ここでそれは望めない。

 この世界に科学力が欲しいと思う瞬間だ。

「ごーるっ!」

 そんな中、エルンの話には全く興味が無いリルユが、ばんざいをして嬉しそうに声を上げる。

 ゲームの残りのマスと同じ目を出したサイコロに、ボードゲームをやっていたメンバー全員の視線が向けられた。


---[19]---


 まぁ意識を別の所に持っていかれたからと言って、交代制、順番にサイコロを振っていく運ゲーなのだから、エルンとの会話に意識が持っていかれても大した問題ではない。

 でも、リルユのゴールした瞬間の喜びを共有できず、驚きが最初に来たのは残念でしょうがなかった。

 誰が悪いではなく、ただただ残念だ。

「リルユやった~」

 でも落ち込んでもしょうがないし、遅れてくる喜びだけでも共有しようと、ちょっとオーバー気味に喜ぶ。

「俺も上がりだ」

 次にフウガがゴールし、フィアとシュンディがお互いを邪魔し合う形で長々と戦い続けた結果、フィアが先にゴールした事で決着がついた。


---[20]---


 悔しさをにじみ出しながら恨めしそうな表情を向けてくるシュンディだが、ゴールを引き寄せたのが私ではなくリルユである事が邪魔をして、段々とただ悔しいだけの表情へと変わる。

「よし。キリが良いし、昼食の支度を始めるか」

 シュンディの悔しがる姿を一通り見終えた所で、フウガが立ち上がる。

 フィアもその準備を手伝うと申し出て、私も休憩がてら固まってきた手足を伸ばす。

 リルユを乗せた状態で手足をピンと伸ばし、仰向けに寝転がりながらその気持ちよさを堪能、リルユはそんな私の上に体を倒して、ちょうど頭の位置に来る胸を枕代わりに自分も手足を伸ばし始めた。

「子供とはいえ長時間膝の上に乗せていると疲れるだろう?」

「それはそうだけど、そう言うのって幸せな疲れじゃないかな」

「ほう、例えば?」


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