第八章…「その冷たい雨が招くモノは。【3】」
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大人はそのほとんどが事態を把握し、察し、恐怖と戦おうともがく様が顔に出ていた。
子供がいる者は、子供を不安にさせてはいけないと頑張っているが、それでも優しい言葉を掛ける事が精一杯で、その顔は暗いまま。
濡れた体を冷やさせまいと、手ぬぐいなり、孤児院にある物を総動員して事に当たる。
私は、避難してくる人に何かを渡す度に、何か押しつぶされそうな感覚に襲われ、ただただ悔しさを覚えた。
「フェリさん、何か難しい顔をしていますけど、大丈夫ですか?」
そこへ手ぬぐいを配り終えたフィアがやってくる。
「ちょっとね」
「こんな状況ではできる事が限られますけど、相談に乗るぐらいの事は出来ますよ?」
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「・・・それが必要なぐらい今の私は難しい顔をしてた?」
「はい、それはもう」
「そう…か。気を付けないといけないな。大した事じゃない…と思うけど、何だろうな、この光景を見ていると無力感に苛まれるんだ。頭ではまだ状況を全て把握しきれていないけど、この光景はあってはならないと、何かが訴えてくる」
「それは、記憶が無くてもフェリさんが戦える人間で、今までその力で沢山の人の助けになって来たからですよ、きっと。頭では自分がすべき事を見失っていても、今までの経験が染みついた体は進むべき道を覚えているって事だと思います」
「そうなのかな? でも、自分が何でそんな感情を抱いているのか、それを考えるとなんだか恐怖を感じる。知ってはいけないのか、思い出したくないのか、フィーの言葉を借りるなら体が拒絶をしているみたいな…」
「フェリさんは大怪我をしましたから。恐らくそれが尾を引いているのではないですか? でも恐怖心は大事な感情です。やりたいと思うのに、それが怖くてできない。それは正常な反応だと思いますよ」
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「確かに、それもそうなんだけどさ」
普通なら、そう考えて終わりだけど、なんだかスッキリしない。
恐怖と言う感情があるのは確かだけど、それ以外に、誰かに引き留められているような、何か恐怖以外の意思にも似た何かに怯えるような、そんな感覚すら覚える。
「精神や心は、体の外的な傷以上に治りにくいモノです。フェリさんは身体の怪我は確かに治っていますが、心の傷は記憶の件も含めて完治していません。だから、ゆっくり行きましょう。とりあえず今は、目の前の事に対処していくのが最優先です」
フィアは、そっと私の手を取って、少し強いと感じる程度の力で握る。
そして優しく微笑みながら私の顔を覗き込んだ。
「うん。そうね」
その言葉に頷くと、彼女もまた嬉しそうに頷き返した。
「では、私は他に使えそうな物が無いか探してきます。誰か…イクとかが私を探していたら2階にいると伝えてください」
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「わかった。でも、私も今持っている物を配り終わったら、そっちの手伝いに向かうよ」
「ありがとうございます」
大袈裟に頭を下げ、小走りでこの場を去っていくフィアを、軽く手を振って見送る。
そして、手に残った手ぬぐい…といっても10枚もないんだけど、それを配る作業に戻った。
そんな中で、周囲の状況を頭に入れておこうと視線を動かす。
避難はここを中心に遠い家の人達を集めていて、ここの近所の人間は自宅で待機、そういう理由もあってか、少ない訳ではないけど、思っていた程には人が集まってきていない。
基地があるにしても、さほど大きな島、町ではない事がこれを見ていて思う。
軍人を除けば、町と言うより村といった方がしっくりくるかもしれない。
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「ふぅ…」
持っていた物を全部配り終え、その終わりを実感するように息を吐く。
談話室を覗き、テルとリルユが孤児院の子供達と遊んでいる光景を見て、それがまた私の安心材料となる。
異常はないかと、フィアの方へと行く前に談話室を含めて周囲を確認していくと、そこにいるべき人間がいない事に気付いた。
もう一度周囲を確認し、談話室とは反対の方向へ歩いて行く少女の見つけ、急いで向かう。
「シュンディ」
談話室にいるはずの人間、シュンディは私の呼び声に、一瞬だけ肩を震わせてゆっくりと顔を向けてくる。
「な、なによ、あんたに用はない」
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いつも私に対しては不機嫌な顔と言葉をぶつけてくる彼女だが、今回のはさらに磨きがかかっていた。
目つきは今にも噛みついてきそうな程だ。
「用っていう程じゃないけど、今は緊急事態、できる限り一か所に固まっていないと。私を困らせるのはまだ許してあげられるけど、他の人が許してくれるかはわからないわ」
「だから何だよ。厠に行ってただけ。いちいち説教される事じゃない」
さっきボードゲームをやっていた時は、少しは距離が縮まったかなと思ったけど、今の彼女はその真逆を進んでいるといった感じだ。
「本当に? 厠って談話室の隣にあって、あなた、今その反対側にいる訳だけど」
「うるさいっ! あんたには関係ないだろ!」
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「反論せずに大声を上げるのは良くない。自分の立場を危うくするだけだ」
私は少し屈んで、彼女の視線に自分の視線を合わせる。
いつも大袈裟に、そして荒く動く事の多いシュンディだけど、それは結局感情の発露。
私達が初めてここに来た時は、知らない人間で自分達に害を成すかもしれないという恐怖から、フウガを蹴り飛ばして出て行った時は、大人嫌いもそうだけど大人に何かをしてもらう事に対しての嫌悪。
こちらに敵意が無い事が分かった状態なら、ボードゲームをしていた時のように、口は汚くても一緒に遊んでいられる。
あくまで私の憶測で、絶対にそうとは言い切れないけど、でも理由なくそういう事をする子とはどうしても思えなかった。
「それで? 何かあった?」
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「・・・」
シュンディは私と目を合わせる気が無いらしく、ずっとそっぽを向いたままだけど、私は彼女が何か言ってくれるのを待ち続ける。
沈黙、周りの音が聞こえてくるモノの大半を占めている中、私の様子を伺うように視線を動かす少女は、さらに少しの間をおいて口を開いた。
「帰って来ないんだよ」
「帰って来ない?」
「そうだよ。帰って来ないんだ。先生が…、先生が帰って来ない」
なるほど、理由はすごく単純で納得がいく。
シュンディにとっては孤児院も大事な場所かもしれないけど、何よりトフラ院長が大事な存在。
確かに、彼女に落ち着きがない理由としてはこれ以上ないモノだ。
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「今日も花園に行くって言ってた。昼には戻るって言ってたけど、まだ帰って来ない。家の中を探してきたけどやっぱりいないんだ」
確かに朝食後に出ていくのを最後に、彼女の姿は見ていない。
「だから、僕が探しに行く」
「は?」
シュンディの落ち着きがない理由を理解し、とりあえず今は彼女の話を聞いてあげよう、そう思っていた矢先、その流れは嫌な方向へと転がっていく。
「ちょ、ちょっと待った。探しに行くって? ダメに決まっ…」
「うるさいっ!」
こちらが言い終わるよりも早く、シュンディの叫びが私の言葉を遮る。
「うるさい…、うるさい…」
止められる事は百も承知だったのだろう、だからこそ私が言い終わるよりも早くそれを遮った。
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少女が、これ以上何も聞きたくない…と言葉を発する度に、その小さな体が震える。
「先生はただの先生じゃない…。僕の…僕たちのお母さんだ」
その瞳に涙を浮かべ、牙をむけども失う恐怖に怯える。
「人を探しに行くなんて単純な話じゃない。僕たちにとっては唯一すがる事ができる存在だ。拠り所を探しに行くんだっ!」
少女は内にため込んでいたモノを吐き出す…、いや私が吐き出させてしまっている。
ガス抜きにでもなればと思って、シュンディの話を聞いてあげたつもりだったけど、それがきっかけで吐き出し始めたモノは、出し口を壊し、どんどん漏れ出す。
ペットボトルの炭酸を抜く行為とは訳が違う、私がやった事は風船に良かれと思って針を突き立てたようなものだ。
それだけ、少女にとって、この状況が不安でしょうがなかった。
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シュンディの事を見てあげていなかった証明だ。
「何が分かる…、あんたに何が分かる。家族がいる、弟も妹も、血のつながった家族が甘えてくるあんたに、僕の何が分かるっていうんだ!? 僕の今の気持ちがわかるかよ…、あんたに今の僕の気持ちがわかるかよっ! 何も知らないくせに、知ったような事言うなっ!」
少女の叫びに、言葉が見つからない。
体も動かず、私を押しのけて走り去ろうとする小さな体さえ、止める事ができなかった。
その瞬間は、後悔だけが私を苛む。
この世界はただの夢じゃない、それは分かっていたはずなのに、私はそれでも夢だから…と、頭の中で線を引いてしまっていた。
線の向こうの世界がどんなモノかを…、親身になって考えなかった、外側だけを見て中身を見ようとしなかった。
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ただでさえ緊張感が積もっていた空間に、困惑と混乱の声が上がり始め、それと同時に、バタンッというドアを強く開ける音が、私を我に返す。
混乱したドア付近の様子から、シュンディは自身が言っていた事を有言実行したようで、少女を引き留めようとする声が聞こえてくる。
しかし、そんな言葉で止まるなら、私だって止められていたはずだ。
私は、何かに手を引かれるように2階へと上がっていった。
廊下ですれ違うフィアが、下の階の異変に不安を覚えている中、彼女の呼び止めにも答える事なく、自分達が借りている部屋へと入ると、隅に脱ぎ捨てられたイクシアが来ていた雨合羽を取って、シュンディが出て行ったドアへ向かいつつ、その雨合羽を着る。
「ち、ちょっと、どこへ行くつもりですか!?」
「愚問だ…。」
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「しかし!」
ドアの前には私を制止しようとする軍人が行く手を阻み、その反応から、外は相応に危険な状態だと伝わってくる。
でも、私にとっては未知な事が多すぎて恐怖というモノは薄い、まだ実感が沸いてきていない。
何より今は、子供が飛び出したっていうのに、その質問を投げてくる軍人への不快感の方が強かった。
『フェリさん!?』
ドアの前に立つ軍人を強引に押し退けて、ドアを開けた所で、慌てた様子で近寄ってくるフィアの方は見ず、何か言おうとする彼女に、ただ一言言って建物の外へと出た。
「子供達を頼む」
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何事かとエルンや他の人達が来たみたいだけど、何を言っているのか、言っていたとしてそれが誰に向けられたものなのか、豪雨の音はそれすら認識する事を許さず、私もその聞き取れない声に足を止めずに走った。
シュンディが行こうとしている場所はわかる。
彼女がそこにたどり着くまでに見つけられればいいが、もし花園に院長がいなかったとしたら、その後彼女がどう行動するかは、正直見当もつかない。
絶え間なく振り続ける大量の雨が、地面に落ち、跳ね返る雨粒が視界を妨げる。
そんな中、住宅街と工場区との境目、そこにしゃがみ込んだ人の後姿を見た。
安堵、真っ先に感じたモノはソレだ。
追いついた、間に合ったと、緊張の糸がほぐれ始めた。
「シュン…」
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全力で走っていた足が小走りへと変わり、いざ見えて来た人影に声を掛けようとした時、こちらの意思とは裏腹に足が止まる。
呼ぼうとした名前も途中で途切れ、そこでその人影の異様さに気付く。
血の気なんて全くない真っ青な体、服はボロボロ、所々腐敗したように体が崩れて場所によっては骨が露出している。
そのあまりに普通じゃない様に、視線が釘付けになって、その足元に赤く滲む何かが降る雨に混ざっている事に気付いた。
そのゾンビのようなよくわからない奴は、よく見れば何かにまたがっている。
そしてその赤い何か。
一瞬で全身が総毛立つのを感じる。
今まで見えていた夢が、ファンタジーアドベンチャーからファンタジーホラーに変わった瞬間だ。
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一歩二歩と思わず後ずさってしまうが、後ろから雨以外のピチャピチャという音が聞こえて振り返る。
そこにも、前にいるよくわからないゾンビもどきの同類が立っていた。
人…、シルエットだけ見ればそうなのかもしれないけど、こいつ…こいつらはそんなものじゃない。
後ろに立っていた奴も前の奴と似通った姿、肌は青いし所々骨は見えるし、それに加えて本来目があるべき場所には何もなく、闇だけが私を見てきていた。
グキッ、その立っていた奴の頭が関節を強く鳴らしたかのような音と共に横に傾き、それを合図に私へと突っ込んでくる。
手を突き出して私に掴み掛かってくるのを、とっさに腰の剣を抜いて、横に移動しながら伸ばされた腕を斬り落とし、私はクルッと回転して勢いを付け、力任せにそのゾンビもどきを背中から前に斬り倒した。
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血なんてものは出る様子もなく、まるで腐った骨付き肉を骨ごと斬ったような感触が手に残る。
「何なんだ、こいつら」
見た目が見た目だからか、何の躊躇もなく何の後悔もない、ただただ気持ち悪いの一言だ。
バチャバチャと真っ二つに分かれた胴体と下半身が地面に落ち、その音に反応してか、前でしゃがみ込んでいたゾンビもどきもこちらに気付いて、立ち上がりながら視線を向けてくる。
目が無いし、視線が向いているかはわからないけど、見られている気がしてならない。
あとそいつが立ち上がった事で、何にまたがっていたかは分かった。
鎧を着た腹から下だけしかない人の体がそこに転がっている。
鎧…、軍人が犠牲になったのか…とも思ったけど、その鎧は私の知る鎧とは全く違うモノだった。
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死体、頭がそれを理解するも、それに対しての感情は何も沸き上がらない。
死体自体が異質な状態だからか、頭では気持ち悪いとか嫌なモノを見たなんて感想は出てくるけど、それ以上の感情は沸かなかった。
上半身が半分以上ないのは置いといて、所々引きちぎったような痕があるのは、たぶん、あくまでたぶんだが、あのゾンビもどきが食べていたのだろう。
私が言うのも変な話だが、俺だったら腰を抜かすだけでは終わらないだろうな。
なんで私は、そんな冷めた感情しか沸かないのかはわからないけど、今はそんな事を考えている暇はない。
少なくとも、このゾンビもどきとは友好関係は結べないだろうし、こいつらは容赦なく襲い掛かって来る事はわかった。
そんな奴をこのまま放置して、シュンディを探しに行く訳にはいかないし、シュンディを見つけた後、連れ戻すにしろ、それ以外に何かするにしろ、それが終われば最終的にはこの付近を通る訳で、ゾンビもどきは障害になる。
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だから問題を先に取り除く。
相手に怪我をさせるかもしれないだの、殺しちゃうかもだの、そういった余計な感情はいらず、力に訴えかけられるならやりやすい。
小刻みに何かを確認するかのように頭を動かし、一向に襲ってこない相手に、先手必勝と言わんばかりに斬りかかった所で、何かが落ちてきて私の視界を遮った。
そして、グチャッと言う音が一瞬聞こえたと思えば、その後瞬く間に岩を叩き割ったかのような重い音が嵐の音を消し飛ばしながら響く。
落ちてきたモノ…、それは人で、立ち上がったその人はこちらを振り返る。
「イク?」
雨合羽のフードを被っていたから、振り返るその瞬間まで誰なのかはわからなかったけど、見えた顔はまさしくイクシアだった。
そして、どう見ても平常心を保った顔ではない。
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彼女が手に持つ槍斧を持ち上げると、地面がミンチみたいになった肉片と共に抉れるように割れている事が見て取れ、より一層彼女が普段と違う感情を抱いていると感じた。
「どうしてここに?」
「フェリが孤児院を出る時、兵士に言った言葉をそのまま返してやる。愚問だ」
「・・・ごめん」
「ウチに謝ってどうする。その言葉は帰ってからフィーに言え」
不機嫌、いや、彼女なりに怒っているのか、眉間にシワを寄せて私を睨みつける。
「さっさと戻るぞ」
そう言って孤児院の方へ歩き出そうとする彼女に、私は帰らないと首を横に振った。
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「本気か?」
「本気だ」
彼女の視線が、剣を持つ私の手と、足元に転がるゾンビもどきへと送られる。
「当てとかあんの?」
無理やりにでも連れ帰らされると思っていた私は、思っても見なかった言葉に、戸惑いを見せつつ、私は首を縦に振った。
深呼吸をし、動揺した心を落ち着かせ、シュンディの話で出て来た当てを伝える。
「そこまでだぞ? 花園まで行く。そこにいなかったら無理やりにでも帰る、あんたの意思は関係ない」
「うん、ありがとう」
「礼はいらない。こんな状況で子供が一人出歩いたら、その末路は決まってる。出て行ったのが分かっていて、何もしないのは後味が悪いからやるんだ」
そう言いながら視線を反らすイクシアに、再びありがとうと返して、私達は花園へと走り出した。
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