48話 幻影

衛星都市モエルバッハ、世界の中心を成す中枢都市セイバを模倣し形作られた理想の都の一角。

この都市のライフラインは、非常に高い水準で確立されており、食料の供給だけでなく、安全な水と電力という他の村や街には無い快適な環境が約束されている。

とはいえ、同じ都市の中でも住民の生活水準は外壁から中心に向かうほどに高くなり、中央は文字通り『楽園』と呼ばれていた。

衛星都市の市民権を手にすることの出来た人々はただひたすらになって中央区を目指し生きていると言っても過言ではない。

チェイス達は衛星都市に住んではいるが市民権を持ってはいない。この場に住む権利は元々は養父ロラン・シンの戦果の結果であり、勇士ブレイブマンとして独り立ちした今、いずれ近い内に壁のに出て行かなくてはならない。

ま、今はそんな心配よりも気がかりなことが多すぎるのではあるが。

チェイスが今向かっているのはブレイブ・ギルドの医療エリア。彼は高さ55メートル以上にもおよぶ外壁の外を壁沿いに南へと歩き、外壁の一部であり防壁の一翼を担う闘技場コロシアムに足を向けていた。

視界にはすでに闘技場のその特徴的とも言える巨大な門が入っている。相変わらずこの界隈は様々な人間、獣人達が出入りしていた。実に外街の大通りに負けず劣らずの賑わいを見せていた。

門に近付くにつれ多くの人がこの門の前に留まり宙を見上げていることに気づく。両の側から門を支えている二人の女神像に心を奪われているのであろう。全高50メートルの二人の女神像は互いに対面しこの門を潜ろうとする者を歓迎する様に手をこちら側に差し伸べている。

確かに美しい女神像だ。

以前はそんなたわいの無い感想しか思い浮かばなかった物だが、ハンプソン村から帰ってきた時はそれなりに感慨深い感覚を覚えたものだ。

勇士ブレイブマン剣闘士グラディエーターはこの女神を戦乙女に見立て祈りを捧げる者も少なくないが、そんな彼らの気持ちが少し理解出来た。

チェイスは門を潜り抜け闘技場の中に入っていく。ブレイブ・ギルドそれ自体は闘技場内の中で隣接する形で開設されておりこちら側の通路を通らなければギルドの窓口に辿り着く事は出来ない。

闘技場コロシアムで闘いを繰り広げている剣闘士グラディエーター達も『ヴァルキュリア』装着者でありジェ・ロイの様に勇士ブレイブマンと掛け持ちしている輩がいるのも知っているが、やはり此処にギルドを設営するのは如何なものかとチェイスはため息を吐く。

実際、年端のいかない子供の中には変な憧れを剣闘士グラディエーターに向けることがあるんだぞっと俺は言いたい!

身近な例があるとはいえ、此れは己の価値観に過ぎない。それもまた事実だ。やるせない気持ちを抱きながらも今は自分の問題に向き直る。

天井を支える列柱の中に手槍と盾を装備した戦士の像があった。ここがギルドの境界線だ。

受付に向かうチェイスは周囲を見渡す。意外なことにギルドのフロアは思いの外ゆったりとした雰囲気が漂っていた。大勢の勇士達が思い思いの場所でたむろしている。

勇士が暇そうにしているのは平和の証、と考えるべきか?

ボンヤリと考えながら空いている窓口の前に立つと薔薇を模る仕切りの向こうで受付のお姉さんがニッコリと微笑む。

「こんにちは、今日はどの様なご用件でしょうか?」

「コッラウロ先生はいるかい?予約していたチェイス・シンなんだが」

受付嬢は手元の機械キーボードに何やら打ち込んでいる。

「はい、承っておりますわ。チェイス様、どうぞ此方へ」

差し出された一枚のカードを窓口のお姉さんから受け取り戦士像の横にある階段に向かう。3回目の訪問となれば最早迷うことはない。チェイスはそのまま階段を登り三階を目指した。

階段から4つ目のドアの前で立ち止まり受け取ったカードを一応確認する。受付番号と『コッラウロ・ダンツィ』、カードと木製のお洒落なドアを飾るネームプレートにはその名が記されていた。

ドアを軽くノックすると明るい男性の声がした。

「どうぞ〜、開いてるから遠慮は要らないよ〜」

「失礼します」

短く応え、ドアを開けると中からはコーヒーの良い香りが漂って来た。

レザーとウッドのチェアが中央に置かれた簡素な部屋。しかしテーブルを始め、さまざまな年代のヴィンテージ家具やオブジェは格調高くも落ち着いた空間を演出していた。雑多なようで計算された配置はこの部屋の持ち主のセンスを表しているといえよう。

正直、この雰囲気は嫌いではない。

見てみるとコッラウロは奥のサイドテーブルでコーヒーを淹れていた。

「やぁ、チェイス君、君は本当にいいタイミングで来るよね〜。ひょっとして狙い撃ちかな」

そして中央のリビングテーブルをよく見ると其処には茶うけに良さげな菓子が皿に盛られていた。

「何を言ってるんですか、予約時間、ぴったりの筈ですが?」

思わず笑みが溢れてしまった。このやり取りも2回目になる。

「さあさ、そっちに座ってくれ給え」

促されるままにレザーの椅子に腰掛ける。テーブルを挟み正面にコッラウロが立つ。

本人曰く30前、長身で太過ぎず痩せ過ぎず、浅黒い肌に爽やかな笑顔、なかなかの色男だ。

「遠慮なくどうぞー」

言いながら目の前にコーヒーを置いて行くとコッラウロは何時ものようにキャスター付きの丸椅子に腰掛け器用に足を組む。

「で、調子は如何かな?チェイス君」

「ええ、表向きは順調ですよ。で」

治療の進展を明らかにしないコッラウロに正直ちょっと意地悪な物言いをしてしまった感はあったのだが。

「それは良かった。うん、まあ結論から言うとね。君には治療の必要は無かったからね。勿論、カウンセリングの方もね」

「・・・え?」

思わぬ角度からの反撃?にチェイスは思わずあっけらかんとしてしまった。コッラウロの診断結果もさる事ながら、いきなりこのタイミングで話すのか?である。

そんな彼の反応を知ってか知らずかカップを片手に和かに笑うコッラウロ。カップをテーブルに置き、何処から取り出したのかもう片方の手に持っていたカルテらしき紙を如何にも医師らしくパラパラとめくり始める。

「『ヴァルキリュア』を通しておよそ一月分のヴァイタルサインを検出させて貰ったけど、脳波のチェックも含めて全て異常なしだ。正に健康優良児だねー。全くもって私の出番は無しだ。参ったね、どうも」

どういう仕掛けになっているかは理解できないが専門の機械を使えばそういう芸当ができるとは聞いたことがあるが、それにしても一カ月分ね、それはハンプソン村での戦いを含めてのデータになる訳か、しかし。

「しかし、俺は確かに、を見たんだ!」

「ああ、君の言っていることは信じているよ。僕も腐ってもその分野の医師だからね。君が嘘を言ってはいない事はよく分かる。だからもう一度おさらいしてみよう。元来、幻影ファントムと呼ばれているモノとは何だったか。言って見てもらえるかな?君が何を見たのか確認してみようじゃあ無いか」

俺があの時見たものが幻影ファントムではない、のか?それとも幻影ファントムについて俺の知らない事があるのだろうか?

『ヴァルキリュア』の性質については工房区の専門だ。しかもその情報は大部分が秘匿されている。それを身に付けている勇士ブレイブマンであってもその知識は実に限られたものだ。

コッラウロ、いやギルド専属医師には俺の知らない専用の医療機器があてがわれている。勇士ブレイブマンには与えられていない何かしらの情報があるの、か?

チェイスはコッラウロに促されたまま、幻影ファントムについてが知っている事を思い起こす。

「・・・えっと、幻影ファントムとは、勇士ブレイブマンの『死を看取ってきたヴァルキリュア』に起こる現象だ」

「うん、そうだね。でも少し足りない」

細かいな!

しかしコッラウロの言いたい事はなんとなくわかってきた。

「・・・戦いの中で『死を看取ったヴァルキリュア』だ。死の瞬間は誰にとっても強烈な出来事、ヴァルキリュアはその強烈な瞬間をその石の中に刻み込むんだ」

「はい、その通り、で、そういう『ヴァルキリュア』はギルド、或いは工房区で『浄化』されるんだけど『浄化』仕切れない場合がある。で、どうなる?」

満足そうに頷きながら補足説明を付け加えるコッラウロにチェイスは続ける。

「死の瞬間を刻まれたヴァルキリュアは装着者に同じ死の瞬間を戦いの中で見せ始める。それが幻影ファントムだ」

そこでパンッ、と手を叩くコッラウロはそこがポイントとばかりにさっきとは違う笑みを浮かべる。

だが目が笑っていない。

「全く、戦いに赴く勇士ブレイブマンにとっては酷な話だよね。そのたった『一つ』の幻影が現れた瞬間、しかも身体が一瞬でも硬直するのは致命的だ」

これが現れて生き残れる勇士ブレイブマンは数少ない。幻影ファントムは『ヴァルキリュア』の再利用に於ける一つの弊害として認識されてはいても、それを前もって確認する事はかなり難しい。

「さて、君が体験した問題と比べてみようか」

キラリとコッラウロの目が輝いている。

全く、医者が患者を気遣う目には見えないな。

「・・・俺の中に2人の人間がいた。そんな感覚だった。・・・然も、一方の方は俺の身体を実際に操って、いた」

後半部分は自分で言っておいて何だが、かなり突拍子も無い話だ。

彼奴オリバーに『あの時』の話を聞いていなければ夢だった、と自分に言い聞かせる事も出来たであろうが、現実は厳しいみたいだ。

「うん、『破壊魔』と自称『戦乙女』だね。うん、実に興味深い。君さえ良ければ工房区の学会に発表したいんだが、どうだろう?」

「はぁ、それは勘弁してくれ」

チェイスはため息混じりに返事をするのがやっとであった。

自分が見たモノ達の正体が理解出来ないのは辛い。まだ『それは正しく『幻影ファントムだ!』と宣告された方がどれ程楽であっただろうか。

・・・どうやら医師連中にとっても俺のケースはレアな症例になっている様だ。だが良い様に実験動物的な扱いは勘弁願いたい。

頭を垂れるチェイスにやはり明るい声で語るコッラウロ。

「うーん、それは残念。じゃあ、本題に戻ろうか、と言うか、結論に戻ろう。これは私の手に余る案件だ」

コッラウロはチェイスが何かを言う前に手を前にすっと差し出し言葉を制す。

「君に紹介したい人間がいるんだ。彼女もカウンセリングの資格を持っているんだけど、本職は違ってね。いや、目指しているって言った方が正確かな。チョットまってねぇ」

話しながらコッラウロはキャスター付きの丸椅子をコロコロと器用に滑らせ自分の仕事机まで移動する。

机の上にあった電話機から受話器を取ると素早く片手でキーを叩く。そして数秒後。

「・・・いやー、お久しぶり、僕だよ、僕。え、いやいや、今日はキミ向きな面白いネタがあってね」

面白いネタ、ね。

チェイスは何となく相手は可愛い女性なんだろうなと察する。

オリバーもあんな顔しながらナンパしているのを思い出す。

「今度時間を取ってくれないかな。・・・信じてよ、本当に本当だって、そうだ、よかったら今晩あたり一緒に食事しながらでも・・・あ、あっそう、それは残念、じゃあ、資料はそっちに送っとくから考えておいてくれないか、じゃっ、またね」

ナンパのネタ扱いにされた事も腹ただしいが問題は相手の素性だ。

一体何者なんだ?

「・・・」

「チェイス君、顔が怖いよ、大丈夫、大丈夫だって、近いうちにカウンセリングの形って事で手配が出来るよ。守秘義務も完璧さっ。僕のここでの仕事クビを賭けたっていいよ」

ニッと親指を立てながら今日一番の最高の笑顔を見せてくれる。

先生の仕事クビはチギレやすそうに見えるのは気のせいか?

「まぁ、よろしくお願いしますよ。先生」

「君は慎重すぎる傾向がある様だから私からの、此処での最後の助言をしておこう。彼女と引き合わせるまでに何でも良い、何かしらの仕事を一つだけでいいから請け負ってくるんだ。そして勇士ブレイブマンの責務を果たしてくるといい」

佇まいを直したコッラウロは穏やかな表情で今日の面会を締めくくった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る