第6話大陰謀

 夏海さん。

 呼びかけるタクシードライバーの声で目を覚ました。客も帰り、賑わっていた店は静まりかえっていた。いつしかカウンターでうつぶせて寝てしまっていたようである。彼は布巾でカウンター台を拭きながら話しかけてきた。フィリピンに帰ったロシナンテに代わりに、彼が厨房を担当するようになっていた。

 

「なますのように身を切り刻み得たことを広く世間に真相を知って頂くことは、社会のために有益なことではないでしょうか」

 僕の過去の出来事を和尚様から聞いたようである。その古傷を癒すために酒に溺れることがあると気付いたのであろう。

「すべてを知っていると言っても過言ではありません。当事者ではないだけ、客観的な判断も出来ます。平和や安全は社会や庶民にとっても、一番、大事なことです。多くの人に知って頂くことは世のためにも有益なことではないでしょうか」

 タクシードライバーの声に目を覚ましたのか、店の片隅から和尚様の声がした。

「サンチョパンサ」

 僕が嫌がっても、この渾名で僕を呼ぶことを止めよとしない。

「人生、棄てる貧乏神あれば拾う福の神ありだ。ウジウジ悩むな。ロシナンテを輸送機から蹴落したとように前に蹴飛ばすぞ」と言い、その後に「人生パラパラ、男もパラパラ、女だって色々咲き乱れるわ」と寝ぼけたように歌い、最近、所帯を持った女将の肩に寄り掛かり、再び大きないびきをかき、翌朝までの長い冬眠に入った。和尚様は夜の夫婦生活は、このように配偶者に肩にもたれ掛かり眠ることだと思い込んでいるのではないかと思う。

「ロシナンテに日本語を教えるために替え歌を使ったのよと女将さんが教えてくれた」

 島倉千代子の歌を替え歌にしたもらしい。

「この人がね、この替え歌がすっかり気に入ってしまって、私には作詞の才能があるから歌詞を作れと勧めるのよ。歌詞が出来たら、夏海先生に御指導を頂こうかしら」と女将は尋ねてきた。

 和尚様とののろけ話を聞くのは嫌だが、女将さんから頼られるのは満更でもない。それに女将さんとタクシードライバーだけは、夏海惺というお気に入りのペンネームで僕を呼んでくれる。

 女将はせっせとセーターらしきものを編んでいる。

「紅白のフンドシで、冬を過ごすのは寒いでしょう。風邪でも引かせたら大変だから毛糸でパンツを編んで上げるのよ」と言いながら、せっせと編み棒で赤い毛糸と白い毛糸で器用に編み続けている。羨ましく思いながら器用に動く手元を見ていると、「この人がウブメら妖怪変化と闘う時には、この紅白模様が身を守るために効果があると言うのよ。夏海先生にも逆恨みから身を守るために編んであげましょうか」と申し出てくれた。和尚様と同じ紅白の毛糸パンツを履くなど気が進まないが、女将の暖かい気持ちと、見るからに暖かさそうな毛糸パンツの魅力には逆らえなかった。実は、最近、将来の文学賞受賞に備えて、なけなしの貯金をはたいて大島をひと揃い準備したのは良いが、和装はひどく股下が冷えることに気付いたのである。毒蛇の銀ハブの模様と故郷の島の老婆たちが思いを込めて、一本一本の絹の糸を丁寧に紡いで紬はウブメら妖怪と戦う自分を守ってくれるはずであるが、この股下の冷え込みには困っていた。受賞式に身につけようと思ったが、灰色の脳みその働きが鈍り、大勢の報道陣を前で恥をかくのではないかと危惧していたのである。だが女将の想いが籠もる暖かい毛糸の紅白パンツなら、着いて受け答えが出来る。まさしく鬼に金棒である。「有り難い。是非、お願いしたい」と彼女の申し出を素直に受けた。応援してくれる人と一緒だと心強い。仲間は多い方が良い。「みんなが、みんなが」などと卑怯な三人称は使いたくない。折角だ。応援団を募ろう。タクシードライバー、女将さん、ロシナンテも追加しよう。これで三名だ。偉大な作家の卵である僕を陰でサンチョパンサと呼び捨てにする無礼な四人の女たちも、この際、仕方ない追加することにした。彼女たちは僕の価値を半分も認めていないから僕も彼女たちを裏切りにも用心して、四人で二人前の勘定である。これで、やっと五名だ。和尚様の存在は無視したい所であるが、一人でも味方が多い。一名に追加してやる。これでも応援団は六人になった。一名足りないが、とりあえず夏海惺では本来の自分を加えて七人の侍と呼び、見切り発車をすることにした。七人の侍だ。


暑い日が続いていた。

 空気は乾燥し、太陽はギラギラに輝き、露出するあらゆる物の影を大地に焼き付けていた。最後の日、書類を受け取るために事務所に立ち寄った時のことである。また転属である。

「俺なんか同じ場所で十年も勤務できた」と彼は周囲に自慢していた。彼は僕の姿に気付き、顔色を変え、言い直した。「ご栄転、おめでとう御座います」と言い直した。

「ふざけるな。栄転だと。窓際族だ」

 今回の移動は、彼が仕組んだことは明白だった。誰が見ても御栄転などとは言えるものではない。他人のやかましい噂や詮索の的になっている。すでに前の職場では噂になっていた。その前の職場からの今回の異動を知ったのである。

「ここに居たのでは昇任はしません」

「向こうに行けば昇任をすると約束できるのか」

 誰も約束は出来ないはずである。第一、昇任など望んだ覚えはない。彼は適当な言葉を吐き散らしているに過ぎない。こんな簡単な口車で騙されると思っているのだろうか。彼が悪あがきをし、適当な言葉を吐き散らせば、それが新たな迷信となり、組織をむしばむことになる。僕が新しい職場で昇任をしたら転属をさせたから昇任できたと言い、昇任できなければ新しい任地でも勤務態度が悪かった言うつもりであろう。普通は一年で転属をするなどとありえない。二年は勤務できるものと思い、仕事も生活設計もする。まして本人に一言の都合も聞かずに調整をすることなどあり得ない。もし二年で転属するなら、このような手続きを踏むことなく、話を進められても文句は言えまい。僕に恥じかかせようと思い企てたのである。

「今度は、一体、何をしたのか」と言う前の職場の同僚の厳しい叱責の言葉で知ったのである。

「こちらでは大変な噂になっている。何か大きなヘマをやらかしたにちがいない。また一年で転属リストに載っている」

 この電話で、始めて僕は今回の異動を知ったのである。六月の始めの頃である。それから二ヶ月が経とうとしているが、疑心暗鬼になり、考え続けていた。

「外から圧力があったのか」

 ある町の町長に当選した男の差し金だと言う者もいたが、不自然だと思った。五千名町民の前に大きな公約を掲げ、当選したのである。大事な時期であるはずである。その彼がこのような小さな出来事に口を挟む余裕はないはずだ。しかし地方政治家の干渉は容易に想像できた。


 九州に帰って来ることは二十年前の清算をするためであったはずである。妻や子を巻き込みたくないことであったが、どうしても捨てきれないものがあった。もちろん結婚する前の出来事である。S市とも関係のあることであった許せない犯罪に巻き込まれ、犯罪者にされたような悔しさを抱え続けていた。

 自分自身の女性遍歴をひけらかす男がいた。近づきたくなくても同じ職場で勤務する以上、無視は出来ない。同情を感ずることもあった。だから僕は知人を紹介した。ところが彼自身の結婚話がうまく行きかけると彼は僕をけなすようになった。ある時には相手の女性が他人のことをそんな風に言うのは良くないと言われたから僕のことをけなすのを止めるとご丁寧にも宣言した。彼自身が棄てた女性や彼女を娶ることになった男のことまでけなし始めた。その頃になると僕は、彼の胸を飾る勲章に疑問を感ずるようになった。この男が、以前、交際していた女性を娶ることになった男を貶すことも耳にした。自分の問題ではない以上、黙っているしかない。騒ぎを大きくすること迷惑であろうと考えた。ところが僕の名前を町の金融会社の帳簿の随所に目にしたと言うことで上司から呼び出され、厳しい叱責を受けた。これは僕自身の問題である。激しく食い下がった。上司も『彼が見たなどとは言った覚えはない』と言葉を濁した。やがて借金をしていたと言う噂の本人が明確になった。彼の先輩に当たる男であった。現物相場に投棄し、数千万円の借金を抱えていた。相場が騰がる時間稼ぎのために自分の名前を出したのではないかと思えないことはなかった。

現物相場に投棄していた男は周囲の隊員からも借金をしており、彼自身も金を貸していて、その友人が退職した後に泣きついて来たという話も付いている。時間稼ぎのために僕の名前をデッチ上げたとしか思えない。僕の問題はこれで終わらなかった。どうしてもS市に行く必要性を感じた。自分の家の建て直し、そして自分の人生のためにである。だが最初の結婚でのつまづきが、それを遠のかせた、文字通り成田離婚だった。彼女に余計なことを吹き込む者がいることは気付いたが、具体的な名前を知ることは出来なかった。その前後からであるが、自分自身も社会や世間に対する判断の基準を喪失する日が続いた。地獄のような年月だった。罪悪心に苦しみ、正体不明の相手を恨み、脅えて過ごすと言う歳月だった。それが、二度目の結婚で家庭を得る四十歳まで続いた。かりそめの幸せではないかと疑問を感じながら幸せに浸っているが、失った長い時を振り返り、歯ぎしりする。それでも穏やかな人生が続くのを望んだ。だがすべてを白日に晒すしか、救われないと覚悟を決めていた。

 実は二〇一一年三月十一日の福島原発事故とも無関係ではない。S市の原発建設との関係があった。組織として原発災害に備える必要性を述べていたのである。

 実は、それがS市との関わりであり、一年間の長崎から熊本への転出の経緯であった。

 転居して一ヶ月も経たない頃に、在籍をした長崎の前の職場でボヤが発生した。危惧したことが始まったような嫌な予感がした。溶接工事中に火の粉が飛び、倉庫の一部が焼けたと新聞は報じていた。それから一ヵ月も経たない十月一日に大型客船ダイヤモンドプリンセスが燃えると言う大火災が発生した。先のぼやと同じ、溶接作業中が火災発生の原因であるとの第一報であった。

 和尚様が、当然、目を覚まし、「サンチョパンサ、ウブメの仕業だ」と告げると、また突然、眠りに就いた。


 原稿用紙を枚数を満たしたことが出来たと安堵して、筆を置いた。丁寧に封筒に詰め、赤いポストに、どうか一発で編集者様がOKを下さいますように投函した。配送されたと思う日に、すぐに電話が掛かってきた。丁寧な言葉であるが、残酷な内容である。貴殿の原稿を十枚ほど増やしてやるから、感謝しろ。それからせめて本物の作家を目指すならパソコンぐらい買ったらどうかと。余計なお世話だ。そのようなことを言う前に原稿料を払へと心の中で赤い叫び声を上げた。先日は原稿用紙を五枚削れと、注文してきた。作家の先生の筆が走りすぎて、原稿を五枚増えたと言う。今度は舌も乾かないのに十枚も増やせと。増やすためには、如何なる手段でも講ぜよと。至上命令であると言わんばかりの口調である。会ったことはないが、若い女性に違いない。僕は老若を問わず、顔かたちの区別が付かないこともある。もちろん女性の心理分析はできる訳などない。彼女はヒステリの強い女に違いない。心理描写や人物の顔を表現が出来ぬことは、物書きとして致命的な欠陥だと責められるかも知れないが、あの女性記者の将来だけは予想できる。仕返しが怖いから言えない。これで何枚、原稿枚数を稼いだであろうか。話の筋から、さんさんと輝く文学的表現をちりばめ一番の僕が一番のお気に入りの一部分を削除して、筋書きを組み直し、枚数を揃えて送付したのである。それなら割愛した部分を追加すれば良いだろうと素人は思うだろうが、前の筋書きと今度の筋書きはちがうから、元に戻せないのである。

 それから和尚様という呼び名ではまずい。和尚様に名前を付けろと言うのである。物書きが苦労するのは、主人公の名前である。その主人公の名前で作品のイメージが壊れることもある。例えばハードボイルの作品の主人公の名前んが納豆やイカでは困ろう。和尚様本人には聞けない。飛んでもない名前を要求されかねない。夏目漱石のように道々、様々なことを考えた。和尚様は、阿蘇の山に居着いている。

 僕は命がけで書いている。法治国家を守る自衛隊が僕に危害を加えることはあるまいと信じながらも不安を感じることもある。高野山の僧侶達は許してくれるだろうと信じながらも、彼らが呪詛するのではにないかと脅えることもある。この現象をそのまま描くと言う写実主義の小説のせいで、和尚様ではなく書き手の僕に呪詛を向けるのではないかと案ずるのである。

 店に着くと準備中と看板が掛かっていたが、身内同然の僕は、かまわず扉を開けた。

「あら、サンチョパンサさんいらっしゃい」

 四人の女たちで一番、元気なひばりの声であった。無条件反射で彼女たちに気軽に手を挙げたが、ひどく後悔した。サンチョー・パンサーと言う渾名を受け入れたと誤解を与えてしまったのではないかと思ったのである。

「元気でしたか」

 カウンター奥から男の声がした。タクシードライバーの声である。屈託のない明るい笑顔である。和尚様の犠牲者だと思い共感を覚える存在である。和尚様の姿を目で探すと、店の奥の椅子に腰掛け、大口を開け、いびきをかき寝ている。

「編集者が和尚様の名前を追加せよと強要された」とタクシードライバーに事情を説明した。そばで聞いていた女将が叫んだ。

「そう言えば、あの人の名前を聞いていなかったわ」

 四人の女たちは一斉にひどいと叫び、和尚様を揺り起こそうとしたが、和尚様は目を覚まそうともせず、熟睡し切っている。

「婚姻届けは、どうしたのよ」

「和尚様と女将さんで出したわよ」と平然と応えた。

「本名を教えてはいけないことになっています。まして衆目の目に触れる小説で和尚様の名前を後悔するなど、殺人行為にも同じです。ウブメたちが知ったら、間違いなく呪い殺されます」とタクシードライバーは言い、黙々と包丁を動かした。納得できる説明である。

「それなら、仮名を使ったら」と女将が助け船を出した。

「それなら、和尚様には迷惑は及ばないはずです」と、タクシードライバーも許してくれた。

「ええ、和尚様さんの名前を付けるの」と女たちが勝手に騒ぎ始めた。

「ホラ、宮本武蔵に出てくるタクアン和尚様を真似て、ヌカズケ和尚様はどうかしら」

「でも、匂いがしそう」

「それなら、甘い匂いのナラ和尚様というのはどうかしら」

「尊敬してオを付ければオナラ和尚様になってしまうから駄目よ」

「昔、ひとやすみ和尚様と言う人がいたでしょう。ヒトネムリ和尚様と言うのはどうかしら」

 女たちの教養が知れるが、いっきゅう和尚様のことだ。それに和尚様の眠りはひとねむりどころではない。爆睡状態である。

「東ティーモルから帰ってから、こんな調子なのよ。疲れたのね」と女将が愛撫するように説明する。タクシードライバーが、「大丈夫、修行の後はいつもこうです。疲れを取るには眠りが一番だ」と解説した。和尚様の名前は決まらず。大騒ぎのうちに時間だけが過ぎていく。四人の女性は付け替え人形に着物を付け替えさせるように名前を付け替えて楽しんだが、和尚様は目を覚ます様子はなかった。

 女将が叫んだ。

「かとり和尚様と言う名前はどうかしら。ロシナンテも、きっと喜んでくれるわよ」

「かとり和尚様ね」と四人の女たちは口々に言い、タクシードライバーも賛成してくれた。

 失念していたが、昨年の十月頃に、女将と最初に出会った日に、彼がかとりおしょうと名乗ったことを思いだした。

「蚊取り和尚か」と胸の中で思い描いた。

 話の筋も生きてくるように感じた。予想外に良い名前ではないか。読者諸君も最初からこの筋書きを予想し、あの「大災禍」のロシナンテとのやり取りを創作したと思うにちがいない。最初から伏線を敷いていたと感動もしよう。かんじんの和尚様は、まだ大いびきで寝ているが、「大災禍」と言う作品で描いたが、哀れなロシナンテがカウンターの中で蚊の害に耐え切れず、女将に蚊取り線香を所望した時に、ロシナンテの蚊取り線香が欲しいと言う切実な言葉から、咄嗟に彼は自分のことを、「かとり和尚様」だと名乗った。単なる言葉の弾みからにしろ、彼自身が自分からかとり和尚様と名乗ったのだから、後で文句を言われる筋合いもない。騒ぎをよそに、和尚様は傍に座る女将の肩が自分の肩に触れるたびに、ムフフと不気味な笑いを浮かべながら大いびきを書いている。和尚様が夢で見る世界を想像するだけで恐ろしい。紅白フンドシが対馬海峡の海底を潜り、南北朝鮮を縦断し、シベリア鉄道沿いにヨーロッパに到着し、華の都パリを通過し、ドウバー海峡の海中トンネルを経由して、イギリス、大西洋横断、アメリカ、太平洋を横断し、日本の和尚様のもとへ膨大な金銀財宝を運んで来る。そしてあの焼け落ちた寺を周囲の景観を壊す金銀財宝で埋め尽くし豪華絢爛な寺に再興すると大迷惑な夢でも見ているのではなかろうか。東ティモールで思い付いた、あの紅白フンドシの商標登録の件はどうなったのであろうか。蚊取り和尚は寝ている間に、退散すべきだと悟った。

「蚊取り和尚と言う名前でいいですね」と僕は配偶者である女将に確認し、逃げるように退散した。

 帰り着くなり、和尚様の名前は「蚊取り和尚にします」と女性編集長に告げた。すぐにまとめた総タイトルが必要だと難題を突きつけた。

「ウブメ云々」、「大再会」、「大災禍」、「大騒動」を駄作をまとめるタイトルがなければ、審査の対象にすることは出来ないと編集会議で決まったと言うのである。「最初に言え、馬鹿やろ」と怒りに任せて怒鳴りたかったが、立場上できない。怒りを押し殺し、素直に「解りました」と答えるしかないのである。一時間だけ時間をやると、彼女は脅迫し電話を切った。追い詰められた時には独り言をつぶやきながら考えるのが常である。

「蚊取り和尚とロシナンテの物語」

「阿蘇で赤いベコ飼うだの蚊取り和尚の物語」。

「大災禍」で蚊取り和尚が歌った替え歌から考え付いたタイトルである。どれもしっくりしない。本を購入してくれる読者が、最初に接するのはタイトルである。タイトル如何で決まるのである。だからタイトルは大事である。

「ウブメと戦う蚊取り和尚の物語」

「紅白フンドシで踊る蚊取り和尚の物語」

「人間電柱広告蚊取り和尚の物語」

 力を込めて描いた名場面が次々に思い浮かぶ。だが全体像を現わしてはいない。狂いにそうになっていた。その時に地獄の使者から電話が掛かってきたのである。

「決まりましたか」

「いや、まだです。考え中です」と気弱に答えた。

 すると彼女は、「一体、何をしているですか。自分の書いた作品でしょう。タイトルも考えないで作品を書き始めるなんて、作家失格ですよ」と叫んだ。手厳しいすぎる。まるで人間失格と言われたような気になった。だが彼女の叱責はこれで終わらなかった。

「あまえてはいけません。そんなことで作家になれるはずなどないでしょう」

 さすがに怒りがこみ上げた。

 この「あま」と叫びたかった。また後で、電話を「かけろ」と叫びたかったが、我慢した。そして「天駆ける蚊取り和尚」というタイトルが神からの啓示のごとく閃いたのである。歴史に残る名作のタイトルにはふさわしい。だが女編集者のヒステリックな声は続いた。

「プロの道は厳しいのです。自分で書いた物のタイトルも付けれないのでは話になりません。筆を折りなさい。どうせ、たいした作品も書けません」と

「タイトルは『天駆ける蚊取り和尚の大冒険物語』にします」とだけ告げると、彼女から逃げるように電話を切った。彼女は自分に助け船を出したのだ。やはり自分の才能を認めての上だろう。育てようと思っていると良い方に勘違いすることにした。

 天翔ける蚊取り和尚と言うタイトルを思い付くと安堵し、ムササビのように黒い僧衣広げて、天空を滑降する和尚様の姿を想像した。

今回は最後に断っておかねばならない。

 全世界のよい子たち諸君。これは小説です。ほら吹きの蚊取り和尚が地球を救うなどとと信じてはいけません。それこそ、まさしく滅亡の道です。ウルトラマンが宇宙から救いに来ると信じた方がましです。世界は大陰謀の渦の中にあります。世界中の良い子供たちは早く大人になって互いに力を合わせ、未来の地球と人類を二酸化炭素怪獣から救って下さい。これは本小説の主人公である蚊取り和尚からのお願いではありません。本作品の作家である夏海惺からのお願いである。

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