わたしは寿司、人の胃袋に入るものである。

西

くーるくーる、わたしは回る。

 わたしは寿司。酢飯に海鮮物を盛り付けた食べ物である。

 海鮮丼とは違い、手で持ち食すこともできるのでな、箸要らずだ。便利だろう? 是非、皆も食してくれ。 


 さて、わたしを調理しているのは回転寿司屋というところだ。回る、と言っても寿司が回っているのではなく、皿が動く。これは寿司のわたしには理解の及ばない、高度な技術でなされている。まったく、文明の進化とは恐ろしいな。だが回るからこそ、わたしの存在が際立つというもの。開発した者には魚一封を進呈したいほどだ。

 そんな寿司屋でわたしを作るのは、キカイと人の手、この両方である。酢味の米をシャリというのだが、それを握るのはキカイが行い、海鮮物をネタというのだが、それをシャリの上に乗せ皿に盛るのは人間が行う。キカイと人間が同時に作業をすることで、効率が上がるということらしい。人間の発想には驚かされることばかりだ。

 でだ。こうして、わたしという寿司は生まれるのだが。

 ここからが重要でな、ちゃんと聞くのだぞ。


 このままいけば、わたしは美味しく作られ、人の胃袋に入ることができるのだ!

 

 ……ん? なんだ、変なものを見るような目を向けて。正気だ、わたしは嬉しい。

 昨今、食べ物は安易に捨てられてしまう時代になったというではないか。そんな中、わたしは無事に、人に食べてもらえるのだ。運が良かったと思うべきだろう。

 本当なら「食べ物を粗末にしてはいけない」と言いたいところだが、こればかりは時代の違いというもの。キカイを使った大量生産、その恩恵が人に植え付けた「当たり前」という概念は、相当に根を深く張っているからな。悲しいが、受け入れるしかない。

 だからこそ、無事に寿司という食べ物になり、人の口に入ることは、食材となったわたしには重要なことなのだ。

 

 ただ美味しく食べてほしい。「旨い」と言ってほしい。

 

 そう願いながら、今日もわたしは回っているのだ。くーるくーる、くーるくーる、とな。

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わたしは寿司、人の胃袋に入るものである。 西 @nisi

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