第4話:理不尽を壊せ
「なんだかすいません。見ず知らずの私なんかを助けてもらって……どうお礼をしたら良いのか……」
「いや、そんな大したことじゃないよ。困ってる人を助けるのは当たり前のことじゃないか。」
自らの偽善的な言葉に心中で苦笑しながらも、僕はアンと共に月明かりが照らす夜道をゆっくりと歩く。
まだまだ夜明けまでには時間かかるようで、周りには魔獣の遠吠えが木霊している。そしてその度にアンは僕の服の裾を怯えながら掴む。そんな彼女を安心させるため、僕はぎこちなくアンへと微笑む。
「大丈夫だよ。また魔獣が襲って来ても僕が絶対に君を守ってみせるから。だから安心して。」
「は、はい。えっと、よろしくお願いします……」
僕の笑みにアンもまた硬い笑顔を浮かべる。僕に心配をかけないようにしようとしているのが分かる。その姿はとても健気だ。
(こんないい子がどうしてあんな人達に追われているんだろう?どんな理由かは分からないけど、やっぱり放っておけないよ。)
そう心の中で改めて決意を固める僕の目に、街へと続く出口が見えて来た。ここまでくれば叔母さんの家まであと30分くらいだ。少しホッとした僕は、アンへと少し質問をしてみることにする。
「そういえば、君の家は街のどこにあるの?もし僕が世話になっている家よりも近いならそっちに行った方がいいと思うんだ。それに君のご両親にも心配をかけると思うし……」
空気を変えるために何気無く口にした質問。けれど、僕のその質問にアンはとても悲しい表情を浮かべる。
「いえ、私の両親はもういないんです。数年前に病気で二人とも亡くなってしまって……だから私には帰る家もありません。」
「え……」
アンの口から出たのはまさかの回答だった。両親がいない。帰る家が無い。それはまだ年端もいかない彼女には厳しすぎる現実で、僕はその事実に驚きを隠せない。
「家がないって……じゃあ今日までどうして来たんだい?お金だってその歳じゃ稼げないんじゃ……」
「お金は、両親が残してくれた貯蓄が少しあったので、なんとかなっています。それにこんな子供でも手伝って欲しいと言ってくれる場所は幾らでもありますから。そのせいで、朝早くから働きづめですけどね……」
そんな生活、こんな少女が長く続けられるものだろうか?健気に笑う彼女を見て、僕はそう考える。
辛くないわけがない。この子はきっと、何度も涙を流したんだろう。幸せだった過去を思い返す度にまた現実を突きつけられて、心が折れそうになったに違いない。そんな彼女に、僕はどんな言葉をかけてあげればいいのか分からなくなる。
そんな僕の様子見たアンはハッとした表情で、申し訳なさそうに頭を下げる。
「す、すいません。暗い話をしちゃって……」
「い、いや、別に大丈夫だよ……」
アンの謝罪に首を振った僕は、その下唇を噛み締める。
(僕はなんて情けないんだ。自分から質問したくせに、彼女に気を使わせてしまうなんて、かける言葉一つ見つからないなんて、本当に僕は駄目な奴だ。)
自虐が止まらない。何もしてやれないもどかしさと、無力な自分への苛立ちに、下唇を噛む力がさらに強くなり、僕はそのまま黙り込んでしまう。
訪れた沈黙を払うように、アンは僕へと恐る恐る声をかける。
「あ、あの、聞かないんですか?なんで私が森の中にいたのか……」
「それは……」
突然の質問に、聞いても良いものかと思案する僕。しかし、アンは僕の返事を聞く前に、自らの口を開き始める。
「私、いつも稼いだお金で宿屋に泊まっているのですが、今夜はなんだか寝付けなくて、少し夜風に当たるために外に出たんです。そうしたら、私の前に黒い服の男の人達が現れて……」
よほど恐ろしかったのか、僕へとその出来事を話すアンは、肩を少し震わせている。
「それで、何がなんだか分からないままその人達から逃げるために森に入ったんです。」
「黒服……」
恐らくアンの言っている『黒服』は僕が昼間に会った人達のことだろう。
まさかもう接触していたなんて……恐ろしい捜索力だ。
「その後のことはブラックさんの知っている通りで、森の中で迷っていたところを魔獣達に襲われていたというわけです。」
アンから話を聞き終えた僕は頭の中で情報を整理する。けれど、やはり彼女が襲われる理由が分からないままだ。
ここはもうはっきりと聞いておいた方が良いかもしれない。そう考えた僕は、意を決してアンに胸中の疑問をぶつける。
「えっと、一連の出来事は理解できたんだけど、そもそもアンはなんでその黒服達から狙われているんだい?」
「…………」
僕の質問を聞いたアンは、口を閉じてしまう。どうやら僕にその『理由』を打ち明けるかどうか躊躇っているらしい。
僕はそんな彼女の顔をまっすぐ見つめる。
「聞かせてくれないかな?別にどんな理由があったって、急に手のひらを返すようなことはしないって約束するよ。だから……」
「本当、ですか?」
アンも僕を見つめ返す。上を向いたその空色の瞳が月明かりを反射してとても綺麗だ。
そして僕はその瞳から目をそらすことなく、はっきりと頷く。
「うん、本当さ。」
僕のその一言を聞き、アンは覚悟を決めたらしく、より力強く僕の方を見つめ、口を開く。
「……私が狙われている理由、はっきりとは分かりませんが、多分私が……」
「お前が、人間と魔族の間に生まれた子供だからだ。小娘……」
ゆっくりと開かれた口から紡ぎ始めたアンの言葉は、当然背後から聞こえてきた低く、肌を刺すような声に遮られた。
「え!?」
その声を聞いた僕が、思わず声を上げて驚いてしまった理由は二つ。
一つはアンが人間と魔族のハーフだという事実を知ったから。そしてもう一つは、背後にいる声の主に見覚えがあったからだ。
「よくも逃げ回ってくれたな……あまり手間をかけさせないでくれ。できるだけ任務はスムーズに終わらせたいんでな。」
(やばい……逃げろ)
この真夜中の漆黒の虚空に溶けそうな黒い帽子とコート、そして細長いシルエット。それを見たとき、僕の脳内で一斉にそう警報が鳴り出す。
「は、走って!!」
そう叫んだ僕は、アンの手を引き、全力で男から離れようとする。アンも今がどういう状況か理解したようで、少し驚きながらも走り始める。
「とりあえず離れよう!路地とかを利用してあの人を振り切るんだ!」
「は、はい!」
後ろを振り返ることなく僕たちはただその足を前へと進める。相手がどれだけ速く走れるかは分からないけど、とにかく目一杯走る。
——次の瞬間、僕の体に電光が走る。
「うっ!?」
足がもつれ、その場で盛大に転んでしまう僕。倒れた時に顎を打ったようで、頭がクラクラとする。
「ブラックさん!?」
突然倒れた僕に、アンもその足を止めてしまう。
そんな中で、ゆっくりと僕たちに近づいてくるノッポの男は、はぁ、と小さいため息を漏らしている。
「『手間をかけさせるな』といったばかりだぞ、大人しくしろ。」
「う……体が……」
「それにしても、お前、やはり知っていたようだな。その小娘とどういう関係だ?」
「なんだ……これ?」
なんとか立ち上がろうとするが、体が痺れて動きそうにない。
アンだけでも逃げて欲しいけど、足がすくんで動けないようだ。まさしく万事休すといった状況。
「お前は魔術を食らうのは初めてか?これは相手の体を麻痺させて動きを止める
手のひらからバチバチと電気を放ちながら、男は僕を無視してアンの方へと視線を向ける。
「さて、お前は一体何者だ?兄弟というわけでもなさそうだが、場合によってはお前も組織へと連れて行くことになる。手短に話してくれると助かるんだがな……」
「あなた達は、この子をどうするつもりですか?」
「そんなことは俺には分からん。あくまでも俺はその小娘を組織へと連れて行くだけだ。そいつの処遇は他の奴らが決めることだ。まぁ、人並みの生活が送れるとは思わんがな。」
男の笑いを含んだ言葉を聞きながらも、僕はこの状況をどうやって切り抜けるか頭の中で必死に考える。
頭の中の記憶の戸棚を開けまくり、このピンチを打開できる何かを探す。
(駄目だ……何も出てこない。考えても考えても僕がとれる方法なんて結局一つしかない……)
《怪物》の力を使ってこの状況を乗り切る。打つ手なんて最初からそれしかなかった。
(つくづく、どうしようもない奴だね僕は。あれだけ頼りたくないって言っておきながら、結局僕自身の力じゃ何にも解決出来ないなんて……どこまで無様なんだ僕は……)
改めて自覚する自らの無力さ。けれど、どれだけ悔やんでもこの状況は変わらない。
こうしている間にも、男は懐から出した銀に光るナイフを僕の方へと向ける。
「だんまりか……ならば、始末するしかないな?呪むのならそんな人間とも呼べない《半端者》に、肩入れした自分を恨むんだな。」
「《半端者》……」
男の口から出たその言葉に僕は血が出るほど唇を噛む。それは紛れもなく、男への怒りからくるものだ。溢れる怒気を自身の瞳に込め、僕を見下ろす男を睨みつける。
こんな男に、彼女のことを何一つ知らないくせに《半端者》と吐き捨てるような奴に、この子の人生を踏みにじられようとしていることが許さなかった。
「あなたの言う通り、この子は人間とは呼ばないのかもれない。《半端者》なのかもしれない。けど、それはその子の未来をあなた達が決めていい理由には……ならない!」
「なんだと?」
「この子が何をしたって言うんだ。ただ一生懸命に生きてるだけじゃないか。それをあなた達の理不尽な理由で……踏みにじって良いはずなんてない!」
自分も同じようにまっとうな人間でないからなのか、彼女のことを
すると男は僕の髪を乱暴に掴み上げ、僕の顔を覗き込む。
「ほぉ?」
「痛っ……」
「いいか……小僧、この世にはな、理不尽なことなんて腐る程ある。お前は、目の前でその理不尽が起こるたびに、『こんなものは間違っている』と、泣いている奴に手を差し伸べるつもりか?そんなものは只の偽善だ。実にくだらない。」
男の瞳の中には確かに怒りの感情が込められていた。口から吐く言葉にもその怒りが感じられる。
それに屈することもなく、僕ははっきりと反抗の言葉を口にする。
「それでも、目の前で困っている人を見捨てていい理由にはならないんだ!たとえ偽善でも、くだらなくても、何もしないよりはマシだ。」
「……口の減らないガキだ。その減らず口を二度と聞けないようにしてやるぞ。すぐにな。」
掴んだ髪を離し、男は握っていたナイフを僕の目の前へと持ってくる。その凶刃は、今にも僕の目を抉り出しそうだ。
体の動かない僕はそれを黙って睨むことしかできない。
そんな時、怯えて口をずっと閉じていたアンが男へと向けて消え入りそうな声だが、確かな意志を持って言葉を紡ぐ。
「もうやめて下さい……あなたの狙いは私ですよね?私なら大人しくついていきますから、その人には手を出さないで下さい。」
「残念だが、このムカつくガキは殺しておかないと俺の気がすまん。言われなくてもお前はその後にしっかりと組織へと連れて行く。だから少し寝ていろ。」
鬱陶しそうにそう吐き捨てた男はアンへと近づくと、ナイフのグリップ部分で彼女の首筋を叩きつける。
「うっ……」
意識を失ったアンはその場に倒れ込む。完全に気絶しているのをしっかりと確認した男は何事もなかったように僕の方へ振り返る。
「さて、これで邪魔する奴はいない。ゆっくりと始末してやるぞ。」
僕の中の男への怒りがさらに高まるのを嫌という程感じる。痺れが少し無くなってきた体に鞭を打ち、必死で立ち上がろうとする。
「……そんな女の子を殴りつけて、なんでそんなことが出来るんですか?自分がやってることが間違っていることぐらい分かっているんじゃないですか?」
「生憎、良心はとっくの昔に捨てた。俺はお前のように甘くはない。大人しく死んでおけ。」
僕へと向けられる、痛いほどの殺気と凶刃。普段の僕なら怯えて、震えていると思う。
けれど、今はそんな感情は全く湧いてこない。
「こんな理不尽を受け入れるのが人間なら、僕は人間じゃなくてもいい、喜んで《怪物》になります。」
そんな僕の意志に呼応するように、黒い影が僕を包み込んでゆく。男の服装に劣らぬほどの黒い異形の姿が、闇夜に浮かび始める。
「グルルァァァ……」
(僕にこれしかできないんだったらそれでも構わない。それで彼女が救えるなら、それで良い。)
暗闇の中で赤い、紅い双眼が揺れる。
静寂の中で呻き声が響く。
もうそこに非力な少年の姿はなく、かわりに黒い《怪物》が立っている。
だが、そんな光景にも男は臆することなく笑う。
「なるほど、小娘だけじゃなく、お前も人外の存在ということか?化け物同士で慰め合っているという訳か?」
「グルルァァァ!!」
男の挑発に対して、怪物が返したのは、その黒き拳だった——
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