第5話:甘さと優しさ

「すいやせん、ネロの兄貴……。俺がもっと早く兄貴のところへ着いていれば、こんなことには……」


もうすぐ夜が明けようとしている中で、ジャミはその大きな体躯に似合わぬ弱気な後悔の言葉を、兄貴と呼ぶ傷だらけの男へと口にしていた。


弟分の情けない声を聞いた傷だらけの男、ネロは、その鋭い眼光と言葉でジャミを叱咤する。


「反省は後にしろジャミ。任務はまだ終わっていない。こんなものは失敗のうちに入らん。予想外な妨害にあって中断しただけだ」

「へ、へい」


ジャミの返事を聞き、ネロはまだ痛む体に鞭を打ちながらも立ち上がる。

ネロの顔には青アザや擦過傷が出来ており、とても痛々しい。右腕も折れてはいないが、未だに痺れて動かない。

そんな自身のボロボロの体を改めて確認したネロは、頭に忌々しい少年の顔を思い浮かべる。


「怪物が……やってくれる……」


•••••


——数刻前


「はぁ、はぁ、お前の勝ちだ……。殺せ」


息も絶え絶えに、地面へと仰向けに倒れているネロは、目の前の黒き異形の怪物にそう吐き捨てた。

もうナイフを握る力すらもネロの手には残ってはおらず、痛みで軋む上体を起き上がらせることだけで精一杯だ。


「…………」


そんなネロに怪物は何の言葉を発することもなく、ただ、爛々と輝く紅い双眼を向けているだけ。


「どうした?早く殺せ……。組織に所属することを決めた時に、既に覚悟は出来ている。だからさっさと殺せ……!」


だが、怪物はネロの覚悟を無視するかのように佇んだまま、その異形の姿から、元の少年の姿へと戻った。


「!!」


ふぅ、と小さく息を吐いた少年は、その意志の宿った瞳で、ネロを静かに見下ろす。

少年の瞳には確かな怒りの感情があったが、慈悲の感情も少なからず存在していた。

そしてネロにとっては、それが堪らなく腹立たしいものだった。


「何のつもりだ……?情けのつもりか?そんなものは俺の覚悟を踏みにじるだけだ……!いいから殺せ!」


思わず声を荒げるネロ。

そんな彼に対して少年は、ゆっくりと、しかし確固たる意志を持って、自らの望みを口にする。


「もう、この子からは手を退いてははくれませんか?確かに僕はあなたのことを許せません。けど、別に殺したいだとか、そんなことは微塵も思ってないんです。」


少し申し訳なさそうにそう言った少年を見て、ネロは半ば呆れながらも、湧き上がる怒りに唇を噛みしめる。

自分の覚悟が踏みにじられたということよりも、どこまでも甘い少年の思考に対しての怒りだった。


「俺たちが退くことはないは無い。組織が撤退を命じでもしない限りはな……。つまり、今ここで俺を殺しておかなければ、またその餓鬼は狙われるということだ……」


ネロの話はハッタリなどではなく、彼を始末しない限り、アンに安全が訪れないということはまぎれもない事実だった。

それを頭の中で理解しながらも、少年はやはり彼をどうこうしようという気にはならなかった。

その考えが、自らの甘さだということも、相手の覚悟を嘲笑う形になっているということも分かっていながら、少年はネロに対して謝罪紛いの言葉を口にする。


「……分かってます。僕が自分の手を汚したくないだけの臆病者だってことは……。でも、それでも僕はあなたを殺す気にはなりません。」


ネロに少し頭を下げた後、気絶したままのアンをおぶった少年は、そのままネロの前から立ち去ろうとする。

最後に少しだけネロの方へと振り返り、やはり確固たる意志を持って、小さく呟く。


「もし、あなたがまたこの子を狙うつもりなら、何度だって僕が守ってみせます。あなたが諦めてくれるまで」


•••••


——現在


今、彼の中に溜まっているのは他でもない怒りという感情だ。


身体中に走る痛み。

自分が負けたという敗北感。

少年の意志の光を宿していた瞳。

その少年がネロへと吐いた憎らしい言葉。

さらには自分の後ろから差している朝日さえも。


あらゆるものが少年への怒りへと変換され、ネロの中へと溜め込まれていく。

例えるならば、噴火活動を停止した火山にまだ残るマグマのように、静かに、そしてゆっくりとだが確かに煮え滾っている。違う点は、その怒りは確実に噴火の時を迎えるという点だ。


なぜ彼が少年に対してこれほどまでの怒りを抱いているのか、それは本人にしか分からない。もしかすると、ネロ本人すらも、その確かな理由は把握していないかもしれない。

それでも、ネロは《怪物》と呼ぶ少年への怒りを溜め込みながら朝日の差す道を歩き始める。


「『目には目を、歯には歯を』だ。お前が怪物ならば、こちらも怪物の力を借りるだけだ」


そんなネロの呟きに、すぐさまジャミが反応する。その表情には嫌悪的な色が混じっている。


「あいつを呼ぶつもりですかい?兄貴の指示ならあっしは従いますが、あいつは……」

「構わん。あの小僧に地獄を見せてやれるのなら、奴の力に頼ることも厭わん」


そう言いながら、ネロは内ポケットからパイプを取り出すと口に咥えると、着火器を手にする。

しかし、その着火器が先の戦闘で破壊されていたことに気づいたネロは軽い舌打ちとともにそれを地面へと投げ捨てる。


「今に見ていろ小僧、必ずお前を苦しめた上でその息の根を止めてやるぞ」



•••••



目が覚めると、そこにあったのは見知らぬ天井。

窓からは暖かな日の光が差していて、目覚めた私を暖かく包み込んでくれる。こんなに目覚めのいい朝はいつぶりだろう。


ねむけ眼を擦りながら、私は自分がどういう状況なのかを改めて整理する。


「そうだ……私、確か昨日の夜に……取り敢えず生きてるのかな?」


蘇ってくる昨夜の記憶。一先ず自分の身が無事なことに安堵した私は、とりあえずベットから起き上がる。


「えっと、このままここで待ってた方が良いのかな?」


どうしたら良いか、私がそう悩んでいると、目の前の扉が開く。少しビクッとしたけど、現れたブラックさんの顔を見てホッと安心する。


「ああ、起きたんだね。調子はどう?疲れたりとかしてない?」


ブラックさんはそう言って、私に優しい笑みを浮かべる。少しぎこちないけど、私を安心させようとしてくれていることは伝わってくる。

そんなブラックさんの優しさに私も同じように、少しぎこちない笑顔を返す。


「はい、おかげさまで昨晩はぐっすりと眠ることが出来ました。本当にありがとうございます。」

「それは良かったよ。ああそうだ。これ、朝食のサンドウィッチ。お腹空いてると思って……食べる?」


ブラックさんから差し出されたお皿の上には、とても美味しそうなサンドウィッチが三つほど乗せられている。


焼きたてのパンに、みずみずしい野菜と、こんがりと焼かれたベーコンが挟まれたそれに、昨日の晩から何も食べていない私の胃袋は即座に反応を示し、外へと渇望の声を響かせる。恥ずかしさがこみ上げて来て、顔が真っ赤になるのが分かる。


そしてそれを聞いたブラックさんは朗らかに笑う。


「……空いてるらしいね。下にもまだ余りがあるから、足りなかったら遠慮なく言ってよ。」

「い、いえ、これだけで充分ですので……」


遠慮の言葉を口にした私は、照れ隠しように受け取ったサンドウィッチを口にする。

温かなパンの甘みと、野菜、ベーコンの旨味が程よく合わさっていて、涙が出そうになるほど美味しいものだった。


「美味しいです……。こんな美味しいサンドウイッチは初めてです。ありがとうございます……」

「そんな、大袈裟だよ。」


私の過剰とも言える感想に、ブラックさんは照れ臭そうに笑うと、私がそのサンドウィッチを食べ終わるまで待ってくれた。


空になった皿を置き、私はそう言ってブラックさんを見る。


「ご馳走様でした。」


両手を合わせてそう言った私に、ブラックさんも笑みを浮かべると、皿を下げ始める。

そして、皿を持つ手とは反対の手を私はと差し出す。


「じゃあ、下に行こうか?紹介したい人達もいるんだ。いい人達だから、安心して」


その手を見た私は、慌てて首を振る。


「いえ、もう十分です。危ないところを助けてもらって、ご飯までご馳走になって……これ以上、頼ることはできません。もう出て行きます」


これ以上私と一緒にいれば、またブラックさんにも危険が及ぶと判断し、私はベットから立ち上がると、軽くお辞儀をして去ろうとする。


「本当にありがとうございました。」



私がベットから立ち上がるのを見てから、ブラックさんは、廊下へと出る扉を開き、私を優しく下の階へ案内してくれる。


(私にお兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな……?)


私の手を引くブラックさんの背中にそんなことを思いながら、私は彼に導かれるままに一階へと下りる。

その時、ブラックさんが私の耳の側で小さい声で囁く。


「今から、僕の言う通りに話を合わせてね」

「え?」


突然の一言に私は一瞬、理解が遅れる。

けれど、そんな私をよそに、ブラックさんは一階にいた二人の女性に、声をかける。


「カレン、叔母さん、いま目を覚ましたから連れてきたよ。」


その声に、二人は同じ橙色の髪を揺らしながら振り返ると、同時に元気な声を響かせる。


「おはようアンちゃん!私はカレン。よろしくね!」


ガシッと、力強く私の手を握った『カレン』と名乗る片方の女性は、屈託のない明るい笑顔を私に向ける。

どう言葉を返したものかと迷っていると、もう片方の大人の女性が、カレンさんの頭を軽く小突く。


「痛ぁ!」

「ちょっとカレン、そんなにいきなり詰め寄ったら、アンちゃんがびっくりするでしょ?少し落ち着きなさい」


見るからに親子と分かる二人のやり取りに、私はどう反応したらいいのか分からず、助けを求めるようにブラックさんの方を見る。

その視線に気づいたブラックさんは、少しだけ苦笑しながら、「いつもこんな感じなんだ」と私に言う。


ブラックさんにつられて、私も苦笑を漏らしていると、娘を注意し終わった女性が、私はと優しく言葉をかける。


「ごめんなさいね。うちの娘が……。私はミレイ、一応この家の主よ。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします」


しっかりとした声で自己紹介をするミレイさんに、私は少し安心感を覚えながらも、深く頭を下げる。

すると、ミレイさんは微笑みながら、私の頭を撫でる。


「そんなに畏まらないで。我が家だと思ってゆっくりしてね。あ、なんならお母さんって呼んでくれても良いのよ?」

「え?あの、その……」


いきなりそんなことを言われどう答えたら良いのか分からず、私は戸惑ってしまう。

そんな私を見たカレンさんがミレイさんへと呆れたような顔で首を横に振る。


「お母さん、いつも言ってるけど、そのへんな冗談を言う癖、やめた方がいいわよ?アンちゃんだって、困ってるし」

「へんな冗談とは失礼ね。私はアンちゃんの緊張をほぐしてあげようとしただけじゃない」


先ほどまでとは立場が逆転し、今度は娘が母を注意している。

それを見た私は、とても賑やかな親子だと、心の中で二人の印象を吐露する。


ブラックさんの方を見ると、もう慣れてしまっているのか、苦笑しながら二人の間へと割って入って行く。


「まぁまぁ、二人がアンを受け入れてくれるってことはきちっと伝わったはずだから」


「そうだよね?」と、ブラックさんは二人の仲裁をしながら、相槌を求めるように私の方へと顔を向ける。

それに答えるように私もはい、と頷く。

すると二人も言い合いを中断し、再び私へと話しかけてくる。


「じゃあ、改めてよろしくねアンちゃん」


笑顔でそう言うカレンさんとミレイさん。けれど、二人の笑顔を見て、私の心の中に躊躇いが生じる。


(良いのかな……?この人達に甘えても、頼ってしまって良いのかな?私は……)


両親が死んでから、一人で生きてきた私は、この人達の厚意を受け取っても良いのか分からず、言葉が出てこない。


「わ、私……」


けれど、そんな私の心を見透かすように、カレンさんは、私の両の頰を軽くつまむ。


「ふぇ!?」


いきなりのことに驚く私に、カレンさんは優しい笑顔を浮かべて、語りかける。


「そんな暗い顔しちゃ、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?大丈夫だよ、甘えても大丈夫だから」


その優しい笑みに、私は死んでしまったお母さんの顔を重ねてしまい、瞳から出ようとする涙を堪えることに必死になる。


「は、はい……」


小さくそう呟いた私が、泣きそうになっていることに気づいたカレンさんは、慌ててハンカチを私へと差し出す。


「だ、大丈夫!?そんなに痛かった!?」

「違うんです……そうじゃなくて……」


人の温かみに触れたのはいつぶりだろう?ずっと一人だと思ってたけど、違ったみたい。


……少しくらい甘えても良いんだよね。


目尻に溜まった涙を拭い、あたふたとするカレンさんとミレイさんへ、私は精一杯の笑顔を見せた。


「アン・エルレシアです。よろしく、お願いします」

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異世界で学ぶ正しい怪物の生き方 星太郎 @Kerokero0719

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