第3話:暗き夜に怪物は吠える

夕暮れ時の通りを、黒づくめの二人組が肩を並べて歩いている。ノッポの男と、ずんぐりむっくりな男で、とても対照的な体格を持つ二人。そう、昼間にブラックへと声をかけてきた男達だ。


「ネロの兄貴、件の少女は本当にこの街にいるですかい?全く見つかる気配がしませんが?」


ずんぐりむっくりの男が、ネロと呼ぶノッポの男へ、通りを歩く他の人間に聞こえないように声を細めてそう尋ねた。

件の少女とは、恐らくは彼らがこの街で探している一人の少女のことだろう。


「ジャミ、組織の情報力を侮っているのか?組織やつらがここにいると言っているのなら、ここにいるんだろう。我々はそれに大人しく従って捜索を続けるだけだ。」


そのギラギラと鈍く光る目で通りを見渡しながら、ネロは低い声でそう言う。


「捜索対象がここに居ないのなら、その時は組織やつらから新しい伝令がある筈だ。それが来ていないうちは、我々の任務の変更はあり得ない。」


懐から一本のパイプを取り出し、火をつけると、ネロはそれを口に咥え、軽く一服する。

口から溢れた煙が、宙をうねり、空へと消えてゆくのを見届けたネロは、ジャミと呼んだ隣の相方へと続けて言葉を紡ぐ。


「忘れるな。我々はただ言われた通りに任務を遂行するだけでいい。そして、我々の任務は《少女の捜索と捕縛、そして組織への連行》だ。」


ネロの、肌を刺すような言葉に、ジャミは小さく「分かりやした」とだけ返し、自らも周囲を探索する。手に持っているのは捜索対象の少女の特徴が明確に書き記されたメモだ。


そしてそれと同様のものを手にしているネロは、どこか気にくわない様子でそれを見ている。


「ふん、人間と魔族の交ざり子か……組織の連中もまた趣味の悪いものを捜索対象に選んだものだ。大方、その希少性で奴隷商にでも高値で売りつけるか、怪しい研究の実験対象にするってところか……」


自分たちが組織へと連行した後、対象の少女がどうなるかを想像したネロは、不快そうに顔をしかめたが、「まぁ、俺には関係ないことだ」とすぐに表情を戻し、またパイプの煙を吸う。


「人間というやつは、自身の利益の為だけに、平然と他人を蹴落とし、利用する。本当にどうしようもなく腐った連中だ。」

「まぁ、組織の指示で罪もねぇ少女を攫おうとしている俺らもそのどうしようもなく腐った連中の一員っていうことですがね。」


ネロの呟きにジャミからの的確な指摘が入る。ネロはその指摘を聞き、ニヤリと口元を歪めた。


「ああ、違いない。俺たちもどうしようもなく腐っている。だが、それがどうした?この世界がうまく回ってるのは、俺たちみたいな奴らがいるからだ。汚れってのは必要なんだよ。この世界にはな。」


そう語るネロの目には邪悪な光が宿っている。その瞳が探しているのは少女の行方だけだ。

そして、その脳裏に浮かぶのは、昼間に出会った一人の白髪の少年。


——あの白髪の小僧は何かを隠している。深くは問い詰めなかったが、捜索対象の特徴を聞いた時、明らかに動揺していたからな。他人の空似かも知れないが、対象と接触している可能性がある。調べる価値はありそうだ。


怪しいものはなんでも調べ尽くす。それが彼の信条だ。自分に隠しているものは、地の果てまで追ってでも暴き、自らの獲物に手を伸ばす。

そうやってこの男は幾人もの捜索対象を組織へと連れ去って来た。それは今回も同じだ。


「対象を発見するのは時間の問題だ。一応警戒しておけ、人間と魔族の交ざり子なんてものは初めてだからな。何を隠し持っているか分からん。」

「大丈夫ですよ。ガキ相手にヘマはしやせん。」


そう笑ってネロの忠告を軽く流すジャミだったが、隣から感じた射殺すような眼光にその顔色が変わる。


「俺の命令は絶対だ。警戒しておけと言ったら、何が何でも警戒するんだ。分かったな?」

「へ、へい。すいやせん。」


ネロの言葉に、心臓を握られているような恐怖に襲われたジャミは、額に冷や汗をかきながら、小さくそう返す。

どうやら二人の上下関係はかなりはっきりとしているようだ。


相方が自分の忠告を聞き入れたのを確認して、ネロは、「分かればいい」とだけ言って、周囲の捜索に戻る。


「逃げられるものか……追い詰めてやるぞ、地の果てまでな。」


コツコツと、街路に響く黒服達の小気味良い足音。その足音は周りを歩く人々の笑い声に掻き消されてゆくのだった——




•••••



「はぁ……」


誰もが寝静まる真夜中、僕は一人、街のはずれにある森の中で、一つの切り株に腰掛けていた。静かに吹き付ける夜風がとても心地いい。


「あの子……僕が戻った時にはもう居なかったな……あの黒服達に捕まってなきゃいいけど……」


そう呟く僕の周りには当然ながら人っ子一人いない。聞こえるてくるのは木々の揺れる音と、獣の唸り声だけ。

この森は数年前から魔獣の異常繁殖によって危険地帯となってくるらしく、今では僕ぐらいしかこの場所を訪れる人はいない。


「はぁ、あの黒服達には知らないなんて嘘ついちゃったけど、絶対にバレてるよ……どうしよう……」


僕は今、昼間に起きた一連の出来事を思いかえしていた。あれはどう考えてもトラブルの可能性しかしない。人攫いとかそういう類なんだろうか……


ぐるぐると巡る思考。いくつもの考えが頭をよぎっては消えてゆく。結局どうすればいいのか、はっきりとした答えはでそうにない。


「触らぬ神に祟りなしって言うけど、他の人が危険な目に遭いそうなのを放っておくのは気が引けるよ……それに、あの子は何か不思議な感じがするんだ。」


けど、一体僕に何が出来るって言うんだろう?

あの黒服達と戦う?どうやって?

あの子を匿う?叔母さんやカレンにはどう説明するのさ?

ああダメだ……分からない。


こんがらがってきた僕の思考、夜風がそれをクリアにしてくれる。けれど、僕の考えは最後まで纏まることのない。


「結局、僕が出来ることなんて何もないよ。このことに関わったら、僕は絶対に《怪物》の力に頼る事になる……弱い僕にはそれしか出来ないし……」


卑屈で勇気のない僕は、そう言って目の前の問題から目を背け、切り株から立ち上がる。先ほどまでとは違い、夜風が心の弱さに染みこむような感じがする。


「考えるのはもう止めよう……それよりも早く特訓を始めないと。」


弱気な考えを頭の片隅に追いやって、僕は一先ず、この森に来た目的を果たす事にする。


こんな危険な場所で僕が夜な夜な、何をやっているかというと、『《怪物》の力のコントロールの特訓』だ。

今ではこうやってこの力を自由に制御できているけど、ここまで使いこなせるようになるまでに半年はかかった。

それでもまだ完璧じゃないし、力が暴走する危険性も皆無じゃないってわけで、僕はこうやって、十日に一度の頻度でこの森で力の制御の訓練をしている。


「まずは変身しないと……」


誰もいないと知りつつも、もしかしたら誰かいるかもしれないという心配が頭を離れない僕は、辺りをキョロキョロと見回す。


「よし、誰もいないね。」


当然といえば当然なんだけど、取り敢えず一安心した僕は拳を握りしめ、頭の中で変身後の自分を思い浮かべる。

すると、それに呼応するかのように、黒い外殻が体を覆い始め、両眼が赤く輝き出す。月光が地面へと映し出す僕の影はその形を歪め始めている。


「グルァァァ……」


獣達の唸り声に、それとは違う呻き声のようなものが混ざり、その不気味さはさらに高まってゆく。


「グゥゥ……グルル……」


既に僕は《怪物》へと変身を終えていた。自分じゃよく分からないけど、月明かりが微かに照らすその異形の姿は、とても歪で、恐ろしいだろう。


「グルゥゥゥ」


(うーん、いつも思うことだけど、この時の僕ってなんで言葉を話せないんだろう?喋ることが出来たらまだマシなのにね……)


自身から発せられる人外の言葉に、僕はそんな感想を抱くも、自分ではどうしようも出来ないことなのですぐにそのことを考えるのはやめることにした。


(そんなことよりも、制御の練習をしないと。こんな力に頼るつもりは更々ないけど、もし暴走して、取り返しのつかない事になるのは嫌だ。これも僕の平穏な日常の為だ。)


そう自分に言い聞かせ、軽く身体を動かす。

森の中を颯爽と駆け回るその身体能力に問題は全くない。


(よし、体の調子は大丈夫みたいだね。次はどうしようかな……?)


次に移ろうと動きを止める僕。

——その時、


「きゃあああ!?」


とある悲鳴が僕の耳へと飛び込んできた。正確には耳なんてなくて、どこで音を拾っているのかは疑問だけど、とにかく悲鳴が聞こえてきた。すぐ近くだ。


(女の子の声?こんな真夜中に、それもこんな場所になんで人がいるんだ!?この悲鳴……きっと夜行性の魔獣に襲われてるんだ!)


自分のことを棚に上げて、そんな疑問を浮かべる僕だったが、無視するわけにもいかないので、全速力で悲鳴の元へと駆ける。


(手遅れになる前に急がなくちゃ!)


目一杯に地を蹴り、僕はその黒き体躯を加速させる。凄まじい勢いで生い茂る木々を掻い潜っていく。《怪物》となった身体は全く疲れを感じさせることなく、目的地との距離を縮めてゆく。


(見えてきた!あそこだ!)


木々の隙間を縫って、僕は少しひらけた場所へと出る。

そこにいるのは、十匹程度の魔獣。黒い毛皮とギラギラと光る眼光が特徴的な狼の魔獣だ。

そしてその魔獣達が形作る輪の真ん中には、暗闇で顔は見えないけど、肩を震わせる人影が確かに見える。


(よかった!まだ怪我なんかもしていないみたいだ!早く助けに入らないと!)


少し安心した僕は、今にもその歯牙にかけられそうな少女の目の前へと駆け寄る。いきなり現れた黒い《怪物》に少女は「ひっ……」と恐れをなす。

まぁ、分かってたことだけどやっぱり辛い……


ちらっと少女へと視線を向けると、そこには見知った顔が、目の前の恐怖に青ざめた表情を浮かべていた。


(あ!この子!昼間の……)


月光の光りを反射する淡い空色の瞳に、純白のローブ、そしてそのローブよりも白い磁器のような肌、その姿には確かに見覚えがあった。


僕が昼間に出会った少女、アン・エルレシアだ。


(なんでこの子がこんな場所に!?黒服に追われて逃げてきたの!?いやいや、今はそんなことよりも……!)


少女との予期せぬ再会に、少し驚く僕だけど、周りから聞こえる唸り声がそれを掻き消す。今にも襲ってきそうな雰囲気だ。そんな魔獣たちに、僕は威圧的な睨みをかける。


「グルァァァ……」


不気味に光る紅い双眼が、魔獣たちに恐怖を与える。その瞳に、魔獣たちは恐れている。きっと、この《怪物》には関わらないほうがいいと本能で反応しているのだろう。

けれど、魔獣の方にもプライドがあるのか、僕に対する恐怖を乗り越えた数匹が鋭利な爪と牙を僕と少女へと向ける。


「ガルルルルァァァ!!」


(やっぱり素直に逃げてくれないか……ちょっと可哀想だけど……ごめんね。)


向かってくる魔獣へと、心の中で謝罪しながら、僕はその内の一匹へと蹴りを放つ。その蹴りは魔獣の横腹へと見事に直撃する。


「グゥゥゥ……」


口から血の泡を吹き、倒れる一匹。殺してはいないけど、気絶させるには十分な一撃だ。

地面へと倒れた魔獣を一瞥した後、僕は少女へと襲いかかるもう一匹を視界の端で捉える。


「ガルルルルァァァ!!」

「きゃあ!」


(あ、危ない!)


咄嗟に体を翻し、魔獣の爪が彼女の柔肌に傷をつける前に、その首根っこに手を伸ばし、近くの木へと投げ飛ばす。


「グルゥ……」


木へとその体を叩きつけられた魔獣もまた、血を吐いて、地面へと伏す。

その様子を見ていた魔獣たちに、もう僕たちに襲いかかってくる気配はない。暫くして、大人しく森の奥へと引き上げてゆく。どうやら僕にはどうやっても敵わないと判断したようだ。


(はぁ、良かった。また力を使っちゃったけど、助けられて良かったって思うことにしよう……仕方ないことだよね。)


心の中で言い訳を口にし、僕は力を使った罪悪感を紛らわせる。こんな具合だから、この力に依存してしまっているのだと自覚はしてるけど、これは中々直せない。


(彼女な方は……大丈夫そうだね……)


僕は視線を少女へと戻すと、少女は危機が去って行ったことに安心したのか、へたっと地面へと座り込んでいる。


(うーんどうしようかな……このまま一人にしておくわけにはいかないけど、この姿じゃ絶対に怖がられるし……まず言葉が話せないしね……)


変身を解くべきかどうか、僕は頭の中で考えを巡らせる。とはいっても、答えはもう殆どでていた。


(駄目だ。やっぱりこのまま一人にはしておかない。変身を解くしかない……)


そう決断した僕は、観念して変身を解く。

黒い外殻が霧のように霧散していき、そのもやが消え去った後に現れたのは人間の姿をした僕だ。

その様子に、少女も口を開けて驚いている。


「あ、あなた……昼間の人……やっぱり、普通の人じゃなかったんですね……さっきの姿は……一体……?」

「ははは、まぁ、ちょっとね……」


頭の中に浮かぶ質問を隠すことなく口にする少女の手を、少し苦笑いしながらも引っ張る僕。そんな僕の補助を受けて、少女が地面から立ち上がった。


あの状況に凄く恐怖していたのか、少女の空色の瞳は、涙でとても潤んでいて、目元は少し腫れていた。

彼女を安心させる為、僕は精一杯の笑顔を浮かべる。


「まだ名前は言ってなかったね……僕の名前はブラック、宜しくね。えっと、アン……でいいかな?」

「え、あ、はい。宜しくお願い致します。」


僕の笑みにようやく緊張を解いた様子の少女ことアンは、礼儀正しくぺこりと頭を下げる。どこかの誰かさんに見習わせたいくらいのお淑やかさだ。


「あ、あのブラックさん……私、その……」

「とりあえず、ここから出よう。話はその後でゆっくりと聞いてあげるよ。」


アンは何かを伝えたい様子だったけど、また魔獣たちが襲ってくるかもしれないので、話を聞く前にその森から出ることを決めた僕は、アンの小さな手を取る。


「僕が世話になってる家に行こう。大丈夫、いい人達だから、事情を話せば親切にしてくれるよ。」

「は、はい……」


やっぱり、危険な目に遭ってる人を見過ごすなんてできない。人助けなんてもんじゃないけど、こうなったら何が何でもこの子を守ってみせる。


そう決意した僕は、アンの手をとり、真夜中の森を後にしたのだった。




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