第2話:怪物と少女の出会い

一人の少女が泣いていた。


「どうして私は一人なの?」


少女には母も父もいなかった。疫病によって少女を残したまま、その命を落としてしまったのだ。周囲から疎まれ、いつも一人ぼっちだった少女は、逃げるように故郷を去っていった。


「私はこれからどうしていけばいいんだろう?」


『お前は生まれてきてはいけなかった。』、故郷の者たちにはそう言われ続けていた。


少女は半端者だった。魔族の父と、人間の母という特殊な夫婦の元に生まれてきた子供だった。

少女の父と母はとても仲睦まじく、二人のその愛は、種族の垣根なんてものを軽々と超えていた。


しかし、この世界において、魔族と人間は対立関係にある。そこまで表立った抗争は起きてはいないものの、人間の街を魔族が襲うなんてことも起きている。そのまた逆も然りだ。憎き魔族の集落を人間の兵団が襲撃することもある。

魔族と人間との間の溝はますます広がるばかり。


そんな世界において、魔族と人間が夫婦の契りを結ぶなんてことは深く禁じられていることなのだ。

故に少女とその両親は『異端の家族』として、理不尽で粗悪な扱いを受けていた。それでも少女がそんな苦しみに耐えられたのは、両親の存在があったからだ。

そしてその両親がいなくなった今、少女の心は壊れかけていた。それでも少女は生きる道を選ぶ。


「こんな半端者の私がこの世界で生きてゆくには、正体を隠すしかない。成りきらなくちゃ、普通の人間を演じきるの。」


魔族と人間の違いは生まれつきある角や羽、尻尾を除けば、その体に流れる魔力の量だけ。人間に流れる魔力は微々たるものだが、魔族の魔力は人間の二、三倍はある。それによって人は相手が魔族かどうかを見極めている。


幸い彼女はハーフだということが理由なのか、容姿は人間そのものであり、魔力の量も常人よりも少し多いくらいだ。故郷を離れ、素性を明かさなければどうにでもなる。

あとは根気強く演じきるだけだ。


「私はパパとママの分まで幸せに生きてみせる。人間と魔族がお互いの存在を認め合う日が来ることを信じて。」


強く握りしめた拳は、少女がこの世を生きてゆくための覚悟の証だ。


自分の弱さを理由に、《怪物》となった少年がいる。その少年は、自分が《怪物》であることを隠し、ただの普通の人間として生きることを決めた。

そしてこの少女もまた、《半端者》であることを隠し、ただの一人の人間の少女として、本当の自分を隠し、偽りの少女を演じ続けることを選んだ。


——その道が茨の道であることを知りながら。




•••••




——扉を開くと、焼きたてのパンの甘い香りが僕の鼻腔を刺激した。


扉を開けた先には、こんがりと焼けた小麦色の美味しそうなパン達が、僕のことを歓迎するかのように陳列している。

そしてその奥にはせっせと焼き上がったパンを運ぶ叔母さんがいた。それを見つけた僕は叔母さんの元へと駆け寄る。


「叔母さん、すいません遅れました。」

「ああブラック、おかえりなさい。カレンとの稽古お疲れ様。カレンはまだ来てないの?」


僕のことに気づいた叔母さんは柔和な笑みを浮かべる。怒っていないようで安心した僕は、叔母さんの質問に言葉を返す。


「カレンは準備に手間取ってて、先に僕だけ来ました。開店の準備はもう終わっちゃいましたか?」

「準備の方はこのパンを運べば終わりよ。ブラックには、パンの配達を任せたいんだけど、いいかしら?」


叔母さんが指差した先には一つの紙袋が置いてあり、中には焼きたてのパンが入っている。それを見た僕は了承の言葉を口にする。


「分かりました。任せてください。しっかりと届けて来ます。」

「そう、ありがとうね。今日の配達の分はそれだけだから、パンが冷めないうちに手早く届けてね。」


紙袋を持ち、配達の準備を整えた僕を、叔母さんは笑顔で送り出してくれた。

僕もちゃんと届けて、叔母さんの信頼に応えないと……昨日みたいなトラブルは起こさないようにしなきゃ。


パン屋を出て、お客さんへ届けるパンを入れた紙袋を大切に抱えた僕は、配達先の家へとその足を向ける。


今日もいい天気で、燦々と太陽が照りつけている。

こんな日には配達のことを忘れてのんびり散歩でもしたくなる。


「もう一年が経つのか……早いもんだね。」


人で賑わう表通りを歩き、僕はふとそんな感慨に浸る。


最初は不安だらけだったけど、カレンと叔母さんのおかげでこうやって幸せな日常を過ごせている。こうして思うと、この世界に来れたのは僕にとって幸せだったのかも知れない。


ふと通りを歩く人たちを見ると、その髪の色は赤だったり、茶色だったり、金髪だったり、とても色鮮やかだった。

そんな中だと僕の白い髪も目立たない。ずっとコンプレックスだったこの髪もこの世界じゃ普通なんだ。

《怪物》の力さえ隠していれば、僕だってこの世界で普通の人間として生きていける。


「頑張らなくちゃね。頑張って騎士団に入って、僕もこの街の為に戦うんだ。自分自身の力で。」


決意を新たに街路を踏み出す僕。


——その時、僕は一人の少女とぶつかってしまう。


「痛た……」

「おっと、ご、ごめん。大丈夫?」


ぶつかった拍子に、地面へと尻餅をついた少女。

ハッとした僕は慌てて少女へと声をかける。


参ったな……考え込んでて前を見ていなかったよ……怪我とかさせてなければいいけど……


心配そうに僕は少女を見つめる。どうやら怪我とかはしてないらしい。とりあえず少しホッとした。


「立てる?手を貸そうか?」

「だ、大丈夫です。」


服を軽くはたきながら、少女は立ち上がる。そして僕の方をジッと見つめてくる。そんな彼女の視線に、少しの気まずさを感じる。堪らず僕は声を出す。


「な、何か用かな?」

「……」


けれど、僕の問いかけに少女は沈黙だけを返す。その綺麗な銀髪の下にある淡い空色の瞳に僕は引き込まれそうになってしまう。


何だろう、この子……不思議な感じがする。僕が言えることじゃないけど、普通の人間じゃないような……何か曖昧な……そんな感じ。


僕の中の何かが言っている。目の前の少女は他の人とは何かが違うと。「一体なんだろう?」と、僕は改めて少女を見つめる。


少女は僕よりも少しほど歳が下に見え、羽織った白いローブの隙間から、そのローブよりもさらに白い、陶器のような滑らかな肌が見える。その顔立ちは、どこか儚げな印象を僕へと与える。


どこの子だろう?初めて見る顔だ……一人なのかな?親は近くにいないみたいだけど……


僕が少女についてそう考えていると、今まで沈黙を保っていた少女が、ようやくその口を開いた。


「あなた……不思議な感じがします……本当に普通の人間なんですか?」

「え……」


彼女の発した一言は、僕が彼女に対して思ったこととまったく同じだった。そしてその言葉に、ぼくはひどく動揺する。


なんで……?もしかして、僕が《怪物》だってことがバレちゃったの?どうして?何かの冗談?よく分からないけど、とりあえず落ち着け僕!


焦る心を必死に抑え、上ずりそうになる声をなんとかいつも通りのように出す。へんな態度をとったら、さらに怪しまれるかもしれないので、僕は平常心を意識して言葉を返す。


「な、何のことかな?僕は正真正銘、ただの人間だよ?僕が魔族にでも見えたの?僕が魔族なら今頃処刑されてるよ。」


自分でも少し大袈裟だと思うけど、とりあえず笑って少女の言葉を流すことにする。

それを聞いた少女は「そうですか……」と呟き、また黙り込んでしまう。


こんなに重々しい沈黙は初めてだよ……


ごくりと唾を飲み込み、少女の次の言葉を内心ビクビクしながら待つ。僕って本当に気が弱いな……

すぐに自分を卑下するのは悪い癖だとわかっているけど、それでも自身を嘲ることをやめられない僕。

そんな僕へ、少女は再び口を開く。


「ひとつ伺いたいのですが、『エルベリー』という人が営むパン屋がどこにあるか知りませんか?とても美味しいと評判なのですが……」

「へ?エルベリー?パン?」


予想外の質問に、てっきりさらに疑問をぶつけられると予想していた僕は少し拍子抜けしてしまう。

しかも、『エルベリー』というのは、カレンと叔母さんの姓名だ。つまりこの子は、叔母さんのパン屋の場所を僕に訪ねてきたって事だ。


まぁ、彼女が僕のことをもう言及しないなら、僕もわざわざそのことに触れることはしないようにしよう。


そう考えた僕は、少女へと叔母さんのパン屋への行き道を教えてあげることにする。


「えっと、この通りの次の角を左に曲がって、そのまままっすぐ歩いていけば着くはずだよ。なんならぼくも一緒についていくけど……」

「いえ、そこまでして頂かなくても大丈夫です。ありがとうございました。感謝します。」


僕の道案内を聞き、少女はぺこりと頭を下げてスタスタと足早に去っていこうとする。

しかし、その途中で「あっ……」と何かに気づいたように振り返ると、少女は僕へと向かって口を開く。


「申し遅れました。私の名前はアン、アン・エルレシアです。」

「え?名前……?」

「死んだ父と母がいつも言っていたんです。『助けてもらった人には、きちんと名を名乗って感謝の言葉を言いなさい』って……」


突然の自己紹介に戸惑う僕に、少女はすこし微笑みながらそう説明した。その時の彼女は過去を懐かしんでるように、僕には見えた。


「そうなんだ……立派なご両親だったんだね。」

「はい、私の自慢の両親です。」


僕の当たり障りのない言葉に、少女は小さくそう返すと、もう一度僕へと一礼をする。釣られて僕も頭を下げる。


「じゃあ、ご縁があったらまた会いましょう。」

「あ、うん、またね。」


僕に背を向け、さっきの説明の通りに、左の角を曲がってゆく少女。

僕は少しその場に突っ立っていた後、配達のことを思い出して、お客さんを待たせないように、急いで家へと向かう。


「それにしても、不思議な子だったな……」


実は配達先の家に着くまでに、不運な僕はもう一つトラブルに巻き込まれるんだけど、それはまた別の話だ——


•••••




「はぁ、なんとか無事にパンを配達できたよ……どうして僕はこう、いつもトラブルばかりに巻き込まれるんだ?」


配達を終え、パン屋へと帰る道すがら、僕は一人でそう愚痴をこぼす。


生まれつきっていうのもあるんだろうけど、この世界に来てからはトラブルに巻き込まれる頻度も上がったような気がする。本当にツイてない。


「ぐちぐち言っててもしょうがないよね……」


そう呟いた僕は、気分を入れ替える為に軽く深呼吸をすると、街を風景を見回す。今日も街は平穏そのものだ。


暖かい昼前の日差しに、軽く伸びをする。こうやってのんびり過ごせることが素晴らしいと再び実感する。

そんな中、僕はふと、通りを歩くとある二人組に視線を向けた。


「なんだろう……あの人達……」


僕の視線の先にいたのは、黒いコートを羽織り、黒い帽子を被った二人組の男で、着けている手袋も黒ければ、履いているズボンも黒だ。全身が真っ黒で、見るからに怪しい。

一人はノッポで、もう一人はずんぐりむっくりな体格をしていて、見るからにコンビって感じがする二人組だ。


《怪物》の姿になった時の僕も真っ黒だけど、あの人達も相当真っ黒だね……あんな怪しい人達に関わった日には僕の平穏な人生は終わりを告げるよ。


そんなくだらないことを思いながら、少しの間、男達の方を見ていると、ノッポの男の方と目が合ってしまう。

僕がこちらを見ていることに気づくと、ノッポの男は、ずんぐりむっくりな男の肩を叩き、二人で何かを話し始めた。


僕がそのまま「なんだろう?」と思って見ていると、突然、男達はゆっくりとこちらへと向かってきた。しかも他の誰でもない、僕の方へとだ。


え?なに?なんでこっちに来てるの?もしかして見てたのが癪に障ったの?絶対に怖い人達だよあれ。どうしよう?逃げる?覚悟を決める?ああ、どうしたらいいのか分からないよ!


次第に僕に距離を縮めるいかにも怪しい黒服の男達に、僕の思考は乱れまくる。男達への恐怖だけが僕の頭を支配する。


そうしている間にも、男達はその足を進め、ついにぼくの目の前へと到達した。


「…………」


そのギラギラと鈍く光る双眸が、僕を射殺すように覗いている。


ああ、僕の平穏な日々もここまでだ……


そう絶望している僕へ、ノッポの男がその低い声で言葉を紡ぐ。


「失礼、君に少し質問があるのだが、少し時間をもらってよろしいかな?そこまで時間はとらせない。」

「し、質問ですか……」


思いの外丁寧な男の口調に少し安心感を覚える僕、だけどまだまだ安心はできない。どんな質問がくるのか、心をビクつかせながら待っていると、男は質問の内容を口にする。


「我々は人を探していてね。この街にいることは確かなのだが、この街の人間ではない我々には何処にいるのか分からないんだ。様々な人に聞いているのだが、有益な情報がなくてね。」

「はぁ、僕が知ってることなら……」


ガチガチに身構えていた僕は人探しという内容に一安心した。ノッポの男の紳士的な言動に、怪しいのは見た目だけなのかも知れないと思い始めてきた僕は、取り敢えずどんな人を探しているのかを聞くことにする。


「どんな特徴ですか?」

「我々が探しているのは、銀髪の少女だ。目の色は薄い水色のような色だ。歳は……君よりも二、三歳くらい低いぐらいかな?」

「銀髪に、薄い水色の瞳、僕よりも年下……」


ノッポの男の言った特徴を口で反芻しながら、その特徴に合う人物を頭の中に思い浮かべる。この特徴に当てはまる少女を僕は知っている。


「ちなみに、名前とか分かりますか……?」


恐る恐るノッポの男へと質問を投げかけた僕。

その質問に、男は迷うことなく、はっきりと答える。


「少女の名前は、アン・エルレシアだ。」

「アン……エルレシア……」


ドクドクと早まる心臓。流れる冷や汗。言葉が喉に引っかかって出てこない。


そう、彼らの探している人は、先ほど僕が通りで出会った少女だっんだ。

なんでこの人達があの子を探しているかは分からない。けれど、その怪しく光る瞳には邪悪な意思が宿っていることに、僕は気づいていた——

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