偽る怪物と偽る少女

第1話:始まりを告げる朝

「う……もう朝か……」


小鳥がさえずり、暖かい日差しが朝の訪れを教える。

なんとも心地の良い優雅な朝に、僕は何だか起きたくない気分になってしまう。


「たまには怠惰な朝があってもいいよね」と、払いのけた布団をもう一度被った僕は、二度寝しようと再び目を閉じる。


——次の瞬間、そんな淡い僕の望みは、突然ドアを開けて入って来たカレンの大声によって脆くも崩れ去ってしまう。


「こらー!起きろブラック!朝の稽古を始めるわよ!三十秒で支度しなさい!」


朝からなんとも元気なカレンは、動きやすそうな布地の服に着替えており、手には二本の木刀を持っていた。


そうだった今日は稽古のある日だった……すっかりと忘れていたよ。


そう思い出した僕は、カレンに言われるままにまだ少し気だるい体をベットから起こして、カレンが持って来てくれた服に着替え始める。

そんな僕に「早く!早く!」と着替えを急かすカレンに対して、僕は退室を促すことにする。

朝からカレンのこのテンションにはついてはいけない。


「着替えてから行くから、先に庭の方に行っておいてくれない?」

「全く、しょうがないわね。早くしなさいよ!」


何故そんなに朝から元気でいられるのか、いまいち僕にはよく分からなかったけど、カレンを待たせる訳には行かないので、手早く着替えを終わらせる。


二度寝のできる怠惰な朝は、また今度だね。




•••••




「あら、起きたのブラック?カレンならもうとっくに庭の方に出ているわよ。あんたも早く行って来なさい。」


部屋から出て、階段を降りた僕を待っていたのは柔和な笑顔を見せる一人の女性。その女性に僕は笑顔で朝の挨拶をする。


「おはようございます叔母さん。」


そう、この人こそ、この世界で行く当てもなかった僕を拾って、一年もの間世話をしてくれた人、カレンのお母さんでもあるミレイさんだ。


早くに亡くなった旦那さんの分まで、カレンのことを愛し、女手一つでここまで育ててきたすごく立派な人で、カレンと同じ橙色の髪がとても綺麗だ。


この家で暮らし始めた時に、彼女から「お母さんと呼んでもいい」と言われたが、さすがに気恥ずかしかったので、僕は親しみを込めて叔母さんと呼んでおり、とても尊敬している。


「じゃあ僕も庭に行って来ます。開店の時間にはちゃんと戻ってくるんで……」


僕はテーブルの上にあった一口サイズのパンを頬張った後、叔母さんにそう言って庭へと出ようとする。

すると叔母さんは「若い者同士でイチャイチャして来ても良いのよ?」なんて冗談を口にする。


そんな冗談にみっともなく慌てた僕は、すぐにそれを否定する。


「か、カレンとはまだそういう関係じゃ……」

「まだ……?じゃあ今後はそうなりたいって思ってるんだ?」


ニヤニヤとして、僕の言葉の揚げ足をとる叔母さんに、「からかわないで下さい!」と叫び、顔を真っ赤にした僕は逃げるように庭へと出て行く。


叔母さんのあのすぐに人をからかう性格は本当に直して欲しいと切に思う。ああいうところは尊敬できないんだよな……



•••••



「やっと出て来たわねブラック!遅い!待ちくたびれたわよ!」


庭へと出て来た僕を見たカレンは、そう言って頰を膨らませていた。橙色の長い髪を、動きやすいように後ろで束ねているその姿はとても可愛いらしい。


そんな感想を心に留めながら、僕は怒るカレンの元へと小走りで急いで行く。


「まだ五分も経ってないじゃないか、そんなに怒らないでもいいだろ?これが終わったら甘いものでも奢ってあげるから。」


カレンは甘い物に目がない。こう言えば多分……


そっぽを向いたままのカレンへ、僕はそう心の中で算段しつつ、謝罪の言葉をかける。それを聞いたカレンは頰を膨らますのをやめ、僕ににっこりと微笑む。


「まぁいいわ。許してあげる。」


彼女の笑みを見た僕は「良かった」と、心の中でホッとする。


「それじゃあ、早速始めるわよ!どっからでもかかって来なさい!」


機嫌が良くなったカレンは手にしていた木刀のうちの一本を僕へと投げる。僕は少し驚いたけど、なんとか落とさずにキャッチすることができた。

それにしても相変わらずカレンは乱暴だな……もう少し女の子らしくおしとやかにできないものだろうか?まぁ、あれがカレンの良さでもあるんだけどさ……


なんてことを考えたところで、僕は邪念を振り払い、稽古に集中することにする。


「よし、やるぞ……」


僕たちはお互いに一礼をすると、それぞれ木刀を構える。


カレンの動きに細心の注意を払いながら、僕は攻め入る隙を探す。カレンも同じことを考えているようで、二人ともジッと相手の出方を伺っている。


沈黙と緊張がその場に張り詰める。


——先に動いたのはカレンの方だ。


「やあ!」


気合いの掛け声と共に、縦一閃に振られた木刀。

気迫の乗ったそれを、僕はなんとか自身の木刀で受け止める。木刀を伝って衝撃が走り、手に痺れがくる。


はっきり言って、カレンの剣の才はずば抜けている。大人の男性にも、剣の腕だけなら引けは取らない。


そんな彼女に僕なんかが勝てるわけはないのだが、剣の腕がなかなか伸びない僕のために、カレンは時々、手合わせと言って僕に稽古をつけてくれる。

そのことにはとても感謝しているのだが、カレンは剣を教えるとなると、とてもスパルタなのだ。そこだけがこの稽古をとっても憂鬱にさせる。


けど、今日こそは善戦してみせる。


僕はそう意気込んでカレンの木刀を押しのけると、そのまま木刀をカレンへと振るう。


「はぁ!」


けれど、力を込めた僕の一振りはあっさりとカレンに躱され、虚しく空を切ってしまう。


いや、まだだ。


すぐに剣を構えなおした僕は、間髪入れずに剣撃を次々と打ち込んでゆく。


「まだまだ!」


ガン、ガンと、お互いの木刀がぶつかり合い、小気味の良い衝突音を響かせる。今日はなんだか調子がいい。今なら昨日の路地裏の男達にも勝てそうなくらいだ。


軽快に動く体と剣に、そう感じた僕は、さらに勢いに乗って剣を振り下ろす。体重の乗ったその一撃に、カレンは少しだけ後ずさる。


おお、いい感じだ。初めてカレンに一太刀いれられる気がする。


カレンの手から木刀を弾こうと、僕はさらなる一撃を繰り出そうとする。けれど、そう容易くはなかった。

あまりにも直線的すぎたそれは、カレンに綺麗に躱されてしまった。


「甘いわよ!」


見事に空振りを決めてしまった僕は、一瞬のうちに、懐に入られてしまう。


あ……まずい……


そう思った時にはもう遅かった。態勢を低く保ったカレンは、素早い動きで木刀を振るい上げ——僕の顎へとその渾身の一撃をお見舞いした。


「へぶっ……」


もろにその一撃をくらった僕の体は、一瞬だけ宙を舞い、その背中を地面へと落下させた。顎が凄く痛い。


さっきの言葉……撤回します……やっぱり僕は弱いや。


地面に仰向けに倒れた僕は、青く澄んだ空を見ながら、自分の弱さにため息をつく。

すると、僕の元へとカレンが近づいて、倒れたままの僕へと手を差し出す。


「今日はいつもよりも動きが良かったんじゃない?まぁ、私には一太刀も入れられなかったけど。」


フォローしているのか、していないのかよく分からないけど、とにかくカレンに『良い』と言われたことに僕は少しの嬉しさを感じた。


「今日ぐらいは善戦してたと思ったんだけどね……」


差し出されたカレンの手を掴み、「ははは」と少し恥ずかしそうに笑いながら立ち上がる僕。


「じゃあ中に戻ろうか。」

「え?何言ってるの?今日の稽古はまだまだこれからよ?」


もう終わったつもりで服についた草を取り払っていた僕へと、鬼教官は爽やかな笑顔を見せ、そう言った。これほどカレンの笑顔を恐ろしいと思ったことは久しぶりだ。


「もう騎士団への入団試験までもう一ヶ月ほどしかないのよ?一緒に試験に合格するんでしょ?だったら……まだまだ徹底的にやらないとね!」


やっぱりカレンはとてもスパルタだ……


地面へと落ちた木刀を拾いながら、心中で苦笑いする僕はふと、今朝の叔母さんの言葉を思い出す。


「若い者同士でイチャイチャしてきてもいいのよ?」


けれど、すぐにそんな言葉は頭の中から振り払い、カレンの方へと目を向ける。しかし、叔母さんの一言が完全に忘れられない僕は、カレンのことを少し意識してしまう。


カレンは僕のことをどう思ってるんだろう?


そんなことを考えながら剣を構える。


確かにカレンは容姿も良くて、元気な性格で、僕にとって魅力的な女の子だ。

でも僕は何の特徴もない冴えない奴だ。こんな僕がカレンなんかと釣り合うはずがない。


駄目だ。今は稽古に集中しろ。


サッとカレンの方へと戻した視線。彼女はすでに僕へと向かってきていた。


あ、まずい……


僕の直感がそう悟った瞬間、カレンの手痛い一撃が僕へと直撃することになるのだった。



•••••



「痛たた……」


赤く腫れた頰をさすり、痛みに顔をしかめながら、僕は椅子へと腰掛ける。

そんな僕を、カレンは汗を拭きながら、半ば呆れたような目で見る。彼女の視線がとても痛い。


「なんで余所見なんてしてたわけ?ブラック、あんた……やる気あるの?」

「ご、ごめん……完全に僕に非があるよ……」


「君のことを考えていた」、なんてキザなことを言えるわけがない僕は、カレンに対してただただ謝ることしかできない。


ああ、これも全部変なことを言って、僕の集中を阻害した叔母さんのせいだ。


なんて思って、行き場のない怒りを、この場にはいない叔母さんへとぶつける。まぁ、このぐらいで集中を切らす僕が悪いんだけどさ……


「……ごめんねカレン。せっかく朝から稽古をつけてくれていたのに……本当にごめん。」

「もう、そんななよなよしない!男ならもっと胸張って生きなさい!あんたは気が弱すぎなのよ!」


しょぼんとする僕を見て、カレンは僕の頭にコツンと、軽く手刀を入れる。そして続けてもう一言。


「でも、今日の動きはまぁ良かったわよ。ようやく練習の成果が出てきたってことかしらね。だからそんなに落ち込まないの!」

「う、うん。」


ははは、女の子に説教なんかくらって、しかも励まされて……僕は《怪物》なのにね、情けないよ。


そうやって心の中で自身を嘲りながら、カレンに気づかれないように、僕は少し苦笑を漏らす。


「でも、カレンはもう少しおしとやかにした方が良いんじゃないかな?そっちの方が女の子らしいし……」


先ほど心の中で思ったことを、僕が冗談めいた言い方で口にすると、カレンは胸を張って僕へと自信満々にこう返す。


「私はね、いつだって強気でいたいのよ。女だからって甘く見られたり、守られるだけなんて嫌なの。だから私は騎士団に入って、この手でこの街のみんなを守りたいの!」


そう話すカレンの瞳は決意とやる気で輝いている。その瞳はとても綺麗で、僕は思わず魅入ってしまった。


カレンが騎士団に入りたがっていた理由は何度も聞かされたけど、やっぱり凄いと思う。僕にはこうやって胸を張って堂々と自分の意志を表すなんてことはできないと思うから……


「凄いねカレンは。尊敬するよ。やっぱり僕も、そうな強気で元気なカレンの方が好きだよ。」


僕は今の気持ちをそのまま、カレンへと伝えることにする。それを聞いたカレンは少し顔を赤らめて、照れ隠しの言葉を口にする。


「きゅ、急に褒めないでよバカ……それに、女の子らしくしたいって思わないでもないし……か、可愛いピンク色の服とか着てみたいなんて……」


さらに頰を赤く染め、恥ずかしそうに小さな声でそう言うカレン。


「今の服のままでも可愛いよ」なんて言葉の一つでも言えたら、僕に対するカレンの印象も少しは変わるのだろうか?


胸の内でそんなことを思うが、それが僕の口から言葉となってカレンの耳に届くのはまだまだ先になりそうだ。


「て、もうこんな時間だ……そろそろ叔母さんの店に行かないと、開店の準備をしなくちゃ……」

「あ、本当だ。早く行かないと、またお母さんに変な冗談言われちゃうわよ!」


僕とカレンが壁に掛けられた時計を見ると、時計の針は十時ちょうどを指し示している。これから叔母さんが営むパン屋に手伝いに行かなくちゃいけない。


「じゃあ急ごうかカレン。」

「ごめんブラック、先に行っててくれない?」


準備を早々と終えた僕だったけど、カレンはまだ準備に手間取っている。身だしなみを整えるのに一苦労している。やっぱりカレンも女の子なんだね。


そう一人で納得しながら、僕は扉に手をかける。


「じゃあ先に行ってるよ。カレンもできるだけ早く来てね。」


明るい日の光に少し目を細め、僕はパン屋への道を急ぎ足で通って行く。


今日もいつも通り、平穏な日になりそうだね。


いつもの朝、いつもの街道、いつもの街並み……いつもと何ら変わらない街中を走りながら、僕はこの街での日常に想いを馳せる。


——でもこの時僕は知りもしなかった。


この日、僕の元にとあるトラブルが舞い込んでくることを。そして、それが僕のこの世界での初めての転機なのだと知るのはきっとまだ先の話だ。


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