プロローグ2:その少年、怪物につき
——小さな街の狭い路地裏
「おいおい、お前がぶつかってきたせいで、俺の一張羅が汚れちまったじゃねぇか。どうしてくれんだ?ああ?」
強面な男がそうオラつきながら、僕を睨みつける。
参ったな。この裏路地は家への近道だと思ってたのに、こんな人達がいるなんて……本当にツイてないや。
対して汚れてもいなのに、汚れたと言い張る男を見ながら、僕はそんなことを考える。
どうやら男の方はそんな僕が気にくわないらしい。僕の胸倉を掴み、鼓膜が破れそうなほどに声を張り上げて、僕を恐喝する。
「おい!なにシカトかましてんやがんだ?さっさと謝罪して、金目のもんを置いていけや!そうしたら許してやるぜ!」
強面な男がそう言うと、後ろにいた仲間と思われる複数の男達が悪趣味な笑みを浮かべながら、僕の周りを取り囲む。
多勢に無勢、虫も殺せなさそうな気弱な顔をした非力な少年に対して、相手は屈強そうな数人の男達。勝負は目に見えている。
ここは仕方がないけど、素直に謝って、僕の小遣いを渡して大人しく引き下がってもらおう。
そう考えた僕は、銀貨が入った麻袋を強面の男へと渡し、頭を下げて謝罪の言葉を口にする。
「本当にすいませんでした。そんなに多くはないんですが、これで許してください。」
「へっ、なかなか素直じゃねぇか。」
奪うように僕の手から麻袋を掴み取った男は、僕の謝罪になど耳も貸さずに袋を開けて中身を確認する。
中身の銀貨の枚数を数え終えた男は、「なんだ、これぽっちかよ」と軽く舌打ちをした後に僕をジッと睨みつける。
その視線から逃れるように僕は地面へと俯くように、顔を逸らす。早く終わってくれないかな……
心の中でそう願っていると、男は面倒臭そうに頭を掻き、もう片方の手でシッシッと犬でも追い払うかのように僕に立ち去るように促す。
「あー、もう用はねぇよ。さっさと家にでも帰って母ちゃんに泣きついてるんだな。」
男のそんな言葉には多少イラっとしたけど、面倒ごとを起こさずに立ち去れることに一安心した僕は、なるべく目を合わせないようにして、そそくさと男達の間をすり抜けてゆく。
その時だ、チャリンと、僕のポケットから溢れた物が地面へと落ち、高らかな金属音が僕の足元で響いたのは。
しまった……
その音の原因にいち早く気づいた僕は、自分の顔を自分で殴りたくなった。どうして僕はいつもいつもこうなんだ?
自己嫌悪に陥りながらも、微かな希望を抱いて、音のした足元をそっと見つめる。
だけど、僕の願いも虚しく、足元に落ちていたのは僕が予想していた通りのもの——銀貨の入った麻袋だった。
僕が先ほど強面の男へと渡したものと同じ種類のものだ。少し違うのは先ほどの麻袋よりも少しだけサイズが大きいことであり、つまりその分、より多くの銀貨が入っていると言うことだ。
そして案の定、この音を聞いていたのは僕だけでは無い。ハッとして上を向くと、男達が落ちた麻袋を見ながらニヤニヤとしていた。
ああ、本当に今日はツイてない。僕の憎たらしいほど悪運を心の底から呪いたくなるよ……
「なんだなんだ〜お前、まだ持ってんじゃねぇか。しかもさっきよりも金が入ってるし、隠してやがったか。」
男の下卑た笑いの含んだ言葉で僕は我に返り、急いで落ちた麻袋を拾い上げようとする。
しかし、それよりも速く、男の仲間の一人が麻袋を掠めとる。
「おっと、そうはいかねぇぜ?」
奪い取った麻袋を僕の前でぶらぶらと揺らしながら、笑みを浮かべる男。
そんな男に、流石の僕も間髪入れずに反論する。
「そ、それは叔母さんに貰った、今日の夕飯の材料を買うためのお金なんです。お、お願いですから……返して下さい……」
消え入りそうな声でそう言った僕だったが、男達は互いの顔を見合わせ、大きな声で笑い出す。
「ははははは!誰が返すかよ!俺たちに隠してた罰だぜ!お前のせいでお前の家は今日の夕飯は無しだな!」
おどおどする僕を見て笑う男達は、愉快そうに麻袋の中身を確認し始める。どうやら本当に返してくれないようだ。
「ほ、本当に返して下さい!」
さらに焦った僕は麻袋を持った男から、それを奪おうと手を伸ばす、だけど、その行動は、男から飛んできた拳によって阻止される。
「なぶっ……」
真正面から男のストレートを受けた僕は、無様な声を出して、地面へと倒れてしまう。そんな僕を見て男達はさらに笑う。
「弱っわ!お前弱過ぎだろ!そこらの子供の方が強いんじゃねぇか?」
地面へと倒れ込む無様な僕へと響く嘲笑。
そんな嘲笑に僕はぎりっと歯を噛み締める。
結局、こうなっちゃうんだよな……やっぱりこの力に頼ることになっちゃうんだ。使わないって決めてるのに……ほんとうにカッコ悪いな、僕……
はははと自身を嘲り、痛む鼻頭を押さえながら、僕は立ち上がる。見ると目の前の男達は僕の目の前から去ろうとしていた。
男達を引き止める為、僕は声を振り絞る。
「待ってよ……ちょっと待って……」
またもや消え入りそうな声が路地裏へと響き、男達はよろめきながら立つ僕の方へと、面倒臭そうに振り返る。
「なんだぁ?諦めろよ。この金は俺たちが貰うんだよ。」
「本当に……返してはくれないんですね……?」
再度、男達へ確認の質問をかける僕。
そんな僕に男達は鬱陶しそうに乱暴な言葉を返す。
「そうだって言ってんだろ!この雑魚が!さっさと家にでも帰って泣いてろよ!」
その言葉に、僕の意志も固まった。
この人達には悪いけど、あのお金は取られる訳にはいかない。だから……
すうっと深呼吸をして、男達をキッと睨む。
そして一言だけ。
「なるべく、怪我させないようにしますので……」
「はぁ?なにナマ言ってんだこの雑魚が!」
拳を握り締め、僕は雄叫びを上げる。
「うぉぉぉぉぉ!!」
少しずつ、僕の体が変化してゆく。
全身が黒い影のようなものに覆われ、僕の双眼だけが、赤く、妖しく光る。
その様子に、威勢の良かった男たちも言葉を失っている。
「な、なんだ……一体なにが……?」
男達のその表情には恐怖が浮かんでいる。目の前の少年が異形の姿に変わってゆくという不気味な現象に驚いているのだろう。
男達がそんな恐怖に慄いている間に、僕の身体は既に変化を終えていていた。
「…………」
変化を遂げた僕は、人型のフォルムを保ってはいるものの、その姿はもはや人間と呼ぶには歪すぎる。
全身は黒い外殻に覆われ、手足も原型は止めておらず、人間の頃の面影は全く見受けられない。
黒いマントのようなものをはためかせ、フルフェイスの兜のようなデザインの頭部からは、赤く輝くその双眼が男達をゆっくりと覗いている。
どこかのダークヒーローのような見た目といえば聞こえは良いかもしれない。けれど、その異形の姿にぴったりと当てはまる言葉はまた他にある。
「か、怪物……」
そう《怪物》、その言葉こそが今の僕の姿を表すにふさわしいものだと、自分でもそう思う。
「グ……グルァァァ……」
僕は、いや怪物は、もはや人語ではない呻き声のような言葉を発する。
そんな怪物の声に、男達は「ひっ……」と恐れをなして後ずさる。その表情にはもう恐怖しかない。
だが、怪物はそんなこと御構い無しに、男達へとゆっくりと近づいてゆく。一歩、一歩、また一歩と……
「グルァァァ……」
「ふ、ふざけんじゃねぇ!!この化けもんがぁぁ!!」
極度の恐怖に耐えきれなくなった男達は、各々が懐から刃物などの武器を取り出すと、叫びを上げて怪物へと襲いかかる。
けれど、男達の果敢な勇気ある行動は無慈悲にも、怪物の大きく、堅く、そして真っ黒な拳によって跡形もなく打ち崩されることになった——
•••••
「はぁ、とんだ目にあったよ。全く、ツイてないな。」
幾人もの男達が気絶している路地裏で、僕は男達が握っていた麻袋を取り返した後、一人でため息を吐く。
「この力、また使っちゃったな……この力には頼りたくなんて無いのに……弱いな……僕って。」
自分の非力さを恨めしく思いながら、倒れている男達を放置して、路地裏から表通りへと出る。
空はもうオレンジ色の夕焼けで、家々の影達がまるで僕を飲み込もうとするように伸びている。
「もうこんな時間か……早く材料を買って帰らないと、叔母さんに怒られちゃうな。」
今晩の夕食はなんなのだろうかと、たわいもないことを考えながら、街の市場へと僕はその足を向ける。
そんな時、僕は人混み中で見知った後ろ姿を見つける。この夕焼けと同じようなオレンジ色の長い髪の持ち主は、僕が知っている中ではこの街で一人しかいない。
「カレン、こんなとこでなにしてるの?」
僕は思わず声をかける。
するとカレンはその声に気づいたのか、僕の方へとその長い髪を揺らしながら振り向く。髪と同じ綺麗な橙色の瞳が僕を見つめる。
「あ、ブラック!こんなとこにいたのね!なにしてるって、あんたの帰りが遅いから探しに来たんでしょうが!」
愛らしい表情に反して強気な口調で言葉を紡ぐカレン。僕も初めて会った時は、このギャップにとても驚いた。
カレンは僕がこの世界に迷い込んだときに、助けの手を差し出してくれた叔母さんの一人娘だ。
僕がこの世界に来て一年ほど経つが、カレンとは兄妹のような関係を築いている。僕がこの世界で上手くやっていけてるのは、叔母さんとカレンのお陰だ。二人には本当に感謝してもしきれない。
そんなカレンに僕は、頭を掻きながら微笑むと、弁解の言葉を口にする。
「ごめんごめん、ちょっとトラブルに巻き込まれちゃってね。でも、もう解決したから安心して。」
「またそれぇ?あんたっていっつもトラブルに縁があるのね。本当にドジなんだから。」
呆れたようにカレンはそう返すと、僕の手を掴んで、並んで歩き始める。暖かく、柔らかい感触が僕の手に伝わってくる。
「さぁ、早く材料を買って、家に帰るわよ。そうじゃないと、お母さんに怒られちゃう!」
「ははは、それは嫌だね。」
「じゃあ早くしなさい!急ぐわよ!」
早まる足取り。
僕はほんの少し驚いたが、二人で並んで歩くこの時が何よりも幸せだと感じる。
カレンと叔母さんは、僕が怪物だということを知らない。ただの記憶喪失の少年ブラックとして、僕と優しく接してくれている。
——僕は平穏に生きるんだ。誰にも怪物なんて言わせない。人間らしく、この新しい世界で生きるんだ。
二人と暮らし始めた時から、僕は心の中で静かにそう固く決意した。そうだ、僕はここで幸せに生きるんだ!
そんなことを思い返した僕の手のひらに、力が入る。
突然手を強く握られたカレンはびっくりとした様子で、僕の方を見る。
「ちょ、ちょっと!なに握り締めてんのよ。」
彼女の頰は熟れた林檎のように赤い。
ふと笑みが溢れる。
「なんでもないよ。さぁ、急ごう?」
「はぁ?なにそれ?」
たわいのない会話を繰り返し、僕達は歩いてゆく。沈みゆく夕陽に背を預けながら——
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