第6話 旅出

 ウェンがリリアノに弓を教えてから二日後、時は王国への旅立ちの日まで進む。

 天候は良好。曇一つ無い空を見て、安堵の息を吐く。


 街の入口に用意した馬車に最低限必要な旅の道具を積み込んでいる。

 朝早く起き、情報屋の所まで必要書類を得意の出世払いでかっさらって来た。


 準備自体にさほど時間は掛からなかったが、トレイルの強い勧めで一日出発の時間をずらした。


 その理由は未だ謎だが、ウェンはトレイルに信頼を置いており、深くまでは追求してはいない。


「長い旅になるぞ、忘れ物は無いか?」


 こくり、と荷台に座るリリアノは頷いた。


 手に持った地図を広げ、今日の目的地を再確認する。

 順調に行けば四、五日で着く予定ではあるが、天候等の事もある。

 計画を立てて、魔物に襲われる可能性を少しでも減らす為、街から街へ日中に移動する。


 とは言え、そこまで精巧な地図ではない。

 帝国領はともかく、隣国の地形や道のりなどは行き当たりばったりになってしまうだろう。


 積み込みを完了させ、開門を依頼しようと、ウェンは馬車を離れた。

 それを待っていたと言わんばかりに前に立ちはだかる金髪の男。

 以前、ウェンに打ちのめされたレイナルドが眉間にシワを寄せて立っていた。


「......お見送りか?」


「馬鹿言え。と、言いたいが、あながち間違いではないな」


 意外な回答に言葉を詰まらせる。

 レイナルドの目当てはリリアノであろう事は一目瞭然。


「お前が乗っている馬は僕の家の財産だろう。大切に乗れよ。それと......」


 金の前髪を弄りながら、そっぽを向いた。


「......リリアノさんにもよろしく伝えてくれ」


「自分で言いに行けよ。嫌がらたりはしないっつの。多分」


 リリアノは拒絶しない。諦めてしまっているような表情に、否定も肯定もしない。


「それはお前に勝ってからにする。仮にも僕は負けたんだ。......帰ってくるまでには僕も強くなっておく」


「あぁそうか。楽しみに待っとくよ」


 半ば宣戦布告のような、不思議な遣り取りを交わし、見張りに開門を依頼した。

 擦れる音と共に仰々しい大門が開く。


 普段、魔物や輩の侵入を防ぐ門が解き放たれ、自然豊かな外の世界が見える。


 馬車に戻り、手綱を握る。


「リリアノ、出るぞ」


 背後の少女に声を掛け、彼女の頷きを見て馬車を進める。


 王国までの旅が今、幕を開けた。


----


 街を出て数時間が経過した。


 現在は街の商人が利用するルートを駆使し、危険の少ないであろう道で歩を進めている。


 馬の体力を懸念して、一定のペースを保ちつつ一日目の目的地へ向かう。


 帝国の絶対王政が崩壊した今、元帝国領では溢れた賊や魔物が蔓延っている。

 嫌われ者の帝国は、皮肉にも大陸を均等に束ねていた必要悪であった。


 ノース周辺は比較的平和であるが、王国へ向かうまでの道のりでは魔物も賊も遭遇するだろう。


 それをどう避けて通るかが、旅の肝だとウェンは認識している。


 馬を操るウェンの後ろで、リリアノは分厚く、眺めているだけで頭の痛くなる本を読んでいる。


 快晴の空の下、退屈な時間に眠りそうになる。


 本日五回目の欠伸の後、ウェンのうたた寝を醒ましたのは、本を置き、彼の服の裾を掴んだリリアノだった。


 意外なアクションに目を見開き、リリアノを見た。


「どうした?」


 一瞬、便所か何かかと口に出そうかと思ったが、これ以上避けられる訳には行かない、とギリギリの所で踏み止まった。


 リリアノの目はウェンから馬車の外にある草木へ向けられ、何の変哲もない、緑豊かな草木を指差した。


 馬車を止め、示された場所を見る。


 風が草木を撫で、虫が一匹飛んだ以外には目立った点は無い。


「えっと、何かあったのか?」


 リリアノは羊皮紙にペンを走らせる。


『気になる事』


「あの草がか?」


 コクリと頷くと、リリアノは馬車を降りて指さした場所へ向かった。

 ウェンも続いて着いて歩く。


 止まった所には変な場所は無い。

 強いて言えば、他の場所とは形の違う草が生えている。


「......まさか、これか?」


 リリアノはそれを素手で掴むと、歯をちぎっては持って来ていた空き瓶へ放り込む。


 これまた意外な行動にド肝を抜かれるウェン。


 ある程度採取すると、満足したようで馬車へ戻って行った。


 未だハテナマークを浮かべるウェンは、一連の行動に意味を見い出せず、リリアノの背中を黙って見ていた。


「......何だかエルフっぽい一面もあるんだな」


 村八分に合っていても、エルフはエルフ。

 そう考え、無理矢理納得する事にした。

 瓶の中身を見上げるリリアノに、再び馬車を動き出させたウェン。

 二人の間にコミュニケーションは無かった。


 言葉を交わすことさえ出来れば、彼は何回そう思っただろう。


 背後を見て、さっきより少しばかり楽しそうな様子を感じ、安心して馬車を進めた。


「今後の予定だが、この先に......名前は何だったっけな、小さな村がある。ちょっと早いかもしれないが、そこで休憩でもしようか」


 昼食も未だ摂っていない上、馬に乗りっぱなしだと慣れているとは言え体が軋む。

 言葉をやり取り出来ない所為で、傍から聞けばまるで独り言のようになっている。


 虚しさもあるが、これも王国に着くまでの間であると祈る。


----


 辿り着いたのは、本当に小さな村だった。


 ノースのように門や壁で周りを覆われている訳でもなく、兵士がいる訳でもない。

 いつ盗賊らに襲われても不思議ではない、小さな村だった。


 とは言え、街道沿いに存在する村なので、宿屋や食事処程度はあるだろう。


 馬車から降りるリリアノに、ウェンは咄嗟にフードを被せた。

 自分の街ならともかく、何があるかわからない場所で不容易に目立つのは避けたい為である。


 特徴的な耳を隠せば、凝視されない限りは問題無いだろう。


「リリアノ、あまり離れるなよ」


 そう小声で伝え、村を歩く。


 かなりの身長差がある二人は他人から見れば何に見えるだろう。

 親子と言うには似ていないし、ウェンは父親と言うにはかなり若い。


 小さな村の小さな広場で、何やら人集りが出来ている。

 大人も子供も野次馬に集まり、怒号のようなものも聞こえる。


 本来なら、近付きたくもない所ではあるが、今はこの村の事を知る必要がある。


 ウェンは騒ぎに乗じて情報を得るため、敢えて人集りへ向かった。


「このガキ! 親はどこだ!」


「ご、ごめんなさい......こうなるとは思ってなくて......」


「ふざけんな! この放火犯が!」


 顔を真っ赤にして怒号を飛ばしている中年の男と、地面に座り込んで嗚咽しながら謝罪を繰り返す少女。


 橙色の髪をサイドテールにしている少女の格好は、周りの村人と見比べてもかなり浮いていた。


 真っ黒のローブにトンガリ帽子。

 明らかに常人のそれとは異なった服の壊滅的センスをしている。


 放火という物騒な言葉と、危険を察知する事に長けた直感で、関わってはいけないと確信したウェンは、周りの村人に耳打ちした。


「なぁ、そこの人。俺達ここに着いたばかりなんだが、飯食える場所とか無いか?」


「え? あぁ、それなら......」


 ウェンに話し掛けられた村人の男はいきなりの問に戸惑いつつも、指を指した。


「あの噴火中の親父が、この街唯一の飯屋の店主さ」


「......ついてないな」


 どう転んでも、騒動をなんとかしなければ昼食にありつけないらしい。


「......にしても、あんな子どもが放火とは、世も末だな」


 ウェンは呟く。

 帝国が存在していた頃は、もう少しマシな治安だった。

 軍事国家で、横暴政治ではあったが、表向きには統治は出来ていたからだ。

 だから、反乱にあったのだが。


 苦い顔をしているリリアノに待機を言伝ると、ウェンは人混みを掻き分けて中心へ進んだ。


 彼の、他者に比べて大きい身長は、血のような赤い髪は、鋭い目付きは、凄く目立つ。

 一番前に立った彼は、野次馬の中で一際悪目立ちしていた。


「おい、何があったか詳しく知らんが、大人気無いんじゃねぇのか?」


 もはや蹲って大泣きしている少女と、憤怒に色を染めた店主は、同時にウェンを見た。


「あぁ? お前誰だ? 詳しく知らんのなら口出ししてくるな」


 全くだ、ウェンは心中で店主に同意した。


「そうは行かねぇんだよ。そいつは俺の仲間でね、申し訳ないが、返して貰いたいんだ」


 店主は目を丸くした少女に興味を無くし、『仲間』と偽ったウェンに標的を定めた。


「へぇ、お前が保護者って訳か。んじゃ責任取って貰おうか」


「しゃあねぇな。で、そいつ何したんだ?」


 未だローブを泥で汚して座り込み、鼻水を垂らしている少女を指さす。


「このガキはウチの看板を燃やしやがったのさ。危うく大火事になる所だった」


「何かと思えば......たかが看板程度で大騒ぎとは......」


 わざとらしく溜め息を吐く。


「お前、保護者なら弁償しろ! そうだな......銅貨三十枚でいいぜ」


 ニヤリと笑った店主を見て、ウェンは瞳の奥に敵意を宿した。


「どんな物かは知らねぇが、ちょっと盛りすぎじゃねぇの?」


「そんな事は無い。思い入れのあるもんだからな。これでも負けた方だ」


 確実に上乗せしている。それは確信的だが、こちら側に負い目がある以上、覆す事は難しい。


 なら、


「そこのアンタ、一部始終見てたか?」


「わ、私?」


 野次馬の中から一人、女性を指名した。


「うーん、正直よく分かんなかったけど、そこの女の子がこう、手を振ったら、看板に光が飛んで......」


 女性の答えを聞き、ウェンは眉をピクリを動かした。


「......俺はノースの運び屋だ」


「だからどうした?」


「この村はノースだけじゃなく、様々な商人が利用するだろう」


「......それと今の状況と、何の関係がある?」


「分かってるだろう。仮に俺が行く先々で触れ回れば、まぁ多少は実害が出るだろ? ゆすりなんて、ケチな真似だ」


「そんな事をすれば、お前の商売は......」


 店主は口を抑えて止まった。


「誰が終わらせるんだ? 今は帝国は居ない、こっち側に法なんて無い」


 今が大陸の暗黒期。

 舵を取る者が存在しない、無法地帯。

 悪人が蔓延る、元帝国領。


「......仮に、俺がお前を痛めつけても......」


 ウェンは腰の剣を大袈裟に鳴らし、店主へ近付いた。

 明らかに狼狽える店主。

 引き攣った顔の店主に、悪人顔のウェン。


「誰が俺を捕まえるんだ?」


 眼前まで迫り、圧力をかけると、店主は青い顔で退いた。


「......銅貨二十」


「十枚だ」


 食い気味に言い放つと、店主は拳を握り締め、静かに頷いた。


 店主の肩に手を置き、耳に口を近付ける。


「恐喝ってのはこうやってするもんだ。先に吹っ掛けて来たのはアンタの方、悪く思うな」


 辺りの野次馬はウェンに苦言を言う者もいれば、そそくさと逃げる者もいる。

 事態は収束し、何事も無かったかのように広場には人が消えた。


 店主は金を受け取ると店に逃げ、場にはウェンとリリアノ、少女の三人となった。


「よう、大丈夫か?」


「死ぬかと、思ったぁ......」


 大袈裟な、と半ば呆れ、立ち上がる少女を無言で見る。


「ありがとうございます。ありがとうございます。助かりました本当!」


 充血した瞳でペコペコとウェンに頭を下げている。

 直球的な感謝に、新鮮な心境だ。


「まさか助けて頂けるとは、人は見た目によらないとはこの事ですね」


 目を擦りながら感謝の言葉を述べているが、何処か引っ掛かる言い回しに違和感を覚えた。


 が、この少女は少し勘違いをしている。

 目の前にいるこの男は、『人助け』等頭の隅にも置いていない事を。


 ウェンは少女の言葉を鼻で笑い、


「このご時世に人助けだと? 善意なんて無いさ、仮にお前が善意を感じたとしたら、それは勘違いだ。人の行動の裏には必ず目的がある」


 少女は「え」、と漏らした後固まり、ウェンを見上げた。


「お前、魔導師だろ?」


「............ち、違います」


「本当の事を言えよ」


 視線を少女まで落とし、目を合わせると、後ずさりして距離を取った。


「ち、違。私はその、見習いと言うか、目標が魔導師と言うか......」


「へぇ、やっぱり魔法は使えるんだな」


 仮説が確信に変わり、笑みを浮かべた。

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