第4話 護身の心得

 店を出て、二人は森の中を歩いていた。

 森とは言っても大きなものではない。魔物はおろか害獣も存在しないであろう、町の片隅にある小さな森だ。


 木の根で凸凹になった土を馴れた足取りで踏み鳴らすウェンの後ろで、ヨタヨタと千鳥足で歩くリリアノ。

 時々背後を確認し、ちゃんと着いて来ているか見てはいるが、違和感を感じる。


「......エルフって狩猟民族だよな、確か。何でそんな苦労してんだよ」


 昔聞いた事のあるうろ覚えの知識を空に投げる。

 すると、目的地までまだ少し距離があるにもかかわらず疲労を見せているリリアノは、木の幹に寄り掛かりながら文字を書く。


『部屋で、本』


「......あー、何となく察してた」


 震えた手で書いた文字はミミズが這ったように汚く、短絡的に書かれていた。


 要するに、引き篭もって......引き篭らされていたのだ。


「ま、丁度いいや」


 止まった足を駆動させ、リリアノの先を歩く。手を貸さないのには理由がある。


 苦悶の表情を隠しきれず、滲む汗を拭いながらやっとの思いでウェンの三歩後ろまで追い付く。


 距離的にはそんなに離れてはいないが、斜面になっているのが苦痛を助長させる。


 枝を踏み砕く音、ウェンの腰にある剣の金属音、リリアノの息遣いが二人の間を行き来した。


「おし、着いたぞ」


 斜面の終わった先には平地が広がっており、木々は切り倒されて広場のようになっている。


 遅れて到着したリリアノは肩で息をしており、体力の無さを露骨に見せる。

 呼吸を整え、余裕を取り戻したところで、リリアノは辺りを見て状況を整理する。


 広場ではあるが、子供が遊ぶような場所ではない事が分かる。

 寧ろ、人型の木人形、矢の刺さった的、そこらに落ちている木剣。

 これから更に疲れることをするのは明確である。


 予想して、それが外れるように祈るリリアノ。

 が、先程ウェンが「丁度いい」と言っていた事も合わせて、まず避けられないだろう。


「腹ごなしに剣でも教えようと思ってな......」


 拾った木剣を見てニヤリと笑うウェン。

 それを見て青い顔で首を振るリリアノ。

 近付くウェンに離れるリリアノ。対照的な二人はまるで磁石のNとSのようだ。


「そんなに嫌か......」


 意外と分かり易い性格かも、とリリアノの体を見る。

 細い手足に白い肌、掌はマメ一つ見当たらない。

 本ばかり読んでいたと言うのは本当のようだ。


 かと言って自己防衛も出来なければ話にならない。

 毎度毎度都合よく助けられるほどこの世の中は甘くはない。この国の治安も含めて、ウェンはそう考えた。


 木剣の土を払い、リリアノに手渡した。


 リリアノは嫌々ながらそれを受け取り、柄から剣先まで見る。

 整った顔に陰が差すのを、ウェンは見逃さなかった。

 それは嫌悪感か、過去の何かか。


「......剣は何に使うものだと思う?」


 ハッとした表情をしてリリアノはウェンの顔を見た。


「......」


 沈黙。喋れないから、ではなく、単に形にしたくたいからであろう。


 リリアノの思考は、ウェンには手に取るように理解出来た。


「......そうだ、今、お前が考えている通りだ」


 剣を持つ彼女の手が、少し震えた。


「敵を殺す為の武器だ。刺したり、斬ったり、相手を絶命させる為の凶器」


 彼女は唇を噛み締めた。

 どんな嘘で塗り固めても、正当化しようとも、その事実だけは変わらない。


 元帝国兵のウェンが、ずっと昔に刷り込まれ、未だ頭に残り続ける言葉だ。


 馴染みのない言葉を叩きつけられ、動揺を隠しきれないリリアノに、続けた。


「そうマイナスに考えるな。確かに殺す為の道具だが、自分を守る武器にもなる」


 らしくないな、と考えながら言葉を紡ぐ。


「......只でさえお前は目を引く。ある程度の輩が襲って来ても返り討ちに出来る程度にはしてもらわないとな」


 ほんの少しだけ納得したのか、リリアノは小さく頷いた。


 年寄りのような説教をしてしまい、後悔の念に苛まれるウェンは、恥隠しにリリアノに剣の構えを教える。


「構えは半身、両手でしっかり握って、振ってみろ」


 リリアノはぎこちない動きで指示された通りに構えてみる。

 そして、一振り。


 のろまな一撃と共に、リリアノの体が前のめりに倒れた。

 バランスを崩し、膝をつき、少し恥ずかしそうにウェンを見上げた。


「......あー、最初はそんなもんだ。ちょっとずつ慣れていけばいいさ」


 「思った以上に非力だった」と心の内に仕舞い込み、彼女の手先にある木剣を手に取った。


 服の汚れを叩き、沈んだ面持ちで立つリリアノは、視界の隅にあったとある物に、気が付いた。


 リリアノはそれを手に取る。


「弓、か......まぁエルフといえば弓って聞いた事あるなぁ。でもそれは......」


「?」


「なんと言うか、俺は苦手だった」


 基礎的な事は知ってはいるが、彼の性格か、弓というのがどうしても好きになれなかった。


「向こうに行った所に小屋がある。矢と的があるだろう。取って来てくれ」


 指を差し、リリアノにそう告げると、彼女は指示した方向へ歩き出した。


 リリアノを見送ると、穏やかだった目つきは一変し、鋭い目つきで右を見た。


「さて......さっきから何だ? 着けて来やがって」


 数メートルの距離にある、一層太い幹の木へ近付きながら、腰の剣に手を添える。

 トレイルの家を出た時に感じた視線、得体の知れない気配にウェンは臨戦態勢に入る。


「何だはこっちの台詞だ。此処は僕の家の敷地内だぞ」


 観念したように木陰から出て来た少年は、高価そうなシャツとベストに、金髪碧眼。短い髪は坊ちゃん刈りの様に切り揃えられている。


「お前は、ゴルドー家の息子か」


「レイナルドだ。お前、此処で何をしている?」


 ウェンより年下であろう事は一目瞭然だが、レイナルドは傲慢な態度を改める事無く喋り続けた。


「僕の父に馬を借りている身にも関わらず、図々しいとはこの事だな」


 ウェンは省みない態度にも怒りを示さず、呆れた表情で剣から手を離した。


「なら入る前に止めれば良かったじゃねぇか。ずっーと見てたんだろ? バレバレの尾行で」


「なっ、何故......」


「ド素人がこっそり動いただけで焼け石に水だろ。地主のお坊ちゃんは相当暇人と見た」


 レイナルドの顔は怒りで赤く染まり、歯を食いしばって反撃の言葉を考える。


「僕にそんな事言っていいのか? 父に掛け合えばお前の商売なんて即止められるんだぞ!」


 ウェンを指差し、息を荒らげて感情をぶつけた。


「いきり立つなって、偉いのはお前の父親で、お前じゃないだろ」


「っ!」


「それで、何で俺らを尾行した?」


「そ、それは......!」


 態度が急変した。

 怒りはどこへ行ったやら、途端に口数は減り、自信に満ちた顔は見る影もない。

 視線をあちこちに飛ばし、焦点が定まっていない。


「......あ、あの子が......!」


「あの子? ......リリアノか」


 ウェンは一言で全てを察し、ニヤリとわらった。

 怒りとは別の赤に顔一面は染まり、耳まで届いている。


「へぇー、罪深い女だな、リリアノも」


 他人事のように、興味無く流すウェンは内心もほくそ笑んでいた。

 流石に父親へ直談判されるのは避けたい、が、一時の感情で運び屋業を止めると言う事は、仮にも働いているリリアノにも影響が出る。


 合理的に考えれば、言いつける事は無いだろう。


「で、どうするつもりだ?」


「僕と決闘しろ」


「はぁ?」


 飛んだ答えにウェンは笑い飛ばす。


「僕が勝てば、その......り、リリアノさんと、あ、会わせて欲しい」


 「その程度なら幾らでも会いに来ればいいだろ」と考えるが、会っても心を開かないだろうと口にはしない。


「いいぜ、お前が負けたら此処は好きに使わせてもらう」


 どうせなら、勝てる勝負は勝っておけばいい。


「フン、僕だって父に剣術を習った身。腕に自信はある、元帝国兵だか知らないが、恐れはしない。それに」


 再びウェンへ指を差し、


「噂によると、逃亡兵らしいじゃないか。戦いから逃げた男なんて、僕の敵じゃない」


 逃亡兵。ウェンはそれを否定しなかった。

 人の噂なんて宛にならない。雪だるま式に転がって、尾鰭が付いて回るからだ。


 だが、否定はしなかった。


 レイナルドは歩き、木剣を拾って構えた。

 ウェンはリリアノが使っていた木剣を手に取り、構える事無く向き合った。

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