第2話 旅路の始まり

 北の街、ノース。

 南大陸の『元』帝国領に存在する自然豊かな街。

 帝国の支配下ではあったが、大陸南西に位置していた帝国からの影響はあまり無く、健在だった頃も時々兵士が派遣されてくる程度であった。

 農業が盛んで、盗賊も魔物も見当たらないこの地方は、比較的平和である。


 赤レンガの建物が並ぶ綺麗な町並み。

 豊かな水に恵まれたこの街は発展を重ね、国内でもそこそこ大きな街に落ち着いている。


「それで、エルフを攫ってきたのか?」


 そんな平和な街の、とある家屋の一室で、二人の人間が話をしていた。


 部屋は埃っぽく、広くもなければ狭くもない。

 何らかの資料や本などで散らかり放題で、生活感など見当たらない、まるで物置のような状態だ。


「攫ってきたとは人聞きの悪い。これは真っ当なスカウト、だろ?」


 運び屋ことウェン。

 部屋にある高そうなソファに腰掛けて偉そうに足組までしている。


 そんな彼を横目で見て、小馬鹿にするように溜め息を吐くもう一人。

 木造の椅子に腰掛け、机に向かってひたすら書類に何か書き込んでいる。


「そりゃ、向こうからしたら売り飛ばされるよりマシだろうけどさ、声の出ないエルフなんて......」


「だろ? 流石情報屋トレイルさんは理解が早いねぇ」


 『情報屋トレイル』。

 そう銘打たれたその人物はウェンの言葉に反応するように顔を上げた。


 黒目に癖のある黒髪。華奢な体に不健康な白い肌の少女。

 年齢不明。トレイルと名乗っているだけで、ウェンも本名までは知らない。

 整った顔付きは少しの憂いを含んでいるように思える。


「それで、私の所に来たからには、何か用事があるんだろうね?」


 作業する手を止め、背伸びをしながらウェンへ問う。


「あぁ。あの子、リリアノの事で一つ相談が」


 組んだ足を解き、トレイルの瞳を見つめた。


「......あの子の声を治してあげたいんだ」


 少し恥ずかしそうに、ウェンは懇願した。

 それを見たトレイルは目を丸くすると、込み上げてきた笑いを堪えること無く吐き出した。


 そして、


「君がそんな事を言うなんてねぇ、ふふっ......だが見当違いだ。私は情報屋、医者じゃない」


「んなこた分かってんだよ。医者を紹介しろ情報屋。安くて早くて確実で近場のな。この街の医者じゃ原因すら掴めなかった」


 悪態をつくウェンに対し、トレイルは机の引き出しから一枚の地図を取り出して乱暴に広げた。


 まるで予め準備されていたかのような手際の良さに度肝を抜かれた様子のウェンは、ソファから立ち上がり、トレイルの横についた。


「伊達に情報屋なんてやってないさ。凄腕の医者の一人や二人程度なら紹介できる」


「おお、頼りになるねぇ。それじゃ頼むぜ」


 机を喧しく叩き、前歯を見せてひとつ笑うと、トレイルは手に持っていた羽ペンで地図のとある場所をマークする。


 ここだと言わんばかりに書いた場所を強調すると、彼女は右手側のウェンをチラリと見た。

 ウェンの表情は先程の笑いではなく、頬を引き攣らせて固まっている。


「......マルクス」


 現在地から遥かかけ離れた場所を指され、ウェンは大袈裟に仰け反ってヒラヒラと手を振る。


「マルクスって、マルクス王国?」


「そうだ」


「はぁー? 冗談よせよ! 国一つ飛び越えてんじゃねぇか!」


 王国の位置する場所は現在地の帝国領ではなく、大運河を渡った先にある。

 帝国と王国。南大陸を二分する国のもう片方。


 帝国の内乱の際も、反乱軍に王国側の手助けがあってのではないかと言われている。


 トレイルの条件は、少なくともウェンが提示した近場とはかけ離れた話だった。


「嫌?」


「当たり前だ! そもそも元帝国兵の俺が王国に入れんのか? 下手すりゃ槍で追いかけ回されるわ」


「その点は抜かりない。君は一兵卒だし、自己主張の激しいその剣を何とかすればいい。何より帝国の記録では死んだとされている」


 ウェンはトレイルの言葉に目を見張った。

 『帝国の記録では』、帝国内部でしか知らない筈の情報を口にし、彼は彼女の底知れなさに戦慄した。


 敵に回すと厄介であろう、そう思わせるには十分すぎた一言だった。


 それを理解し、ウェンは自身の腰にある帝国のとある紋章が入った剣を見た。


「それに、私が紹介したい医者は王国に居る」


「......はっ、そういう事かよ。ついでって訳か。分かったよ。んじゃまぁ今すぐ出発して......」


「待て」


 出口に歩き出すウェンを静止するトレイルの声。

 それに呼応し振り向くと、


「出発は明後日だ。今日明日は準備に費やせ」


 真っ直ぐな眼差しを崩さずに、見た目か弱いトレイルは言った。

 その言葉を聞いたウェンは、怪訝な顔をして言う。


「明日は分かるが明後日? パパッと行けばいいだろ」


 嵐でも来るのか? と後付けすると、トレイルの回答を待った。


「色々あるんだ。私の言うことを聞け」


 理由も話さず、半ば命令のように言い、場に張り詰めた空気が流れる。


 普通であれば横暴な物言いに一つ二つ苦言を呈すところではあるが、ウェンは表情ひとつ変えず、


「......分かったよ、何か理由があるんだろ。明後日でいいんだな」


「一応紹介状を書いておく。出発前に取りに来るといい」


 あぁ、とぶっきらぼうに返すと、ウェンは再び出口へ歩く。


「健闘を祈るよ」


 小馬鹿にした笑みは崩さず、ヒラヒラと手を舞わせ、トレイルは部屋を出ようとする彼を見送っ--


「あ、まだ用事あった」


 ウェンは手を叩き、扉の前で半回転し、今度は正面からトレイルを見た。


 ずる、と肩を落としたトレイルへ振り向き、机の上に手を乗せる。

 ウェンはこれまでと違った緊張の面持ちで彼女に相談する。


「そうそう、帰って来て一日経つけど、リリアノがさぁ、全く心開いてくれないんだよねぇ」


「ふーん、君もそんな事気にするんだね」


 くすんだ赤髪を乱雑に掻くウェンの前で、意外性を見たトレイルは目を光らせた。


「当たり前だろ。従業員その一なんだから。あー、何処で間違えたのやら」


「何か嫌われる事でもしたのか? 風呂でも覗いた?」


「覗くかアホ。あー、でもあれかもなぁ......」


 虚空を向いて顎に手を当て、記憶の中からやらかした事実を思い出す。


「心当たりあるのか。言ってみろ」


「初対面の時に、リリアノの目の前で盗賊一人殺した」


「お前......」


 あっけからんと口にした言葉に、トレイルは反射的に「馬鹿なのかお前は」と口にした。


 仮に誰が誰であろうと、目の前で殺人を犯し、その上一緒に働こうと誘い、よく分からない街に連れてこられる。

 よくよく考えれば、ウェンの行った行動は誘拐犯のそれと大して変わらないものであった。


「リリアノの中では、お前普通の人殺しだろ。多分」


「そうか? 流石にそれは......」


 ウェンは表面上否定してはいるが、心の奥底では「やはりか」と自身の行動を後悔していた。


 反省したところで過去は帰って来ず、調子に乗ったトレイルの猛攻は続いた。


「それにお前は目つき悪いし、口悪いし、性格悪いし、金使い荒いし、貸した金返さないし、無駄にでかいし、攻撃的だからな。リリアノの態度も分からんでもない」


「おい私怨か」


 年下であろう少女に暴言を浴びさられ、眉間に皺を寄せて彼女を睨む。

 少し機嫌が良くなったようなトレイルは、一息吐くと、


「誤解だと思うのなら、弓の稽古だの、食事でも連れて行けばいいだろ。少しずつ解いていけばいいのさ」


 トレイルが誰でも考えつくような策に、『鳩が豆鉄砲を喰らった表情』を体現するように驚くと、


「おお、その手があったか。流石情報屋さん」


 パチンと指を鳴らし、乾いた笑いで若干小馬鹿にしながら部屋を出て行く。

 来た時とは裏腹に上機嫌になったウェンは彼女の言う通りに行動しようとプランを練る。


 そんなウェンの背中を、トレイルは複雑な面持ちで見送った。

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