運び屋とエルフ、残酷な世界での奮闘記

ユウミ

第1話 愛は世界を壊す

「あー、金。金カネ。金が無い……」


 何処までも続くと思われそうな整備されていない砂利道で、荷馬車を操る青年が独り言を呟いた。


 彼の溜め息は誰にも届かず虚空に消え、馬力で動く木製のタイヤが地面との摩擦音を響かせるだけであった。


 青年の歳は二十ほどだろうか、短く切られた赤黒い髪の毛に、腰に差してある剣と所々が錆び、薄汚れた鎧を纏い、微かに見える肉体は鍛えられ、古傷が見える。


 見渡せば、右側には原っぱ。左側には木々が生い茂っており、種類の分からない虫が木の周りを乱舞している。


「日銭を稼ぐのがやっとの毎日。……はぁ」


 青年には夢がある。

 孤児で帝都の兵士として軍に所属するしかなかった、幼少期から抱く大望が。


 それは、『大金持ち』。

 聞くだけ聞けば、何だそんな普通な事か。と誰もが思うだろう。


 だが、誰にも頼らず独りで歯を食いしばって生きてきた青年は、誰よりもハングリー精神旺盛で、目的の為ならば手段を選ばない彼は誰よりもその欲求は強かった。


 最も、彼の所属していた帝国軍、もとい帝国は内部分裂の末に崩壊し、彼は国が滅亡する直前に見切りをつけ、逃亡した。


 そして、辿り着いた街で何か商売を始めようと考え、結果貯蓄を開放して物流に手を出し、運び屋を営むが、経営不振。

 貧乏人の仲間入りとなる。


 現在も運び屋をやっているのだが、客足は思うように伸びない。

 本日は元帝国から遥か離れた森の中の依頼者の所まで向かっている。


 手紙として渡された地図には人里など記載されておらず、淡々と文字と落ち合わせ場所だけが手書きされていた。


 その小さな地図を恨めしく睨む。

 依頼料金の高さに釣られたこの依頼は、辺境の中の辺境まで呼び出される割に合わない仕事。

 そんな非効率な仕事をするほど切羽が詰まっている自分を悔いる。


「くっそぉ。ついてねぇなぁ」


 本日何度目になるであろう溜め息は、例の如く空に消えては霧散した。


----


 馬車に乗るのは慣れたものだ。それが愛馬なら尚更だ。

 と呑気な事を考えながら青年は馬車を降りた。


 兵士時代の訓練初期に感じていた腰の痛みなどはすっかり感じなくなり、厳しい過去を思い出して苦笑いする。


 落ち合わせ場所の森に着いた。

 が、人っ子一人見えずに困惑し、周りを軽く散策するが、やはり誰もいない。


「……騙されたか」


 苛立ちを露にして時間を浪費してしまった事を悔いて木に当たる。

 放たれた前蹴りは木の幹に直撃し、木屑を散らせて音を立てた。


 質の悪い悪戯だ。踵を返してと馬の元へ戻る。


「待たんか。たわけ」


 誰も居なかった筈の背中から、掠れた老人の声が青年に投げられる。

 生い茂る草木の中、足音もせず近付いた老人に最大の警戒をし、腰の剣を抜いて振り返る。


 開かれた瞳孔で敵と認識した老人を見、その喉元に剣を突き付ける。

 青年はその老人を上目で睨む。


 老人の背は小さく、長い白い髭を生やして、まるで童話に登場する七人の小人を想起させる。


 凶器を目の前にしているにも関わらず、顔色一つ変えずに佇んでいる。


「おいおい。依頼者を殺す気か。お前が例の運び屋じゃろ?」


 威圧感のある声に青年は剣を仕舞う。


「居るなら最初から姿を見せろよ。騙されたと思ったじゃねぇか」


「お前が運び屋と確信が持てるまで姿を現したくなかったんじゃよ」


 強かな爺さんだ、と青年は考えながら老人の尖った耳を見て、一つの事実に気付く。


「そうかい。俺は運び屋のウェン。宜しくなエルフ族の爺さん」


 エルフは森に隠れる者もいる。そう軍隊時代に小耳に挟み、少ない知識を総動員して言う。


「人間と宜しくする時が来るとはな、長生きはするもんじゃ」


「で、品物は?」


 早くしろ、と言わんばかりにウェンは急かす。


「そうじゃな。おい、出て来ていいぞ」


 エルフの老人は何の変哲もない木へ声を掛ける。

 ウェンはまだ誰かいるのか、と怪訝な顔で対象の木を見る。


 少し時が経つが、一向に変化はない。


 「ボケてんのか?」と軽口を叩くウェンに一瞥もくれず、老人はさっきよりも大きく、もう一声を口から捻り出す。


 次は、それに答えるように根に生えていた草を踏み分けて一人の少女が姿を現す。


 エルフ族の端麗な顔にセミロング程の桃色の髪、絹のような白い肌に同じく白いワンピースのような服を着ている。


 大人しそうなその少女は、俯きながら二人の元へゆっくり歩いた。


「……オイ、どういう事だ?」


 依頼されていたのは『物』と聞いており、ウェンは契約不履行を思って老人を横目で睨む。


 睨まれた老人はそのままのポーカーフェイスで淡々と口を開く。


「運んで欲しいのはこの子。商業都市のスライと言う男の所まで頼みたい」


 ウェンは一つ舌打ちし、報酬の高さと遠路を指定した理由をたった今察した。

 服の裾を掴んで離さない少女に目を向けると、その少女はウェンと目を合わすなり怯え、目を逸らしてしまう。


「他だと人身は断られると踏んで、俺のところに来たと?」


「そんな所じゃの」


 帝国の崩壊後、この辺りの治安は著しく下がった。

 職を失った兵士は皆がウェンのように真っ当な職に着いた訳では無い。

 盗賊や誘拐犯など、犯罪を犯すものも少なくは無かった。


 そんな中、『こんな仕事』を受け、他国に検閲でもされれば誘拐犯と間違えられて即牢獄行き。

 あまりにもリスクが大き過ぎる仕事。

 他の所では受けないだろう。


「この子は何かしたのか?」


 エルフ族は仲間を大切にする。

 そんな情に厚い種族が同胞を追い出すなど考えられない。

 ウェンは村八分同等の仕打ちを受けている少女を憐れに思った。


「この子、リリアノは何もしてないさ」


「じゃあ何故?」


 殺人か放火かと決め付けていたウェンはその答えに肩透かしを受けた。

 ウェンの追撃に老人は初めて顔を顰め、口篭った。


「この子は、悪魔に取り憑かれているからだ」


「……悪魔?」


 突拍子も無い話にウェンは冗談を言っているのかと老人の顔を見るが、その真剣さにその疑いは晴れる。


「この子の周りに居る者は様々な不幸に見舞われる。彼女の両親も、友も、他の仲間達も」


 実在した事を話すように老人は語る。

 老人の口から言葉が発せられる度に少女の顔が曇り、今にも泣きそうな顔に変わって行く。


 これがエルフ族の総意とあっても、この行為はトカゲの尻尾切り同等の人身売買に他ならない。

 ウェンはその事実を目にし、溜め息と共に眉間に皺を寄せた。


「駄目か?」


 少女の周りに居る者は、という事は運び屋であるウェンまで対象になるという事。

 それは彼も理解している。

 その上で彼は口を開いた。


「いいや、金さえ出せばあればエルフでも人間でも死体でも運んでやるよ」


「そうかそうか。そりゃ良かった。では商業都市のスライまで宜しくな」


 それを聞いた老人は満足気に言うと、袋詰めにしてある先払いの金を渡し、少女が出て来た木の陰に消えた。


 ウェンは正直、面倒な事に巻き込まれたと考えている。

 だが日銭を稼ぐのがやっとな彼は目の前の依頼料に目を奪われ、能動的に受けた。


 仮に不幸と天秤に掛けても、金銭が勝っていたとは思われるが。


 金貨が詰め込まれた革袋の重さに興奮し、それを懐に仕舞い込むと、荷物である彼女の元へ歩み寄った。


「そんなに怯えなくていいって。えーっとリリアノだったな。俺はウェンって言うんだ。向こうに馬を止めてあるからそこまで……」


 少女は泣いていた。

 仲間から切られた悲しみだろうか、それともトラウマを想起させられた衝撃だろうか。

 どちらとも判別はつかないが、その端麗な顔を歪めて、細く長い指の手で涙を掬っていた。


 兵士として数年兵役し、内戦も経験した。

 心を殺し、人だって何人も殺めてきた彼も、心が無い訳では無い。

 心情を理解して、出来るだけ優しい言葉を掛けようと頭を回す。


「ほら、馬だぞ馬。ヘラクレスっていう名前なんだけどな」


 少女は泣き止まなかった。

 声も上げず、静かに涙を流し続けた。


 泣き止むのを待つのが優しさだと確信し、ウェンは木の根に座り込んだ。


 数分経った。

 ウェンが暇を持て余し、剣の素振りでも始めようかと立ち上がった時には既に彼女は泣き止んでいた。


 泣いて、赤く腫らした目でウェンを見た、

 仲間への八つ当たりで殴られるかと、非人道的な仕事を受けて罵倒されるかと考えたが、彼女は申し訳なさそうに無言で頭を下げた。


 その行動に驚愕し、たじろいだがすぐに平静を取り戻して馬の元へ歩く。


「行こうか」


 その言葉にリリアノは頷き、二人は距離を置いて馬車へ向かった。


 散々待たされた馬は食事中で、生えている草を咀嚼していた。

 ウェンは馬を一撫ですると、留め具を外す。


「荷台に乗ってくれ。揺れるから気を付けて」


 ウェンの言葉に頷き、リリアノは馬車後方から屋根のついた荷台の中へ入る。

 それを確認すると、ウェンは馬を走らせた。


 ガタガタと揺れる馬車に驚いたリリアノは尻餅をついて腰を摩る。


「こっから商業都市なんて……かなり距離があるな……」


 取り出した地図を見ながら独り言を呟く。

 馬車を走らせて丸二日だが、旅に慣れていないリリアノを連れるともっとかかるだろう。


 森はあっと言う間に抜け、先程の退屈な道へ戻る。

 都市に近付けば賑わいもあるのだが、この辺りは本当に何も無い。

 小さな村などはあるかもしれないが、人より動物の方が簡単に見付けられる。


 何の変哲も無い道に、一本の矢が突き刺さった。


 足止めのように放たれたその矢が場の雰囲気を一変させ、馬は歩みを止め、ウェンは鞘から剣を抜いて馬車から飛び降りた。


 馬車の外に身を投げたウェンは、周りに三人の人間が居る事を確認する。

 盗賊だ。と直感した。

 バラバラと何の統一性も無く、取り敢えず囲っただけの陣形に、ウェンは素人だと認識した。


 ボロい布の服に腰巻、中背中肉にナイフや錆の見える剣。

 勝利を確信した笑みはウェンを更に不快にさせた。


 兵役上がりの盗賊だと厄介だが、素人の集団だと話は別だ。

 とはいえ、ウェンは運び屋を初めて暫く経つが、こんな経験は無かった。


 この不幸な光景にリリアノが乗っている馬車の荷台を見る。


「……本当に悪魔に取り憑かれてるのかもな」


 半信半疑だった老人の言葉を再び飲み込むと、剣を構えて盗賊を睨んだ。

 盗賊三人が抵抗するウェンを囲んで距離を詰める。


「……三人は無理だな」


 表情を殺してそう呟くと、盗賊の一人が大笑いした。


「よく分かってるじゃねぇか。金目の物と食料を全部よこしな。その業物の剣もな」


 手に持った剣を揺らしつつ、常套句を並べる。

 それに対しウェンは盗賊三人に対し、臆すること無く笑った。


「はっ、何言ってんだ屑共が。……三人程度で勝ったつもりか」


 ウェンは自身の腰に手を近付ける。


「野郎……!」


 勢いよくウェンに飛び掛ろうとしていた正面の盗賊は、その勢いを余すところなく縺れたように地面を転げる。


 その後、蹲り、丸まった盗賊から思い出したかのように劈く悲鳴が辺りに響く。

 盗賊の太腿部分にはウェンの手によって投げられた短刀が深々と刺さっており、男は激痛に身を悶えている。


 ウェンの手にはもう一本。

 トドメと言わんばかりに一瞬で距離を詰め、凶器を背中に力任せに刺し込む。


 盗賊の一人は潰された蛙のように一つ呻くと、血の泡を吐いて動かなくなった。


「よくも!」


 瞬時に行われた惨劇を目にした残った二人の内、もう一人が仲間をやられた鬼の形相でウェンへ突進する。


 錆のある剣を振り翳し、ウェンはそれを剣で受け止める。

 鍔迫り合いの剣戟にもう一人のCがナイフを逆手に持って向かう。


「ははっ」


 小さく笑うと、ウェンは自分より多少小柄なへ体重を込めた前蹴りを放つ。

 クリーンヒットした蹴りに蹲る隙に胸ぐらを掴んで、近くまで来ていた残り一人に力任せに投げる。


「だっ」

「ぐっ」


 それぞれ声を上げてバランスを崩すが、蹴りによってダメージを受けた片方と違い、もう一人はそのまま仲間を気にかけることなくナイフを振--


「遅い」


 る、前にウェンは剣を振るった。

 恐ろしい程正確なコントロールで放たれた一閃は敵の両の目を裂き、その明かりを一瞬にして奪った。


 燃える様な熱さを放つその傷に、Cは溢れ出る血液を両の手のひらで抑えて地面で乱舞した。

 その衣服が更に汚れようとも、破けようとも、虫を潰して体液が付着しようとも、悲鳴を止ませずに転がった。


 一瞬で仲間の二人がやられ、高揚心より恐怖が勝った残る最後の一人は、尻餅をついて後ずさりする。


「や、やめっ。俺が悪かったから……! この通りだ、命だけは助け……」


 敵の言葉など気にも止めず、振り上げられた剣は、その重みで命乞いを続ける盗賊の頭をかち割った。

 溢れ出る脳漿と血液を見て、興味を失ったようにトドメを刺せていない最後の一人を見る。


 悲鳴は呻き声に変わっており、地面を這うさまはまるで芋虫のようだ。


 剣を振り、その遠心力で血を落としながら近付く。


「くそ……マル……! 逃げたのか……! おい……!」


 見えない目で何かを求めるように這いずり回り、仲間の名前を呼び続けている。


「両方死んだよ。後はお前だけだ」


 地面のすぐ側で、感情無く声を掛ける。

 その冷淡で無感情な声は敵にとっては死神の呼び声に聞こえた事だろう。


 盗賊の青ざめた顔が更に青くなった気がした。


「俺も、殺す気か……!」


 すっかり怯えたその声に、ウェンは拍子抜けした。


「どうして欲しい?」


 死の淵にいる相手になんて意地悪な質問だろう。

 答えは決まっている。


「助けてくれ……もうしない……」


 定型文だ、とウェンは思う。


「……そうだな。無駄な殺しはしたくない」


 その言葉に希望を見出した敵はほんの少しだけ表情が緩む。

 ウェンは本当に殺す気は無いのか、血を払った剣を鞘に仕舞ってナイフも死体から回収する。


「そう言えばこの辺りは、夜になれば魔物が出るらしいな」


 誰に言ったでもない、独り言のような呟きは最後の盗賊の耳に入った。


「目も見えず、仲間も失った奴はどうやって住処に帰るんだろうな」


 ナイフの血を払いながら続けた。

 その言葉を一言も漏らさずに聞き続けたCはその事実を飲み込んで心の底から恐怖する。


「ふざ、けるな……!」


 痛みを堪え、患部を手で抑えながらフラフラと覚束無い足取りで立ち上がる盗賊は、暗黒の中でウェンに立ち向かった。


 視力がなければ手放した武器を拾う事も出来ない。

 徒手空拳のままで歩き出す。


「ぶっ殺してやる……悪魔め……!」


 その言葉を最後に、盗賊は膝を折って倒れて。

 厳密には、『膝を折られて倒れた』。

 抜刀すらしていない剣の鞘で膝を叩かれ、関節とは逆に折れ曲がる。


 突如襲われた痛みに恐怖を思い出し、再び地面に戻ってのたうち回った。


 殺意を持った敵は打ち倒す。そんな意志すら感じるウェンは進行経路に刺さった矢を引き抜き、


「……弓を持った奴は居なかった」


 一つの事実に気が付いた。


「思ったよりは賢い奴らだって事か」


 ウェンは一言添え、微妙に揺れる荷馬車に目を向けた。


 正面から攻めて来た三人は囮役で、本命は馬車後方の死角から荷台を狙う。

 あわよくばウェンを殺し、馬車ごと奪い取る算段だったのだろう。


「商品に壊すなよな。信用に関わるぜ……」


 再び剣を抜き、急ぎ足で馬車後方に回る。


「くそっ! 抵抗するな、この女!」


 荷物より先にエルフ族の美貌を持っているリリアノを誘拐しようと、荷台に体を突っ込み、彼女を引っ張って馬車を下ろそうとしている。


 彼女もそれは避けるべく、細い腕に力を込めて荷台を掴み、必死に抵抗している。

 その抵抗は功を奏したようで、攫われる前にウェンがそれを認識した。


「女の子は優しく扱えよオイ」


「な」


 リリアノに夢中で全く気付かない盗賊にウェンは先程回収したナイフを男の背中に突き立てる。

 一本では即死せず、もがく手で掴みかかろうとして来たのでもう一本を追加する。


 荷台に凭れるように動かなくなった男の首根っこを掴んで乱暴に捨て、中のリリアノの安否を確認する。


「ったく。泣くくらいなら叫び声くらい上げろっての……」


 多少髪は乱れているものの、怪我一つ無く静かに啜り泣くリリアノを見て安堵する。

 彼女は荷台に座り込み、涙を流し続けた。


 あまりにも静かに泣く彼女に疑問を感じ、ウェンは少し考える。


「お前まさか……」


 確信は無いが、何となくそう思った。

 ウェンは妙に自信のある一言を放った。


「声が出ないのか」


 びくりと体を震わせて、彼女はそれに頷き肯定する。

 悲鳴一つ上げなかったのは肝が据わっていたからでも無く、声が出ないから。


 声の出ないエルフ。

 仲間から見放され、家畜のように売り飛ばされたリリアノの心境が、ウェンは少し理解出来た気がした。


 孤独な彼女が、不幸な彼女が、ウェンにはまるで昔の自分と重なるように思えた。


「……荷台に木箱があるだろ。開けてみろ」


 ウェンの言葉に泣き止んだ彼女は自分の隣にあった木箱を見た。

 そして、彼の指示通りにその木箱の蓋を開ける。


 中には様々な保存食、調味料、最低限の日用品、それと、


「羊皮紙の紙とペンが入ってる。筆談に使うといい」


 彼女の話を聞いてみたい。知りたい。

 商業都市へ向かう数日のコミュニケーションの為、ウェンは彼女に手段を与えた。


 それだけ言うと、ウェンは未だ息のある一人の盗賊を見る事も無く馬の元へ戻る。


 リリアノは箱の中のそれを手に取ると、今まで見せた悲観的なものとは違う、微笑みを見せた。


 馬上に戻っていたウェンはそれを見ず、自らの返り血の付いた鎧と頬を拭って再び馬を走らせる。



「君の事を教えて欲しい」


 馬を走らせて十分ほど経っただろうか、今度は独り言ではない台詞を背後のリリアノに投げ掛ける。


 チラリとウェンが後ろを見ると、普段は布を張って隠してある、荷台の中にいるリリアノが頷く。


 与えた羊皮紙にペンを滑らせてインクを貼り付ける。

 今のところウェンからは文字が見えないが、リリアノの表情を見る限り、あまり明るい事は書いていないらしい。


 お互い昔話をしても不幸自慢にしかならないが、ウェンにとってはまたとない人との旅。

 たまの休息を楽しまない手は無い。ウェンは長い旅のスパイスとして回答を待ち望んだ。


『私は周りを不幸にするエルフです。お父さんもお母さんも私のせいで』


 リリアノはそこまで羊皮紙に書き、手を止めた。

 それを見たウェンもその先は聞かなかった。

 両親も、と彼女を連れてきた老人が言っていたように、リリアノの両親はさぞ不幸な目に合ったのだろう。


 --命を落とす程に。


 ウェンは苦虫を噛み潰したような表情のリリアノを見て、そこまでを理解した。


 言葉が喋れない、世間との関係が希薄なエルフが商業都市に出て何が出来る。

 高い知能を持てども、知識を蓄える時間も与えられていない。

 持っているのは持って生まれた美貌。

 そんな者が世に出て出来る仕事と言えば、決まっている。


「……悪い事聞いたな。すまない」


 そんな彼女の不幸な境遇に、とある事を思い出す。


 --似ている、とても、自分に。


 『いいんですよ』と書いて、無理して小さく笑う彼女に自分を重ね合わせる。


 --あの時の自分はどうだっただろう。


 弱々しいリリアノを見て昔の自分を思い出す。


 --あの時、俺は。


 孤独で、一人ぼっちで、兵士になったのも、そんな負の感情から逃げの果てだった。


 --助けて欲しかった?


「……そうだ」


 自分には無かった、自分には与えてくれる者など居なかった。救ってくれる者など、憐れんでくれる者など、

 それならば、せめて--


「リリアノ」


 初めて名前を呼ばれた事に驚き、文字を書く手を止めてウェンを見る。


「俺の所で仕事をしてみないか?」


 その時のリリアノの表情は面白おかしく、ポカンと口を開けて頭には疑問符を浮かべていた。


 言い方が悪かった、と恥ずかしそうに頭を掻いて、


「あー、あれだ。商売始めたはいいけど、なんか客足伸びなくてさ。ダメならダメで……」


 リリアノはその言葉を聞いて不安げに前髪を触ると、静かに頷いた。


 愛は世界を壊す。愛の有無は不明だが、少なくとも、リリアノの今まで閉じていた世界を、今日ウェンが叩き壊した。

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