第10話 剣を振るう者たち
――数刻後、グランは騎士団の鍛錬場へ顔を出した。
どこにも所属していなかった彼だが、王族付きの騎士となったことで自動的に一員となったのだ。
「グラン=スワード。このように日が昇りきってから来るとは、気が緩んでいるのではないかな?」
最初に声をかけてきたのは、先日の決闘で剣を交わしたアルバート。それをきっかけに羨望あるいは嫉妬の眼差しが向けられる。
どこにも所属せず、名前すらも知られていなかったグランが名誉ある騎士団団長を下したのだ。それに加えて重要な役目を与えられているとなれば、面白く思わない者が多くなることは自明の理。
「申し訳ありません。姫君に外の話を所望されたものですから」
捕らえどころのない口調で言い訳すると、剣呑な空気が漂い始める。
そんな中、アルバートは優雅な表情を浮かべて言った。
「なるほど、姫君のご所望であれば仕方が無い。すぐに訓練に加わるといい」
「はい、ありがとうございます」
紳士的な態度に礼を述べ、木剣を手に鍛錬中の集団の一つに加わった。その際、振り返ってアルバートの様子を見る。
(…決闘の時とは別人だな)
獣と対峙したような感覚は、はっきりと体が覚えている。しかし、今の彼からは欠片も感じることができない。
(……とにかく、気をつけた方がいいな)
思考を切り上げて木剣を構え、目の前の相手を観察する。構えから相手の初撃を予想し、わずかに重心を変化させた。
昨日の決闘とは違い、呪力を体に纏わないまま向かい合う。
「貴様が団長を下した騎士か。……ふむ、思ったほどではないな」
「どんな想像していたのか知りませんけど、俺は未熟者ですよ」
値踏みするような視線と不遜な態度に、肩をすくめて受け流す。
「ふん。……貴様を下せば、我が騎士団団長の座を手にできる。やあぁっ!」
気合と共に踏み込んできた相手に合わせ、グランは自分からも踏み込んだ。刃がぶつかり、そのまま鍔迫り合いへ持ち込む。
鍔迫り合いは一見して力比べのようだが、実際は繊細な駆け引きである。
相手が上背で弾き飛ばそうと力をこめるのに対し、その力を分散させるように刃の角度を変えてグランは対応していった。
「このっ…!」
相手が意地になって力を込めたところで、力を抜いて後方へ退いた。
相手の切っ先が鼻をかすめるように通ったのを感じながら、再び踏み込んで木剣を相手の喉下に突きつける。
ひゅっ、と喉を鳴らして相手が固まったのを見て勝利を告げた。
「王手チェック」
寸止めしていた木剣を下ろすが、相手は固まったまま動かない。どうやら、何が起きたのか理解していないようだ。
「何をしている。負けたなら、さっさとどけ」
自分よりも背の高い男を押しやるように出てきたのは、眼鏡をかけた銀髪の騎士。
「こいつのバカ力相手に鍔迫り合いで勝つとは、団長を下したのも頷くことができる」
言いながら片手に木剣を構え、半身になって切っ先を向けてくるのを観察した。そして、再び構えを変化させる。
次の瞬間、目の前に相手が現れた。
真っ直ぐ突き出された切っ先を反射で避け、相手の真横へ回って一閃を放つ。しかし、その場にいたはずの相手に刃は届かなかった。
「お前の剣は、緩急によって翻弄するものだ。ならば、圧倒的な速度で捻じ伏せてやる」
いつの間にか横へと回られ、木剣が胴へ吸い込まれるように薙ぎ払われた。完璧なタイミングで襲い来る刃に回避は間に合わない。
「為す術も無く敗北し、自分の未熟さに絶望しろ」
カンッ
「っ!?」
「お見事。…でも、一撃目に比べて軽すぎです」
切っ先を弾かれたことに驚きを隠せない相手に、忠告しながら木剣を持つ手を引き寄せて刺突を放った。
切っ先が頬を掠め、僅かに皮が裂ける。
「王手チェックです」
グランが勝利を宣言すると、ようやく相手は我に返った様子で鋭い視線を向けてきた。
「……どうやって防いだんだ。避けられるはずがない」
「秘密ですよ。強くなるには、自分で考えるしかありませんから」
それに対して風のように、するりと逃げるように答えて離れていく。
そんな彼の背中を睨みつけながら、銀髪の騎士―エドリック=ステインは強く木剣の柄を握りしめた。
その後、グランは二人の騎士と手合わせすることになる。どちらも騎士として優秀だったが、前の二人に比べて呆気なく終わってしまった。
(……まあ、こんなものか)
鍛錬を終えた頃、彼を見る騎士たちの目には畏怖の念が浮かび上がることとなった。
その視線を一身に受けながらも平然としていられるのは、こうなるだろうことを半ば予想していたからだ。
彼の剣技は〈剣姫〉と呼ばれるルディアに鍛えられたものだが、それ以前から生きるために剣を振ってきた。
剣を振り続けなければ死が待っていた過去。
剣は自然と洗練され、異常なほど強くなってしまった。閉ざされた薄暗い部屋を思い出しそうになり、グランは打ち払うように頭を振る。
「…おつかれさまでした。セフィア様の護衛に戻らせていただきます」
騎士たちに頭を下げ、突き刺さる視線を感じながら早足にならないように鍛錬場を出て行った。
バシャッ
水が地面にかかり、染みこんでいく。
グランは荒い息を吐きながら頭を振り、井戸の縁にかけておいた布で髪の水分を拭う。
(……やっぱり、俺はここにいるわけにはいかない)
自分の剣が遥かに騎士たちを凌駕していることは、何度も過去を振り返って理解していたつもりだった。
生き残るために振ってきた剣は、獣の爪や牙と同義。その使い方は身に染みこみ、もう体の一部となってしまっている。
「……俺は…」
「…どうしたの?」
急に聞こえてきた声に体を震わせて振り返ると、そこにはセフィア付きの侍女が立っていた。
猫を思わせる小柄な体躯の彼女は、アンリという名前だということを思い出しながら仮面をかぶって答える。
「何でもないです。気にしないでください」
「敬語、私の前でも使わなくていい」
素っ気無い喋り方で、スッと近づいてグランの手から布を奪った。そして、彼の髪から丁寧に拭き取っていく。
「…さっきの鍛錬のこと、気にしてるでしょ?」
素っ気無い口調で言うと、スッと近づいてグランの手から布を奪った。そして、彼の髪から丁寧に拭き取っていく。
鮮やかな手つきに驚きもせず、また振り払うこともしなかった。
「…さっきの鍛錬のこと、気にしてるでしょ?」
「………」
鋭い指摘に沈黙を返し、彼女が拭きやすいように中腰になる。
「紛れ込んだり、忍び込むのは得意。だから、ずっと見てた」
彼女の告白する覗き見に気が付いていたのか、グランは驚きではなく疑問を口にした。
「………セフィア様の命令か?」
「秘密」
答える声は無機質で、感情を読み取ることはできなかった。何を考えているかわからない以上、どのように接すればいいのかもわからない。
「…でも、これだけは言っておく。あまり悩まない方がいい」
言い残して離れると、濡れた布を手にアンリは走り去って行った。その後ろ姿を見送りながら、小さくため息をついて空を見上げる。
(……別に、悩んではいないんだけどな)
心の中で呟く言葉とは裏腹に、その表情は物憂げだった。
――時を同じくして、騎士団の宿舎では騎士たちが一言も発さず黙り込んでいた。ある者は手に持ったサーベルを見つめ、ある者は魂が抜け出たように動かない。
それほどに、グランの剣技は傍目に見ていても洗練されていたのだ。今まで培ってきた己の努力を打ち砕かれ、意気消沈するのも無理ない。
そんな彼らの中に、一人だけ苛立ったように貧乏揺すりをしている騎士がいた。
「グラン=スワード。貴様は、絶対に私が引きずり下ろす。…それまで、首を洗って待っていろ……!」
エドリック=ステイン。騎士団第三席に座する上位騎士である。
呪力を使わずとも他の上位騎士を捻じ伏せるほどまでに研鑽し、かつては騎士団団長の座に最も近いと言われていた男だ。
そんな彼が最も磨きをかけたのはスピード。立ち止まることなく、反撃する余地も与えずに押しつぶす速さ。
「だが、あの男は……!」
よほどグランに自分の誇りを突き崩されたことを根に持っているのか、ますます貧乏揺すりが激しくなっていく。その様子に見かねた騎士の一人が声をかけた。
「少し落ち着け。エドリック」
「うるさいっ! 俺に指図するなっ!」
エドリックが声を荒げて立ち上がったことにより、全員が放心状態から脱却して彼の方を振り向く。
「このままで終わらせるかっ! まだ動ける者がいるなら、今から俺の鍛錬に付き合えっ!」
「気持ちはわからなくもないけど、それは――」
「指図するな、と言っているっ!」
暴走を止めようとした同僚を振り払い、ドアを乱暴に開け放って出て行った。
嵐の後のような静寂が訪れた直後、誰かが立ち上がった音に全員が振り返る。
「誰も行かないなら、オレが行くよ。アイツとは付き合いが長いからなっ」
陽気に親指を立て、宿舎を出て行く騎士―騎士団第二席アーサー=ガレットの背中を見送った。
「……なぁ、もっと俺たちも鍛錬した方がいいんじゃないか…?」
誰が呟いたのか、その言葉を皮切りに全員の間に緊張が走る。
「……でも、あんな化け物に勝てるわけ無いだろ……」
「……それに、これ以上の鍛錬は体を壊しちまう……」
「……こんなことで怖気づいていたら、怪物にも負けちまうかもな……」
「……そうだ。俺たちは強くなきゃいけないんだ」
「……俺たちが怪物に負けるなんて、ありえねぇよ。どれだけ剣を振ってきたと思ってるんだよ」
バキッ
口々に小声で言い合う彼らの耳に、何かが折れる音が響いた。
全員が体を大きく震わせて振り向くと、そこには折れた木剣を手に持つ強面の巨漢が立っている。
「一度負けたなら、次で勝てばいい。貴様らは弱気になりすぎだっ!」
「……お前が一番最初に負けただろ」
「ふん、少し油断しただけだ。あの程度なら、我が本気を出せば一捻りだ」
大威張りで胸を張る同僚に、全員が疑いの視線を向ける。
「それに、だ。要は勝てばいいのだろう?」
気にした様子も無く下卑た嘲笑を浮かべる彼の言葉は、何人かの騎士が飢えたように喉を鳴らした。
「もし、あの者に勝ちたければ――」
誇り高き騎士とは思えない悪魔の誘いに、心を揺さぶられて惑わされていく。
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