第9話 約束は紅茶と共に

 騎士とは、地上に出現する怪物を討伐するために天上の神々によって選ばれ、剣と力を与えられた者。

 神々が選ばれた彼らは守護者とされ、神聖視されることが多い。中には武勇が御伽噺になって伝わる者もいる。

(でも、なぜ選ばれるのかは基準が無いんだよなぁ)

 目の前で侍女がノックする音を聞きながらボンヤリと考え事をするのは、グリオード王国第二王女付きの騎士となったグラン。

「姫様、スワード殿をお連れしました」

「入りなさい」

 ドアの向こうから聞こえてくるのは、凛と透き通った声。すぐにドアを開けて部屋の中へ入って行く侍女に続く。

 まず最初に視界に飛び込んできたのは、普通に暮らしていれば目にすることのない調度品の数々。使い古されているため見た目は地味だが、それらが高価な代物だということは理解できてしまう。

 その中心でベッドに腰掛けているのは、亜麻色の髪を持つ可憐な少女。そっとカップに口をつける様子は一枚の絵になりそうだ。

「グラン・スワード。ただいま参上しました」

(……落ち着かないな)

 一応は騎士服を着ているが、自分だけ場違いな気がして仕方が無い。

「そんな所に立っていないで、こっちに来なさい。一緒にお茶を飲みましょ?」

「そのような恐れ多いことはできません。気持ちだけ受け取らせていただきます」

 緊張でカラカラに喉が渇いていたが、グランは部屋の主―セフィアの申し出を迷うことなく断った。彼は主従関係で従の立場であるため、主である彼女と同じ席に座ることは許されないのだ。

「聞きたいことがあるの。長くなるかもしれないから、せめて座ってほしいのだけれど」

「わかりました。失礼します」

 主の強い要望であれば従うしかない。近づいていくと、彼女の傍らに控えている侍女がスッと目を細めた。

(……警戒されてるな。まあ、どこの馬の骨かも知れない男が近づけば当然か)

 テーブルを挟んで向かい側に座ると、セフィアはソーサーにカップを置いた。

「あなたは〈剣姫〉と呼ばれる騎士の弟子だそうね。私も彼女の武勇は、よく耳にするわ。さぞ、素晴らしいお方なのでしょう?」

 色々と言いたいことはあったが、なんとか喉の奥で押し込めて苦笑を浮かべて答える。

「はい。尊敬する師です」

 師を褒められて照れたように見えたのだろうか、王女は笑顔を浮かべる。

「…実は、私のお母様は〈剣姫〉に守ってもらっていたの。その方の弟子が私を守ってくれるだなんて運命だと思わない?」

「確かに奇跡ですね。…私は未熟ですが、師の名にかけて必ずお守りします」

 尋ねられれば笑顔を浮かべて同意し、忠誠を誓うことも忘れない。言葉を重ねることで、王女の隣で控える侍女の警戒心を解くためである。

 ルディアに嵌められたとはいえ、グランはセフィア付きの騎士になったのだ。彼女の周囲にいる人間との関係は良好な方がいい。

「ありがとう。でも、私が貴方に誓って欲しいことは別にあるの」

 突如、花が綻ぶようだった微笑みが消えた。

「それさえ誓ってくれれば、王城に置いてもいいわ」

「………」

 氷のように冷たい彼女の視線に、警戒している相手が侍女だけでないことを知る。

 衣擦れの音を聞いて視線を動かしてみれば、グランを連れて来た侍女が彼の後ろに立っていた。ただ立っているだけに見える侍女の姿を見た後、目の前に座る王女に視線を戻す。

(…国王と誓約を交わしたとはいえ、そう簡単に信じるわけないか。……箱入りかと思ってたけど、意外にしっかりしてるな)

 自分の認識を改めざるをえないことを理解し、内心でため息をつきながら尋ねた。

「もし断れば、私はどんな処罰を受けるのでしょうか?」

「……すぐに頷かないのね。王族付きの騎士として任を解かれれば、貴方だけでなく〈剣姫〉の名に傷がつくのに」

 嘆くような口調。その裏に何らかの意図を感じたグランは、不愉快そうに顔をしかめた。普段は仮面を被ったように眉一つ動かさない彼だが、

(……この王女様とは、腹を割って話した方がいいのかもな)

 それは押し隠す術を知っているだけにすぎない。しかし、この場でそれは無意味だと気がついた。

「それが、どうした?」

 だから、静かに仮面を脱ぎ去った。

「っ――!?」

「別に名前が傷つこうが、あの婆さんは気にしない。後で色々と文句を言うかもしれないけどな。でも、それだけだ」

 礼儀も何も無く、驚きを見せるセフィアに素の顔で指を突きつけて不遜に言い放つ。

「俺は任を解かれれば、また放浪の旅に出る。反逆罪で騎士団に追われようが、逃げ切ってやるさ」

「……そんなこと――」

「できるわけ無い、か?」

 否定しようとするのを遮り、先回りして封じ込める。

「ああ、そうだな。確かに、普通の騎士なら無理だ」

「………」

 視線の交錯。一気にまくし立てられ、圧倒されていたセフィアは明らかに困惑していた。

 それもそのはずである。彼女が今まで会ったことのある人間は、自分達の保身あるいは純粋な忠誠のために仮面を被っていた。しかし、グランは自らその仮面を外しているのだ。

 王城の中で渦巻く策略や駆け引きを感じられない。自分が不利になるにも関わらず、彼は素顔を曝け出している。

「あんたが何を誓わせたいかは知らないけど、俺が剣を振るう理由は俺が決める。これだけは誰にも譲らない」

 言葉の重みも、そこに宿る意思も今までに感じたことが無いほど異質で純粋だった。ゆえに、心を大きく揺り動かす。

 射抜くような眼光に金縛りにあったように動けなくなり、呼吸すらも忘れそうになる。

「……そう」

 なんとか絞りだせた声は、聞こえたかどうか分からないほど小さかった。そして、それ以上は何も言葉が出てこない。

「なら、なぜ今回の任を受けたのですか? 自分自身のために剣を手にするなら、王と誓約を交わす必要は無かったはずです」

 黙り込んでしまったセフィアの代わりに、彼女を守るように寄り添っていた侍女が鋭く質問を突きつけた。

「……ルディア・ワーデンには恩義があるからな。筋を通さないわけにはいかないだろ」

 不本意だと言いたげに顔をしかめてグランは答える。

 彼が嘘をついているようには見えなかったので、侍女は本心からの言葉だと確信した。そして、少し卑怯だと思いながらも逃げ道を塞ぎにかかる。

「でしたら、誓約を交わした以上は与えられた任を全うすべきです。それが筋を通すということではないですか?」

 試すような口調に苛立ちを覚えたが、彼女の言っていることは正論だと理解しているからか、深く息を吸って落ち着きを取り戻す。

 そもそも、仮面を外したのは王国を敵に回すことが目的ではないのだ。ここで怒りに身を委ねることは得策ではない。

「…わかってる。誓約を交わすことは騎士にとって絶対だということも」

 そもそも、誓約は力を持つ騎士を何の力も持たない人々が制御するために神々が定めたものだ。しかし、時代を経て今では権力者のみが知る特権へと変化してしまっていた。

 誓約は騎士の決闘と同じく神々に捧げる儀礼であり、それを己から破棄することはできないとされている。

「それならば、口を慎みなさい。それ以上の無礼は許しません!」

「……申し訳ありませんでした」

 叱責を受けたグランが頭を下げて仮面を被り直した瞬間、セフィアは緊張が解けるのを感じた。砂漠のように乾いた喉を潤わそうとカップに手を伸ばす。

(……しまった。やりすぎたか)

 手を震わせながら紅茶を飲む様子を見て、グランは内心で後悔していた。

 警戒を解くために仮面を外して素顔を見せたが、それで逆に畏縮させてしまったのだ。結果としては最悪である。

「……………」

「……………」

 重い沈黙の中に高級そうな紅茶の香りが漂い、ますます居心地が悪くなる一方だ。

(……緊張感で言えば、昨日の決闘の方がマシだな)

 無礼を承知で啖呵を切ったとはいえ、反逆罪で騎士団に追われる身になるのは勘弁してほしいのが本音である。

 今後の一生を左右する審判であり、それを決める権限は目の前に座る少女が握っているのだ。現在間近で感じているプレッシャーと比べれば、昨日の何も知らずに決闘した時の方が気楽でいいと思うのも無理はない。

「……お代わりをお願い。それと、彼にも紅茶を淹れてあげて」

 重い沈黙の壁を破ったのは、震えながら紅茶を飲んでいたセフィアだ。

「かしこまりました」

 寄り添っていた侍女はワゴンに乗せていたポットを取ると、まず主の前に置かれたカップに紅茶を注いだ。そして、いつの間に用意したのか新しいカップにも紅茶を注いでテーブルに置かれた。

 刑の宣告を言い渡されるのを待つ心地だったグランは、その様子に仮面が脱げ落ちるのに気が付かないまま唖然とする。

「どうしたの? 早く飲まないと冷めてしまうわよ?」

 香りだけでも高価な紅茶を飲むのは躊躇われたが、淹れてもらった紅茶を飲まないというのはもったいない気がした。

(許可を得ている以上、飲まないわけにはいかないよな…?)

 今の状況が理解できていないが、とりあえず紅茶を口に含みながら周囲の気配を探る。

 何事も無かったように主の傍に控えるエリナと呼ばれた侍女。先ほどまで背後に立っていた侍女はドアの前へ移動している。

 最もグランを警戒しているだろうセフィアは、飲む様子をじっと見つめてきて居心地の悪さを感じた。

 仮面が外れたまま彼が素顔を見せているからなのだが、調子を狂わされて気が付いてない。

「……美味しいですね。初めて飲む味です」

 紅茶は嗜んでいないので味はわからないが、無難な感想を言ってカップをソーサーの上に戻した。

「それは、本当? 私の前で嘘はつかないで」

 本音を言うのは気まずかったが、主の求めであれば仕方がないと割り切る。

「……正直、紅茶の味はわかりません。でも、美味しい気がします」

 彼の答えを聞いたセフィアはなぜか嬉しそうに微笑み、新たな命令を出してきた。

 凛然とした王女の雰囲気が失われ、年頃の少女のものへと変わってしまっている。

「敬語も禁止。普通に話して」

(……いったい何なんだ?)

 さきほどまで自分に怯えていた少女が、今では微笑んでいることに困惑せずにはいられない。

「そのような畏れ多いことはできません」

 話すと長くなる過去のおかげで、精神状態に影響されずに思考が判断を下した。

「ダメ。敬語は禁止」

 拒否されたことに腹が立ったのか、少し拗ねた口調で命令を繰り返す。

 余計に調子が狂うのを感じながら拒否しようとグランは口を開き、

「しかし――」

「………」

「……わかりました」

 欲しい物をねだるような子供のように無言で見つめてくる彼女に根負けし、最後には承諾してしまった。

「約束よ?」

「……はい」

 セフィアの浮かべる嬉しそうな微笑みに、背中がむず痒くなるのを感じながら顔をそらして誤魔化すように紅茶を飲んだ。

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