第8話 黒衣の守護者

 同じ頃、セフィアは自室で紅茶を飲んでいた。

 コン、ココン

 特徴的なノックが聞こえ、カップをソーサーに置いてドアの方を見る。

「入って」

 彼女の声に反応したようにドアがゆっくりと開き、そこに立っていたのはボロ衣のようなローブを着た人影。さきほどの決闘を貴族たちの近くで見ていた人物だ。

 その人物は王女へと近づきながら、ローブの合わせ目に手をかけて一気に脱ぐ。

「姫様。ただいま戻りました」

 現れたのは、髪を高い位置でまとめた少女。服装こそ庶民と変わらないが、彼女はセフィア専属の侍女である。

「アンリ、ごくろうさま。決闘はどうだった?」

 アンリと呼ばれた少女は一礼し、主の質問に答える。

「ルディア様のお弟子が勝ちました」

「…そう。あなたから見て、どんな方なのか教えて」

 安心したように表情を和らげ、子供のように好奇心で目を輝かせ始める。

「まずは容姿ですが、黒髪に紫色の瞳。顔立ちは整っていて、まるで仮面を着けたようでした」

 報告を聞いて想像するのは、白地の仮面に覆われた顔。紫色の瞳が仮面の下で妖しく輝いている。

「なんだか不吉ですね…」

 同じ想像をしたのだろうか、セフィアの隣に控えていていた幼馴染みが呟いた。そんな二人に頷いてアンリは続ける。

「年齢は姫様と同じぐらいですが、実力は老練の域に至っています。……やや大人びすぎているように見えました」

 彼女の報告にを聞たセフィアは、幼い頃に年老いた騎士から聞いた「騎士の剣は、その者の本質なのです」という言葉を思い出した。

(あの方の言葉を信じるなら、私の騎士になる殿方は――)

 まだ見ぬ仮面の騎士に想いを馳せ、カップの中で揺れる紅茶を見つめるのだった。


 翌日の朝、蒼く染まる空をバルコニーで見上げるセフィアの姿があった。着替えもせず、寝間着のまま立っている。

「姫様、失礼します。…今日は、お早いお目覚めですね」

 ノックもせず気心の知れた幼馴染みは入ってくると、いつも起こす時間よりも早くに起きていた彼女に驚く。

「かしこまりました」

 一礼して外に置いていたワゴンを引いてベッドの近くまで来ると、ポットで蒸らしていた茶葉を取り出して準備を始めた。

「昨日は、あまり眠れなかったわ」

 外を見たまま話しかけてくる主に、紅茶に角砂糖を落としながら侍女は微笑む。

「素敵な殿方だといいですね」

「…その言い方だと、まるで私がお見合いするみたいじゃない」

「でも、いきなり現れた白馬の王子に恋するのは、乙女たちの夢ですよ? そういえば、姫様が三歳の頃に読んでいた絵本の王子様は――」

「…もう、茶化さないで。本当に怖くて眠れなかったんだから」

「はいはい。姫様、紅茶が入りましたよ」

 頬を膨らませてバルコニーから入ってきたセフィアに対し、侍女はくすくす笑いながらカップをテーブルに置いた。

 昔話を持ち出されそうになったことに不満そうだったが、イスに腰掛けて砂糖を多めに入れた紅茶を口に含むと蕩けそうな表情へ一変する。

 その様子を見ながら、もう一つ用意しておいたカップに紅茶を注いだ。それに角砂糖を一個だけ落として自分で飲む。

「姫様、今日は騎士殿とのご対面ですよ。お化粧とお召し替えはどういたしましょう?」

「……貴女に任せるわ。だから、紅茶を飲んでる時ぐらいは忘れさせて」

 昨日の報告を聞いてからをいうものの、セフィアの頭の中に浮かび上がった白地の仮面と妖しく輝く紫色の瞳が焼きついてしまっているらしく、騎士のことを話題にすると顔をそらしてしまった。

「そういうわけにはいきません。騎士とはいえ、殿方とお会いするのですから」

 主を叱りながらも、侍女は頭の中で髪型や化粧などについて思考を巡らしていた。

(少し寝不足気味のようだから、化粧は目元の辺りを少し濃くした方がいいかもしれないわね。ドレスはリラックスできるように、姫様の好きな白にしましょう。それから、装飾品は――)

「…せめて、先にお顔だけでも拝見できればよかったのに」

「仕方がありません。騎士殿が帰ってきて、すぐに決闘に出てしまったのですから」

「それはそうかもしれないけど、…昨日の決闘を見に行くぐらいは――」

「ダメです。決闘を見るなど、淑女の嗜みではありません」

 言葉を遮るようにして窘めると、表情を曇らせてため息をついた。いつもは何に対しても物怖じしない彼女が、ここまで不安がるのは珍しい。

 騎士を頑なに拒んでいた彼女が、それほどまで気にする騎士については侍女も気になってはいた。

 幼い頃からセフィアと実の姉妹のように仲が良かった彼女は、王妃に実の子のように可愛がってもらっていたのだ。そんな王妃を守護していた女騎士のことは、同じく侍女だった母から話だけは聞いていた。

 何の運命なのか、その女騎士の弟子が主の騎士になるのだ。それに、年頃の乙女として好奇心を持たずにはいられない。

 しかし、それを悩む主の前で表に出すわけにはいかないので押し隠す。

「会う前から、緊張していても仕方がありませんよ? 王族なら毅然とすべきです」

「わかってるわ。着替えるから、侍女たちを呼んでちょうだい」

 少し厳しい口調で助言すると、そこには友人と他愛無い会話をしていた少女の姿は消えていた。代わりに、グリオード王国の第二王女セフィアの姿がある。

 幼い頃に母親を亡くし、大人であることを強いられてきた姿は可憐で儚い。そんな彼女を傍らで一人で支えてきた日々が今日で終わることを寂しく感じながらも、侍女は立ち上がって一礼すると部屋を出て行った。


 太陽が昇って街並みが賑わいだした頃、緑原の間と呼ばれる場所でセフィアは父と共に朝食を取っていた。

 中央に置かれた長い机は、大勢で食事をするための代物。しかし、ここで食事をしているのは二人のみ。他に何人か侍女がいるが、彼女たちは何かあった時のために部屋の隅で控えているだけだ。

 コン、コン

 ノックの音に手を止めると、ドアを開けて一人の侍女が入ってきて一礼した。

「お食事中に失礼します。騎士殿がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいでしょうか?」

 かちゃんっ

 物音が聞こえて国王や侍女たちが振り向くと、そこには皿の上にスプーンを取り落したセフィアがいた。

「申し訳ありません。手が滑ってしまいました」

 普段ならしない粗相に頭を下げて控えている侍女たちの一人に視線を送ると、その侍女は瞬時に意味を理解して近づいてくる。そして、ドレスやテーブルに撥ねたスープをさっと拭き取って元の位置へ戻って行った。

 その様子を見ていた王は、目を細めてドアの前に立つ侍女に命じる。

「かまわない。オズワールと共に、すぐに連れて来い」

「かしこまりました」

 自分で思ったよりも緊張していたことを自覚したセフィアは、侍女が出て行った後のドアを見つめながらテーブルの上に置いていた手を握りしめた。

(いよいよ、なのね…)

 待っている間、緊張のあまり食事が進まなくなった。早鐘を打つような鼓動に、刹那さえも酷く長く感じてしまう。

 コン、コン

 再び聞こえたノックの音に一際大きな脈動と共に顔を上げると、侍女ドアを開けて部屋の中に誰かを招きいれるところだった。

 まず最初に入ってきたのは、年老いた相談役―オズワールだ。彼に続いて、黒い衣服を纏った青年が入ってくる。

「…ただいま参上いたしました……。…こちらが、騎士殿でございす……」

 オズワールの紹介に合わせ、青年は床に跪

いて頭を垂れた。

「ルディア・ワーデンの推薦にて、グラン・スワード参上しました。この度はセフィア様の騎士に任命していただき、若輩の身に余る光栄傷み入ります」

 耳に入ってくる麗辞を聞き流しながら、セフィアは彼から目が離せないでいた。

 髪の色に合わせたのだろう衣服は、王城内では見かけない黒。この色は神話の中に出てくる大罪人を連想させるため、あまり好まれて着用されることはない。

 王国を守護する騎士の立場であるならば、王族に対する反逆と見なされて異端審問にかけらることもある。

 その危険性を知りながら黒を身に纏っているのだとしたら、よほど肝の据わった兵なのか、あるいは己の立場に驕っている愚者なのか。どちらにせよ、顔を伏せているので判断することができない。

「先日の決闘は見事であった。そなたほどの騎士が無名だったことが不思議でならん。あの〈剣姫〉の弟子であるならば、なおさらだ」

 衣服については些細なことだと判断したのか、王は跪いている彼に対して賛辞を送った。

「もったいなきお言葉…ですが、私のような若輩にして未熟者が〈剣姫〉の弟子を名乗るのは、騎士として名折れと言うものです」

 謙虚な言葉が紡がれるが、その声は平淡で感情の揺れが見えない。

「それに、勝負は時の運と言います」

「つまり、そなたが勝ったのは「運が良かったから」だと?」

 王が本心を見透かそうと目を細め、まるで品定めをするかのように問うと、

「…はい。あと一瞬、刃が届かなければ負けていました」

 それを真っ向から受けるように顔を上げて青年は答えた。その瞳に宿る輝きは冷たく、やはり一片の感情も読み取ることができない。

 しばらく視線の交錯が続いたが、王の方が先に目を瞼を閉じた。そして、何か納得した

かのように頷いて言う。

「やはり、そなたはルディア・ワーデンの弟子のようだ」

「そう、でしょうか?」

 声は平淡なままだが、急に歯切れが悪くなった。仮面のように無表情だった顔も僅かに引きつって見える。

 そんな青年の変化に気がつき、セフィアの緊張が解けた。

「うむ。あやつも、私の視線を真っ向から受けながら刹那の揺らぎさえ見せなかった」

「……そう、ですか」

 王が表情を和らげて肯定すると、弱ったような声へと変わる。褒められて照れているのかと思えば、その表情はなぜか気まずそうだ。

(どうして、そんな顔をするの? 自分の師事したお方に重ねられるのは、光栄なはずなのに…)

 セフィアが怪訝に思っていると、青年は顔を伏せてしまった。

「気に入った。そなたなら、我が娘を任せても良いだろう」

 そう言って、王は顔から一切の感情を消し去った。緑原の間に厳かな声が静かに響く。

「そなたは、これより我が娘セフィアの騎士。砦となりて守護せよ」

「我らに剣を与えし神に誓い、必ず守護してみせます。この誓約を違えし時は我が魂に消えない烙印を」

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