第5話 牙をむく獅子王
審議から数日後、王都の広場には大勢の人が集まった。
貿易のために王都へ来た商人や王族に取り入ろうとする貴族、王の政策の下に暮らす民衆たちが、これから行われる決闘を見ようと集まったのだ。
広場に面する城門の上に構える砦に、王が姿を現したのを見て民衆は騒然とする。王は手を挙げ、民衆を静めると諭すように語りかけた。
「皆、よく集まってくれた。すでに知っているとは思うが、この決闘で我が娘セフィアを守護する騎士が決まる」
民衆が再び騒然とし、王は用意された席に座る。その横に年老いた相談役とルディア並んで座る。
砦からは、円を描くように人だかりができているのがわかる。円の中心には、有力貴族たちの後ろ盾を持つ騎士団団長アルバート。
ギギィッ
城門が重々しい音を立てて開き、騎士団が出てきて民衆の前に立つ。
「剣を掲げよ」
アルバートの指示を受け、騎士団はサーベルを抜いて天を突き上げるように構えた。一糸乱れぬ洗練された動きに民衆は見入ってしまう。
「結界を展開せよ」
「――主よ。輝ける者よ。御身の手で弱き我らを守護したまえ」
騎士団が呪文を唱えた瞬間、彼らのサーベルが白銀の輝きを纏った。輝きは太い柱となり、それぞれを結ぶように薄い膜を張る。
《聖輝セイント・の加護シェル》と呼ばれる結界だ。単体でも長時間の使用が可能なため、多くの騎士団で採用されている魔術だ。
アルバートは結界に綻びがないかを確認し、まだ開いたままの城門の方を見た。そこだけ結界が張られておらず、二人の騎士がサーベルの柄に手をかけているだけだ。
「我に挑みし、誇り高き騎士よ。剣を手にし、我が前に立ちたまえ」
儀礼に習ってアルバートが雄雄しく言うと、城門の影から人が現れた。黒いローブを身に纏い、顔はフードに隠されている。
正体不明の騎士の登場に広場は騒然とするが、意に介した様子のない足取りでアルバートのもとへ向かう。
パサッ…
結界の内側に入る直前で、騎士が身につけていたローブが脱げ落ちた。隠すものがなくなり、どこか幼さの残る青年の姿が現れる。
無窮の闇のような黒い髪、神秘性を感じさせるアメジストのような紫色の瞳を見た全員が息をのんだ。
「我が名はグラン・スワード。騎士の誇りに誓い、グリオード騎士団団長アルバート・レガリアに応えよう」
グランと名乗った青年がアルバートの前に立つと結界が完全に閉ざされる。二人の騎士だけが結界の中に存在し、何者も立ち入ることのできない空間がそこに完成した。
「我らは、互いの誇りにかけて剣を交わす」
「互いの持てる技を使い、刃に誓いを託す」
儀礼に基づき、両者は神への祝詞を上げながら剣を引き抜いて構える。
アルバートは騎士団と同じように天を突き上げるような構えを取り、グランは片手で剣を中段に構えて一歩踏み出した。
「「我らに剣を授けし神に、この決闘を捧げる」」
最後の一句を二人が同時に唱えた瞬間、彼らの体が白銀の輝きを纏った。この輝きは呪力と呼ばれるもので、神より剣を与えられた騎士たちだけが持つ力だ。
この呪力を使うことで騎士たちは己の身体能力を上昇させたり、魔術を使用したりすることで怪物と戦う。さきほどの《聖輝の加護》も、この呪力を使用した魔術である。
「ほう、一見してアルバート殿との地力の差は無いようですな」
「何を言いますか。アルバート殿の方が、神々しい輝きを纏っていらっしゃるではないですか」
「そうですな。やはり、この決闘はアルバート殿の勝利で終わるでしょう」
民衆が騒ぐ中、アルバートを支持する貴族たちは固まってヒソヒソと互いの不安を拭っていた。
その一方で、グランにルディアの弟子という理由で期待する貴族たちは言葉を口にすることすらせずに見守っている。
「その構え、見たことがないな。独流なのかい?」
衆人環視の中、決闘の場に相応しくない笑顔とフランクな口調でアルバートは尋ねた。
「…あんたの構えは、隙だらけだな」
問いには答えは帰って来ず、逆に指摘を受けたことでアルバートは口端を吊り上げた。まるで獣が獲物を見つけたかのように、瞳が爛々と輝きを放つ。
一方、独特な構えを取っているグランは眉一つ動かさないで、まるで研ぎ澄ますように呼吸を細く鋭いものへと変えていく。
緊張が走る中、最初に動いたのは――アルバート。地を力強く蹴り、数歩で間合いを詰めて剣が振り下ろされた。
「――汝は鋼、冷たく堅牢な者。汝は剣、全てを切り裂く者なり!」
詠唱されたのは、《鋼王アウトラ・の剣ソーン》。剣に呪力を纏わせることで、斬撃の威力と剣の強度を増す魔術だ。
避けることすらできず、その一撃はグランの肩に吸い込まれるように入った。剣が纏っていた呪力が迸り、地上に星が顕現したかのような輝きが結界の内側を染め上げる。
二人の決闘を見ていた誰もが決着を感じた。
呪力の奔流がおさまり、結界の外にいた全員が予想外の光景に言葉を失う。アルバートの実力を間近で見てきた騎士団の中には、動揺のあまりサーベルを取り落としそうになる者までいた。
「…さすがは、あの〈剣姫〉の弟子と言えばいいのかな?」
平静を装おうとするアルバートだが、その表情はひび割れている。彼の視線の先には、自身が振るった剣とそれを受け止めている二本の指。
二本の指は白銀色に染まっていた。手に纏っていた呪力を凝縮し、その部分だけ防御力を増幅させたらしい。
「あの婆さんなら、こんな小手先の技は使わないだろうな」
表情を苦々しいものへと変えながら答えた。
「ふっ――」
一瞬の隙をつき、アルバートは剣を引いて再び振るった。腰を狙った横薙ぎがグランを襲う。
今度は防御も間に合わず、呪力を纏った刃に切り裂かれた――かのように見えた。切り裂かれた残像が土くれのように崩れて消える。
「すらっ――!」
腕を振り切った後の無防備なアルバートに、彼に斬られたはずのグランが稲妻のような一閃を放った。完全な不意討ちだったが、騎士団団長を勤める騎士はギリギリで反応して後へ跳んで避ける。
着地と同時に剣を構え直したアルバートの顔から、泰然自若の仮面が剥がれ落ちた。
「…どうやら、私は君を見誤っていたようだ」
「見誤られるほど、俺の剣技は洗練されてませんけど?」
送られた賛辞に、肩をすくめてすっとぼけたように反論するグラン。しかし、僅かな隙もなく構えを取って相対している。
さきほどの防御法を見たこともあってか、底の見えない実力に武者震いが起こる。
豹変。アルバートの隠されていた獰猛さが滲み出てくる。
「力ずくで、君の底を引きずり出そう」
宣言と同時に地を力強く蹴り、踊りかかるアルバート。
「――っ!」
裂帛の気合と共に振り下ろされた剣。
切り裂かれたグランが土くれのように崩れ、地面が刃の突き刺さった場所を中心に砕け散って抉れる。
「くっ…」
不意討ちを行おうとしていたグランは、余波に巻き込まれて吹き飛んだ。それを追いかけるようにアルバートは駆け、身動きの取れない相手に容赦なく飛びかかる。
すくい上げるような斬撃が鳩尾に叩き込まれ、グランが羽のように高く舞い上がった。
「……さすがは騎士団団長。勝てる気がしねぇ」
着地して自分を見上げる相手に呟くように賞賛を送りながら、言葉とは裏腹に笑みを漏らして柄を握り直す。
とんぼを切って騎士団が張っている《聖輝の加護》に足をつけた。
そして、跳んだ。
「――伝令者の長靴ちょうかを履き、我は風よりも疾とく駆けん!」
自由落下を行わず、まるで宙を駆けるように跳んで降りていく。
唱えられた呪文は《伝令者ヘルマ・の長靴ブッセ》。跳躍力を強化し、望んだ場所を足場にすることができる魔術である。
グランの速く複雑な軌道に撹乱され、手練であるはずの騎士団の視線が完全に振り払われてしまった。彼らが見ているのは残像とも呼べない影だ。
不意に白銀の輝きがアルバートの頭上に現れ、魔術の詠唱が聞こえてくる。
「――汝は鋼、冷たく堅牢な者。汝は剣、全てを切り裂く者なり!」
《鋼王の剣》を付与された剣を手に、流星の如く尾を引きながら落下する。
それに気がついたアルバートは目を見開き、慌てて剣を頭上に掲げた直後――、
キィィィンッ
刃と刃のぶつかり合う音が響き、あまりの甲高さに結界の外にいた全員が耳を塞いだ。
二人の呪力が迸り、周囲に風が巻き起こった。地面には亀裂が走り、上から押さえ込まれるような形になったアルバートの足がめりこむ。
どう見ても劣勢の状況に、顔には獰猛な笑みを浮かべて踏ん張っている。
「我が剣に宿りし聖なる守護者よ。吼えろ!」
叫びと共に呪力が燃え上がり、目を焼くような輝きを放つ。そして、グランが再び宙に舞い上がった。
(今のを押し返すなんて……。なんて、馬鹿力なんだ)
「君の底は見えた。さあ、ここからが本当の決闘だ!」
驚いていると下から嬉々とした声が聞こえ、太陽のような輝きが顕現する。
―汝は誇り高き守護者。神が遣わせし聖獣なり―
聞こえてきたのは魔術の詠唱だが、今までとは異なる。多くの者には理解できない太古の言語が用いられているのだ。
―汝の咆哮は邪悪なる者を一掃する。ゆえに、弱き者を守り給え―
騎士たちが使用する魔術は時代の流れに応じ、詠唱に用いられる言語は変わっていった。
―汝は爪牙は邪悪なる者を引き裂く。ゆえに、我と共に戦場に立ちたまえ―
しかし、唯一この魔術だけは変わらなかった。
どれだけ時が流れようと、騎士が騎士たるための力を顕現させる詠唱を神が変えることを許さなかったのだ。
―獅子真王ネメア―
アルバートが詠唱を終えると同時に、濃密な呪力の輝きが周囲一帯を白銀に染め上げた。
結界が石を投げ入れた池のように波うち、張り裂けそうなほど膨張する。それを見て決闘の行く末を見守っていた民衆や商人、貴族たちが慌てて逃げ惑う。
騎士団は結界を維持するために呪力を振り絞った。
「……静まれ!」
凛と響いた一喝に、押しあい圧しあい逃げようとしていた人々は動きを止める。
「あの輝きは、神より与えられし剣を顕現させるためのもの! ゆえに、我らを傷つけることは無い!」
声の主は砦の上に立っていた。
今まで王の隣に座っていたルディアが立ち上がり、人々の混乱を治めるために声を張り上げたのだ。
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