第4話 王女は希望を抱く

「…ほんの少し、考える時間を頂けませんか? この場で答えを出しますので」

「うむ。急な召喚だったのだから、よかろう」

 王の許しを得てルディアが熟考するように瞼を閉じるのを見て、全員が声をだせなくなった。この沈黙の中で、最も答えを待ち望んでいるのは間違いなくセフィアだ。

 仮面を被った獅子王の手を拒むことのできる一度きりの機会であり、母のことを知っているらしいルディアのことが気になって仕方がない。

 心臓が破裂しそうなほど高鳴り、周囲に聞こえてしまうのではないのか不安になってしまう。そっと胸の上に手を置き、鎮まるように念じながら目の前に跪いているルディアを期待と不安の混ざった瞳で見つめた。

 どれほどの時間が過ぎただろうか? 長い年月が立ったようにも感じれば、それほど経っていないようにも感じる。

「いつまで待たせるつもりなのですかな? そんなに悩むぐらいなら、断ればよろしいでしょう」

 彼女の王への答えを待つ不安で焦れた一人が口にした言葉に、

「引退し、長らく辺境に住んでいた身には無理があります。どうか、お引取りください」

「もしや、返り咲くために戻ってきたのではありませんか?」

 一人二人と同調する声が上がり始めた。その声が聞こえていないかのように、目を閉じたまま眉一つ動かさないまま固まっている。

「静粛に、静粛に願います」

 年老いた相談役の声は場を静めることはできず、非難する声が審議の間に渦巻く。耳を塞ぎたくなる声に、王は耐えるように眉間にしわを寄せた。

 増水で堤が決壊して流れ出した水のように、ただ耐えているだけで声が止まるはずもない。いよいよ王が重く閉じていた口を開こうとした時、

「王よ、決まりました」

 透き通った声が響いた。それほど威圧感のない声にも関わらず、ざわめきが細波のようになって掻き消えてしまう。

 いつの間にか、ルディアの閉じられていた瞳は開かれていた。

「……答えを聞かせてもらおう」

「我が身に余る命をいただき、光栄に思います」

 再びざわめきが起こったが、王が手を挙げたことで制される。王は包容力のある笑みを浮かべた。

「では、引き受けくれるのだな?」

 期待と不安で早鐘を打つかのようだったセフィアの鼓動が止まった。

(この方が、私の騎士に…!)

 期待が叶ったことに戸惑いを覚える彼女の目の前で、ルディアは裏切るように首を横に振る。

「残念ながら、我が身には重い役目です。到底、まっとうできるとは思いません」

 追い討ちのような言葉に、現実だということを思い知ってセフィアは落胆を隠せずに肩を落とした。

「賢明な判断です。ご老体には、無理がありますからな!」

「かの剣姫とはいえ、やはり過ぎ去る年月には勝てないようですな!」

「その通り。全盛期ならともかく、今ではナマクラでしょうに」

「それに比べて、アルバート殿は若くして業物です」

「先達は、黙って若者の成長を見守るべきです」

「王よ。アルバート殿をセフィア様付きの騎士になさるべきです」

「どうか、我らの進言をお聞き入れください!」

 これ幸いというように、臣下たちが王へ取り入る声。獅子王の仮面は、ひび割れたのが嘘のように余裕の笑みを浮かべている。

 胸の中に渦巻く落胆が嫌悪感で割り増しされ、粘着質な何かが喉へせり上がってきて吐き気がした。セフィアは慌ててドレスの袖で口元を隠し、できるだけ平静を装う。

 今、彼女を支えているのは粗相をすべきでないという王族のプライドだけだ。

「その意思は変わることはないのか」

「はい。この身に剣を授けし、神々に誓って」

 不動の覚悟を示す騎士の宣誓に、王は落胆せずに立ち上がった。先を見ずして、国を治めることはできない。こうなることも予想していたのだろう。

「…わかった。それでは、審議の結果を皆に伝えよう。騎士団団長アルバート・レガリアを――」

「お待ちください」

 王が伝えようとした審議の結果を遮ったのは、勅命を断ったはずのルディアだった。

「ルディア殿、不敬であるぞ!」

「王の命を断っても、やはり未練があるようですなぁ」

「剣姫と呼ばれた身。若者に引導を渡されるのが嫌なのでしょう」

「…誓約を破り、生きながらえた身のくせに図々しい」

「…そ、それは口にしてはなりません。この場で切り伏せられますぞ」

「…その時は、獅子王と名高い騎士がいるだろう」

「しかし、そのことを王の前で口にするのは…!」

 安心しきっていた家臣たちは、目をむいて焦ったように責める。しかし、先ほどよりも明らかに弱った様子だ。

 余裕が無くなって陰口を叩く者が出てきたのが、何よりもの証拠である。

 陰口をたたいたであろう貴族を王が一瞥すると、その貴族の一派は蛇に睨まれたかのように口を閉じた。

「…聞こう。私の決断を遮ってまでの言葉を」

「ご無礼をお許し頂き、ありがとうございます」

 王族に礼儀を尽くし、剣を捧げるのが騎士の務め。通常なら、厳罰に処されてしまう無礼を許されたことに貴族たちは驚き、騒いでいた者たちも言葉を失った。

「先ほども申し上げた通り、我が身には重い役目です…が、その役目を果たせる騎士に心当たりがあります」

 聞こえてきた思いがけぬ言葉に、心臓が止まりかけた。

 この大陸にアルバートと同等の騎士がいるという話は、今までに聞いたことが無い。いたとしても、それは別の王室に仕えている者や何らかの役目を負っている者だ。

(…まさか、役目に就いている騎士を推薦す

るつもりなの?)

「ほう…、その騎士とは?」

 不安を抱える娘の隣で、王は興味深そうに尋ねた。

「放浪の旅に出ている私の弟子です」

 問いへの答えは静かだったが、それゆえに審議の間にいた全員の耳に染みこんだ。

 家臣たちの間に緊張が走り、わずかな囁きや息を呑む音が聞こえてくる。

「そなたに弟子がいたのか?」

「はい。…人格と剣の才、その身に宿す剣は申し分ないと思います」

 驚いた様子の王に、ルディアは流れるような口調で進言する。

「…ふむ。皆は、どう思う?」

 王は悩んだ末、再び家臣たちに意見を求めた。

「王よ、私は反対です!」

「どこの馬の骨とも知れない輩に、姫の護衛を任せるおつもりですか!?」

「実力のわからぬ者を迎え入れるべきではありません!」

「……剣姫の推薦だ。おそらく、実力はアルバート殿と同等か」

「……それ以上ということになりますね」

 反対する声に混じり、かつて〈剣姫〉と呼ばれたルディアの推薦する騎士に興味を示す声も聞こえてきた。

 アルバートを推す一派は数は少ないが、発言力の強い有力貴族たちだ。ルディアに傾き始めたのは発言力の弱い貴族ばかりだが、その数は前者よりも圧倒的に多い。そのため、天秤が釣り合って揺れている状況にある。

「…王よ。進言させていただいてもよろしいですかな?」

 これまで周囲の雰囲気に靡かず、黙って成り行きを見守っていた年老いた相談役の一人の声に王は耳を傾けた。

「申してみよ」

 許しを得た相談役は、頭をたれる様に杖をついて王の元へ近づいていく。

「皆、ルディア殿の弟子の実力を知りたがっているようです。よろしければ、アルバート殿と決闘させてみるのはいかがですかな?」

「ふむ…、決闘か」

「はい。騎士の決闘に我らは口出しできません。ゆえに、公平を喫することができるでしょう」

「……………その進言、確かに聞き入れた」

 古参の知恵は、活路を見出せない王に新たな道を示したらしい。相談役は頭を下げ、杖をついて戻って行く。

 王は言い合いをする貴族たちを見つめ、その口から言葉を紡いだ――

「このままでは審議が長引くだけで、果てしなく時を浪費するだけだ。ゆえに、私は一つの決定を下そう」

 その場にいる全員が、国の統治者の言葉に口をつぐむ。さっきの例外を除き、王の下す決定を遮ることは重罪に相当するからだ。

 良くて追放、悪くて極刑。そんな大きすぎるリスクを背負う勇気は、この場にいる貴族の中には一人もいない。

「私の娘であるグリオード王国第二王女セフィアの専属騎士を決めるため、騎士団団長アルバート・レガリアと剣姫ルディア・ウォードの弟子の決闘を行う」

「しかし、王よ…!」

「異論は認めぬ。懸念する必要も無い。騎士の流儀に任せるのがよかろう」

 上がった抗議の声は、王によって切り捨てられた。

 アルバートを支持する者たちは渋面を作るも、自分たちの立場が悪くなることを恐れて口を重く閉じたままだ。


 審議の後、セフィアは自室に戻ってベッドに座り込んでいた。

「姫様、専属騎士候補者が決闘するようですね?」

 紅茶をカップに注ぐ幼馴染みの言葉に驚き、セフィアは彼女に問いかけた。

「っ…、どこで聞いたの?」

 審議の間には、王族と地方領主しか入れないはずだ。声が漏れないよう、壁は他の部屋よりも厚めに造られている。よって、彼女が審議の結果を知っているはずがない。

「領主の皆様方が話しているのを小耳に挟んだものですから。王城に仕える私たちの間では、この噂で持ちきりですよ?」

「あなたたちの噂好きには、本当に感心するわ……」

 セフィアは紅茶が注がれたカップを受け取りつつ、疲労の滲み出た声で嫌味を口にした。しかし、それを幼馴染みは微笑みで受け流してしまう。

「良かったではないですか。…あの無礼者が姫様の騎士になるなんて、私は絶対に認めたくありませんでしたから」

 被害を受けていたからか、言葉には聞いただけで凍りつきそうな冷たさがあった。セフィアは心から同意しながら不安を口にする。

「でも、もう一人の候補者がどんな騎士なのかわからないのよね……。それに、あのルディアという女性は何者なのかしら?」

「姫様。今、ルディアと仰いましたか?」

「ええ、お父様がお呼びになった騎士よ。…もしかして知っているの?」

 質問に答えたセフィアは、侍女がスカートの裾をいじりだしたことに気がついた。これは彼女が何かを思い出そうとする時の癖だ。

「私の記憶違いでなければ、〈剣姫〉と呼ばれた王国一の騎士です。確か、レイラ様専属の騎士をなさっていた方だと侍女長から聞いた覚えがあります」

「お母様の!?」

(…そういえば、審議の間でも聞いたような気がするわ)

 セフィアは審議の間でのことを思い出しながら、カップに口をつけながら落ち込んだ様子を見せる。

(…あの方が私の専属騎士になったら、お母様のことを聞けたかもしれない)

 王の勅命をルディアは宣誓と共に断ったため、彼女の意思を変えることは何者にもできない。

 王族の勅命で召喚することもできるが、審議の時と同様に拒まれる可能性もある。

「ええ。レイラ様とは身分の壁を越えた友人だったそうですよ」

(…お母様のお友達だった方)

 侍女からの話を聞き、ますます落ち込んだ様子を見せる。そんなセフィアの様子を見た侍女は、ふと思い出したように疑問を口にした。

「アルバート様と決闘するのは、もしかしてルディア様のお弟子さんですか?」

「……そうよ」

「でしたら、その方が騎士になった際にルディア様を訪ねてみるのはいかがでしょう?」

「…っ!?」

 侍女の助言に驚き、まだ見ぬルディアの弟子にグリード王国第二王女セフィアが希望を抱いた瞬間だった。

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