第3話 笑う獅子王

 ――数日後、王城の審議の間で会談が開かれた。

 セフィアは憂鬱そうにため息をつきながらも、自分の向かい側に座る男を見ていた。彼女の視線に気がついた男は、その顔に気取った微笑を浮かべる。

 彼の名はアルバート、グリオード騎士団の団長にしてセフィアの近衛になる男だ。

 それにしても、とセフィアは思う。

(なんで、こんな色魔が私の騎士なのかしら?)

 アルバートは確かに顔も良く、性格に問題は無くて人望が厚い男だ。彼女はそれが表面上だと知っている。

 初めて彼に会ったのは、七年前に王国の辺境にある孤児院へ慰問に向かう時だった。まだ新米で何の実績も無かった彼が、伝令の手紙をセフィアの休んでいる部屋に持ってきたのだ。

 形式通りノックして返事も無いのに彼がドアを開けて入ってきた時、間の悪いことにセフィアは風呂上りでバスローブを羽織っただけのあられもない姿だった。

「きゃあぁぁっ!?」

「…これは失礼いたしました。改めてお伺いさせていただきます」

 悲鳴を上げる彼女に、アルバートは動揺した様子の無いままドアを閉めたのだ。年頃のセフィアにとってはとてつもないショックで、悲鳴を聞きつけて隣の部屋から駆けつけたメイドに泣き崩れながら説明した。

 翌朝、アルバートを呼び出してメイドが問いただしたところ、

「姫君には、とんでもない無礼を働いてしまいました。この首を差し上げる以外、忠誠を示す方法が思いつきません」

 という誠実な謝罪をされ、首をもらうわけにはいかないと思ったセフィアは跪く彼に対して近づいていき、

「こんなことで、あなたの首をもらうわけにはいかないわ。……そんなことをするぐらいなら、王国のために剣を振るいなさい。それが、あなたにできる私への忠誠よ」

 そして、アルバートに下がらせる。しかし、その日のうちに後悔することになるとは思わなかった。

「きゃあぁぁっ!?」

 上がった悲鳴にメイドが駆けつけると、そこには蹲っているバスローブを羽織っただけの姫と彼女に背を向けるアルバートがいた。見ようによっては、彼がセフィアを強引に襲おうとしたように見える。

 メイドにキッと睨みつけられると、彼は肩をすくめて困ったように微笑んだ。その表情に一瞬だけ騙されそうになったが、

(……この方、わざと姫様の入浴後を狙って?)

 浮かんできた疑惑を残しながらも、セフィアの元へ行ってバスローブを整えてベッドに座らせる。そこからは、朝と同じような謝罪に注意して部屋から出て行かせた。

 それきり孤児院へ行って王城に帰るまで何も無かったので、メイドは疑惑の念を薄れさせていった。

 しかし、忘れかけていた頃になって姫の悲鳴が聞こえたのだ。

 駆けつけてみると、部屋の中にいたのは朝の湯浴みを済ませたばかりのセフィア。そして、彼女の目の前に笑顔で跪くアルバートの姿。

「アルバート様、何をなさっているのですか…!?」

 無礼を働いて反省の色が無い不埒者を問い詰めると、その不埒者は立ち上がって制服のポケットから何かを取り出す。彼が手に持っているのは、銀細工の正三角形に交差した剣が彫られたバッジだ。

「この度、騎士団第三小隊隊長に任命されたので報告に参りました。……以前、王国のために働くことが謝罪になると姫様に言われましたので」

「それは、姫様に無礼を働いた理由になりません! どう言い訳ななさるつもりですか!?」

 悪びれた様子の無い彼に、さらに問い詰めようとメイドは一歩踏み出した。すると、アルバートは困ったような微笑を浮かべ――

 ちゅっ

「なっ…!?」

 目の前に来たメイドの頬に不意打ちで口づけた。そして、抱きしめるように彼女の背中に手を回す。

「すみませんが、言い振らされては困ります。私の未来のために、あなたの可憐な唇を塞がせていただきますよ」

 まるで獲物を捕らえた獅子のような目を見た瞬間、メイドは体が金縛りにあったように動かなくなる。

 それを知ってか知らずか、アルバートは微笑んで唇を奪おうと自分のそれを近づけていく。

「いい加減になさいっ!」

 ボスッ

 触れるか触れないかの距離まで縮まったところに、部屋に響く悲鳴のような声。それと同時に、柔らかい何かががアルバートの顔に当たった。唇に触れるはずだったものは、その衝撃で少し横にずれてしまう。

 僅かに跳ねるようなメイドの反応を見て笑った後、自分の目的を妨害した邪魔者を獅子の瞳が捕らえる。そこに宿っている感情は、明らかな苛立ちだった。

「おやおや、姫君は無粋なことをなさる。男女の逢瀬を邪魔するなど、淑女の振る舞いではありませんよ」

「何が、逢瀬よっ!? 貴方が無理やり手篭めにしようとしてるだけじゃないっ!」

 セフィアの絹を裂くような叱責の声で、メイドは我に返った。自分を拘束しているアルバートを振りほどき、主の傍らへ逃げるように戻って彼を睨みつける。

 その様子に、今まで余裕だった獅子の額に青筋が立った。しかし、それは刹那のことだった。

「どうやら、この冗談はお気に召さなかったようですね。…このアルバート、姫様に永遠の忠誠を誓いますので――」

「結構よ。そんなことよりも、この部屋から一刻も早く退きなさいっ! 目障りですっ!!」

 困ったような表情で彼の口から放たれる上辺だけの言葉を遮り、セフィアは肩を怒りで振るわせていた。二度にわたる辱めを受け、親友を汚されかけた彼女は限界に達したのだ。

 これまでのやりとりを聞きつけ、護衛の巡回の騎士が駆けてくる足音が聞こえてくる。

(…どうやら、今日はここまでみたいだな)

 目の前にいる成長途上の美姫と、彼女に仕えるメイドを名残惜しげに見ながら礼をして部屋を出て行った。

 その後、アルバートは執拗にセフィアたちを手に入れようと猫を被って画策してきた。その結果が現状なのである。

 努力は認めなくも無いが、これまで何度も辱めを受けてきたセフィアにとっては憂鬱以外の何でもない。

 そもそも、彼女は近衛の存在が必要ないと思っている。その理由としては、「優秀な騎士は怪物の討伐だけに専念させるべき」という持論があるためだ。

 しかし、セフィアに拒否権は無い。なぜなら、すべてを決めるのは国王である彼女の父と伝統を重んじる臣下たちだからだ。

「それでは、セフィア様専属の騎士は騎士団団長アルバート・レガリアでよろしいでしょうか?」

 臣下の仲で、国王よりも年配の相談役が臣下たちに賛否を求める。全員が同時に頷き、

「いやはや、彼ほど素晴らしい騎士はいません。我が領に現れた怪物の討伐した雄姿、この目に焼きついておりますよ」

「そうですな。人柄もよく、安心してセフィア様をお任せできます」

「いやいや、アルバート殿の武勇で最も有名なのは、我が領で三体もの怪物を屠ったことでしょう」

「私は、彼が入団する時に口を利きをしたものです。これほどの騎士になるとは思ってもいませんでした」

「それを言うなら――」

 次々と貴族たちが、アルバートの武勇を語りだした。その大半が、彼の後ろ盾になっている者たちだ。当然、残りは根回しで集められた票だろう。

 もし、アルバートがセフィア付きの騎士にならなけば、彼らは国王からの信用を失ってしまう。

(……こんな私利私欲にまみれた貴族ばかりで、グリオードは大丈夫なのかしら?)

 せめてもの抵抗に、セフィアは心の中で毒づいた。

 それを嘲笑うかのように、アルバートは嘗め回すような視線を這わせる。セフィアの肌が寒気で粟立ち、彼女は罵声を浴びせてビンタを見舞ってやりたい衝動に駆られたが、王族としての立場に引き止められた。

(…ここで彼に手を上げても、お父様の立場が悪くなるだけだわ)

 自分はともかく、自分の行動で国を統治する立場にいる父親が責められることはあってはならない。彼女は国王という地位にある父を誇りに思っているがゆえに、この場で何があろうと問題を起こすことはできないのだ。

 そもそも全員が賛成している時点で、アルバートがセフィア付きの騎士になることは決定事項だ。彼女の我がままで、この決議を覆すのは一つの方法を除いて不可能。

 きぃぃっ

 審議の間に、ドアが開く音が聞こえた。今までアルバートを褒め称えていた全員が口を閉じ、ドアの方へ視線が集中する。

「大切な会議中に失礼します。国王様、ただいま参上いたしました」

 入ってきたのは、男物の服を着た若い女性。美しい容姿を乱すように腰に剣を携えている彼女の姿を認識した瞬間、審議の間が騒然とした。

「誰ですかな、あの麗しき女性は」

「ご存知ないのですか!? あの名高い剣姫を」

「なぜ、剣姫が…」

「おそらく、国王がお呼びになったのでしょう」

「しかし、なぜ……」

「まさか……」

 青ざめる貴族たちを横目に、女性は王族の座る席に歩み寄っていく。その堂々とした姿にセフィアは見惚れながら、白馬の王子を彼女に重ねた。

「ルディア、よく召喚に応じてくれた。感謝する」

 言葉を受けてルディアと呼ばれた女性は国王の前で跪き、腰に携えている剣を杖のように立てる。それを見て、彼女が王族に謁見が許された騎士だとセフィアは理解した。

「レイラ様の亡き後、私を召喚なさった理由は何でしょうか?」

 ルディアの口から母の名前が出たことに驚き、セフィアの鼓動が大きくなった。

「ここにいる私の娘、セフィアが七日後に十三になる」

 国王の言葉を聞いたルディアは、その顔に過去を懐かしむような笑顔を浮かべた。

「心から祝福させていただきます」

「うむ」

 父だけでなく、初対面の女性に見つめられて落ち着かない気分になりながら、セフィアの胸の中では衝動が渦巻いていた。

(……この方は、何者なの?)

 ルディアの言葉が気になって仕方がなかったが、ここで父の言葉を遮るような無礼はできない。

「十三ということは、専属の騎士が必要になりますね」

「その通り。その騎士なのだが、そこにいる新しく団長に就任したアルバートを推す声が大きい」

 王の紹介を受けたアルバートは、イスに座ったままに軽く礼をした。相変わらず、その顔に仮面を貼り付けている。

 ルディアは品定めするように彼を見つめ、正面に座る王へ視線を戻した。

「しかし、私は大事な娘を預ける相手は選びたい。…そこで、我が妻の騎士だったそなたに頼みたいのだが」

 王の言葉が、再び審議の間を騒然とさせた。その中で、獅子の仮面はひび割れたガラスのように顔を歪ませる。

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