163話 戦いの終幕
山と並ぶほどの巨大な岩石が崩れ落ちる光景をリンスはただ黙って眺めていた。
それは、一人の少女の長きに渡って続いていた使命が終わりを迎えた瞬間であった。
八〇〇年
リンスが今まで生きてきた時間だ。
人間であるリンスにとって、その時間は途方もなく長い時間であり、その時間のほぼ全てをバルオルグスの封印を守る事だけに費やしてきた。
その使命はいつまで続くのか、千年、あるいは万年か……それほどの時間も覚悟していたが、それもたった今終わりを迎えた。
そして、そんなリンスが今思い出すのは、長い時間を生きてきた中で最も古く、そして幸せなひと時の思い出であった。
それは今から八〇〇年前、バルオルグスの封印後に過ごした家族との思い出だ。
リンスの脳裏には当時の記憶が走馬灯のように駆け巡っていた。
――
『私も……一緒にいていいの?二人の邪魔になったりしない?』
初めに思い出したのは、行く当てのない自分に仲間であったマルシェドとアンナが一緒に住もうと誘ってくれた日の事だ。
共に戦った時間はたった数日、出会って間もない自分が何年も共に冒険者として旅していた二人の間に入っていいのか不安だったリンスは、その感情を自然と顔に出しながら尋ねると、二人は顔を見合わせて微笑み合い、そしてマルシェドがリンスの頭に優しく手を置いた。
『なるわけないじゃないか、もうリンスも僕たちの家族だよ』
『そうよ、だからこれからはずっと一緒よリンス……』
その日はマルシェド・ジーザスが仲間アンナと夫婦となり、リンスが二人の養女となった日であった。
――次に思い出したのはそれから数年後の記憶。
『ほら、マリベルー。お姉ちゃんだよー』
『あうあうあー』
アンナに抱かれた生まれて間もない赤ん坊に恐る恐る指を近づける。
マルシェドと同じ赤い毛をして、アンナの目元が似ているその赤ん坊は、頬に触れればプニプニとしていて柔らかく、指をそのまま手元に近づけると、赤ん坊は自分の指を握ってキャッキャッと笑っていた。
『お姉ちゃんか……フフ』
二人以外に命を懸けて守りたいものが生まれた日だった。
――そしてそれから数十年後の記憶……
『すまないな……リンス……お前一人に推しつけることになってしまって……』
ベッドで寝たきりのマルシェドが弱弱しい声で言う。
かつて自分達が出会った日から数十年の月日が流れ、マルシェドは年老いアンナはマルシェドよりも先に天へと帰っていた。
『ううん、大丈夫だよ、私は歳を取らないから、バルオルグスの事は任せて、いつか、いつか絶対完全に倒して見せるから』
『すみません、姉さん。私や娘にも父さんや母さんみたいな力があれば…』」
今や自分と親ほど年が離れてしまった、義理の妹がまだ少女のままの自分に深く頭を下げる。
彼女やその子供には二人のようなスキルも力も受け継がれなかったようで、下級モンスター相手すら戦う事がままならなかった。
『気にしないで、マリベル。これは私にしかできない役目だから、争いごとは私に任せてあなた達にはこれからも争いとは無縁の世界で生きて。大丈夫、貴方達の事は私がずっと守るから。』
『姉さん……』
『リンス……グフっ!』
『兄さん!』
『お父さん⁉』
二人のやり取りを見守っていたマルシェドだったが突如、激しく咽た後、吐血する。
『ハァ……ハァ……そろそろ時間が来たようだ……僕はアンナの元へ行くよ。』
『兄さん……うん、向こうでも姉さんと仲良くね。』
『……あの邪龍との戦いは決していいものではなかったけど……リンスと出会えたことだけは……感謝しないとな。』
そう言いながらマルシェドはかつてのように自分の頭に手を置こうと伸ばす。だが、その手がリンスの頭に届くことはなかった……
それは大切な二人を失った日の記憶だった。
それからもリンスの人生は数百年と続いたが、それ以降の記憶はあまり覚えていなかった。
最後の記憶はいつ、どこで、誰に言われたかも覚えていないある日の会話だけだった。
『ねぇ、どうしてリンスさんはずっと子供のままなの?』
『そういえば私の頃から少女だったような……』
『そういえばおばあちゃんもそう言ってたよ。』
『もしかして、呪われてるんじゃない?』
『その可能性もあり得るわ』
『この子に近づかないでもらえます?呪いがうつったら困りますので!』
時が流れるにつれ段々と歳を取らない自分に子供達は気味の悪さを感じ始めた。
だがその事をリンスは怒ることも嘆くこともなかった、その反応は当たり前だと思っていたからだ。
そしていつしかリンスはジーザス家から離れて、バルオルグスの封印の守り人として一人で暮らし始めた。
――
それから更に時は流れ、リンスは相変わらず少女のままだが、人の何倍もの経験を積み、心と魔力は大きく成長していた。
「終わった……んだよね?」
「うん、終わったよ。」
今までの人生を振り返ったあと、独り言のつもりでポツリと呟いたが、その問いに対し後ろから答えが返ってくる。
返してきたのは先祖であるマルシェドと同じ赤い髪とスキルを受け継いだ女性だ。
彼女はかつて自分が守ると決めながら離れてしまったせいで、幼い頃からの数年間、過酷な人生を送っていた。
それに気づいたのは数年前のことであった。
「リグ、今更だけどごめんなさい。」
「え、何が?」
不意に謝ったリンスにリグレットが首を傾げる。
「あなたが帝国に拐われた時、傍にいてられなくて。私があなた達を守るって、そう誓ったのに、誰も助けてあげられなくて……。」
「リンスちゃん……」
今更ながらそのことを悔いるリンスに対し、リグレットは同じ目線の高さまで腰を落とすと、おどけて笑った。
「んー、私はそんな約束を知らないからさ、破られたとか言う実感はないし気にしてないんだけど……リンスちゃんにとってはきっと大事な約束だったんだね。」
リグレットがリンスをそっと抱きしめる。
「ありがとう。」
「……どうして?私のせいであなたはあんな場所で……」
「ううん、それはあなたのせいじゃない。あなたはその間ずっとバルオルグスの封印を守ってくれてたんでしょ?それに今はこうしてちゃんと傍で守ってくれてるじゃない。おかしいと思ったんだ、いきなりとんでもない魔法を使うちっちゃい子がパーティに入れてなんて言ってくるし、何が目的なんだろうと思ってた。……でもそっか、私を守ってくれてたんだね、だから、ありがとう。」
そう言ってリグレットはリンスの頭にそっと手を置く、その彼女の姿にリンスはかつて思い出とが重なり涙を零す。
「兄さん……姉さん……私……私……」
その後、リンスは今日、この時だけ見た目の年齢にふさわしい少女らしい声を出して泣いていた。
――
「ああ、たった今終わったところだ。」
『本当に倒したんだね……お疲れ様。』
今まで戦場となっていた荒れ果てた大地に座り込みながらネロがピエトロに報告をしていた。
ピエトロのねぎらいの言葉に改めて戦いが終わった事を実感すると、ネロはそのまま仰向けに寝転がる。
「そっちは大丈夫なのか?」
『大丈夫……とは言い難いかな……何人か犠牲者も出てるし。』
「そうか。」
名前を出さないことから、多分死んだのは、自分が名も知らない者だろうと察する。
ネロは申し訳なく思いながらも少し安堵していた。
「でも、これで一件落着か……」
『そうだね、計画が外れた事でまだまだ問題は山積みだけど、とりあえずこの戦いは終わりだよ。』
「そっか。」
『ネロ……』
「なんだ?」
『ありがとう。』
「おう!」
ピエトロの感謝の言葉にネロは元気よく答えた。
『そういえばさっき、そっちにエレナとエーテルが向かったよ。』
「そうか、なら早く帰って――」
と話していると、次の瞬間、ネロは会話を止めて目の前を凝視する。
仰向けで寝転がるネロの前に飛びこんできたのは、バルオルグスの影響が残る淀んだ上空を飛び回る一匹の巨大な鳥だった。
そしてその鳥は三つの首を持っていた。
――あれは、まさかレアード⁉
思わずネロは立ち上がり、レアードを見る。
レアードもこちらを見ているようにも思えたが特に何かするわけでもなく、ただジッとネロを見続けた後、彼方へと飛んでいった。
――やはり実在した……ならばあいつを俺が……
記憶の片隅に置いていた、当初の目的を思い出すとネロは改めて決意する。
『ネロ、どうかしたかい?』
「……いや、なんでもない、少し疲れでボーっとしただけだ。」
『そうかい?なら一旦切るよ、続きは帰って来てからで。』
「ああ。」
ネロは軽く返事を返すしてボイスカードを切る。
そしてレアードのとんでいった方向をジッと眺めていた。
――きっとあっちにレミナス山が……――つっ⁉
その瞬間、ネロの頭に頭痛が走るとともに、頭の中に誰かの声のようなものが流れてきた。
……さい、……ウス、……のせいで……が……
その声が消えると同時に何もなかったように痛みも退いていた。
――なんだったんだ……今の……
その声は途切れ途切れで、よく聞こえなかったものの、どこか懐かしく感じていた。
ネロはその声について深く考え込むが、今の声だけでは何もわからず、そして今度は聞き覚えのある声が遠くからはっきりと聞こえてきた。
「おーい、ネロ―!」
ダルタリアン方面からエレナとエーテルがやってくる。
「……ま、いいか、さあ、帰るとしよう。」
こうして一つの大きな戦いに今、幕が下りた。
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