Rainbow Sky~夏祭りの夜~

 街は喧騒に包まれていた。ゴチャゴチャした色彩の屋台が道を囲むように、競争するかのごとく置かれている。今日は全体を通行止めにしているらしく、普段乗用車が次々と疾走する道の真ん中には、浴衣やら何やらに身を包んだ人間達がぞろぞろと、我が物顔で歩いていた。

 その風景を俺は一人、静かな丘の頂上から見下ろしていた。


 今日は近所でそれなりに大規模な花火大会が行われる。大抵の人間は下の方で屋台を巡りながら楽しんでいる。いくら混んでいようが空気が悪かろうが、自分が楽しめればそれでいいらしい。

 そういったものが大の苦手である俺は、いつも人の波から外れたこの静かな丘の上で、一人きりで花火を見る。物心ついた時からずっとそうなので、もはや毎年恒例のようなものだ。

「よくあんな所に行ってまで、花火を見ようと思うよな……皆暇人なんだな」

 盛大に顔をしかめながら、ぽつりと俺は呟いた。

 別に花火を楽しむだけなら、屋台など出す必要はないだろう。それに、花火を見るためだけにわざわざあのようなむさ苦しい場所へ出かけることもないのだ。……強がっている様に聞こえるかもしれないが、本音である。

 ふぅ、と一つ溜息を吐くと、俺は本日のメインである花火を待った。


 からん、ころん……。

 後ろから下駄の音が聞こえてきた。どうやら誰かがこちらへ近づいて来るようだ。……まぁ、『誰か』といっても大体誰だかは見当がつくのだが。

「……妃芽さん?」

 振り向きもせず、俺は後ろに立っているのであろう人物に呼びかけた。かすかに吐息が漏れる音が聞こえる。恐らく笑ったのだろう。半ば確信を得たまま振り向くと、やはり想像した通り、見知った顔の少女が立っていた。

「こんばんは、蓮くん。ここで会うのは珍しいわね」

 いつもの通りそう言うと、少女は――妃芽さんは艶やかな笑みを浮かべた。

 薄桃の花柄模様があしらわれた白地の浴衣に身を包み、透き通る茶色の髪をいつもの通り無造作に一つに纏めている。

「また今年も、一人むなしく花火を見るつもりなの?」

 せせら笑うような口調で話し掛けながら、妃芽さんは俺の隣に腰掛けた。

「妃芽さんこそ、今年も一人で祭りに行っていたんですか」

 質問には答えず、逆に聞き返した。妃芽さんは愉快そうに笑うと、

「いいえ」

 ときっぱり答えた。悪戯っぽく瞳を細め、また妖艶に微笑む。

「今年は、優月先生と一緒に」

 その言葉に俺は目をむいた。思わず立ち上がって叫んでしまう。

「アイツと!?」

「『アイツ』とは何だ。お兄様に向かって失礼だぞ、蓮二?」

 再び後ろから声がした。よく通るが、嫌らしさの存分にこもった低い声。ぎょっとして振り返る俺とは対照的に、妃芽さんは驚きもせずゆっくりとそちらを見た。

「うげ、兄貴……」

「あら、優月先生。遅かったじゃない」

 俺と妃芽さんが続けて言う。

 そこに立っていたのは、紺色の浴衣を着た男。腕を組み、ニヤニヤしながら俺たちを見つめている。ちなみに妃芽さんに『優月先生』と呼ばれるこの男と俺は、(まことに不本意だが)血の繋がった兄弟である。

「何で兄貴までこんな所にいるんだよ。っていうか妃芽さんと祭りに行ったって本当なのか?」

 俺は同じように腕を組むと、汚らわしいものを見るような目つきで我が兄を見つめた。

 兄は特に動じることもなく、愉快そうにケラケラ笑った。

「そう怒るなよ。大体現役教師と在学中の生徒が堂々と祭デートだなんて、そんな問題になるようなこと俺らがするわけねぇだろ。人ごみの中を歩いていた時にたまたま会っただけ。そうだよな、妃芽?」

「えぇ、もちろん」

 兄が妃芽さんに同意を求めると、彼女はどこか不敵に微笑みながらうなずいた。

 それを横目で確認した兄はおもむろに小包の様なものを取り出すと、半ば放り投げるようにして俺に渡してきた。

「ほら、蓮二。お前に土産だ」

「何だよ……お、たこ焼き」

 受け取った小包を訝しげに開けた俺は、中身を見たとたんに機嫌が直った。理由は単純。たこ焼きは、俺の好物だからだ。

「仕方ねぇ。今日のところは勘弁してやるよ」

「本当にお前、単純だよな」

 ……兄が何か言ったような気がするが、気にしないことにする。


「さて、皆揃ったことだし、花火の登場を待ちましょう」

 妃芽さんが仕切り直すように言った。一人で花火を見る予定でいた俺は思わず、間抜けな声を上げてしまう。

「はぁ?」

「はぁって何だよ」

 馬鹿にするように兄が笑う。

「いや、だって……。あっちで見るんじゃないのか」

 人の減る気配が無い大通りを指差し、少し焦った口調で尋ねる。すると妃芽さんも兄も、さも当然といった様子で答えた。

「ここで見るに決まってんだろ」

「そうよ。あんな人込みでぎゅうぎゅうになりながら花火なんか見たって、何にも楽しくないに決まっているじゃない」

 どうやら下へ降りる気は無いらしい。二人とも言って聞くような善良な人間ではないので、俺は諦めて溜息を吐いた。そんな俺の方を見て、兄は人の悪い笑みを浮かべながら更に続ける。

「お前も一人じゃ寂しいだろう」

 ……大きなお世話だ。そう思ったが、あえて口には出さなかった。


 兄は妃芽さんの横に座った。俺たち兄弟で、妃芽さんを囲む形になる。こうやって三人で並んで座るのは、何だか新鮮だ。

「何だか新鮮ね。こうやって並んで座るのって」

 今俺が思ったのと全く同じことを妃芽さんが呟く。何となく見透かされたような気がして悔しい。だけど俺はそんな感情は微塵も顔に出すことなく、そうですね、と答えた。


 ドン、ドン、パララ……。


 始まりの音がした。いよいよだ、と空に目をやる。いつも余裕ありげな妃芽さんからも、兄からも。そして俺からも、どことなく緊張気味の空気が流れた。

 少しの間、辺りはシンと静まり返った。

 とたんに、漆黒の空は大きな虹色の花たちによって彩られた。ドン、ドンと地に響くような音が後から響いてくる。

 昔から、この瞬間が好きだった。響く音に全ての感覚が持っていかれるような、身を任せてしまいたいような、そんな気分になる。

 目を閉じて、いつものように一人、花火の音に酔いしれていた時だ。

「虹色の、空ね」

 妃芽さんが溜息混じりの声で、誰にともなく呟いた。

「風変わりなことを言うじゃねぇか」

 真っ先に反応した兄は、彼女の言葉にクスリと笑ったようだった。

「あら。おかしいかしら」

「いや……ずいぶんと的を射た意見だと思ってな」

「先生が私を褒めるなんて、珍しいこともあるものね」

「そうかぁ? 結構褒めてると思うけど」

 二人で内緒話をするように、笑い合っているのが分かる。何となく疎外感を覚え、そっと目を開けて空を見た。

 まさに、昼間のような明るさだった。普段何の表情も見せない黒々とした夜空に、赤や黄色や緑色などの鮮やかな光が次々と瞬く。まさに『虹色の空』と言うにふさわしい色だった。

「虹色の空……ねぇ」

 二人を見つめながら、俺はポツリと言った。聞こえたのか、妃芽さんがこちらを見て無邪気に笑う。

「蓮くん。私はね、こういう貴重な空色も大好きよ」

「……そうですか」

 何となく気恥ずかしくなって、そっぽを向きながらぶっきらぼうに答えた。

「蓮二、顔が赤いぞ?」

 兄がニヤニヤしながら俺の顔を覗き込み、俺にだけ聞こえる小さな声で囁く。

「……っ、うるせぇ」

 べしっ、と兄の顔を容赦なく叩いてやった。

「いってぇ!! 何すんだこの馬鹿!」

「うるさいクソ兄貴。黙ってろ」

 抗議の声を上げる兄を一喝し、再び花火に目をやる。妃芽さんはそんな俺たちを見て、クスクスと笑っていた。

「ったく、覚えてろよ」

 やがて兄は諦めたらしい。負け惜しみのごとく一言呟き、黙りこんだ。

 それからあとは、誰も何も話すことはなかった。


 再び静かになった丘の上には、未だ続く花火の音だけが響いていた。

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