3.Navy Sky~紺色~
日が沈んだばかりの、ほんのり薄暗い空。
明かりもなく閑散とした校舎の中、誰もいない教室で、窓際に寄りかかりながら外をぼんやりと見つめる、一人の男子生徒がいた。
校内の見回りのために廊下を歩いていた白衣の教諭は、暗い中でも目敏く彼の存在に気付いたらしい。彼のいる窓際まで足音も立てずに忍び寄ると、男子生徒の肩をポンッと軽く叩いた。
「まだ残ってたのか?」
「うわっ!」
どうやら不意打ちだったらしく、男子生徒の肩は面白いぐらいにびくんと跳ねた。教諭はその様子がツボに入ったようで、しばらくゲラゲラと笑っていた。
「相変わらず弄り甲斐があるな、
「……んだよ、お前かよ」
男子生徒――蓮二は、自分の心臓辺りを押さえながら、教師に向かって悪態をついた。
「『お前』とは失礼だな。こちとら仮にも教師だぜ?」
「あーあー、そうでしたね。そりゃすいませんでした、『優月センセイ』」
蔑むような口調で蓮二は吐き捨てる。そんなことはとうに慣れている、といった様子で、教諭――優月はニヤリと笑った。
「相変わらず言い方がどうも癇に障るが……まぁいいだろう。俺は心が広いから、許してやるよ」
「ありがとうございます、『センセイ』」
「分かったから、その言い方やめろ。思ったより結構腹立つから」
コイツは相変わらず、俺の前だと全く素直になってくれない。本当に、意地っ張りな奴だ……。
内心で密かにそう思いながら、優月は苦笑した。
「ところで……さっきから何見てたんだ?」
「何だっていいだろ」
やはりぶっきらぼうな返事しかしない蓮二。優月はそんな彼の隣に立ち、窓の外を見た。暗くなり始めた空に一つ、星が僅かに光を発している。優月はそれを指差すと、まるで幼い子供の様に、朗々と声を張り上げた。
「一番星みぃつけた」
「ん……?」
蓮二はどうやら、一番星の存在には気づいていなかったようだ。目的もなく虚ろに暗闇を捕らえていた目をのろのろと上の方へやり、驚いたように呟く。
「本当だ……」
あまりに素直な反応に、優月は声を上げて笑った。
「本当だ、って。お前、星を見てたんじゃなかったのかよ」
「いや……その、」
珍しく蓮二は歯切れ悪く言い淀んだ。しばらく、迷うように口を開閉させる。そんな蓮二の様子に気付いたのか、優月は怪訝そうに目を細めた。
「…………」
「どうした?」
優月のその言葉は、いつものからかいの意味を含んだものではなかった。ただ不思議そうに、蓮二の次の言葉を待つ態勢になっている。
蓮二はやがて、重々しく口を開いた。
「暗闇の中でも、必ず光はどこかに在るんだなって。あの時……妃芽さんの言ってた通りだなって、思ったんだよ」
「妃芽の?」
興味あり気に聞き返す。
妃芽は優月が担任をしているクラスの生徒だ。
だからだろうか。あの時――恐らく蓮二が夜に癇癪を起こし、突然家を飛び出していった日のことだろう――蓮二と一緒にいたらしい彼女が、彼にいったいどのようなことを言ったのか、優月は気になった。
「アイツはお前に、どんなことを言ったんだ?」
蓮二はどことなく昔を懐かしむような目をして、静かに言った。
「光はなくなったりしない。必ずどこかに、一筋だけでも残っているはずだって。だから、諦めてはいけない……希望を探すことを、生きることを、放棄してはいけないって」
光は、決してなくならない。どこかに必ずあるはずだ。
例えそれが一番星のように弱くて、今にも消えてしまいそうなほどの淡い光だったとしても……それを頼りに歩んでいくことは、決して不可能なことじゃない。
だから……最初から放棄してしまってはいけない。可能性を、捨ててはいけない。
真っ暗でも必ず存在するはずの光を探して、それを頼りに生きていきなさい。
妃芽の言葉からは、そんな意味の、彼女らしい励ましが込められているような気がした。
「俺は衝撃を受けた。あの時、生きることに対して半ば諦めの気持ちを抱いていた俺にとって、その言葉はどれほど救いになったか……」
肩を震わせ俯いたまま、蓮二が震える声で言う。もしかしたら泣いているのかもしれない。
優月は目の前の自分より少し大きな背中を見つめるだけで、あえてその肩に触れることはしなかった。触れるべきなのは自分ではないと知っていたし、蓮二も自分のような人間に触れられたくなどないだろうと思ったから。
ただ一言だけ、ポツリと。
「その言葉をこれからの光にして、生きていけばいいと思う」
下手な慰めにもならない言葉を、吐いた。
「そうだな……」
蓮二はフッ、と小さく笑った。
そして俯いていた顔を上げ、サッシに凭れかかるようにして優月の方へと向いた。目はやはり赤かったが、その表情はどことなく吹っ切れたようにも見える。
最近元気がなかったので心配していたのだが、この様子だともう大丈夫そうだ。妃芽のおかげだな、と優月は内心で感謝した。
蓮二は明るい声で、話題を変えるように優月へ話し掛けた。
「なぁ、兄貴」
「ん?」
「……妃芽さんの抱えている苦しみって、何か知ってるか?」
まぁ答えちゃくれないだろうがな、と続け、蓮二は苦笑した。
優月は少し考える素振りを見せはしたものの、やはり蓮二の想像通り、いつもの意地悪い笑みを湛えて尋ね返した。
「さぁ、何だと思う?」
「……ふ、やっぱり教えちゃくれねぇんだな」
声を上げて蓮二は笑った。優月も続けて笑う。
誰もいない真っ暗な教室には、しばらくの間彼ら兄弟の笑い声だけが響いた。
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