エコロジカルアドヴァンス

しげはる

自然調和への突撃

とても晴れ渡った青い空。


わたしは薄茶色に乾いた未舗装道路を真っ赤な自転車で走っている。


一心不乱にペダルを漕ぐ。白いブラウスと、その首元に小さく結ばれたワインレッドのスカーフが風にはためく。

紺色のスカートが膝から上に大きく捲り上がっても気にしない。わたしは自転車を走らせる。


世界を変えてしまったと伝えられるかの大災厄――カタストロフィ――以降、人間は多くのものを失った。そして多くの困難を乗り越えた。


より豊かで、安全で、かつてないほど幸せな社会を。


人々はみな平和な世界を求めている。地球は今、再興しようとしている。


わたしに操られて疾走する自転車は、未舗装のでこぼこ道の上でガタガタと跳ねる。


目的地が見えてきた。


ペダルを漕ぐのをやめてハンドルのレバーを思い切り握る。勢い良くブレーキが掛かり身体が前方へ傾く。

もうもうと白い排煙のような砂埃を舞い上げながら、わたしは体を横へ傾けて自転車を真横に滑らせ急停車させた。

左から後方にはたった今巻き起こったばかりの砂埃、そして右にはたった今辿り着いた掘っ立て小屋のような研究室。

その研究室は簡素な木造平屋建てで、その真ん中からは建物の倍以上もの高さのある細長いアンテナが突き出している。

時代はエコだ。学校の歴史の授業で習った大量生産・大量消費の時代は終わりを告げて久しい。

大災厄で生き残った人間たちの知識は大いなる資産となって、必要なものを自分たちの手でみんなのために作り出す。

そんな時代にわたしは生きている。


「そうだ、急がないと」わたしは研究室の入口のドアへ向かった。


「おっはようございまーす!」

鍵の掛かっていない扉を開け、元気な声を張り上げながら建物の中へ飛び込んだ。ここへ来てからもう半年が過ぎた。だいたいの勝手は分っている。

そのまま奥へと進む。乱雑に配置された本棚や机やその上に積みあがった本や資料の束、それらが衝立となった狭い研究小屋はまるで迷路のようだ。

奥のほうから返事が聞こえた。

「やあ、来たな。ちょっと待っててね」

声の主は白衣を着ており、肩まで伸びた茶色の髪はぼさぼさでくしゃくしゃしている。その茶色の頭部を俯かせ、突っ伏すように机に覆いかぶさって何かを一心不乱に調べている男性。私のゼミで実習を担当してくれる大鳥先生だ。

先生はしばらくの間、机の上の何かと格闘する。やがて「よし」と納得するとようやく顔を上げた。

「あ、今日もよろしくおねがいします」先生と目が合ったので、改めて挨拶をする。


先生は銀縁の眼鏡がよく似合うインテリ系で、切れ長の目に細い顎、すらりと背も高くなかなかの好青年。

前に聞いた話では二十代後半らしいけど、ぱっと見では十代のわたしとそんなに変わらない印象。


「おはよう榊ミドリ君、先週からの新しい課題は新緑エネルギーの転換だったね……中々ハードなやつを選んだものだ」先生はにこやかに笑った。

わたしも笑みを返す。世界は、これまで作った重要な建造物とか製造物を、大災厄によって失ってしまった。人命も然り。

そんな中でわずかに残された貴重な過去の遺物たちは、より貴重な生き残りの人間たちによって再利用され模倣され、より人間たちの役に立つように進化した。

わたしたちは今まさに発展途上のめまぐるしい成長の、とめどない発展の広がり中にいる。


「先生。そういえば私、課題を外に置いてきたままでした」急いでこの研究小屋に入ってきたために、先程集めてきた課題はまだ自転車に積みっぱなしだ。

おや、君らしくもない。と先生は目を丸くしたが、それがすぐ外の自転車にあるのだと分ると席を立ち、うーんと背伸びをしてじゃあ私が取りに行こうか、と言ってくれた。

いえ問題があります、とわたしは先生を止めた。


外へ向かう扉のすぐ横に嵌った小窓の向こう、わたしが自転車で走ってきた砂利道が、徐々に膨らむ緑の木々に覆われつつある。

それを見た先生はしばらくぽかんとした表情で動きを止め、あわてて外へ飛び出してわたしの自転車を小屋の中へ引っ張り込んだ。

「あれはレント形態じゃないか! もう抽出に成功したのかい?」

わたしは誇らしげに頷く。


抽出とは、植物おもに樹木の成長エナジーを科学的に凝縮させる技術。

抽出されたエナジーは、自転車に装着したデバイスにはめ込まれたエナジーチップへと回収する。

何十年、ひょっとしたら何百年もかけて大樹へと成長した樹木のエナジーを強制的にかき集めて回収するのだが、樹齢が高いものほど莫大な量のエナジーを得られると考えられている。

その反面、一度に抽出するエナジー量が大きいほど、抽出過程で回収し切れないエナジー量も増える。回収しきれなかったロスト分は周囲に拡散してしまい、その影響を受けた木々はレント形態となって動物化する。

私が取り組んでいる目下の課題は、毎回抽出を成功させ、その割合も増加させること。

私は今日、二十回目のトライでようやく成功し、五十%の回収を達成した。

マスタークラスともなれば、抽出の成功率六十%で回収率は七十%を超えるそうだ。

発生するレントの数を減らすためにもさらに回収割合を高める必要性を実感する今日この頃。


先生が自転車のハンドルステム上部分に取り付けられたデバイスからエナジーチップを外す。

「トライしたのは何本かな?」窓の向こうで膨らみ続ける緑の木々を背に先生はわたしに聞く。

「二十回目で成功しました。抽出成功率五%、回収率は五十%です」

木々が膨らむように見えているのはレント化した木々が自ら動いて近付いて来ているからだ。もう近い。

「五%か、ふむ。樹齢にもよるが、やって来るのは十体ぐらいかなあ」先生は窓の向こうを眺めた。あと三分もすればここはレントに囲まれるだろう。

先生、とわたしは尋ねた。「このままいくとわたしたち、あれに押し潰されて死ぬのでしょうね」

「うーん……」と先生は腕組みをした「死ぬ……ね。まあ、そうだね。しかたないなあ。やっと完成させたんだけれども、早速ここであれを使ってしまおうかね」

先生は机に戻って、さっき被りつくように取り組んでいた『あれ』を取り上げた。


エナジーチップそっくりな、親指ほどの幅で爪よりも厚みのある見なれたサイズの金属の板。

「端子がね、ちょっと違うから加工して君のデバイスに取り付くように改造していたんだよ」

先生はわたしの自転車のハンドル中央に据付けられている薄い箱の窪みにそのチップをセットした。

そのまま自転車を外へ向かうように方向転換させ小屋のドアを開ける。自転車の後輪軸に付いているスタンドをかけて自立させる。

「抽出作業をする時と同じ要領だよ。ハンドルの向きと照射する角度に注意して、落ち着いて対象を狙えば大丈夫」そう先生は仰った。


レントはどんどん近付いて来る。太い根っこが足のようになって地面を歩く。枝葉が忙しなく動き触手のようにうねる。

石はね、と先生は仰った。「石は自己成長しないんです、だから抽出はほとんど意味が無い。安全ですが割に合わないんです。まあ、詳しくは今後の課題で教えていきましょうね」

先生はにっこり笑ってわたしを促した。わたしはスタンドで自立している自転車に跨ると大きく息をついた。ハンドル、サドル、ペダル。各部位が私と接触し動力を得る準備が出来上がる。

「有効距離は三十m、放射角度は左右合計四十度、上下の合計は五度!」わたしからのコマンドが微電流となって流れ出し、受け取った各機器がそれらを実行する。

「よっしゃあ、いきまーすっ!」自転車を漕ぐ。

スタンドで支えられた後輪軸を中心に、後ろの車輪が勢い良く空中を回る。

車輪が回ることによって動力を得たデバイスのインジケーターが息を吹き返す。

右のハンドルグリップに付けられたスイッチを介して、デバイス先端のレンズが光を帯びる。レンズが灰色の可視光線を射出する。

光線がレントを照らす。広角に照らしている遠方はまだ威力が弱い、照射ポイントの狭い至近距離になればなるほど光線が集中するので効果的だ。


ギギ。先頭のレントが光を浴びて石灰色に染まり動きを止めた。それを追い越して迫り来るレントも次々に石化して固まる。

「あははは」つい楽しくなって笑い声をあげる。漕ぐのがおろそかになるとレンズの光が弱まる。残ったレントが向かってくる。

気を取り直してさらに漕ぎながら向かってくるものを固め、ハンドルを微妙に左右に切って石化したレントの背後から現れる新手のレントを固める。


やがて動いている木はいなくなった。

「面白い、これ」


これまでに行っていた抽出と回収は、もやのような薄い光が漂い流れるのは見えるのだけど、基本は付属モニターとにらめっこの単純作業。

比べて、これは視覚効果抜群でとても刺激的だ。

「まあ、濫用すると問題ありだけどね。……どうやら道が塞がれてしまったね」先生は外の様子を眺めて苦笑する。

緩やかにうねる砂利道は、石化した木々のオブジェに塞がれて壁のようになってしまっていた。

あれでは自転車で通れる道が塞がれしまったように見えますね。おそらく迂回路が必要になるでしょうね、そう先生は仰ってとりあえず小屋の奥へ引っ込んだ。行きながら声を響かせる。

「まずはお昼にしましょう、それから外へ出て成果の検証をしますよ。まあ検証というよりは迂回路作りですかね」

うへぇ、最後に労働ですか。


自治区の発表では、先月までの集計による地区内の年間死亡者はおよそ一千四百人、出生人数六百人。区内の推定人口は一万人。

かつて国家と言われた地区の集合、都道府県といわれた地区合計の推定人口六千万人。

毎年一割以上の人が死んで、減った人数の半分も生まれてこない。レントなんか比較にならないような数多くの危険が跋扈しており、寸断さればらばらになった地域社会。


「そろそろチャージだね。せっかくだから、君が抽出に成功したエナジーチップを使ってみようか」戻ってきた先生は、私のおへそのあたりにあるカバーを開けてチップを交換した。


年々人口は減り続けているが、死亡した身体でも再利用可能な固体は代替器官を移植することで再起動できる。

わたしたちは自然環境の色々なものからエナジーを抽出して活動源資を得ている。その技術や理論はまだ途上段階にある。

それらを利用して活用するための仕組みは日々研究され発展している、これからもっと発展してゆくことだろう。


そうやって第二の生命を得たわたしたちだが、何故だか現在は、再生されたわたしたちと、まだ死んだことがない『イノセント』と呼ばれる人間たちとの積極的な交流はない。先生もそのことについては深く触れない。

もっとたくさんの課題をクリアして、たくさんのことを理解しなければその領域へ進めないのだろうか。

今は過酷な世の中だが、この環境を改善してみんなが安全で幸せに過ごせる社会を実現すれば、わたしや先生もイノセントと共存して幸福を分かち合えるに違いない。

きっとできる! わたしは砂利道を塞ぐ石灰色の木々とその上空に拡がる青い空を眺めた。

わたしのメモリの中に、微かに残っているメロディーを口ずさむ。過去の歌、うろ覚えの記録。でもそれは何となく楽しくて元気が沸いてくる魔法の旋律。

再起動された者には、生前の記憶がほとんど残らない。わたしには未来しかない。迂回路を作る準備をするために、わたしは小走りで小屋の外の物置へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エコロジカルアドヴァンス しげはる @sigeharu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ