第1章➖3 Aaliyah

 平日の昼間という時間、街中にはモブキャラに相応しき主婦と同じ顔をした労働者しかいない。スーパーで買い物を終えた後の僕はその特徴無き空間を素通りして、バイクを走らせて自分の家へと向かう。だしかし、僕は何の気無しに行き先の方向を変えた。少し急な坂道に乗ると、周りにいた車や人の数が急激に減少する。


「…………!」


 僕は平凡な世界の中で、唯一特殊と呼ぶべきものを見つけた。それは僕とアリヤが出会った山の森だ。もう人は集まってはいないが、地方局の人間らしい数名と警察関係者らしい者は未だにその場に残って何かの仕事をしているように見える。僕は少し思い当たることがあり、その場から10数メートル離れた地点でバイクを止めた。


(流石に、一緒に燃えたよな……)


 僕はその場に捨ててきてしまった紐が心配だったのだ。原因不明のボヤとして片付けられれば良いのだが、もし変に物的証拠として捜索すれれば僕があの場にいたことは間違いなくバレるだろう。そうなればアリヤがどうなるか分からないし、最悪の場合を考えると僕は今までよりも自由が制限されたもっと劣悪な暮らしを強いられることになる。


 あの場に何人か人がいるのが苦しい。黒く焦げた木々の一部を見る限り、おそらく燃え尽きていると思うのだが……。考え過ぎと思い、エンジンを掛け直して引き返そうとする瞬間だった。


「すみません?」


 突然後ろから声をかけられ、ビクッ!と僕の身体が一瞬震えた。即座に声のした方へ振り向くと、そこには女がいた。金色の髪に、高い鼻とオレンジ色の目が印象的な人だ。顔の堀が深く、すぐに白人だと分かる。スーツ姿で、ぱっと見るには警察関係者にも見えるが……。何故かその人は男の子と女の子らしい人形を抱えており、それがファンシーな雰囲気を彼女の周りに強く偏在させている。


「なんですか?」


 僕は動揺をサッと隠す。エンジンはかけたままにし、出来る限り無愛想な表情を作る。一般の人ならこれで少し引いてくれる経験則を持っているからだ。だが、目の前の彼女には効果が無かったらしい。1歩どころか半身も引いてはくれなかった。


 彼女は焦げた森を指差す。


「昨日起きた火事について、詳しく知りませんか?何かを知っていれば、教えてほしいんです」


「……残念ですが。というよりも、貴方はどこの誰ですか?いきなり話しかけて頼み事は失礼ですよ」


 僕は物語の中でよく出てくるような受け答えをする。出来れば、早々にこの場から離れたい。もう少し早く見切りをつければ良かったと後悔する。


 彼女は僕の質問を聞き、おもむろに胸ポケットから一つの手帳を取り出す。


「ごめんなさい、申し遅れましたね。私は米国FBIより派遣されたアリアンナ・シュタイナーと言います」


 僕は眉をひそめた。何故FBIなんて仰々しい者が?


「はぁ……」


 僕はわざと重くため息をつく。彼女は僕の嫌そうな顔に全く気に留めない。それどころかスキップを混じえた歩きで、彼女は僕のバイクの眼前に躍り出た。


「見える通り、昨日あの場所で原因不明の火事がありましたよね。貴方はそれを見ていませんか?」


 彼女はテンプレートな白い歯を見せる笑顔を作って、僕にもう一度同じ質問をする。僕は適当な答えを返したほうが良いと判断する。


「ええ、見ましたよ。というのも、遠目からですけれど」


「そうですか……では、何か変な物は見ませんでしたか?」


「変な物?」


 僕が聞き返すと、彼女は笑顔のまま頷いた。僕は平静を保ちながら、森の方へと目をそらした。


「いいえ、見てません。そもそも変な物……とは?」


 僕がそう聞くと、彼女の目が一瞬鋭く細くなったように見える。


「誠に申し上げにくいのですが、……実はこの火事がアメリカに居た爆破テロリストによるもの……の可能性があるのです。ですので、もしかしたら爆弾らしきものを見てはいないかと思いまして」


「……そうですか。悪いですけど、見ていませんね」


 僕は静かに嘘をつく。すると、彼女はやっと諦めてくれたのか右に身体を移動させてくれた。


「お手数かけて申し訳ありません。もう行っても良いですよ」


 僕は小さく会釈し、バイクを走らせて彼女の横をすり抜けようとした。だが、その瞬間、僕は確かに聞いた。


「自殺はほどほどに、ね?」


 僕の目が真横の彼女の顔を一瞬だけ捉える。彼女は首元に自分の人差し指を当てて、まるで1本の横線を描くように指肉を滑らせた。その間の彼女の顔は不気味なくらい細い目と引きつった口角の笑顔であった。


 ブーン!……と僕は逃げるように加速させる。何故だろうか、何も悪いことをしていないのに脅されたような気分だ。手からはベットリとした汗が滲み出ており、背は針でも刺されたかのような寒さを感じた。


 運転しながら彼女の言葉と手の意味が何なのかを考える。もちろん首を吊ったら出来る紐の痕のことを示しているのだろう。ということは、彼女は僕があの場にいたことを知っているのだろうか?……でも、それならばすぐにでも参考人として連行できる筈だ。


 頭がゴチャゴチャし始める。それと共に平常心と冷静さが消失し、代わりに焦りや動機が激しく踊った。僕は何とか家まで辿り着き、ガレージにバイクを停める。エンジンを止めて鍵を引き抜き、バイクから降りた。


「ぁ……~~!!」


 僕はガレージの壁にもたれかかるように腰を降ろす。声にならないため息をつき、深く深呼吸して動機を静める努力をする。耳の中で聞こえる程度に興奮した血脈の鼓動が徐々に治まっていくのを確認しながらも、僕の脳はズキズキと痛ませながら恐怖と休息の渇望を訴えた。


 何度も何度も深く吸っては長く息を吐く。それを10分ほど繰り返していると、トンッとガレージの入り口に誰かが近づく音が聞こえた。僕はそちらを見ると、困ったような怯えたような表情をしたアリヤが立っていた。彼女は何やらホッとしたかのように胸を撫で下ろし、ちょこちょこと僕に近づく。


「何かあったのか?」


 アリヤは僕の目線に合わせるようにしゃがむ。僕の顔を覗くために彼女は首をかしげ、その動作によってサラサラとした髪が薄紅色の唇に撫でるように流れ落ちた。


「いや、……何でもないよ」


 僕はグッと足に力を込めて立ち上がり、座席下のケースの蓋を開く。そして、新しく購入してきた食品や生活雑貨を入れたビニール袋を取り出した。


「ほら、今日スーパーに行ったらさ!たまたま肉が安くなってたんだ、アリヤはドラゴンなんだし好きだろ?」


 見せびらかすように、明るく振る舞いながらそれらをアリヤの眼前に持っていく。しかし、思ったような嬉しい反応が無い。僕は少々重たいそれらをどけて彼女の顔を覗く。


「そうか…………ありがとう」


 彼女は余り嬉しそうではないようだった。むしろどうでも良いという雰囲気を感じさせる。目が曲線になるどころか口角すら上がらない。冷淡な感謝の言葉が僕の虚勢心をを見抜いたか如く、彼女の静かな視線が1本の矢となってそれを貫いた。


「……ごめん」


 僕は手に持った袋を持つ方のうでの力を抜いて、彼女の目の前からそれを取り除く。そうして、彼女はやっと口元を上げて微笑した。


「良い。だが、……余り誤魔化そうとはしてくれるな。それは私が嫌うものであるし、何より――悲しいのだ」


 そう言って、アリヤは僕の手から袋を手際良くそっと取る。


「ほら、何があったのか分からぬが、見る限り疲れたのだろう?少し休め、負のスパイラルというものは怖いものだからな」


 トンッと半回転した彼女は、僕の生活に馴染みきったかのように玄関へと向かう。そこに至るまで、彼女は僕の感覚に何の不自然さというものを感じさせはしなかった。確かに、今の僕の状態は悪いようだ。今日出会ったばかりのドラゴン女を家に招き入れて、新鮮さすら感じていないのだから。


「眠ろう……とりあえず」


 僕は不健康の理由に寝不足を感じ、足早に玄関へと向かう。ガチャリとドアを開けると、何も変わらない見慣れた僕の家の内装があった。靴を脱ぎ、冷蔵庫に食品を片っ端から入れているアリヤを横目に見ながら自室へと向かう。


 机と椅子、ベッドだけの簡素な部屋。ここが僕の部屋だった。親にはゲームや趣味類のものを購入するのは禁止されているのだ。僕は何かを購入するときは必ず父から渡されたクレジットカードを使うように指定されている。何故なら、そのカードで使った金額や購入した商品の情報は全てカード会社を通じて親に送信されるからだ。


 僕の親は妹と3人でアメリカのニューヨークにいる。何の事はない、出来の悪い僕は日本に置いて行かれたのだ。勉強や運動、従順さ等の親が僕達に求めていたことは全て妹のほうが優れていたらしい。父の栄転の際に、投資と節約という名目で僕は1人で14の時に日本に残された。保護者は遠く離れた地に住む祖父になり、犯罪行為等は幾つかの脅迫を付けられて禁止された。


「疲れた……」


 倒れるようにベッドへうつ伏せで横になると、バフンッと大型獣のゲップのような音がなった。もう布団も随分と干していないから、埃が溜まっているようだ。僕の視界に舞い上がった糸屑をボンヤリと見つめながら、ベタついた手が布団に張り付く感覚に嫌気を覚える。


 ゴロンと転がって仰向けになり、枕の横に無造作に置かれたスマートフォンを取る。電源ボタンを押そうとするが、僕の指は少し止まる。何も表示されていない画面が鏡となり、僕の首元に赤い横線が描かれているのが見えたからだ。首全体に付いては居ないが、確かにそれは痕になって残っていた。


「……馬鹿だ、僕は」


 後悔なんてしない、と思っていたのに。涙は枯れていても、自傷心に駆られた自分に悲しみを覚えてしまう。ギリギリと嫌な音が聞こえ始め、それが自分の歯軋り音だと気づいた。今にも暴発しそうな何かが胸の奥で蛇のようにズルズルと蠢いていることを感じる。


「…………」


 目を閉じると、僕の世界には闇が広がった。暗い代わり、苦しいものを見ずにいられる世界だ。眠っているのか眠っていないのかすら曖昧な気分に陥り、外着のせいか背中に嫌な汗をかく。時間が流れているのか流れていないのかさえ分からなくなっていく。平衡感覚が狂ったのか世界が回転しているような錯覚さえ覚え始めた頃、ピンポーンとベルが鳴った。


「……誰だ?」


 僕は起き上がり、自室の窓からソっと覗く。一瞬、あのアリアンナ・シュタイナーとかいう女かと思ったが違うらしい。玄関には真っ黒なセーラー服を着た少女が2人いた。1人は髪を後ろで一つにまとめ、もう一人は天然なのか人工なのかゆるふわパーマをかけたロングの髪型をしている。


 後ろのドアがコンコンと2回ノックされる。


「おい、誠。すまないがお前が出てくれないか?」


 アリヤが部屋に入ってくるや否や、そう言った。僕は窓から離れて、軽く頷く。少なくともあのFBIの女でないのなら大丈夫だろう。安易な考えだが、僕は自分自身の半端な理性で納得する。自室を出て、玄関へと向かい、鍵を開けた。ドアを開くと、2人の女の目が僕の顔に焦点を合わせる。


 1人は想像通り清楚かつ清廉潔白文武両道をイメージさせる少女だった。真っ黒なセーラー服をキッチリ着こなし、非の打ち所がないという雰囲気を持っている。だが、もう一人はセーラー服の胸元がはだけており、それどころかスカート下の靴下が一昔のギャルのようにヨレヨレに潰れていた。だが、それは特筆すべき事ではないと感じる。何故なら、2人は共通して肩に武具のような何かを入れた道具袋をさげているからだ。


「こんにちは、突然お邪魔して申し訳ありません。私達は〇〇高校の学生自治団体の者ですわ」


 ポニーテールの女が学校から指定されたのであろう手提げ鞄の中からA4サイズの冊子を取り出し、僕に差し出した。僕の家の付近にる〇〇高校の名前やら何やらが書かれた冊子の中を覗くと、非常時の防災における知識などが絵付きでわかりやすく書かれている。


「はぁ、どうも。それでは」


 そそくさと僕は一礼して玄関を閉めようとする。しかし、ポニーテールの彼女は僕を引き止める為か1歩踏み出して手でドアを閉めないように押さえた。


「待ってください、少々お話があるんです。お時間ありますかしら?」


 僕は表情に出さないが、内心とても驚く。僕は力一杯ドアを引いているのだが、目の前の彼女の力が強すぎるのか全く閉めることが出来ないのだ。


「……わかったよ」


 僕は力で敵わないことを理解し、一度諦めてドアから手を話した。すると、彼女はニコリとしてドアから手を離し、1歩下がる。そして、彼女は恥ずかしそうにと両手を前に持っていきモジモジと遊ばせた。


「ありがとうございます。私達も緊急の用事ということで、しっかりとお話をしたくて……失礼をお詑び致しますわ」


 彼女が僕に一礼する。僕はそれが何だか歯がゆくて、困惑した。


「いや、こちらこそスイマセン。それで話っていうのは?」


 常識人らしい彼女に僕は好感を覚えた。しかし、早々に他人との接点を切りたい為、本題に入ろうとする。本題に入りたい、と思うところは一緒だったらしい。彼女も大きく頷き、質問を吐く。


「貴方、ドラゴンを匿っては居ませんか?」

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