第1章➖2 Aaliyah

「逃げてきた?」


 僕はコンビニで買った5つの弁当が平らげていく彼女ことドラゴン女ことアリヤの言葉を聞き返した。


「そう、……わらわはそれはそれは面倒臭い者達から逃げてきたのだ。それはもう、必死に必死にな」


 アリヤは「よよよ……」と悲劇の女を気取るかのように両手で顔を隠し、頭を小さく横に振った。ただ彼女の手は余りにも全体的に細いので、口角が上がっているところがすぐに分かる。


「面倒臭い……ね」


「……つまらぬ反応だの」


 僕の自殺のお邪魔に大きく貢献し、さらに殺してくれずに無茶苦茶な事を言う自称陰謀的逃亡者の痴女アリヤは僕の無反応さにため息をついた。今の彼女には、僕が中学時代に着ていた学生服のシャツとジャージを着させている。一応服のお陰で素裸の状態を免れてはいるのだが、普通とはかけ離れた顔に庶民的な服装がギャップとなって逆に変なフェロモンを漂わせ始めていた。


 僕とアリヤは出会ってすぐに森へと駆けつけたらしい消防車のサイレン音を聞き、その場から離れたのだ。彼女が放った火炎と消防車が色濃く目立ち、僕は裸のアリヤを家へと難なく連れて来れた。二度と帰らないと思った家は、何も言わずに僕を出迎えてくれた。


 そして、今に至る。彼女は随分何も食べていなかったのか、今日1日分にと買ってきた6つの弁当の内5つをドンドン腹に流し込むように入れていく。もう既に3つは平らげられ、彼女の横に丁寧に積み上げられていた。


「それよりも重要な話があるだろ。正直、アリヤ……さん?」


「呼び捨てで良いぞ、変な遠慮は要らぬ」


「……アリヤの身の上話なんてどっちでも良い。『王』なんたらって話をしてくれよ」


 彼女は僕にこの世界の王様にならないか?と告げた。ただ、それの意味がちょっとよく分からない。この民主主義や社会主義が発達した人民社会の中で、何故王なのか。


「ああ、お前はそっちの方が興味があるのか。……何とまあ冷たい奴だ、この絶世の美少女が追われている理由をどうでもいいなどとは」


 そう言いながらアリヤは割り箸を唇に当てて、ウルウルとした上目遣いをする。それが故意的な者だと僕は分かっていたのだが、僕は不本意にもサッと目を横に背けてしまった。それを見たアリヤはプッと吹き出し、片手で口を隠してクスクスと笑う。


「フフッ、こんな簡単な手に引っかかるとは……」


「う、うるさい!それよりも王の話!」


「分かっておる分かっておる、そう急くな」


 僕はアリヤの悪戯心に翻弄されつつも、早く本題に入ろうとする。そんな余裕のない僕とは真逆に、彼女は大きく余裕を見せながら4つ目の弁当に手をつけ始めた。


「ふーむ、今初めて知ったのだが、人間の姿だと食料が少なくて良いな。もう腹がいっぱいになってきたぞ」


 しかも、関係ない話をまた始めようとする。本当にコイツは話をする気があるのだろうか。僕は頬杖をつき、ため息をついた。昇った太陽の光が窓に差し込み、アリヤの赤い目を強く誇張させる。そして、彼女の目の瞳孔が細長いものであるのを見て、本当にあのドラゴンが变化したものだと再確認する。ドラゴン……想像上の生物で人類の武勇伝の悪役だ。それが本当に存在するのなら、各地にある竜退治の伝説も本当だったんだろうか?


 そんなことをぼんやりと考えていると、彼女は4つ目の空箱になった弁当を横に積んだ。割り箸は丁寧に袋に戻し、積まれた弁当箱の上にポンと置く。


「うむ、よく食べた食べた。……おい、大丈夫か?」


「えっ、あっ、うん」


 僕はアリヤの言葉を聞いてハッとする。どうやら寝不足が祟っているようだ。


「いやはや、遅れてすまないな。ここ最近の私は『雑談』というものがとても楽しくてな。……さ、本題に移ろうかの」


 アリヤはそう言うと、急に右腕を上げて天に人差し指を向ける。


「さて、……誠よ。お前はこの世界が『嫌い』と言ったな。実は、私もこの世界が『嫌い』だ」


 僕は腕を組んで、仏頂面でアリヤが始めた話を聞く。彼女はそれを見て何を思ったのか口角を上げて、話を続ける。


「さて、私は一つ思った。『このままではつまらない』とな。だから、私は私が思う新たな理想の世界を作りたいと思ったのだ!!」


「そこで、新たな王を立ち上げようと?随分な話だな……というか、無理だろ」


 僕がそう言うと、アリヤは目を丸くした。まるで、無理という意味が全く分からないとでも言うかのように。僕は眉をひそめて、彼女に反論する。


「だって、……無理だろ。そもそも今の時代、民主主義という社会制度が一般的なんだぞ?今時、一般な人間が王様なんて出来るわけ無いだろ」


 僕の言葉を聞いた彼女は、やれやれと少し長い溜息をついた。まるで世間知らずの子供が必死に背伸びしている馬鹿な様子を見た大人のように。


「誠、今の世界が本当に人民によって動かされていると思うか?よく考えてみよ……そうだな」


 アリヤは突然何かを探し始める。その時、彼女が不用心に動いたせいで適当にボタンを付けたシャツが彼女の胸の膨らみを見せた。それが余りにもしっかりと浮き出た為、僕は目のやり場に困る。


「……な、何を探してるんだ?」


 アリヤがこれ以上変に動かないようにする為と自分の意識を逸らすために、彼女に話しかける。


「うむ、そこのテレビのリモコンはどこかの?」


 アリヤは壁にかけられたテレビを指差す。


「ああ、リモコンなら……はい」


 僕は戸棚にしまったリモコンを取り出し、彼女に渡す。すると、僕の行動に満足したのか彼女は笑顔になった。


「うむ、ありがとう!」


「……うん」


 僕は照れて紅潮し始めたであろう顔を彼女に悟られまいとそそくさと元の位置に戻る。そんな僕を気にすること無く、彼女はリモコンを操作してテレビの電源を点けた。


『次のニュースです。✕✕首相の支持率が~』


「お、丁度良いではないか!ほら、見てみろ誠よ」


 アリヤは嬉しそうに僕の名前を呼ぶ。僕はテレビを見ると、今の日本の首相の支持率が下がったというニュースを流していた。


「……これがどうしたんだ?」


 僕は彼女に普段と似たような何の変哲もないニュース内容に見せられる。しかし、僕は彼女が見つけて欲しい何かを見つけることができない。


「見て分からぬか?よく見てみよ、この中に人民を操作している情報が確かに存在しているではないか」


 アリヤは僕の背後にやってきて、両手で僕の横顔を押さえる。そして、強制的にテレビの方に目を向けさせた。


「ほらほら、はよう探せ」


 アリヤは僕の頬をペチペチとリズムに乗って軽く叩き始める。しかし、僕の心境はそれどころではなかった。


(後頭部……柔らかいもの……変な弾力がある……む、胸?胸なのか?)


 僕の目は必死にテレビを見つめているのに、意識は後頭部に集中している。そんな奇妙な身体の使い方をしたせいか、視界がグニャリと曲がり始めた。


「おい、……お前本当に大丈夫か?私は無言の時間というのは苦手なのだが」


「えっ、あ……ああ!大丈夫大丈夫…………」


 不審がられ、僕は我に返った。すぐにテレビを見ていると、あることに気がつく。


『これは今回、無作為に選ばれた300件から調査したものです。』


「……無作為に調査?」


 僕が呟くと、アリヤは両手を僕の方に降ろす。そして、彼女は自らの口を僕の左耳に近づけて言った。


「そう、それだ。あれは一般的には機械を使って乱数発生というシステムのもとに従って仮的な全体母数を無作為的に作り、その中から支持率などと言ったデータを作るのだ」


 僕はそれをインターネットの統計学を解説するサイトで、似たような内容をみたことがあった。そして、段々とアリヤが言いたいことの内容を掴み始める。


「さて、ここで問題!……今放送された支持率に、君は全く信じるに足りると思うかの?」


 なるほど、アリヤが言いたいことにやっと理解できた。


「思わない。……調査してどんな数字が出ても、放送する数字は変えられるから」


 僕が答えると、アリヤはパチパチパチと短い拍手をした。


「そう、その通りだ。あの支持率を確かめようとしても、誰も確かめられない。ランダムに選ばれる母数は必ず何かの方向へ偏向的だからの。そして、これは大衆という存在を操作する一因となる」


 僕はテレビから振り返って、アリヤに目線を移す。……つまり、彼女が言いたいのはこういうことだ。そういった大衆の思考操作をする「支配者」という存在がいるから、この世界に本当の人民社会など存在しないぞ、と。


「世界は人民ではなく、ある一定の支配者に動かされてる……まるで、『王様』のように?」


「そう、よくわかったな。偉いぞ!」


 僕が結論付けると、アリヤは嬉しそうにガバッと僕に抱きつき、頭をワシャワシャと撫で始めた。僕の頭に細い腕が蛇のようにまとわりつき、彼女の柔らかい胸が今度は後頭部ではなく顔に押し付けられる。


「~~~~~!!!」


 グイッと僕は顔を赤らめ、慌ててアリヤを引き離した。すると、離れたアリヤが僕の顔の紅潮具合を見て、意地悪く笑う。


「フフッ、可愛いやつだな。……まあ、つまりはそういうことよ。この世界には確かに王様がいる。奥底に潜んだ王様がな」


 僕は深呼吸する。顔の熱が引いていくのを感じるが、心臓は鼓動をドンドン増している。


「それで新しい王様が必要だと…………でも、何で僕が?」


 僕は彼女に聞く。


「それは勿論、まずお前が『この世界が嫌い』だからだ」


 僕はしかめっ面になる。だってそうだろう。この世界が嫌いな奴なんて、この世に5万といるはずだ。


「そんな奴はいくらだっているじゃないか。よく分からない……それじゃあ曖昧すぎる」


 僕は不満をアリヤに訴える。しかし、彼女は答えることに困らないのか笑顔を絶やさない。


「そうだな……確かに、この世界にはそういう人間は多いだろう。だが、君には一般人とは違い、奇特な部分があるのだよ。自分ではわからないか?」


「分からない」


 僕が即答し、アリヤは少し驚いたのか小さくよろける。


「おぉう、そうか……仕方ない。キチンと教えてやろう。君には一般人よりも『変革の欲望』があるのだ」


 変革の欲望?……随分と中2チックな響きだ。僕はその思いをそっと胸に潜めて、黙って彼女の話を聞く。


「お前も少し考えてみれば分かるはずよ。この世界を嫌う者は数多くあれど、その者達の殆どが世界に甘えて依存していることに。……この世界に不平不満を告げながらも、自分の現実を変えることに恐怖し、幻想や虚構に快楽を求める者達は数を上げればキリがない」


 僕は小さく頷く。つまり、世界を嫌っていても嫌いになりきらない人間達がいると。


「だが、お前は違った。『世界を嫌い続けている』のだ。現状に不満を感じ続け、かつ最終的な結論として自害を選ぶことが出来る。今の世界が下らないことを知った上で、自立した何らかの行動が出来るという事だ。分かるか?」


「それが変革の欲望?」


 僕は彼女の説明に聞き返す。すると、彼女は大きく首を縦に振った。


「まさしくそうだとも。良くも悪くも、自分の世界を変えようとしたんだ。わらわはそれを見て、君を次世代の王様にしたいと思うのだ」


 …………馬鹿馬鹿しい、と思った。この世界に僕みたいな奴はいくらでもいる。僕なんて、世界にいなくても回る程度の存在なんだから。


 だけど、僕の行動とドラゴンを前にした時に出た言葉が変に前向きに評価されて、少しだけ嬉しかった。


「そ……っか」


 僕は何だかどうでも良くなってしまった。一世一代の決心も水の泡になった今、正直放心状態になっているんだろう。今はアリヤよりも、少し疲れた心の気分転換したい。しかし、先程の支持率の話で眠気も少々吹っ飛んでしまった。


「おや、どこに行くのだ?」


 僕は立ち上がり、1つ残った弁当を冷蔵庫に入れる。そして、玄関に行き、財布を持って靴を履き始めた。その様子に気がついたアリヤが僕の行き先を聞く。


「適当なスーパー。ほら冷蔵庫の中には何も無いし、少なくとも2人分の食料を買ってこなきゃ」


 そう言うと、アリヤは一瞬キョトンとする。そして次の瞬間、彼女は目を線にして笑った。


「ああ、わかった。私はここで待っていよう」


 いってらっしゃい、という言葉は本当に久しぶりに聞いた。僕はすっかり太陽が昇った空を仰ぎ見る。太陽はさんさんと晴れていて、少し眩しかった。


 玄関を閉めて、鍵を閉める。僕はガレージに置かれたビッグスクーターを押し出し、エンジンを掛けて走らせた。

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