第15話 三つの取引

 夜はさらに深まっていく。

 宮殿の中庭にたたずむ巨人機を、真上から月が照らしていた。日の光よりも月光に照らされているほうが、青玉を持つこの巨人機には似合っているとロビンには思えた。

「話、まだ終わらないのかな」

 その巨人機のすぐ隣でバーンの整備を続けながら、つぶやいた。

 ソールが宮殿の最奥、国王の執務室に入ってから、時間が経っている。

 おそらく、竜のことで話をしているのだろう。


「すごい、これが魔術回路!」

 整備の様子を隣で見つめているキャンディスはさっきからひっきりなしに歓声を上げている。

「機石に蓄積された魔力を、全身にいきわたらせて……あっ、この文様が『炎』、これが『剣』……なるほど、文様のもつ力を、乗り手の心を引き金にして発動させてるのね。思い描いた通りだわ……」

「もおっ、うるさいよ!」

 きゃんきゃんと声をあげるキャンディスに、思わず怒鳴る。もともと待つのが得意ではないうえに、今この場にいるのはふたりきりだ。整備で心を落ち着けたいのに、なかなかうまくいかない。


「す、すみません。でも、本物の魔術回路を見るのは初めてで。あの、お願いがあるんですけど……」

 しおらしく頭を下げるキャンディスに、ロビンは大きくため息をついた。

「なに?」

「こっちも、装甲を外してみませんか?」

 きらり、とキャンディスの青い瞳が好奇心に輝いていた。指さしているのは、中庭に佇んでいる巨人機だ。

「遊びでやってるんじゃないよ!」

「当たり前です! 私だって、研究のために!」

「あのねえ……」


 出会ってまだ一日も経っていないが、ロビンにもこの黒檀のような肌を持つ司書のことがわかってきた気がする。

 内向的で主張をしたがらないくせに……いや、だからこそ、興味が向いたときには何としてもそこに飛びつこうとする。魔法の力は、それほどに彼女を魅了してやまないらしい。

「そこまで言うならやってあげてもいいけど、代わりにさ……」

 作業用アームのみで整備を続けながら、ちらと視線を向ける。

「禁書架ってところ、ちょっとだけのぞかせてよ。司書なら、中に入れるんでしょ?」

 オレンジの瞳を細めて、問いかけてみる。中に入ることができれば、巨人機についてより詳しい知識を得ることができる……かもしれないのだ。


「それは……できません」

 意外にも、キャンディスの返答は即決だった。

「王族あるいは議会の許可なくしては、だれも許可なく立ち入ることはできません。司書も、禁書架については彼らの代行として管理しているにすぎないのです」

 よどみのない答え。おそらく、今までに何度も、その返答を繰り返してきたのだろう。

「頭、固いなあ。まだ竜が来るかもしれないんだ。それまでに、バーンの力を高めることができれば……」

「規定されていない例外は認められません。決まりがある以上、それには従わなければ」

 眼鏡を直しながら、キャンディスが首を振る。取り付く島もない、というやつだ。


「オレがその気になれば……」

 いらだちを隠せず、ロビンの語気が荒さを増す。

「禁書架の扉なんて、すぐに開けられる。十年も前の技術で作られた機械錠ぐらい、オレなら外せるんだ。それでも、決まりに従うべきだと思う?」

 キャンディスの表情が険しさを増す。ケープを押さえていた手が、指を一本立てた。

「力を持つことと、それを使うことは別です。あなたが持つ知識も技術も尊敬していますが、それを正しくない目的で使うべきではありません」


「正しくないなんて、子供みたいな言い方。もし、正しくないことをしなきゃ、正しい目的が達せなかったとしたら?」

 ロビンの言葉はさらにトゲを増していく。キャンディスは目を閉じ、自分の指でこめかみを一度押してから、巨人機の胸に座る彼女を見上げた。

「私も、ここで声をあげて衛兵を呼ぶことぐらいはできます。そうされたくないのなら、私を脅すのはやめてください」

 眼鏡の奥で、青い瞳が引き絞られていた。断固とした遵法精神を打ち破って、取引を持ち掛けるのは難しそうだ。


「わかってるよ、言ってみただけ」 

 首を振るロビンに、キャンディスはそれ以上の追及はしなかった。ただ、ふと引っ掛かるものを感じたのだった。

「なぜ、禁書架の鍵のことを……?」

 幸いにも、つぶやきは作業に戻ったロビンには聞こえていないようだった。



 ■



 深いしわを額に刻み、ひげに白いものを混じらせた壮年。

 略式の軍服に身を包んだその男こそが、カンドゥア国王オーランド四世だ。

「間違いないのか?」

 低く抑えた声で、オーランドが念押しの問いを発した。彼に向き合うソールは、力強くうなずいた。

「群竜は一匹の『親』から、それによく似た『子』が産まれてくる。『子』をいくら倒しても、『親』がいる限り攻撃は終わらない」


 その言葉の意味を、オーランドは目を閉じて考えた。

 いや、考えるまでもない。竜は執念深い。またこの街に竜が襲い掛かってくることに他ならない。

「再び竜の攻撃があるとして、どれほどの数がいると思う?」

「砦を落としたことからして、あの五匹の竜は、親の通り道を開くために先に送り出されたんだと思う。親は力をためながらそのあとをゆっくり進んでくる。たぶん、二倍……いや、三倍は子が着いてくるだろう」

 扉の近くでは、アリーナとマリーナが二人の会話を聞いている。オーランドの話しぶりは真剣そのものだ。これはとりもなおさず、竜とカンドゥアの戦争だった。


「君の巨人機で、そのすべてを相手できるか?」

「正直に言って……難しい。バーンは、多くの敵を一度に相手にするのがそれほど得意じゃない」

 それに、先の五匹との戦いで魔力を消耗している。真機石の魔力は、周囲から取り込んで蓄積するものだ。何度も連続で戦えば、その分消耗するのは必然である。

「首都防衛用の模造機を待機させよう。数機でかかれば、子の相手ならば模造機でもできるはずだ。指揮は娘たちが執る」

 砦でも、一匹の竜を模造機で倒したとの報告がある。巨人機の助けがあるなら、不可能ではない。それが、オーランドの判断だった。


「壁の外で迎え撃ちたい」

「もちろんです。ただ、竜はいつ現れるかわからない」

「こちらから打って出るわけにはいかないか?」

「奴らは足が速い。広いところで戦うのは、取り逃がす危険性が大きい」

「壁を背にして戦うべき、というわけか」

「壁の上に模造機を配置すれば、戦いやすいはずです」

 二人は静かに、竜への対策を話し合った。しかし、オーランドには竜と戦った経験はない。必然、ソールの策を受け入れざるを得ない。軍の指揮を執る国王として悔しくもあるが、国民のためだ。


「お父様、わたくしたちだけで戦えるのでしょうか?」

「お兄様を召還するか、他の町から助けを呼んでは?」

 双子の王女が、不安げに提案した。首都の防衛に回せる模造機は、せいぜい三十機。少なく見積もっても、三機で一匹の竜を討たなければならない。

 不安に覚えるのも当然だ。しかし、オーランドはしばし考えたのち、首を振った。

「東の国境は、微妙な状況だ。ロメオを呼び戻すわけにはいかない」

 続けて、地図に視線を走らせる。

「しかし、竜が西から進んでくる以上、西の町や砦からは応援を呼ぶべきだろう。すぐに手配させろ」

「はい」

 王女らは同時に応え、扉の外へ向かっていく。


「君は、街の入り口近くに待機してくれ」

「もちろんです。……が、その前に、一つ頼みがあります」

 二人だけになった執務室で、ソールはオーランドと向き合った。

 太い眉と黒い瞳には、強い意志がみなぎっていた。ただの剣士ではない。一目見たときから、カンドゥア国王はそう感じていた。

「大図書館の地下にあるという禁書架の閲覧許可をください。俺の技師が、そこにあるという巨人機の知識を求めている」

「そのために、君たちはこの国に来たのだったな」

「はい」


 再び、オーランドは目を閉じて考えた。こうするときは、はじめから答えが決まっているときだった。

「まだ認められない」

「なぜです。ロビンなら、その知識でバーンをさらに強くすることが……」

 言いかけるソールに向け、国王は静かに首を左右に振った。

「それを読ませた後、君たちが竜との戦いを放棄して姿を消さない保証がない」

「そんなことはしません!」

「わかっている。だが、人の心がどのように変わるかは、誰にも予測できない」

 オーランドの口ぶりは、断固としたものだ。


「起きるはずのないことが起きることを、歴史が私に教えてくれた。君たちが禁書架の知識を重んじるつもりなら、私の返答にも敬意を払ってほしい」

「では、竜を倒した後なら?」

「もちろん、許可を与えよう」

 オーランドは静かに答えてから、左手を軽く上げた。話は終わりだ、という合図だ。



  ■



 非公式の謁見が終わったころには、すでに真夜中だった。

「どうだった?」

 執務室の重い扉をくぐったソールを、ロビンが出迎える。ソールはゆっくりと首を振った。

「禁書架へ入れてもらえるのは、竜を倒してからだ」

「やっぱり。偉くなると、頭が固くなるのかな」

 がっかりした様子を隠さず、少女が息を吐く。


「キャンディスは?」

「もう帰ったよ。バーンの中身が見れて、満足したみたい」

 そうか、とソールはうなずき、横に寝ころんだ灼熱剣士へと目を向けた。

「整備はもう終わってる。ソールはどうするの?」

「門のそばに衛兵の詰め所がある。そこで寝るよ」

「王女様たちに迎えてもらえると思ったのに、むさくるしくて残念だね」

 細い肩をすくめるロビンに、ふぅ、とソールは鼻を鳴らした。


「そのほうが俺にあってるよ」

 バーンに手を掲げ、もう一つの姿……幅広の鞘に納められた剣へとその姿を変じさせる。

「それじゃ、行こうか」

「ああ。今度は、キャンディスが戦いを観にきたりしないよう、見張っててくれよ」

「努力してみるけど、オレじゃあの魔法オタクっぷりは止められないかも」

 軽口で答えながら、ふたりは王宮の門をくぐり、そこで別れた。


 ソールは言葉の通り、城門のそばの衛兵詰め所へ。

 ロビンは、再びキャンディスの家へ……は、向かわなかった。


 少女は暗い路地を通り抜けて、人気のない裏通りを進んでいく。

 月の明かりも届かない深い闇の中で、がロビンを待っていた。

「来たか」

 バケツを思わせる、黒い兜の中から、くぐもった男の声がした。

 顔は見えないが、ロビンにはわかった。男は間違いなく笑っていた。

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