第14話 双子の王女

 警報に続いて何度も起こる震動。この震動に、ロビンは覚えがあった。

「バーンが戦ってる……」

 喧騒と悲鳴。いくつもの足音。街の北から南に向かって、人々が逃げ続けているのだ。

「何ですかぁ? 騒がしいですねぇ……」

 ふらふらと、奥の扉を開いてキャンディスが姿を表した。寝ぼけているせいか、髪は乱れ、慌ててかけたらしい眼鏡も鼻先にずれていた。

 さらには、薄手のネグリジェは片側の肩紐がずり落ち、ふっくらとした胸元が今にも零れ落ちそうだ。


「な、何か着ろよっ」

 同性だというのに、軟らかそうな谷間から、思わず目をそらしてしまう。

「あ、ふ、すみません、まだ眠くて……」

 キャンディス自身はのんびりと、肩紐を直しもせずにあくびを漏らしていた。

(なんでオレの周りには寝るときに薄着になるやつばっかり!)

 赤らんだ顔を背けつつ、大きく息をつく。


「竜が街を襲ってる!」

 声の調子をできるだけ深刻なものに切り替え、窓の外を指さす。曇天で星の光が陰る空の下、街には無数の悲鳴と、竜と巨人機の起こす震動が満ちていた。そのたび、キャンディスの「たわわ」も揺れるから、ますます目のやり場に困る。

「竜!? そんな、この国で……」

 さすがにあくびしてもいられない事態であることに気づいたらしい。司書の顔に、はっとした表情が広がる。


「キャンディス、竜はソールとバーンに任せよう。オレたちは戦場から離れて……」

「巨人機が戦ってるところが見られるなんて! 急がなきゃ!」

 とつぜん、目に星を輝かせたキャンディスが、チュニックを頭からかぶるやいなや駆け出していく。止める間もない素早い行動に、さすがのロビンも言葉を失ってしまった。


「……って、ほんとに危ないんだって! オレが言えたことじゃないけど……」

 ビルに登ってまで観戦した我が身を顧みてしまうけど。それでも、その時に起きたことを考えれば、ますます放っておけない。

 入り口を押し開け、小さな庭を突っ切る。暗がりで、キャンディスの後ろ姿は見えなかった。

「たぶん、戦いが起きてるほうに向かったはずだから……」

 竜や巨人機の姿を探して、周りを見回し……


 その時、不意に。

 薄闇の中、さらに濃い影が集まったような姿が見えた。

 バケツを思わせるような兜。全身に黒い鉄の塊のような甲冑を着込んだ大きな男。

 ソールが追う「敵」の姿に、全身が総毛立つのを感じる。

「お、お、お前……」

 何か言ってやろうと思うのに、まるで喉に言葉がつかえたかのようにその先が続かない。突然に視界の中に現れる大男に、足元が震えた。


 兜の奥から、何か得体のしれないものがロビンをている。

 逃げ出すこともできないまま、男が歩いて近づいてくるのを、息もつかずに見つめていた。

 そして……闇色の鎧を着た男は、夜よりも暗い声で、こう言った。

「取引をしよう」



 ■



 突然現れた竜に、人々は驚き、戸惑い、そして叫んだ。

 何もかも、突然だった。突然過ぎた。

 街を守る壁をあっさり乗り越えるものがいようなどとは、誰も思っていなかった。

「みんな、港側に逃げるんだ。竜の相手は俺がする!」

 白い巨人機が現れ、そう叫んだのも。

 誰もがそれに従った。生きるためにそうするしかないと思った。


「待って、ママ……っ!」

 大通りも、市民が一斉に逃げ出せばすぐに一杯になっていく。その中で、恐怖と混乱に満ちた少女の声が上がった。

 逃げるさなかに足をもつれさせ、転びかけたところを、運の悪いことに誰かが突き飛ばした。

「きゃ、っ……」

 少女の体がレンガの上に転がる。拍子に膝をすりむき、痛みに涙がにじんだ。


 誰もが必死だ。その少女を助け起こすものとてなく、人々が過ぎ去っていく。

「レニー! レニー、どこっ!?」

 切羽詰まった声。人の群れの流れに逆らって、少女の母親が振り返った。

「ママっ!」

 少女は痛みをこらえ、体を起こす。しかし、膝だけではなく足首をくじいたのか。痛みに顔がゆがみ、体勢を崩した。


「レニー、しっかり!」

 母親が駆け寄り、その体を支える。子供の足でここまで走ってきただけでも疲労困憊した少女は、涙をにじませながらも懸命に、母に縋りついて残った足で歩こうとする。

 しかし、悲しいかな、走れるわけもない。気づけば、人々は道のさらに先に逃げ出していた。大通りの真ん中で、親子が足を止め……

 その時、背筋を凍らせるような不気味な音が通りに響いた。


 くるるる、る、くるるる。


 ずしん、と地面が揺れる。ずしん、ずしん、とさらに続く。

 竜の巨体が大通りを蹴りながら近づいてくる。猛獣のように開いた口には牙がびっしりと生えそろっていた。咥えられれば、きっとやすりにかけられたように……恐ろしい想像に、親子の体が震える。

「しまった……!」

 巨人機からも、声が聞こえた。それはもはや、竜を止められないことを示している。

 左右にも、後ろにも、逃げ場はない。

「ママ……」

「レニー……!」

 二人はただ抱き合い、ぎゅっと目をつぶる。最期の時を迎える覚悟など、整うはずもなかったが、せめて、独りではなかったことを喜ぶべきかもしれない……


 竜の奇妙に長い首が、親子に達しようとした、その時。

「させません!」

 ごう、っと音を立てて、親子の頭上を何かが通り過ぎた。二本の、大振りの槍……槍というよりは、柱に近い。無論、そんなものを振り回せる人間などいない。

 親子の前に、二機の模造機が立ちはだかった。盾が備えられたその姿は戦闘用の機体に違いない。さらには、その全身が一方は黄色、一方は空色に塗装されている。それぞれの盾には、傾いた半円が描かれている……二つを重ねれば、カンドゥアの紋章が完成する。


「王女さま!?」

 少女が歓喜の声をあげた。見まごうはずもない。行列パレ―ドで見たことがある。黄色はアリーナの、空色はマリーナのために作られた王家の模造機だ。

「国民のため、盾となって戦うのが王族の務め」

「醜い竜に、これ以上勝手な真似は許しません」

 二機が槍を構え、それぞれを守るように竜へと切っ先を突き付けた。二人の槍に打たれた竜は、怒りを表すようにその場で足を踏み鳴らした。


「今のうちに!」

「は、はい!」

 母親が、少女を抱えて駆け出していく。歩みは遅いが、もはや竜を恐れて体をすくませてはいない。

「アリーナ、マリーナ!」

 竜を追って走る巨人機が、通りを挟んで剣を構えた。先ほどとは逆に、三機に囲まれた竜が身をかがめる。


「ソール様、ともに!」

「竜を討ちましょう!」

 王女たちの声。不安げに巨人機を見上げていた時とは、まったく違った声音に、ソールは大きくうなずいた。

「……ああ!」

 竜が首を巡らせ、王女らの模造機に向き合う。巨人機よりも与しやすいと考えたのか。

 魂なき怪物が、片足を振りあげる。アリーナの黄色い機体へ向けて、踊りかかった。


「は、あっ!」

 二人の王女の声が重なる。二つの模造機が、まるで舞踏会で踊るように回転する。

 位置を入れ替えたマリーナが、打点をずらして力が乗り切らない竜の足を槍で受け止める。入れ替わりに、遠心力に乗って突き出されたアリーナの突きが、その足の付け根を叩いた。

 まるで一体となったかのような動作で、竜の蹴りを無力化。さらには、二機が力を込めて身軽な竜を押し返した。


「ソール様!」

「いまです!」

「おおっ!」

 体勢を崩した竜の背へ、バーンが駆ける。掲げた剣が赤熱し、竜の鱗をバターのように切り裂いた。

 くるるる、る、くる……

 背から首へと溶断された竜は一声あげる力もなく、灰へと崩れ去っていく。


 暗い夜の街へ、再び静寂が戻った。

「わたくしたちが、竜を」

「ソール様のおかげです」

 模造機の中、王女たちが声をあげる。今着こんでいるのはドレスではなく、ジャケットとズボンの軍服だ。

「君たちが模造機に乗れたなんて」

 驚きと安堵の混じった声。巨人機の胸の機石に向けて、アリーナとマリーナは胸を張って見せた。


「王族として、国民のために戦うのは当然です」

「わたくしたちの操縦は、兄上からの直伝です」

「それより、ソール様のおかげで国は救われました」

「竜を退けるなんて。さすが、巨人機の乗り手です」

 二人に向かい合うバーンの姿が、光の粒子となって消える。代わりに、大通りの真ん中に立ったソールは、刃を鞘に納めながら首を振った。


「奴らは群竜だ。を討たないと倒せない」



 ■



 その戦いを、キャンディスは物陰に伏せて見つめていた。

 見ることができたのは、わずか一撃。赤熱した剣を掲げた巨人機が、一撃で竜を屠る姿だけだった。

「あれが、巨人機……」

 眠気も、疲れも吹き飛んでいた。早鐘のように胸が鳴る。その律動に合わせて、どこか深いところから運命が奏でる旋律が聞こえてくる気がした。

「あれが、魔法……」

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