第16話 禁書架

 あのとき。

 ロビンの前に不意に現れた男が持ちかけたのは、ともに禁書架の扉を破る計画だった。

「禁書架には天上人の時代に書かれた書が納められている。お前の望む力が手に入るぞ」

 男の言葉はなめらかで、その低い声はまるでロビンの心を代弁しているかのようだった。

 うまく呼吸ができない。

 目の前にいる男の、黒い鎧のさらに内側から発せられる異様な存在感に圧されているのだ。

 それでも、ロビンは必死に背筋に力を入れ、胸を張り、オレンジの瞳で男をにらみつけた。

「あんた、誰に話をしてるのかわかってるのか? ソールのカタキに協力なんかしない」

「あの男が俺を追うのは筋違いというものだ。俺はこの状況をために動いている」


 ふっ、と、ロビンの鼻が鳴った。

「オレを騙そうとしても無駄だよ。悪党は自分の嘘を自分で信じてるものさ」

「自分がそうだからか?」

「何を……!」

 ロビンの眉が跳ね上がり、すぐに怒りが満面に広がる。

「聞け。お前が求める力が手に入ると言ったんだ。方法もわかるかもしれんぞ」

 ぴくり、と怒りのなかに動揺が浮かんだ。男の言葉は、まさにロビンの考えを射貫いていたのだ。


「なんでお前があの巨人機のことを」

「あれはこの国が隠しているつもりの秘密の一つに過ぎない」

 その言葉は明らかに返答をはぐらかしていたが、ロビンの動揺を誘うために鎌をかけたわけではなさそうだ。

「あの男の巨人機だけでは竜には勝てん。このままではこの国は滅ぶだろう」

 いつの間にか、男の言葉を黙って聞いていた。絡め取られたかのように、一歩も動けなくなっていたのだ。


「扉には機械式のカギがかけられている。十年前に据え付けられたものだ。お前なら開けられる」

 男はよどみなく、ささやくようにロビンの胸の内を言葉でまさぐっていた。

「大図書館を守っているの兵士はなんとかしてやろう。どうだ、じゃないか」

 震える足が崩れそうになるのをこらえるロビンに、黒い兜の男はそう言ったのだ。

 暗闇からのいざないに、ロビンはただ口をつぐんでいた。

「今夜、待っている」

 そして、現れた時と同様、男はまるで闇の中に溶け込むかのようにその姿を消した。



 ■



 そして、二人は再び、暗闇のなかで向き合っていた。

「ひとつ、条件がある」

 男の言葉に従う自分に言い訳するように、ロビンが告げる。

 黒い兜の奥で、男が頷いた。

「誰も殺さないでほしい。自分の腕に自信があるなら、無理とは言わないだろ」


 甲冑を揺らし、男が嗤った。だというのに、その鎧はカタリとも音を立てなかった。

「優しいことだ。自分がこれから何をしようとしているのか、わかっているのか?」

「わかってるよ。でも……盗みと殺しは違う」

「一線を引けば自分の行いを誰かが許してくれているとでも?」

 兜の奥の底知れない暗闇から、何かがロビンの瞳の奥を覗いている。そこにいるのが人間であるとは、ロビンにはどうしても思えなかった。

 思わず視線をそらす少女の内心を見透かしたように、男は背を向け、歩き出した。

「かまわんさ。行くぞ」



 ■



 真夜中を過ぎて、闇はさらにその濃さを増していく。

 黒い鎧はその闇の中に溶け込み、少し目を離せば見失ってしまいそうだった。

 その歩みは、驚くほど速い。小柄なロビンは、大股にそのあとを追いかけて、さらに時々、駆けて追いつかなければならないほどだ。そのたび、背負ったままのアームが音を立てる。男の鎧が音を立てないから、それが余計に大きく聞こえる気がした。


 夜の街は静かで、それなのにざわついている。

 竜の襲撃から、まだ数時間しか経っていない。人々は恐れを覆い隠しながら身を寄せ合っている。通りに人が見えなくても、どこかで眠れない人々のささやきあう声が聞こえる気がした。


 大図書館の門が見えた。

(朝には、ソールとここを歩いたな)

 それなのに、今はまた、盗みに手を染めようとしている。

 と、粘ついた油のようなものが胸の中で渦巻いていた。自分が恐れているのがこの甲冑の男なのか、それとも自分自身なのか、よくわからなくなってきていた。

 ロビンの胸中いざ知らず、男は速度を落とすこともなく、門へと向かっていく。門の前には、こんな状況でも忠実に責務を果たそうとする守衛がふたり、立っていた。


「おい、止まれ。一体何を……」

 時代遅れの甲冑を着こんだ男に対し、片手に持ったランプを向ける。もう一人の手は、すでに腰の剣に触れていた。

 黒い兜の男は、速度を落とすことなく彼らに近づいていった。そして、歩いているついで、とばかりに、剣に手をかけていた守衛の腹に拳を突き入れた。

「ぐ、ぇ」

 肺の中の空気が押し出されて、何かが破裂するような音が守衛の喉から漏れた。そのままぐるりと白目を剥き、その場に倒れ伏す。


「誰か……」

 反射的に叫ぼうとしたもう一人の喉をつかみ、軽々と持ち上げる。もがく守衛に向け、手を振りあげて……

 どかっ。

 と、籠手を着けたままの平手を後頭部に打ち付けた。それで、守衛は動かなくなった。

 ものの数秒で、大の男二人をろくに抵抗もさせずに気絶させてしまった男の力に、ロビンは改めて戦慄した。

(強いんだろうとは思ってたけど、まさか、こんな……)

 怪物じみた手腕に、今更ながらに髪が逆立つような寒気が走る。


「行くぞ」

 男は告げて、門を押し開く。そして、先ほどまでと同様の速度で歩き出した。



 ■



 禁書架へ続く階段は、幅広で深い。

 時には走駆機ゴーアーを使って数十冊の本を運ぶこともあるためらしいが、五十段以上もの階段の底に鉛色の扉が備え付けられているその姿は、まるで地獄の入り口を思わせる光景だった。

 あるいは、夜中に忍び込み、図書館の中でも何人もの衛兵を殴り倒しながらやってきたことで、ロビンの中に積もった罪悪感がそう見せているのかもしれない。


「早くしろ」

「わかってる」

 男の命令にいらだちを向けながらも、ロビンはアームを広げて扉に取り付いた。

 扉の中に埋め込まれた錠を外側から開くには二本の鍵が必要らしい。おそらく、片方は図書館が、もう一方は王族や議会が所有しているのだろう。両方の承認があって初めて開くわけだ。

 厚さは十分の一ルーメット近い。ヒグマが一晩中体当たりしても、びくともしなさそうだ。おまけに手前側に開く様式だから、力づくでこじ開けるのはまず不可能だろう。


「でも……」

 男の言葉は正しかった。

 ロビンの知る限り、この錠は近年、あまり使われていない。正しい鍵でなくても、ある種の道具で開くことができるからだ。

 子供のころから、この手の鍵穴をするのは得意だった。禁書架の鍵は、その中では複雑なほうだが、時代遅れなのは間違いない。

 アームの背負いに仕込んであった金属片を削り、カギ穴のサイズに合わせる。その上面に凹凸をつけて差し込んだ。中をひっかくように動かしながら、何度か金属片の形を整え……

 ある瞬間。小さな手ごたえとともに、シリンダーが動いた。かちり、と音がして、一方の錠が外れた。


「よし……次だ」

 驚くほど簡単だった。

 考えてみれば、ムリもない。破られたことのない錠をかけかえる必要など今までなかったのだろう。だが、破られなかったのは誰も挑まなかったからだ。王国のど真ん中にある大図書館に忍び込み、衛兵を蹴散らしてまで、禁書架に書かれた知識をほしがるものがどれだけいるだろうか。

 そのほとんどは、すでに失われた世界……天上人たちの時代についての書だという。今の時代を生きるものにとって、必要なことはここまで潜る必要はない。大図書館の開架で読むことができる。


(こんなところにある本を読みたがるのは、よっぽどの変人ぐらいだ)

 声に出さずにつぶやく。そのせいである顔が脳裏に浮かび、胸が痛んだ。

「くそっ」

 舌を鳴らして、もう一方の鍵穴に道具を差し込もうとしたとき……

「そ、そこまでです!」

 その『よほどの変人』の声がした。



 ■



「キャンディス! なんでこんなところに」

 思わず声をあげるロビンに、階段のはるか上で司書は憮然とした表情を浮かべた。

「どう考えても、それはこちらの言葉です」

 頭痛を押さえるようなしぐさで、キャンディスは大きく息を吐いた。

「帰りが遅いので念のためを考えて……あなたは禁書架によほどこだわりがあるみたいでしたから」

 それを口にするだけでも、キャンディスは気持ちが沈むのを感じていた。疑惑に突き動かされたことを悔いるように、青みがかった瞳が伏せられる。


「とにかく、今すぐそれをやめて……」

「騒ぐな」

 階段の中ほどで壁にもたれていた男が、低く声をあげる。闇色の鎧に身を包んだ偉丈夫。

 大図書館の守衛を倒したのが誰か、考えるまでもなかった。

「わ、私に脅しはききません。いいですか、私のほうが今は上にいるんですから、私のほうが有利なんですよ!」

 まっすぐに地下へと続く階段の上から、指を突き付ける。

 ただし、その指先は小刻みに震えていた。


「体格差なんて! 私があなたを突き飛ばして階段を踏み外せば、下まで転がり落ちて首の骨を折りますよ! いえ、腰の骨かも。とにかく、抵抗しないでください」

「試してみるか?」

 一段。

 たった一段、男が階段を登った。バケツを思わせる兜の奥からは、人とも、怪物ともつかない存在が彼女をにらみつけているように、キャンディスには感じられた。

「っ……」

 思わず、詰められた距離の分、後ろに足が下がる。無意識の恐れが、キャンディスの体を支配していた。


「わ、私には、司書として書架を守る勤めがあります。あなたになんか……!」

 声が震える。立ち向かおうとするものの、拳を握るのに十分なほどの力さえわいてこなかった。

 もう一段。

 男が距離を詰める。

「兵を呼んで……」

 キャンディスが続く言葉を口にしようとしたとき。


 カン、カン、カン、という甲高い鐘の音が遠くから聞こえた。

「嘘……!?」

 たった数時間前に聞いたばかりの音を忘れるはずがない。

 警報。

 竜の襲撃だ。


(どうする……!?)

 キャンディスの頬を、冷たい汗が流れ落ちた。

(兵を呼ぼうにも、竜との戦いの最中じゃ助けなんか……ううん、それどころか、皆を混乱させてもっと悪い状況を引き起こしかねない……)

「恐れているな」

 男が嗤っていた。地獄の底から姿を表す幽鬼のように、黒い兜がキャンディスを見上げていた。いや、もうすぐその視線の高さは同じになる。男の足がさらに一段、階段を登り……


「もういい」

 それを静止するように、ロビンが叫んだ。

「もう止められないよ、キャンディス」

 その手は禁書架の扉にかけられていた。

 そして、あろうことか……その扉は、すでに開いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る