夜明けに星が輝くように

第10話 カンドゥア大図書館

 港町として知られるカンドゥアには、二つのシンボルがある。

 一方はカンドゥア宮殿。王族の住まう白亜の宮殿は、近づくほどに白さを増すといわれ、街を睥睨するかのように高くそびえている。

 もう一方は、大図書館だ。宮殿とは対照的に、レンガ造りのどっしりとした存在感を誇るこの建物は、世界各地から集めた書物が収まらなくなるたびに拡張を繰り返してきたのだという。


「はー……」

 その、大図書館の中で、ソールは思わずあっけに取られていた。

 居並ぶ書架は目も眩むほどの高さだ。中には、バーンが頭を打ちそうな高さの天井に届くほどの本棚もある。そのいずれも、本がびっしりと並べられている。

 一歩踏み入れた瞬間から、乾いた紙とインクのにおいが全身を包む。これほどはっきりと「本の香り」を感じたのは、生まれて初めてだった。

 身長1.8ルーメットを超える長身だ。しかも、腰にはやけに目立つ装飾がされた剣をさしている。当然、ほかの利用者からすれば明らかに邪魔だ。


「何ボケーっとしてるんだよ。ほら、行くよ」

 そのわき腹を、その隣に立った少年……ではなく、少女がつつく。キャップを目深にかぶった姿は、その細い体つきも相まって男の子のように見えるが、オレンジ色の瞳は少女のみずみずしさをたたえていた。

 背中に背負った四角い箱からは機械の腕が生え、後ろで組まれている。作業用アームは、彼女が技師であるという証拠だ。

「いや、こんな光景、初めて見たから。噂には聞いてたけど、ここまでとは」

「そりゃ、大図書館っていうくらいだからね。単なる図書館じゃないよ。大図書館だ」

「なんでロビンが誇らしげなんだ?」

「オレだって一応、カンドゥア国民だからね。そりゃ、王都の育ちじゃないけどさ」


 二人は旅の連れだ。と言っても、ロビンがなかばむりやりにソールの旅についてきているのだが。

 それでも、ロビンはソールに比べれば世慣れしている。技師としての買い付けや売り込みに、何度か王都を訪ねたこともあるのだ。土地勘のないソールにとっては、なかなか頼りになる連れと言えた。


「それで、図書館まで来たはいいけど、どうするんだ?」

図書館ね。とりあえず、巨人機について書かれている本があったら見せてもらおうと思ってさ」

 ロビンの視線がソールの腰の剣に向けられる。その柄に埋め込まれた赤い宝石こそが、巨人機の力が眠る真機石である。

「オレは機械のことはわかるけど、魔術回路のことはよくわかんないから、ここで調べようと思って。そうしたら、整備の質も上がるかもしれないだろ」


「なるほど……」

 先を急ごうとするロビンをのんびり追いかけながら、ソールは腕を組んでいた。目元は、なにやら意外そうに少女を眺めている。

「なんだよ?」

「いや、意外と勉強家なんだなと思って」

「オレをなんだと思ってるんだよ。……とにかく、この図書館にも司書がいるはずだから、どこに巨人機のことが書かれた本があるか、聞いてみようぜ」

 じれったそうに先を急ぐロビン。ソールはと言えば、

(先を急いでるわけでもないのに、せっかちだなあ)

 と、ぼんやり考えていた。



 ■



 その日、キャンディスは疲れ切っていた。

 キャンディスは大図書館に勤める司書の中で最も若い。いや、かつて大図書館に司書として名を連ねたものの中ですら、最も若かった。

 特筆すべき知性だけでなく、黒真珠のようにつややかな褐色の肌と、紫がかった長い髪は、書を求めて訪れた者たちの足を立ち止まらせるほどだ。

 もっとも、その顔には分厚いうえに大きな眼鏡が目元を覆い、その美貌をわかりにくくしているのではあるが。

「ぅう、眠い……」

 ましてや、今は徹夜明け。髪は乱れ、ブラウスとロングスカート、そして司書の立場を示す紫の短いケープには払っても払ってもまだホコリがついていた。


 とにかく、若く、美しく、才気あふれる彼女は、大図書館の従業員からあまり歓迎されていなかった。

 目立つのだからと訪問者を案内する役目からは外され、もっぱら図書館の地下に収められた大量の書の整理を任されていた。

 特にこの日は、「禁書架」と呼ばれる、最深部にある書架へと赴いていたのだ。

 利用客どころか職員ですらおいそれと閲覧することはできない書の数々である。分類しようにも、「何について書かれているのか」すら理解するのが難しいものが山ほどある。


「まあ、おかげでいろいろと読むことができましたけど。……えへ」

 キャンディスの口元がだらしなく(まことに残念だが、こう表現するのにふさわしく)ゆがんだ。

 時間がかかったのは、何も仕事が難しかったせいだけではない。普段は見張り兵すら配されている禁書架の本を閲覧するチャンスである。こっそりと盗み読みを繰り返し、何冊かを書架に収めるだけの作業が夜通しになってしまったのである。


 かくして、好奇心に振り回されてずっしり重くなった頭を休めるべく、キャンディスはふらふらと図書館の出口に向かって歩いていた。

 眠気で狭まった視界に、きらりと赤く輝くものが見えた。

「あああああっ、真機石! 本物!? すごい、こんなところに!」

 思わず駆け寄り、その赤い石を手に取ったところで、はたと気づいた。

 その石は何やら長いものに埋め込まれており、その長いものは誰かの腰にぶら下げられ、そしてその誰かが驚きと困惑の表情で彼女を見つめていた。


「ええっと……」

「うぎゃあっ! すみません!」

 がば、っと身を離し、大きく頭を下げる。ばさっ、と髪が大きく広がって乱れた。それにもかまわず、キャンディスは何度も何度も頭を下げる。

「は、初めて見て興奮しちゃって! 本で存在は知ってたんですけど、とっても貴重なモノだっていうから。だって魔素を消耗したら消えてしまう半機石と違って、周囲の魔素を取り込んで半永久的に駆動できるなんて、現代でも生き続ける数少ない魔法の力としてぜひとも実物を手に取ってみたくって、しかもぼーっとしてたからつい……あっ、初めてじゃないか。でもでも、生きてる真機石は初めてなんです。宮殿にあるのは、ずっと眠っていて……」


「ちょ、ちょっと落ち着いてくれよ」

 司書が必死に頭を下げて弁解……らしきものをまくしたてている。静かな図書館の中でこれほど目立つこともない。

 男は……ソールは、なんとか彼女をなだめようとするものの、キャンディスは疲労と興奮と羞恥でますます歯止めがきかなくなってきていた。

「あっ、ち、違うんですよ。普段はもっと落ち着いてるんですけど、たまたま、今は驚いて……あの、別に、魔法に関する品を目にしてつい気分が盛り上がっちゃったとかそういうわけじゃないんです。ただ、ちょっと人より興味があるだけで。ええ変なのはわかってますよ、確かに天上人と違って私たち地上人は魔力を持っていませんから、自分で魔法を使うことなんてできないのに、そんなものの研究をするなんて変ですけど、でも小さいころから私、魔法使いになるのが夢で……」


「い、いや、俺は気にしてないから……」

「それより、司書さん」

 ロビンはしばらく、この状況と無関係なフリをしようかと考えていた。

 しかし、ちょうど司書を探していたところだ。もう少し慌てるソールを眺めているというのもなかなかいい案に思えたが、今はそれよりも優先すべきことがあった。

「は、はい?」

 役職を呼ばれてはっとしたように、キャンディスが顔を上げる。

「案内してくれる? 本を探してるんだ」


 真機石に出会った驚きで、キャンディスの眠気は吹っ飛んでいた。

 そして、その持ち主と話せる機会を逃してはならないという思いが、彼女をはっきりと頷かせた。



 ■



「それじゃあ、君は魔法を研究してるわけだ」

 図書館の一角。巨人機に関する書物が収められた書架は驚くほど小さい。

 現在も改良が進められている模造機についてはいくつもの棚が割かれているのに、だ。

 それほど貴重であるということか、それとも研究が難しい、ということか。

「ええ、まあ……はい。天上人たちがどのように魔法を操っていたのかがわかれば、いつか私たち地上人にも魔法が使えるようになるかもしれない、と思って」

 ソールは長椅子に腰掛け、隣に座ったキャンディスと話していた。


 ロビンはと言えば、小さな書架の中からいくつかの書を取り出し、ひたすらページを繰っている。

 以前と同じく、「邪魔するな」と言われたから、ソールは知り合ったばかりの司書と話をしているのだった。

「変だと思いますか?」

「いや。俺もバーンに乗っているときは魔法の一端に触れている」


 その言葉に、キャンディスの青みがかった瞳が輝いた。

「それじゃあ、やっぱり……!」

「ああ。この機石には巨人機の魂がこもっている」

「すごい! ……こほん」

 思わず大きな声をあげたのちに、咳払い。

「魔法を使っているとき、どんな感覚なのですか?」

 低く抑えようとしても、声が上ずる。さっとペンと帳面を取り出して、「わくわく」を絵にかいたような表情でソールを見つめていた。


「そ、そういわれてもな……感覚的なものなんだ。うまく説明できない」

「やっぱり魔法は深遠で理性を超越したものなんですね」

 ソールの言葉と、ほとばしる感情をひたすらに書き綴る。後で読めるかどうかは、この際問題ではなかった。

「そ、そうなのかな? 俺は、バーンの魂が求めるままに使ってるだけだ」

「巨人機は、今や人が魔法に触れる唯一の手段。もっと話を聞かせてください」

「そ、それはいいけど、オレにも都合が……」


 と、その時。

 パタンパタン、と音を立ててロビンが本を閉じた。音が二つ続いたのは、自分の腕と、作業アームの4本で二つの本を同時にめくっていたからである。器用な芸当だ。

「ダメだ。これぐらいのこと、オレでもわかるよ」

 がっかりした表情のロビンが、後ろ向きのままアームを使って書架に本を戻す。まったく器用だ。

「ここにある書なら、巨人機の整備に十分な知識が得られると思いますが……」

「オレはその先が知りたいんだ。魔術回路や、真機石についてのもっと深い知識がほしい」


 頼みにしていた図書館の知識が自分の知っているものとそう変わらなかったことがわかり、ロビンはいらだちを隠そうとしない。

「それ以上の知識は、禁書架にしかありません。閲覧が禁止されている書です」

「それ、どうにかして見れないの?」

「王族か、議会の承認がなければ……」

 目を伏せるキャンディス。もちろん、旅人に許可など下りるはずがない。


「君の師匠がそれだけ優れた技師だったということだよ」

 残念ながら、ソールにはそれ以上の慰めの言葉は思い浮かばなかった。

「でもさあ……」

 子供っぽく床をかかとで蹴るしぐさ。

「あっ……」

 キャンディスの頭にかかった眠気のが晴れていく。唐突に彼女は手を叩き、眼鏡の奥の瞳をにんまりとゆがめた。


「何か、方法があるの?」

 ぱっと顔を上げるロビンに、司書は満面の笑みで答えた。

「お二人を宮殿に案内します!」

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