第9話 旅立ちの朝
町の中にいる誰もが、壁の向こうからの震動を感じていた。
真夜中に、いくつものランプの明かりが通りを下ってくる。蛍の群れのように、壁の下に集まった人々が不安げな表情で壁を見上げていた。
「ソールだ。竜と戦ってる!」
彼らへ向け、ロビンが叫ぶ。その指し示す先では、まさに巨大な影が二つ、にらみ合っていた。
「かかってこい!」
叫びをあげ、巨人機が剣と盾を構える。相対する竜は、鉛でできた顎を激しくこすり合わせながら突進する。
大地を震わせながら駆ける竜。破城槌のような突撃を、バーンは身をかわしざま、盾でその突進を受け流す。激しく火花を散らしながら、わずかに軸をずらす。
「おおおおおおっ!」
燃え盛る機石の熱を伝わせ、赤熱する刃がひらめく。竜の後ろ脚を深く斬りつけた。
竜の体は通常の生物とまったく違った構造だ。筋肉や骨を切り裂くのではなく、分厚い鉄棒に剣を押し込むような感触だ。
「う、りゃあっ!」
力を込めて、剣を徹す。力強い剣閃が、丸太よりも分厚い脚を斬り飛ばす。
苦悶の声をあげ、竜が錐もみするように倒れ伏す。
脚はすぐに再生を始めるが、それでも竜は大きくバランスを崩した。
「おおっ!」
壁の上で幾人もの町人が歓声を上げる。皆、巨人機と竜の戦いを見るために登ってきたのだ。
「今度こそ、彼らを安心させてやらなきゃな」
いくつものランプの光が見えた。両足で大地を踏みしめ、巨人機の瞳が輝いた。
魔術回路がうなりをあげて、機石の力が駆け巡る。
「決めるぞ、バーン!」
剣を、再び盾へ突き刺す。剣をすっぽり盾が覆い隠した。
「って、武器をしまってどうするんだよ!」
あまり、武器として適した形には見えない。どちらかというと、不格好な団扇のようだ。
「見せてやろう、お前の力を!」
全身から陽炎を発する巨人機が、両足で大地を踏みしめる。力強く、雄々しく、両腕が剣と盾を合わせたものを胸の前に掲げる。
その時、ロビンは確かに聞いた。灼熱剣士の声なき叫びを。
確かに感じた。震えなき鼓動を。
闘志を。
誇りを。
魂を!
バーンの瞳が輝き、鉛を溶かすほどに高まった熱がさらに全身を覆う。白い甲冑が赤熱し、踏みしめた大地が蒸気を噴き出した。
『おびえるな。恐れるな。』
歯車と鋼線で描かれた魔術回路に、魔法の言葉が力を吹き込んでいく。
『たとえ夜が来ようとも、』
胸の機石が激しく輝き、胸の前に掲げた剣と盾の合間から激しく炎が噴き上がった。
『闇に囚われることはない。』
火柱はバーンに倍する高さまで達する。まるで、巨大な剣のように。
『汝が我を掲げる限り!』
「そうか、あれが……バーンの、本当の剣!」
「
掲げた炎は火柱となって、広がる原野を地平線までも照らし出す。
それはまるで、地上に現れた太陽のように周囲を照らし、ロビンを、そして人々の顔までもを明るく輝かせた。
伝説の中でしか見られぬ光景に、人々が歓声を上げる。
いつしかロビンもまた、拳を振り上げて叫んでいた。
「行け、バーン! 竜を、倒せ!」
蒸気と陽炎をまといながら、巨人機が駆動する。力強く地を蹴り、巨体が竜を飛び越さんばかりに跳ね上がった。
赤いマントが翻り、大上段に構えた炎の刃が振り下ろされる。
「悪竜、討つべし!」
炎が竜の額へ、そしてそのまま全身へと突き刺さり――
爆裂。炎が噴きあがり、目も眩むほどの光と熱が溢れる。
轟音。形容しがたい、硬いものが砕ける音が響き渡った。
衝撃。バーンの着地と猛撃の震動がロビンにまで伝わる。
あやうく壁から転がり落ちそうになって、ロビンはその場に伏せた。耳を押さえて下を向き、光と音から身を守る。
数秒。
轟音が過ぎ去り、光が収まった時には、静寂があたりに広がっていた。
猛烈な熱気と砂煙が晴れたとき、そこにあったのは……
暗闇の中、赤い甲冑を輝かせて立つ巨人機。
頭から尾まで、真っ二つに溶断された竜。
沈黙を打ち破り、皆が歓声を上げる。
「やった! 巨人機が竜を倒した!」
「今度こそ、救われたんだ!」
抱き合い、涙を流す人々の中で、ロビンはただ、輝くように赤熱した巨人機を見つめていた。
■
「もう行くんだな」
「ああ。旅を続けなきゃならない」
翌朝。工場の入り口を挟んで、ふたりは向き合っていた。
町のどこかから、工事の音が聞こえてくる。
昨夜はふたりとも疲れ切って、泥のように眠った。町人たちも、二晩続けての宴というわけにもいかなかったらしい。
「あの、さ。もしかして……」
ロビンがキャップのつばを押さえ、ソールの顔をうかがう。
「それって、甲冑の男と関係、ある?」
「奴に会ったのか?」
剣士の顔色が変わった。驚きと困惑。そして、怯え。ロビンが見たことのない顔だった。
「ソールに伝えろって、言われたんだ」
その顔を見て自分がショックを受けていることに気づきながら、ロビンは視線をさまよわせた。
「もう追ってくるな、って。……ソールは、あいつを追って旅をしてるの?」
わずかの間、男は逡巡するように口をつぐみ、それから頷いた。
「そうだ。奴を今度こそ止めるために」
決意の色が再び瞳に宿る。機石の輝きを思わせる眼差し。
ロビンは不思議と、そのことに安心していた。
「俺が戦えたのは、君のおかげだ」
太い眉にこもった力を和らげ、今度は称賛の視線を向ける。
「ま、そうだね。あんなボロボロの巨人機を一日でここまで直せるのは、今やオレくらいのものだよ」
少女は上機嫌に胸を張る。何かをごまかすような早口だ。
「だから、この町を救ったのは君だよ」
「……ん?」
予感。ロビンは眉をはねさせ、オレンジの瞳を半眼に細める。
「ちょっと待った。まさか、オレの問題を解決した気になってない?」
「な、何?」
「『みんな君を受け入れてくれるから、勇気を出して心を開くんだ』とか言ったら、オレが感謝して送り出して、いい気分で旅立つ、みたいな流れを想定してたでしょ」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
たじろぐソールの胸へ指を突き付け、技師はくるりと踵を返す。そうして、整備作業用のアームを背負い込んで駆け戻ってくる。
「おあいにく様! オレも行くからな!」
「はあっ!?」
ひっくり返った声をあげるソールをしり目に、ロビンはてきぱきと工場の戸を締め、カギをかけていく。
「オレがいなきゃ、誰がバーンを直すんだよ。ああ、でも感謝はしてるよ。確かに、この町をオレが救った。だから、納得して旅に出られる。ありがと。よし、行こう!」
背負った機械のストラップをしっかりと締め直し、少女が歩き始める。
「ちょ、ちょっと待てよ。君には……」
「関係なくない」
慌てて追いかけるソールの眼前に、ずい、と顔を寄せる。
「う……」
鼻がぶつかりそうな至近距離で、言葉を詰まらせるソール。
「あいつ、ただものじゃない。もちろん、ソールも。何かとんでもないことが起きてるってことぐらいわかるよ。たぶん、この町だけじゃない。もっと大きなことに関わってる。それをソールだけに任せるのって、オレの運命も任せるってことだろ」
自分の3倍は口が回るんじゃないかという調子に、男は何も言い返せない。
「この町だけじゃない。みんなを救いたいと思っちゃダメな理由ってある? 女だから? 子供だから? 乗り手じゃないから?」
「それは……ない、かな」
もしかしてこの一晩の間、彼女はずっと自分をどう言いくるめるか考えてたんじゃないか……そんな疑問が、ソールの脳裏に浮かぶ。
勝ち目はなさそうだ。
「それじゃ、今度こそ決まり。出発だ!」
大股で歩き始めるロビンを、ため息を吐きながらソールが追う。
歩調も歩幅もまったく違う二人は、ただ進路だけを合わせて歩みだした。
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