第5話 赤い機石

 朝の陽ざしが窓から差し込み、白い絵の具を溶かすように、部屋の中が明るくなっていく。

 ソールはベッドの上で目を開き、自分が狭い部屋の中にいることに改めて気づいた。

 知らない場所で目覚めるのにはすっかり慣れてしまったが、機械油のにおいを嗅ぎながら目覚めるのは珍しい。

 遠い昔、同じようなにおいに包まれて眠ったことがあった。ずっと子供のころだ。

 あの頃は……


「おい、ソール! 起きろ!」

 寝ぼけ眼に浮かびかけた過去の幻想が、激しいノックの音でかき消される。

 騒がしい声は、昨日出会ったばかりの少年……もとい、少女ロビンのものだ。

「そんなにうるさくしなくても、起きてるよ」

 あくびを噛み殺しながら、身を起こす。

 過去の幻想を頭を振って払い、シャツを着こんでから扉を開いた。


「おはよう、ロビン」

「……おはよ」

 何やらもの言いたげにソールの顔を見上げてから、ロビンは不貞腐れたようにキャップのつばを押さえた。

 改めて向かい合うと、ロビンの顔立ちははっきりと少女らしさが見て取れる。

 オレンジ色の瞳は、顔に着いた煤を落としてもなお、くっきりと輝いているように見えた。


「そっちの机に、革張りの帳面があるだろ。それ、とってくれよ」

 わざわざ起こしに来たのは、ソールに、ではなく部屋の中に用事があったかららしい。

 手狭な机に目をやると、確かにいくつか並んだ本の間に、革表紙の帳面がひとつ。取り出して、そのままロビンに差し出した。

「何が書いてあるんだ?」

「爺さんの覚え書き」

 少女の指がページを繰る。覗き込んでみると、複雑な図がいくつも手書きされ、それ以上に複雑な文字がびっしりと書き込まれている。


「いったい、何が書いて……」

 聞きかけたとき、ある図が目に留まった。大きな機石を中心に、無数の歯車がそれを覆っている。

 ソールにとっても見覚えのある光景だ。

巨人機ギガスギアのことが載ってるのか」

「そう。爺さんは何体か、整備したことがあるらしい」

 昨晩のことを思い出す。なるほど、彼女が「巨人機の整備もできる」と言っていたのは、こういうわけらしい。


「んんー……あとは、実物を見ながらだな」

 ぱたん、と帳面を閉じ、ロビンは工場の真ん中へ向かう。昨晩は真っ暗だったのに、今は明り取りの窓から日の光が壁を照らしている。

 もっと大規模な工場なら照明に半機石ランプを取り付けているものだが、それだけの余裕はないようだ。

「任せていいんだな?」

「オレはともかく、爺さんは一流だったんだ。まあ、最期はこんな辺鄙なところで田舎暮らしだったけどさ」


 そして、ロビンは両手を広げて空間を示す。

「このあたりに寝かせてくれ」

 うなずき、立てかけてあった剣を取って掲げる。握った柄からは、バーンの魂が感じれらた。

「来い、バーン。バーンソードマン!」

 剣にはめ込まれた、紅玉の機石が光を放つ。それはふたりの見ている前で巨人機の姿を織りなしていった。

 白い甲冑、赤いマント。物言わぬ鋼の剣士が、ゆりかごに寝ころぶ赤ん坊のように狭い工場いっぱいに横たわる。


「はー……すごいなあ。模造機マイナギアもこんなふうに持ち運べればいいのに」

「真機石の力らしいけど。……正直、俺は機械も魔法も詳しくないんだ」

「そんなんで、よく乗り手なんかやってられると思うよ」

 あきれたように呟くロビン。

「まったく、そう思う」

 しごく真面目な表情で、ソールはうなずいた。皮肉をあっさりかわされて、というより、悪意に鈍感な反応に毒気を抜かれて、はあ、っと息を吐いた。


「ま、別にソールがわかんなくたって、バーンに見せてもらうからいいよ」

 少女が壁際に供えられていた作業用アームを背負い込む。ごつごつした背負いカバンからヘビのような腕が生えたこの機械は、もっぱら技師が好んで使う道具だ。

 半機石を動力にしており、自分の腕力の限界を超えて重いものを持ち上げることもできるし、腕が4本になることで、熟練の技師は数倍の速さで整備ができる……らしい。

 ロビンのアームは年季が入った旧式だが、よく手入れされていることがうかがえた。


「よ、っと……うわ、鉛だらけだ。まずは掃除しないとな」

 アームの力を借りて甲冑の一部を外して覗き込み、ため息をつく。文句を言いながらも、その表情はどことなく楽しげだ。

「何か、手伝えることあるか?」

「ない」

 手持無沙汰なソールが問いかけてみるが、間髪入れずに返された。

「邪魔になるから、どこかに行ってて」

 すでにロビンの視線は、ソールではなくバーンに向けられている。

 技師と機械の間に割り込めるものなど、この世にはない。たとえそれが乗り手であっても。


「わかった。暗くなるまでに戻るよ」

「これが真機石? すごいな、こいつがお前の動力になってるわけだ……」

 すでに熱中しているらしいロビンは、ソールに返事もしない。肩をすくめて、男は工場を後にした。



 ■



 工場から追い出されたあとは、町の中をぶらつくほかない。

 昨晩の竜による被害は、ソールが途中で食い止めたとはいえ甚大だ。一角は瓦礫の山と化し、町を囲んでいる壁はかじり取られたかのように一部が崩れている。

 しかし、すでに補修が始まっている。何体もの模造機が駆り出され、壁の補修に当たっている姿が見えた。


 模造機はその名の通り、巨人機の構造をまねて作られている。

 胸から頭にかけてががらんどうになっていて、そこに人間が乗り込んで操縦する。

 出力は巨人機と比べるべくもないが、それでも重いものを持ち上げたり、魔物を追い払ったりするには十分だ。

「おっ、英雄様じゃないですか!」

 感慨に浸りかけていたところに、その模造機の乗り手がソールに気づいた。よく日に焼けた顔の、いかにも体力自慢、という風体の男だ。


「まさか、あの巨人機で一緒に壁を直してくれるんですかい?」

「いや、バーンは修理中なんだ」

「聞いてみただけですよ。竜を撃退してくれたんだ、俺たちの町を直すのは俺たちの仕事です」

 分厚い胸板を揺らし、男が笑う。ソールはつられて口元を緩めた。

 が、ふと、男が何か引っ掛かったかのように眉をひそめた。


「修理って、まさか、あの子に?」

「ロビンのことか?」

「やっぱり。昨晩も、ひと悶着あったみたいで……」

「そんなに大したことじゃないよ」

 ホテルでのことなら、ちょっとした口喧嘩だ……と、ソールは思っていた。

 しかし。

 娘たちはロビンのことを「よそ者」「捨て子」だと言っていたが、だからと言ってあそこまで明白に敵意を向けられるものだろうか。


「彼女、何かあったのか? ずいぶん、なんていうか……」

「嫌われてますからね」

 ソールが濁した言葉を、男が継ぐ。

 どことなく、男の目には同情の色が見て取れた。事情を知らずにロビンに接しているソールへの同情か、それとも彼女自身に対してのものなのかまではわからない。


「よければ……」

 と、ソールが続きを促そうとしたときだ。

「魔物だーっ!」

 壁に開けられた穴。作業をする男たちの警戒の声が上がる。

「チッ! やっぱり来やがったか!」

 話し込んでいた男が、模造機を反転させて怒りの声をあげる。町を守っていた壁が崩れたのだ。工事と同時に、その警備も彼らの仕事なのだ。


「今度こそ、俺たちの町は俺たちで守ってやる!」

 模造機が勢いをつけて地面を蹴り、その勢いのまま駆け出していく。大きい分、全力を出せばかなりの速度に達する。

 が、その横をずっと小さな影が駆け抜けていった。

「助太刀する!」

 ソールは叫び、壁の穴へと走った。


 ■



 装甲を外し、歯車と金属繊維が、鋼鉄の骨組みに複雑に絡み合う内部を確かめる。

 竜が吐いた鉛が装甲の中にまで入り込み、取り除くのは労力を要したが、まだまだ整備はこれからだ。

「爺さんの帳面だと、巨人機は一か月も放っておけばたいがいの傷は直っちまうらしいけど」

 ロビンは改めてバーンに向き合い、思わずうめくような声を漏らした。

 どんな衝撃を受けたのか、骨組みは歪み、より合わせらた繊維はほつれ、一部が欠けた部品なんて、数えるのも馬鹿らしいぐらいだ。


「お前、どれだけの竜と戦ってきたんだ?」

 一度や二度でここまでの損壊はしないだろう。おそらく、竜と戦い、その傷が癒える前にまた別の竜と対面し……そんなふうにして、旅を続けてきたことがうかがえた。

「っていうか、世の中にそんなに竜がいるのか?」

 ロビンにとってみれば、昨日の竜……鉛巌竜プルブルドゥムとソールが呼んでいた竜が、初めて見た「殺戮者」だ。

 だというのに、この巨人機は1体で何匹もの竜と戦っている。竜を探して旅をしているにしても、そんなに見つかるものなのだろうか。


「……なんか、ソールのやつ、隠してそうだよな」

 バーンの胸の赤い真機石を見つめる。ソールが乗り込んでいたその場所は、透き通って見えるのに、中がどうなっているのかはよくわからない。ただ自分の顔が映りこんでいるばかりだ。

「ここに、お前の魂があるのか? なあ、ソールに内緒で、こっそり教えてくれよ」

 こつんと拳を当ててみても、もちろん答えはない。


「こんなこと、言ってても仕方ないよな。さ、続き続き」

 巨人機といっても、だいたいの構造は模造機と同じようなものだ。模造機が巨人機をまねて作ったのだから当たり前だが、とにかく修理の大部分はいつもの作業と同じだ。

「早く直して、本当のお前の力を見せてくれよ」

 つぶやいてから、まるで映り込んだ自分に向かって話しかけているように思えて、ロビンはひとり苦笑した。

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