第6話 ふたりの一日
原野には魔物がうろつき、時に人を襲う。
邪神により創られた魔物の生態は様々だが、人に害をなすものであることがほとんどだ。
そのため、多くの町は壁を作り、外界と人の住む場所を隔てている。
だが今、竜によって壁が壊されたのを好機と見たのだろう。魔物の一軍が、崩れた壁めがけて押し寄せてきていた!
「町に近づかせるな!」
戦いはすでに始まっていた。
戦場のただ中へ向かいながら、ソールは周囲に目を向け、状況を確かめる。
魔物の軍勢の中で、最も数が多いのはゴブリン。この亜人は人間より小柄だが、腕力は人間以上だ。
ウォーグの姿もある。これは狼の体表を毛皮と甲殻のまだらにしたような魔物で、ゴブリンらが好んで飼育する。
亜人らは人間とは異なった原語をしきりに叫んでいる。原野に住む大掛かりな部族なのだろう。後方では、ゴブリンよりもずっと大柄なトロールが指揮を執っているのが見えた。
「くそっ、こいつら!」
もちろん、対する町人たちも必死に応戦している。
模造機に乗った男たちが腕を振り回し、魔物たちと組みあい、あるいは
亜人は人間よりもずっと力強い。身体能力では、人間の骨をやすやすと砕くゴブリンや、岩を持ち上げて投げるトロールにはかなわない。
だから、こういう場では模造機を使うのが一般的だ。模造機なら、トロールよりも背丈や筋力で勝る。
「まずいな」
ソールはつぶやいた。
ただでさえ、魔物たちのほうが数では勝っている。
それに加えて、今ここにいる模造機乗りは、おそらく戦うための訓練はそれほど積んでいない。
当たり前だ、町を襲うためでもなければ魔物がこんなに一度に現れることはないし、普段は壁に守られている。
兵士もいるが、戦闘用の模造機は少ない。ゴブリンはともかく、ウォーグの群れやトロールの相手は難しそうだ。
「少し借りるぞ!」
ソールは兵士の一人とすれ違いざま、その腰からすらりと剣を抜き放った。
「あっ、な、なんだ!?」
突然現れた男の姿に、兵士が目を白黒させている。
「援護してくれ!」
駆け抜けざま、ゴブリンの腕の腱を断ち、ウォーグの首筋を撫で斬る。
いずれも切っ先だけを用いてわずかな力で急所を的確に突いていた。魔物たちが緑の血を噴き上げて倒れ伏し、あるいは絶叫をあげて後ずさる。
「お、おお!」
恐ろしいほどに冴えわたる剣閃に見とれたのもつかの間、兵士たちは助っ人の登場で勢いを取り戻し、ソールの後に続く。
凄腕の剣士にも、魔物たちはたじろがない。トロールのうちの一人が雄たけびをあげると、ゴブリンたちが左右に広がり、代わりに大柄なトロールたちが前進してきた。
「大した統率だな。でも……」
大樽に丸太を突き刺して作ったような体型のトロールたちの中でも、ひときわ体の大きな一匹が、明かに彼らを指揮している。
「道を開けてくれ!」
「任せろ!」
ソールの意志を察してか、それともただがむしゃらに叫びに応えてか。模造機が進み出る。先ほど、ソールと話していたひげの男だ。
「くぬううううっ!」
鉄の拳が振りあげられ、トロールの横っ面を激しく打ち付ける。魔物の体が揺らいだ。力負けはしていない。
「俺たちの町だ、俺たちで守るぞ!」
「お、おお!」
男の声にこたえた模造機乗りが一列に並び、トロールと正面からぶつかる。押し合いはわずかにこちらが有利。居並ぶ魔物たちの合間に、わずかに隙間が生まれた。
「行くぞっ!」
その隙間に、ソールがするりと身を滑り込ませる。獲物を狙う猫のように身をかがめ、ひときわ大きなトロールへ向かっていった。
「生身でなんて無茶だ!」
背後からの声も気にせず、魔物の指導者と相対する。
長身のソールも、トロールに比べれば、まるで大人に挑む幼児のようだ。身長は1.5倍、体重なら5倍はありそうな相手に向かって、臆することなく剣士が突っ込んでいく。
両手で剣を握る。より強く、より攻撃的な構えだ。
「グオオオオオッ!」
トロールが長い腕を振りかぶり、鞭のようにしならせて振り下ろす。
ソールは、文字通り間一髪、体をひねってその一撃をかわす。大地に打ち付けられた拳は、半ばまでめり込んでいた。
そして、あろうことかその腕をくぐるようにトロールの懐に飛び込んでいた。
両手で構えた剣は、魔物の胸に押し当てられていた。切っ先が皮膚にめり込んでいる。岩のように硬いトロールの皮膚に、魔物自身の攻撃の勢いを利用して刃を通したのである。
「命が惜しければ、引いてくれ」
剣がトロールの心臓を貫くまで、あと数センチ。わずかに力を込めるだけで、魔物の命を奪える状況にありながら、あろうことか男は魔物に話しかけていた。
「お前も群れの長なら、自分と仲間の数を減らしたくないだろ?」
トロールがわずかに体を起こす。だが、剣はぴたりと同じ深さまで刺さった状態でその体を追う。ソールの瞳は、太い眉の下で、強い殺意をにじませていた。
誰もが……魔物たちでさえ、戦場の中心で向かい合う剣士と魔物を見つめていた。
時が止まったような静寂の数秒ののち、トロールの首長がわずかに身を引いた。今度は、切っ先が肌から離れ、どろりとした緑の血が流れ落ちた。
「ゾ・ローザ・バダ! バダ!」
トロールが短く何事かを叫ぶ。それを聞いた魔物たちは、あるいは素早く、あるいはしぶしぶと退いていった。
魔物の首長はごつごつした岩のような顔をソールに向けた後、背を向けて去っていく。数十匹の魔物の群れが一斉に原野へ向かっていく様は、ある種の壮観さを感じさせた。
「みんな、無事か?」
ソールは剣を下ろし、振り返る。幾人かのけが人はいるものの、命に関わる負傷はなさそうだ。
「あ、あんた、巨人機に乗らなくても強いんだな」
模造機に乗った男が、ぽかんとした表情でソールに話しかける。
「昔、ちょっとな。それより、工事を再開したほうがいい。とにかく穴をふさがないと」
「あ、ああ。そうだな。でも、二度も守ってもらっちまった。何か、礼を……」
「いや、当然のことをしたまでさ」
ソールの眼は本気だった。あんなに大きな魔物と戦ってでも人を助けることが当然だと、本気で思っているらしい。
「いや、しかし。ここまでしてもらって、ありがとうだけで済ませちゃ俺たちも困っちまうよ」
「でも……あ、いや、そうだな……」
ふと、思い出したように、ソールは腹を押さえた。
「あんまり、懐に余裕がなくてさ。何か食わせてくれよ」
■
「駆動系はなんとかなるとして……」
自分の両手と、機械の腕。合計4本の腕をせわしなく動かしながら、ロビンはつぶやいた。
欠けたパーツを取り外し、代用できそうなものがあれば付け替える。帳面によれば、部品を取り換えたところで、巨人機の性能は変わらないらしい。細部に至るまで特別なものだと思われがちだが、細かいところまで見ればそう神聖なわけではない。
ただし、それは真機石を除いての話だ。
「こっちは、爺さんのメモを頼りに整備するしかない、か」
いわゆる、魔術回路というものだろう。≪かつて≫、すなわち天上人がいた時代は、彼らは複雑な魔法を呪文や身振りで操ることができたらしい。
だが、今を生きる地上人にとっては、その力は機石を通して、ごく限定的にしか扱うことしかできない。
巨人機には、≪かつて≫の天上人が操った魔法の業が刻まれているのだ。
「爺さんが書いてた巨人機の中に、バーンに似たやつがいたと思うけど……」
もちろん、ロビンにそうそう理解できるものではないことぐらいはわかる。だが、この手帳を書いたものは、いくつもの巨人機を整備していたはずなのだ。その記録を読めば、多少は読み取れる……はずだ。
「
甲冑を着込み、剣を携えた巨人機の姿が描かれている。細部は違うが、全体の印象はバーンによく似ていた。
「ふんふん。やっぱり、ほかの部品は真機石の魔力を引き出すためにあるわけだ」
帳面を手で支え持ちながら、バーンの胸に登って魔術回路の様子を確かめる。
「フツーの機械とは全然違うな」
アームをせわしなく動かして、バーンの体内の回路を調節していく。
なんとなく、どことどこが繋がっているのかはわかっても、微細な位置のズレが最終的に大きく効果を変えてしまう……そんな感触だ。
たとえるなら、絵を描くことに近い。思った通りの線を描けなかったり、うまく色を混ぜ合わせることができなかったり……師が残した「お手本」を前にしても、なかなかうまくいかない。
「ああ、くそ。もう一度……!」
バーンの中に、無数の歯車や配線を用いて巨大な絵図を描き出していく。
巨人機を生み出した神々は力強さだけではなく、美しさも込めたのかもしれない……と、感傷に浸りたくもなるが、今は美を気にかけている場合ではなかった。
「っかっしいな。これじゃ、右と左、どっちかにしか魔力が送れないぞ……あっ、お前、それで昨日は剣と盾、片方ずつしか出せなかったのか!?」
いつもの、分かり切った模造機の整備とは違う。
知らないことを知り、できないことに挑む喜びに、いつしか少女の顔はほころんでいた。
■
日が傾き、空は茜色へと染まっていく。
巨人機に背を向けた鉛岩竜プルブルドゥムは、屈辱に打ち震えていた。
満たされない破戒衝動のままに魔物の巣を襲って追い払ったものの、その程度では怒りは収まらない。
「情けない」
低い、男の声がした。
いつから、そこにいたのか。竜の影に紛れるように、黒い鎧兜の男が立っていた。
すべての生命の敵である竜の前に、生身の人間が姿を表すなど、自殺行為以外の何物でもない。だが、鉛岩竜は男を襲わず……むしろ、おびえるように身を縮ませた。
「せっかく、解き放ってやったというのに」
男が、魂なき竜にささやく。がちがちと、怒りで竜が顎を震わせた。
「まさか、このまま逃げはしないだろうな」
竜の落ちくぼんだ瞳が、戦意をにじませる。
「そうだ。行け。巨人機を蹴散らし、人間どもに思い知らせてやれ」
男は、笑っていた。顔を覆い隠す兜の下で、くぐもった笑いが幾重にも響く。
「この世界が、誰のものなのかをな」
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