第4話 ランプとレンチと朴念仁
工場、と呼ぶには、そこはいささか手狭でもの寂しい景色に思えた。
柱を長方形に並べて、なんとか天井と壁をしつらえたような、極めてシンプルな構造。
とはいえ、壁際には種々の工具がそろえられているし、半機石を動力とする、作業用アームも据え付けられている。
「しょぼい、って思っただろ」
自分から中を見せておいて、ロビンがにらみつけてくる。
「そんなこと、一言も言ってないだろ」
「実際にしょぼいんだから。今は、オレしかいないし」
言いつつ、半機石ランプを工場の奥に向ける。最奥部には、ついたてやカーテンで間仕切りされた空間。
「オレは、あそこで寝るから。ソールはそっち」
と、工場の壁にある扉を示す。その奥には、直方体の工場に無理やり増設したようなごく小さな部屋。ベッドと作業机、それにわずかな棚と本棚……それだけの部屋だ。
いや、それだけの部屋でも、工場の隅っこのスペースで寝るよりはずっと快適なのには違いない。
「いや、巨人機を見てもらうんだから、俺がそっちで……」
「違うって! オレは、いつもあそこで寝てるんだ」
再び、ランプの明かりで奥のスペースを示してみせる。
「でも、ここには君しかいないんだろう? だったら、この部屋は……」
「ちょっと前まではいたの。もう、細かいことはいいだろ!」
確かに、すでに真夜中近い。お互いにいろいろと疲れているのも、間違いない。
「わかった。あー、でも」
部屋に一人取り残されたら、光源はどうしたものか。別に、暗がりを恐れているわけではないが、用を足したくなったりしたら不便そうだ。
「ほら、中にもランプがあるだろ。まだ使えるはずだから」
と、作業台の上に立てられた、円筒形の道具を示す。書き物の時にでも使うためのモノだろうか。夜歩きには不向きだろうが、足元程度なら照らせそうだ。
「ああ。ありがとう、ロビン。寝る場所まで」
「寝るだけなら、ほかにもっといいところがあるだろ。お礼を言うのは、そいつが直ってからにしてくれよ」
細い指が、ソールの腰に下げられた剣を示す。柄に宝石を戴き、盾に刺さった妙な剣。それが、巨人機・バーンソードマンのもう一つの姿だということくらいは、さすがに若い技師にもわかっていた。
「そうだな。それじゃあ、おやすみ」
「……汚すなよ」
ロビンは就寝前のあいさつを素直に返すことはせず、ばたん、とそのまま扉を閉めた。
「素直じゃないな」
暗い部屋に取り残されたソールは、ふう、と息を吐く。
工場に染み付いた機械油のにおいが、部屋の中にも伝わってくる。
視界が闇に閉ざされると、そのにおいが一層強く感じられた。人間が巨人機をまねて生み出した、模造機をはじめとした機械の数々。
進歩のにおい。
思わず口元に笑みが浮かぶのを感じながら、ソールはシャツごと上着を脱ぎ去り、腰の剣を壁際に立てかけ……と、ここまでは記憶の中の部屋を思い浮かべながら行えたが、さすがに暗いままでは不安になってきた。
「確か、このあたりに……」
ロビンがさっき示したランプを手で探り当てる。こつんと指に当たるそれを手に取る。
半機石ランプなら、明かりをつけるためのスイッチかレバーがあるはずだ。両手でそれを探り……
「んん?」
探っても、つるつるした感触が帰ってくるだけだ。一方の端には大きな凹み。指を突っ込んでみても、中は空洞があるだけだ。
「これ、どうやって点けるんだ?」
夕暮れの中で竜と対峙していた戦士が、夜には明かりのつけ方で悩むとは。我がことながら情けない。がっくり肩を落として、ソールはうめいた。
「仕方ない。ロビンに聞くか」
■
「うわっ、ひどい顔」
工場の隅に作った小さなスペース。ひびの入った鏡を覗き込み、ロビンは改めて自分の顔が煤まみれになっていることに気づいた。
今日は昼まで、壊れた模造機の修理にかかりきりだった。町の連中は、ひどく壊れたときにだけロビンのところに模造機を持ってくる。普段はこんな工場のことは気にしていないふりをしているが、実のところ、一番腕がいいのが誰かわかっているのだ。
そんなわけで、運び込まれた模造機の、派手にひしゃげた右足を直し、大工連中に引き渡したときだった。
激しい振動と共に、壁が崩れ去ったのは。
巨大な竜の顎が瓦礫を押しのけて現れ、石造りの屋根を紙屑のように踏みつぶす光景が脳裏によぎる。
「……っ」
思わず背筋が震えるのを、体を押さえてやり過ごす。
「ああっ、もう。オレがバーンを直せば、ソールが竜を倒してくれる。平気だ、しっかりしろ!」
自分に言い聞かせ、貯めておいた水を欠けたバケツですくった。
とにかく、寝る前に汚れを落としておいたほうがいい。使いすぎで硬くなったタオルをバケツの水に浸し、顔をぬぐう。汚れはなかなか落ちない。
「はあっ。顔だけじゃなさそうだな……」
こんな状態で人前に出ていたのかと思うと憂鬱になりつつも、さっさと服を脱ぎ去る。
汚れた肌が磨かれていく感覚。爽快感と、自分の部屋にいる安心感から鼻歌も漏れる。
実際、そこはロビンにとっては寝室であり、私室だった。
工場の本来の主は、生涯を一人で過ごすつもりだったようだ。かといって、もう一部屋増設するような余裕はなかった。
結局、仮の住まいとして作ったこの場所が、そのまま何年も使われ続けることになってしまったわけだ。
彼は決して仕切りを越えることはなかった。だからここは、ロビンにとって自分だけの場所と言える唯一の空間だった。
「おい、ロビン。これ、どうなって……うわっ!?」
間抜けな巨人機乗りが手探りでやってきて、カーテンに手をつこうとして転びこんでくるまでは。
■
白い肌が見えた。
急に転んでも、頭を打つような真似はしない。叩き込まれた体術は、反射的に手をついて身を支え、視界を広く保つ。
……が、それがアダになろうとは、神ならぬソールには予測しようがなかった。
顔を汚していた煤は拭い去られ、オレンジ色の大きな瞳だけでなく、すらりとした鼻梁や、みずみずしい唇もはっきりと見て取れた。
キャップを脱いだ頭には青みがかった髪。耳のあたりで切りそろえられ、こちらも水で拭ったのか、うっすらと湿っていた。
さらには、つぎはぎだらけでシルエットも膨らんでいた服を脱いだ体には、はっきりと凹凸が浮かんでいる。鍛え上げられた男のそれではない。胸元のふくらみも、細くしまった腰も、ぽつりと穿たれた臍も、明らかに……
「見るな、馬鹿!」
一瞬の間、互いに動きを止めていた。先に動いたのはロビンだ。
片腕で自分の体を隠し、もう一方の手で置かれたままのランプをつかむ。
いまだにショックを受けて身動きできないソールの目元に、思いっきりそれを突き出した。
「ぐわああああっ!」
暗闇に慣れていた目にいきなり光を当てられ、ソールの視力が奪われる。
ごろごろと床を転がって男がもだえている間に、少女は脱いだばかりの上着を着込んだ。
「い、いつから……」
「生まれたときからに決まってるだろ!」
あまりに間抜けな問いかけに、ロビンがますます怒りを噴出させる。
「そんな格好で、何しに来たんだよ!」
ソールもまた、上半身の服を脱ぎ去っている。彼にしてみれば寝るときはいつもそうなのだが、そんなことはロビンの知ったことではない。
くっきりと彫り込んだような筋肉が男の体を形作っていることに改めて気づかされ、煤が落とされた頬が赤く染まっていた。
「こ、これ……」
いまだに目を押さえながら、ソールが棒状のものを差し出した。
「……レンチがどうかした?」
「……レンチ?」
ようやく回復してきた目で、ソールは自分の手に持ったものを見つめる。
間違いない。無骨ながらもよく手入れされた工具を、ランプだと勘違いしてここまで持ってきたらしい。
「ええと……」
さらに何事か……たぶん、言い訳のようなものを紡ごうとして、口を開いたものの、肝心の言葉は何も出てこない。
「早く出てけ!」
それがさらにロビンをイラつかせた。叩き出すような勢いで、間仕切りから追い立てる。
「わ、悪かった。決してそんなつもりじゃなくて……」
「つもりとか、そういう問題じゃない! ああ、もおっ!」
恥ずかしさと怒りで沸騰しそうな頭を抱えて、ロビンは地団太を踏む。
これ以上は、何を言っても下手に刺激することになりそうだ。今はそっとしておいたほうがいい。
「……おやすみ」
「それはもう聞いたよ、朴念仁!」
こうして。
二人がはじめて出会ったその日の夜は、最悪のムードで更けていった。
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